『人間失格 太宰治と3人の女たち』:2019、日本

太宰治は夜の海で愛人のシメ子入水自殺を図るが、自分だけが生き残った。彼は必死の思いで岸に上がると、「死ぬかと思った」と安堵の言葉を漏らした。太宰は自分だけ生き残った体験を小説に書き、ヤク中で精神病院にも入った。その後も彼は別の女と心中を図り、またも失敗に終わった。1946年、東京。編集者たちは太宰について「全てがネタだ。書くためなら何でもやるんじゃないか」と語り合った。その太宰は美知子という女と結婚し、2人の子供を設けていた。
編集者の佐倉潤一は太宰の家に通い、自分の雑誌で傑作長編を書いてほしいと催促していた。彼は学生時代から太宰のの筋金入りのファンで、新作を楽しみにしていた。太宰は愛人の太田静子から届いた手紙を読み、「構想はある」と口にした。太宰は彼女への返信に、「貴方はもう一人じゃない。僕の命を預けます。これからは手紙の差出人の名を変えましょう。油断大敵、今までとは違うのだから」と綴った。しかし密かに生きることを求められた静子は内緒の関係に満足できず、、太宰の家を訪ねた。
太宰は静子を連れて外出し、「怒ってらっしゃる?早く会いたかったの」と言われて「何も悪くないよ」と穏やかに告げた。太宰と静子はオペラの観劇に行くが、ずっと会話を交わしていた。隣の客が迷惑そうにしたので、2人は劇場を出た。太宰は静子に、「一緒に落ちよう。死ぬ気で恋をする」と言う。彼は馴染みのバーへ静子を連れて行き、マダムには弟子だと紹介した。話をするために2階を貸してほしいと太宰が告げると、マダムは静子に「やめときなさいな、こんな悪い先生。奥様もいらっしゃるのよ」と忠告する。しかし静子は自信満々で、「大丈夫です。芸術のための恋ですから。奥様もきっと理解してくださいます」と告げた。
静子はマダムの言葉で美知子が妊娠していることを知るが、太宰は軽く笑って「仕方ないなあ、もう恋しちゃったから」と述べた。2階へ移動した太宰は、静子に「一緒にいると新しい感覚がどんどん生まれてくる」と言う。静子は小説を執筆するために日記を書き溜めていたが、太宰は2人の作品のために使わせてほしいと頼む。「一万円払うよ。そうすれば1年は暮らせるだろ」と彼が言うと、静子は「それを頼みたくて今日会ったの?」と腹を立てた。
太宰は「違うよ、ただ静子に会いたかったの」と否定し、「2人で新しい芸術を生もう」と説得する。静子は「赤ちゃんが欲しい」と持ち掛け、叶えてくださいと告げる。太宰が困惑しながら「うん」と答えると、彼女は「伊豆に来て、静子と恋をして。そしたら日記をお見せします」と約束した。太宰がバーで「どうすっかなあ」と悩んでいると、泥酔した坂口安吾が喚き散らしながら現れた。太宰と坂口は酒を飲みながら、互いに嫌味を飛ばし合う。坂口は「人間は生きてるから落ちる。もっと落ちろよ」と言い、酔い潰れて眠り込んだ。
太宰は伊豆へ行き、静子の日記を読ませてもらった。「人間は恋と革命のために生まれてきたのであるのに」という文章に刺激を受けた彼は、「思った通りだ。これで書ける」と口にした。彼は新作の題名を『斜陽』だと教え、静子を抱いた。太宰はネックレスをプレゼントし、静子の元を去る。しかし静子が泣いていると彼は舞い戻り、そのまま何日間も一緒に過ごして幾度も肌を重ねた。東京へ戻った太宰は馴染みのバーで仲間と飲み、入水自殺の失敗談を楽しそうに語った。カウンターにいたソノコが「先生はもっと苦悩していると思ってた」と言うと、彼は「してるよ。苦悩して、毎日飲んでる」と軽い口調で告げた。
「真面目に答えて。死ぬ前に、何したい?」と問われた太宰は、「それは恋だね」と答える。「奥さんいるのに?そんなの駄目よ」というソノコの言葉を軽く受け流した太宰は、カウンターの下で山崎富栄の手を密かに握った。富栄が「人それぞれなんじゃない?」と言うと、太宰は「家庭があるのに恋するってのは不道徳かもしれないけど、むしろ原始的に真っ当だ」と話す。彼は煙草を吸いながら、「人間はね、恋と革命のために生まれてきたんだ」と笑った。
店を出た太宰は、川辺で静子から届いた妊娠を知らせる電報を見た。そこへ富栄が来て「この川は怖くて。人食い川なんでしょ。入ったら遺体は上がらないって」と語ると、彼は「そりゃ理想的だ。僕もそんな風に、何も残さずに消え去りたい」と言う。佐倉が呼びに来ると、太宰は富栄を連れて姿を隠した。彼がキスしようとすると、富栄は「ダメです」と抵抗する。しかし太宰が「大丈夫、君は僕が好きだよ」と言うと、彼女はキスを受け入れた。富栄は急いで帰宅し、戦死した夫の遺影に泣きながら謝罪した。
夜遅くに家へ戻った太宰は、美知子が用意してあったおにぎりを食べて大声で「旨い」と言った。寝ていた美知子は無視しようとするが、太宰が執拗に繰り返すので仕方なく起きた。太宰は『ヴィヨンの妻』の評判がいいことを告げ、みんな美知子がモデルだと思っていると話す。美知子が「そういういじらしさが嫌だから書いたんでしょ」と言うと、彼は「それがみんな分からないんだよ」と述べた。静子は弟の薫から、太宰について「どうせ無駄足だよ。子供の話をした途端に音沙汰無しなんて」と言われる。静子が「連絡が出来ないだけよ」と太宰を擁護すると、薫は「せっかく帰ったのに、姉さんのせいで世間に顔向けも出来ない」とぼやく。すると静子は腹を立て、「私は自分の物差しで生きるの。これは芸術なの。現実とか世間なんて関係ない。これは革命なの」と語った。
静子は薫と共に、太宰の行き付けの酒場を訪れた。しかし仲間と飲んでいる太宰は、静子の存在を無視した。太宰は佐倉から「なんで子供なんか」と言われ、「俺だって出来ないようにって祈ってたよ。でも頼まれちゃったから」と漏らした。太宰は佐倉に、富栄を呼んで来るよう指示した。太宰は富栄を歓迎し、彼女が持って来たウイスキーで乾杯した。富栄は佐倉から静子が『斜陽』のモデルだと聞き、「お腹空きません?」と声を掛けた。
静子は個室で富栄と2人きりになり、「好きなんですね。私も大好き、あの方の小説」と言う。富栄が「私も好き、先生の言葉。この前も恋と革命なんてことをおっしゃって」と告げると、静子は「私が書いた言葉です」と得意げに明かした。友人の伊馬春部が店に来ると、太宰は抱き付いて歓迎した。『ヴィヨンの妻』のモデルが美知子だと思っている伊馬は、「妻の鏡。お前が馬鹿やっても支えてくれてる」と言う。すると悪酔いした佐倉は「あんな奥さん、現実にいませんよ」と述べ、太宰の身勝手さを批判した。
「調子に乗んなよ」と太宰が佐倉を威嚇すると、富栄が座敷から「あんな風に尽くして尽くす人、私はいると思います」と口を挟む。皆が笑うと、薫は「結局は妻ってことですか?」と怒りの言葉を叫んだ。「男はやりたい放題やったら愛に帰って行く。そういうことですか」という問い掛けに、誰も返答しなかった。すると静子が立ち上がり、「なぜ恋が悪くて愛はいいの?そんなの良く分からない。愛なんて、結婚したって全然分からなかった。でも恋なら良く分かる。これが悪いなんて嘘。恋が悪いなら、私は悪くていい」と微笑んだ。
泥酔した太宰は、帰宅途中で咳き込んで吐血した。そこへ富栄が現れ、「先生を思うと苦しくて」と太宰に抱き付いた。太宰は「死ぬ気で来い」と言い、彼女に覚悟を要求してキスをした。太宰は富栄と深い関係になり、「今、生きているのは君のためだ」と言う。富栄は「私たちはあの世に行ってこそ結ばれる本当の夫婦」と告げ、太宰と心中する覚悟を口にした。美知子は3人目の子供を出産るが、太宰の放蕩生活は何も変わらなかった。
太宰は座談会で大物作家たちから『斜陽』を酷評され、バーで坂口に不満を吐露した。坂口が「俺は面白かったけどね」と告げると、太宰は「当然です。あれは傑作だ」と言う。すると坂口は、「傑作とまでは思わなかった。お前、女の日記使ったな」と指摘した。太宰が富栄の家にいると薫が現れ、静子が女児を出産したことを知らせた。太宰が女児に治子と命名する様子を、富栄は動揺を隠して見ていた。佐倉は富栄に「知っていたの?」と訊かれ、「『斜陽』のモデルは静子さんです。小説を読めば気付くと思っていました」と告げた。
富栄が自害しようとしたので太宰は慌てて制止し、「絶対一人で死のうとするなよ」と声を荒らげた。「嘘つき」と富栄がと泣きじゃくると、彼は「出会うのが一歩遅かったんだ」と釈明する。彼女が「私も赤ちゃんが欲しい」と言うと、太宰は「分かった。僕の子供を産んでほしいな」と告げた。富栄が「伊豆には行かないで。行ったら死にます」と言うと、彼は「行かないよ」と約束した。祭りの日、太宰は佐倉から富栄と別れようとしないことを批判され、「みんな俺を求めてるんだよ。応えるしかないだろ」と語った。佐倉が「そうやって、いっつも逃げてる。たかが不倫じゃないですか。恋だ革命だと言って」と責めると、彼は「たかが不倫って、じゃあお前やってみろよ」と言う。佐倉が「やりませんよ、自分のために他人を踏みにじるようなこと。心の底から軽蔑します」と話すと、太宰は「俺はこういう人間なんだよ」と開き直った。すると佐倉は、いつか書きたいと言っていた『人間失格』を執筆すべきだと告げた。
無言で立ち去った太宰は、悪夢のような幻想に襲われた。富栄が声を掛けると、我に返った彼は慌てて飛び退いた。太宰が激しく咳き込むと、富栄は慌てて背中をさすった。太宰は彼女に抱き付いてキスするが、娘が通り掛かったので動揺する。そこに乳母車を押して赤ん坊を背負った美知子が現れると、太宰は気まずそうに「やあ」と手を挙げた。美知子は娘に「行きますよ、お父さんはお仕事なんですから」と告げ、その場を去った。
家に戻った美知子は娘を寝かし付け、「お母さん、もう駄目かも」と泣きそうになる。しかし彼女は「嘘、大丈夫」と自分に言い聞かせ、赤ん坊に「お父さんは才能がある。もっと凄い物が書けるんだよ」と話し掛けた。深夜に帰宅した太宰は、大量の睡眠薬を飲んだ。いびきで目を覚ました美知子は倒れている太宰を見つけ、慌てて医者を呼んだ。医者は「問題は肺です」と美知子に告げ、「かなり酷い。なんでここまで放っておいたんですか」と責めるように言う。美知子が「病院を嫌うものですから」と釈明すると、医者は「今すぐ酒と煙草を止めさせなさい。冬になったら、もう持ちませんよ」と警告した。
太宰は酒と煙草を止めることもなく、『斜陽』の単行本が爆発的に売れた後も富栄の元へ通い続けた。太宰が酒場で編集者たちと飲んでいると、1人の青年が来て「僕は太宰さんの文学が嫌いです。やたらと死を匂わせる弱々しい文学は」と述べた。名前を問われた青年は、「三島由紀夫」と答えた。同行していた編集者が、三島は若手作家で大蔵省の役人でもあることを太宰に教えた。太宰が皮肉っぽい態度を見せると、三島は「貴方は文学を見世物小屋の興行にしてしまった。本当に客の前で死んでみせる覚悟はあるんですか」と告げた。太宰が自分の首を絞めると、仲間の編集者たちが慌てて制止した。
三島が「醜悪だ、こんなの」と吐き捨てると、太宰は「また失敗だ」と軽く笑った。三島が「虚しくはないんですか。何を書いたって誰も本当には理解しない。それが分かっていて、何のために書くんですか」と問い掛けると、彼は「やってみたら分かるんだよ」と彼の首を絞める。三島は太宰の手を振りほどき、「最低だ、貴方は。なんでまだ生きてられるんだ?」と批判して去った。太宰は高笑いを浮かべるが、激しく咳き込む。そこへ富栄が駆け寄ってハンカチを差し出すと、太宰は大量の血を吐いた。編集者たちが黙り込んでいると、太宰は「いい眺めだな、恐るべき神になった気分だ」と告げた…。

監督は蜷川実花、脚本は早船歌江子、製作総指揮は大角正&佐野真之、製作代表は高橋敏弘&豊島雅郎&木下直哉&三宅容介&山本将綱&藤田浩幸&金谷英剛&宮崎伸夫、エグゼクティブプロデューサーは吉田繁暁、企画・プロデュースは池田史嗣、プロデューサーは秋田周平&宇田充、ラインプロデューサーは阿部智大、アソシエイトプロデューサーは秋吉朝子、撮影は近藤龍人、美術はEnzo、照明は藤井勇、録音は松本昇和、編集は森下博昭、VFXスーパーバイザーはオダイッセイ、衣装は青木茂、音楽プロデューサーは高石真美、音楽は三宅純、主題歌「カナリヤ鳴く空 feat.チバユウスケ」は東京スカパラダイスオーケストラ。
出演は小栗旬、宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみ、藤原竜也、高良健吾、成田凌、千葉雄大、瀬戸康史、稲垣来泉、壇蜜、近藤芳正、木下隆行(TKO)、山谷花純、山本浩司、片山友希、宮下かな子、ヨシダ朝、新堀晃祐、清家栄一、堅山隼太、堀源起、大石継太、柴田鷹雄、松下太亮、荒川浩平、大友久志、三倉翔、春園幸宏、清水克彦、中村美弓稀、田中奈々、清水美沙、吉村咲輝、柳沢衣織、田村柚羽、土屋文乃、みゆ、八木庵愛、石橋侑大、折笠康太、鈴木皐友、珠羅ら。


太宰治が遺作の小説『人間失格』を執筆するまでの経緯を基にした映画。
監督は『ヘルタースケルター』『Diner ダイナー』の蜷川実花。
脚本は『紙の月』『シンドバッド 空とぶ姫と秘密の島』の早船歌江子。
太宰を小栗旬、美知子を宮沢りえ、静子を沢尻エリカ、富栄を二階堂ふみ、坂口を藤原竜也、三島を高良健吾、佐倉を成田凌、薫を千葉雄大、伊馬を瀬戸康史、ソノコを稲垣来泉、バーのマダムを壇蜜、佐倉の先輩編集者を近藤芳正、毛蟹売りの男を木下隆行(TKO)が演じている。

太宰治の熱烈なファンは今でも大勢いるが、個人的には「小説家としては凄いのかもしれないけど人間的にはクズ」だと思っている。
そこは切り分けて考えるべきなのかもしれないが、私はクズ野郎に対して「作家としては優れているんだから許すべきだ」という寛容な考えを持てない器の小さな人間だ。
そんな私からすると、この映画は「太宰治のクズっぶりを見事に表現している作品」という評価になる。
幾ら小栗旬が演じていようと、クズはクズだ。だって太宰がクズなんだから、どう描いてもクズになるのだ。

一応はフィクションになっているが、劇中で描かれる太宰治の言動は基本的に事実に即している。
もしも貴方が映画を見て「ここでの太宰の言動は酷いな」と感じたら、それは事実だと思って差し支えない。他の部分で色々と脚色があっても、クズの部分は真実だ。太宰治とは、そういう人物だったのだ。
ただ、そんな太宰治のクズっぷりを描くことで、何を観客に伝えようとしているのかがサッパリ分からない。
今という時代に太宰治の伝記映画を撮るのなら、それなりのテーマやメッセージがあるはずだ。でも、この映画を見ても、「やっぱり太宰はクズだった」ってことぐらいしか伝わって来ないのだ。

太宰治がクズなのは、知っている人にとっては「今さら」の事実だし、太宰治を知らない人からすると「それで?」と言いたくなる事実だ。
クズ野郎が身勝手に心中する物語を見せられて、何をどう感じればいいのか。
太宰治の創作者としての苦悩や葛藤を徹底的に掘り下げて、「身勝手ではあるが共感できる」とか「破滅的だが理解は出来る」という気持ちにさせるような方向性は全く見えない。
太宰治の身勝手さは最初から最後まで軽薄で、「カッコ付けてるカッコ悪い奴」でしかない。

太宰治は人前で死ぬ覚悟も無ければ、1人で自殺する勇気も無い(自殺を勇気ある行動として捉えるのは問題もあるだろうが、ここではあえて勇気と書いている)。
太宰を「心が弱くて繊細な人だった」という捉え方で擁護する人もいるだろうけど、「弱い人間だからクズな行動も全て許されるべき」という主張には全く賛同できない。
蜷川実花監督はダメンズが大好きな人だから、そのまんまで何の問題も無く愛せるのだろう。
そのため、「クズ野郎を愛すべき人間として見せるための策略」を何も用意していないのだ。

ただし困ったことに、じゃあ太宰を徹底してヘドが出るようなクズとして描けているのかというと、そういうわけでもない。
まあ太宰治が好きだから蜷川実花は監督を引き受けているわけで、だから当然っちゃあ当然かもしれないが、やはり「太宰ラブ」の意識が見えるようになっている。
とは言え繰り返しになるが、やっぱり太宰はクズ野郎なのだ。なので、愛すべきクズにもなれず、とことんまで醜悪で強烈な嫌悪感を喚起するクズにもなれず、「しょっぱいだけで好奇心を刺激しないクズ」として最初から最後まで映画の中に在り続ける。
どっちの意味でも引き付ける力が乏しく、ゲスな言い方になるけれど、「どうでもいい奴」になっている。

タイトルに「3人の女たち」とあるが、ひょっとすると太宰治を取り巻く3人の女たちを描きたいという意識が強かったのかもしれない。「それぞれが太宰治と関わることで、最終的には何かしらの満足感を得られた」という風に描きたかったのかもしれない。
つまり3人の立場になってみれば、これはハッピーエンドの物語ってことだ。
静子は純粋に「どうなっても太宰と付き合いたい」と思い、それを叶えた。富栄は太宰と付き合うことで、自分の地位や存在感を高める願望を叶えた。美知子は太宰が死んで、苦悩から解放された。そんな感じなのかもしれない。
でも、これはあくまでも頑張って捻り出した推測であり、それを上手く表現できているわけではない。

小説に対する作家たちの意識を語らせる会話シーンが何度か用意され、BGMを使って雰囲気を盛り上げようとしている。
でも、そこから伝わってくるメッセージなんて、何も無い。
役者たちが語る言葉は空虚なだけで、何も残さずに右から左へ通り抜けて行く。その場その場で表層的な言葉を発しているだけで、ドラマとは上手く連携していないからだ。ドラマの中から浮かび上がってくる言葉や、ドラマの展開に繋がる言葉になっていないからだ。
小説家の話だが、言葉には力が無い。
あと、BGMの使い方がダサい。例えるなら、怪奇映画で不安を煽る際に雷鳴を轟かせるのと似たような演出になっている。

蜷川実花監督がやっていることは基本的に、映画デビュー作『さくらん』の頃から良くも悪くも全く変わっていない。原色で映像を調整し、花びらを散らして飾り付ける。
まあ「やっていること」っていうか、「出来ること」がそれしか無いんだろう。
自分の欲しい絵を撮る能力には長けているが、物語を紡いだりドラマを演出したりする能力は足りていない。
写真家としては何もブレていないし、映画監督としては何も成長していない。

蜷川実花は自信家なので、きっとこれからも変わらないだろう。もちろん本作品も、そんな彼女の特徴はハッキリと表れている。
ただし、今までの作品に比べると、映像表現は控え目になっている。太宰治や終戦直後という時代のイメージに合わせようとする意識があったのか、ケバケバしさや毒々しさはそんなに強くない。
映像のケレン味が薄いので、ドラマ演出の弱さを誤魔化せる余地が失われており、結果として凡庸さが際立つ結果となっている。
あと、ちっともエロティックじゃないしね。

(観賞日:2021年4月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会