『人間革命』:1973、日本

昭和二十年七月三日。奥多摩刑務所を出た戸田城聖を、妻の幾枝が出迎えた。戸田が「大丈夫か」と問い掛けると、彼女は「大丈夫です。家も焼けませんでした」と答えた。列車に乗った戸田は、焼け野原の光景を見て驚いた。列車が明治神宮の前を通る時に兵士が敬礼して人々が深々と頭を下げる様子を、戸田は無言で見つめた。帰宅した戸田は、仏壇に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えた。彼は幾枝が用意した御馳走に感心し、酒を飲んだ。空襲警報が鳴り響き、幾枝は急いで明かりを消した。
翌日、戸田は2時間も歩いて顧問弁護士の渡辺を訪ね、事業の収支が大幅な赤字に転落していることを知る。刑務所に入る前は現在の価値で五十億の資産があったが、それが二十億の赤字になっていた。学会員である奥村の訪問を受けた戸田は、今度は通信教育を始める考えを明かした。そのための費用を捻出するため、彼は東洋銀行へ赴いた。広島に新型爆弾が投下されたことを知り、戸田は戦争の終結を確信した。その予想は的中し、彼は友人の栗川から天皇陛下の重大な放送があることを聞かされた。
終戦を知った戸田は奥村の他に女性たちを雇い入れ、教育書を出版する日本正学館の事業を開始した。本が飛ぶように売れる中、学会員の山平忠平が無事に出征先から戻って来た。働かせてほしいという山平を戸田は歓迎し、家に招いて御馳走を出す。戸田は事務所を貸してくれた栗川に礼を言い、来月には神田へ進出できることを明かした。神田に事務所が移っても事業は順調だったが、紙の値段が高騰したことで状況は悪化する。しかし前金を受け取っているため、通信教費の値上げに戸田は難色を示した。
事務所には幼い子供を連れた田上という女性が現れ、「学会員だったと先生にお伝えください」と頼む。夫が戦死して家が焼けたことで、彼女は自分の信心が足りないせいではないかと考えていた。戸田は日蓮大聖人の言葉を語り、「罰じゃないよ。肝心なのは艱難を乗り切ることが出来るかどうか、信心を貫き通せるかどうかだ」と説いた。田上は戸田に感謝し、事務所を後にした。経済人仲間である北川直作が事務所に現れ、やっと印刷機が回るようになったことを戸田に話す。彼は江戸川に軍の隠匿物資として大量の紙があること、取引金額が大きくて手が出ないことを話し、戸田に協力を要請した。
戸田は紙を手に入れるため、島谷という男が率いる愚連隊と会った。島谷は戸田の提示した金額を拒否し、手下たちに拳銃で脅させる。しかし戸田は全く怯まず、取引を成立させた。戸田は入手した紙を全て自分の会社で使うのではなく、仲間の藤崎洋一や北川たちに原価で売却した。昔の学会員だという川本が現れ、戸田に挨拶する。戸田は川本に見覚えが無かったが、牧口に指導を受けていた教師だと彼は説明した。川本は生き甲斐を見出せないことを話し、「学会はどうなってしまったんでしょう」と問い掛けた。
町へ出た戸田は、民衆が何かを求めているが方向が無くて呻いていると感じた。彼は山平と奥村を呼び、新しい編集長に三島由造を迎えることを告げる。収支を何とかするため単行本を出し、近い内に通信教授を打ち切る考えも彼は明かした。戸田は奥村に、全ての小説を新人に執筆させるよう指示した。藤崎や北川たちは戸田を新しく出来た寿司屋へ連れて行き、学会の再建を持ち掛ける。「君たちに任せる」と戸田が断ると、本田洋一郎が「学会は僕ら経済人グループより教育者グループの方が多かった。しかし教育者は今の社会情勢ではとても立ち上がれないし、経済人もまだ力が弱い。君以外にはいないんだよ」と訴える。「会長は牧口先生だったが、その片腕以上に期待されていた。君は創価教育学会の理事長だったんだよ」と言われた戸田は、「今日はこのぐらいで」と告げて店を去った。
かつて夕張郡の尋常小学校で代用教員をしていた戸田は、大正五年に二十歳で東京へ出た。早稲田に下宿を決めた彼は、友人の紹介で小学校々長の牧口常三郎を訪ねた。牧口は相談を持ち掛けた1人の男に、「人間の運命の転換は、自ら価値ある物を創造して実践することから始まる」という言葉に感銘を受けた戸田は、学校で雇ってほしいと頼む。牧口は戸田を代用教員として雇用するが、別の学校へ移った。戸田は牧口を追って学校を移るが、2年ほどで教員を辞めて様々な職業を転々とした。
戸田は大正十二年に目黒で時習学館を開き、上級学校への受験生を対象にした授業を始めた。同時に彼は出版社の日本小学館も設立し、訪ねて来た牧口に彼の『創価教育体系』を出版したい考えを話す。牧口は戸谷、「私は理論家だが、君は実践家かもしれないね」と言う。その五年後、牧口は三谷という校長と価値論について論争して負けたこと、日蓮正宗に入信したことを戸田に話す。戸田も入信するよう指示され、困惑しながらも僧侶の室田日照を訪ねた。
戸田は仕事で付き合いのある面々を積極的に勧誘し、牧口の会に入信させた。戸田は牧口の『創価教育体系』を出版し、次は『価値創造』を出すつもりだと話す。彼は牧口に会の名前を付けるよう求め、昭和五年に「創価教育学会」が設立された。戸田は理事長に任命されるが、第一回の夏期講習会が開かれたのは昭和十一年になってからだった。牧口は十八名の参加者に法話を語るが、戸田は事業のことばかり考えていた。
その後も夏期講習会は続いて参加者が増加する中、昭和十四年に宗教団体法が成立した。昭和十六年に治安維持法が制定されるが、牧口は弾圧に強い態度で立ち向かう。学会員に逮捕者が出る中、牧口は日蓮正宗本山の方針に不満を抱く。特高警察は創価教育学会を標的に定め、牧口と戸田を含む幹部二十一名を逮捕した。戸田は身柄を警視庁の留置場に移されるが取り調べは遅々として進まず、時間だけが過ぎて行った。ようやく裁判所へ移送された戸田は牧口を見つけて呼び掛けるが、すぐに取り押さえられた。
過酷な取り調べによって学会員は次々に転宗し、とうとう残ったのは戸田と牧口と三島だけとなってしまった。検事から法華経や組織力の弱さを指摘され、戸田は怒りを燃やした。留置場へ戻った戸田は希望した小説を差し入れてくれない看守に腹を立て、仕方なく日蓮宗聖典を読み始めた。その内容について深く考えた戸田は、ついに答えを見出した。牧口の獄死を知らされた戸田は嗚咽し、その遺志を引き継ぐと決意したのだった。
日本正学館は小説の出版が好調で、戸田は御機嫌になった。戸田は獄中の試練が耐え切れず脱落した経済人グループに対し、改めて法華経の勉強会を開こうと考える。三島は「学会の再建に繋がることです。彼らにそんな資格は無いはずだ」と反対するが、戸田は学会を再建するつもりなど無いことを口にする。彼は「学会は無くなっていない。ずっと続いている」と言い、三島を鋭い口調で説教した。戸田は会の名前から「教育」を削り、「創価学会」に改名した。
戸田は経済人グループの岩森喜造たちに、日蓮大聖人の体験した出来事を語った。鎌倉幕府に死罪を宣告された大聖人は、首を斬られそうになる。しかし上空に巨大な光が出現し、鎌倉幕府は大聖人を断罪できなかった。佐渡へ島流しとなった大聖人は、厳しい環境の中でも法華経への信心を決して捨てなかった。創価学会には清原かつ、泉田ためといった面々も参加し、戸田は経済人だけでなく他の面々への勉強会も開始した。逮捕されずに済んでいた蒲田の小西武雄たちも戸田の元を訪れ、講義に参加するようになった。そんな中、島谷が姿を見せて戸田の話を「嘘だ」と否定し、「俺たちは騙されて戦争に行かされたんだ」と告げる…。

監督は舛田利雄、原作は池田大作、脚本は橋本忍、製作は田中友幸、撮影は西垣六郎、美術は村木与四郎、録音は増尾鼎、照明は森本正邦、編集は黒岩義民、特殊技術は中野昭慶、殺陣は久世竜、ナレーターは内藤武敏、音楽は伊福部昭。
出演は丹波哲郎、仲代達矢、新珠三千代、渡哲也、芦田伸介、黒沢年男、佐藤允、雪村いづみ、平田昭彦、佐原健二、名古屋章、森次晃嗣、稲葉義男、長谷川昭男、青木義朗、山本豊三、桑山正一、加藤和夫、内田稔、浜田寅彦、田島義文、山谷初男、谷村昌彦、高松しげお、鈴木やすし(鈴木ヤスシ)、松下ひろみ、福田公子、瞳麗子、伊藤るり子、塩沢とき、谷口香、堺左千夫、伊豆肇、横森久、江角英明、草川直也ら。


創価学会の第3代会長である池田大作の同名小説を基にした作品。創価学会第2代会長の戸田城聖を主人公とする物語である。
特撮映画の他に稼げる鉱脈を探していた東宝の田中友幸プロデューサーが「これからは宗教だ」と考え、創価学会系の会社であるシナノ企画と組んで製作している。
監督は『剣と花』『影狩り』の舛田利雄、脚本は『人斬り』『どですかでん』の橋本忍。
日活出身の舛田利雄が東宝で監督を務めるのは、本作品が初めて。

戸田を丹波哲郎、日蓮を仲代達矢、幾枝を新珠三千代、島谷を渡哲也、牧口を芦田伸介、銀行強盗を黒沢年男、病気の男を佐藤允、喧嘩する妻を雪村いづみ、渡辺を平田昭彦、小西を佐原健二、栗川を名古屋章、山平を森次晃嗣、三島を稲葉義男、原山を長谷川昭男が演じている。
原作では池田大作をモデルにした山本伸一というキャラクターが登場するが、この映画版では排除されており、『続・人間革命』で扱われる。
戸田を除く学会員は、全て仮名となっている。
例えば小西武雄のモデルは小泉隆、山平忠平は小平芳平、三島由造は矢島周平、原山幸一は原島嵩、清原かつは柏原ヤスといった具合である。

この映画は最初から創価学会員を観客層として想定しているため、そうじゃない人が見ると付いていくのが難しい。
最初に出所する戸田の様子が描かれるが、彼が何者なのか、なぜ刑務所に入っていたのかは分からない。戸田が焼け野原を見つめる回想シーンが挿入され、そこで今までの経緯を説明するのかと思いきや、あっという間に終了する。
回想シーンでは戸田が子供たちに勉強を教えている様子が描かれるが、それだけでは何を示したいのか分かりにくい。
また、よっぽど注意深く見ていないと、勉強を教えている教室の1階が「時習学館」の事務所であることも分からないだろう。

その後も、戸田が何者なのかを全く教えてくれないまま、どんどん話を先に進めて行く。
渡辺との会話シーンで複数の事業を手掛けていたことは分かるが、それだけでは全く足りていない。何しろ、彼は単なる事業家じゃないんだから。
田上が事務所へ来て「学会員だったと先生にお伝えください」と言うので、そこから「学会員とはどういうことなのか。戸田と彼女はどういう関係なのか」を説明するのかというと、そんな手順は何も無い。
なぜ戸田が「先生」と呼ばれるのかは、全く教えてくれない。

北川が来て日本正学館について「昔と同じやけど、字が違うな。昔は小やったけど正になってる」と言うシーンがあるが、その昔の会社については何も描かれていない。
前述した短い回想シーンが入った時、「後から回想シーンを何度か挟んで少しずつ過去を説明していく形を取るのかな」とも思っていた。
ところがどっこい、その短い回想だけで終わりなのだ。もはや焼け石に水とさえ呼べないほどの分量である。
その回想シーンでは「日本小学館」に全く触れていないし、「学会員とは何ぞや」という答えも出していないし。

戸田が寿司屋を出たタイミングで「戸田城聖。明治三十三年二月十一日に、ここで産まれた」というナレーションが入って回想が始まり、「石川県加賀市塩谷」の文字が出て景色が写し出される。
では塩谷で過ごした幼少期のドラマが描かれるのかと思いきや、すぐに「五歳の時に一家と北海道へ移住し」という語りが入って「北海道石狩郡厚田村」の文字が出る。すぐに「札幌」の文字が出て景色が切り替わり、十五歳から十八歳まで格子会社の店員として働いていたことが語られる。続いて夕張郡登川村の尋常小学校で代用教員になったこと、その二年後の大正五年に二十歳へ東京へ出たことが語られる。
そんなにザックリとした紹介で片付けるぐらいなら、幼少期からの経緯って全て省略してもいいでしょ。二十歳で上京したことだけ触れるだけで充分だよ。
そこまでは説明を極端に排除して進めておきながら、急に戸田の生い立ちを説明するタイミングもズレているし、ほぼ説明になっていない程度の薄っぺらさなので邪魔なだけだし。
戸田の人生を描く上で何が大切なのか、どこにポイントを当てればいいのかという取捨選択の方針が全く定まっていないから、色んなことを何となく放り込んでグダグダになっているのよね。

戸田が牧口と会い、その言葉に感銘を受けるシーンが描かれる。だが、これもナレーションベースで処理されている。
しかも、戸田が牧口を追って学校まで移ったのに2年ほどで教員を辞めたことは、「なぜか」とナレーションに言わせるだけで理由は説明しない。
後から牧口が「僕の価値論による創造的な人間をどうして作るか。普通の学校教育では不可能だから色々な職業で金を貯め、それを実際にやってみようと」と語らせているが、それを戸田は否定しているので正解かどうかは分からない。
っていうか、それが正解だとしても、やっぱりナレーションベースで経緯を省略していると戸田の思いが全く伝わらないし。

戸田が牧口と会った後は、ようやく長い回想シーンを使って「今までの経緯」を説明している。
導入部では何が何やら分からなかった様々な問題も、そこで大体のことは理解できるようになっている。創価教育学会が設立されるまでの経緯や、戸田が刑務所に入った事情など、それ以降の展開を把握するのに困らない程度の情報は与えてくれる。
ただし、重要な問題を描いていないという問題はある。それは「戸田の牧口に対する崇拝」と、「戸田の信仰に対する開眼」である。
前者については、戸田が牧口の意志を引き継ぐと決意した時に「そこまで2人の強い絆がドラマとして描かれていなかったでしょ」ってのが大きな弱点になる。
後者についても似たようなモンで、何がどうなって悟りに達したのか、具体的にどういう悟りに達したのかはサッパリ分からないのである。

戸田が「創価学会」に改名したことを明かした後、シーンが切り替わると「安房 東條小松原」と表示され、僧侶たちが刀を持った集団に襲われている様子が描かれる。
どういうことなのかと思っていたら、それは「日蓮が襲われた時の出来事」というシーンだった。戸田が経済人グループに日蓮の体験を語り、それを補足するための映像を入れているってことだ。
その後も死罪の宣告を受けて連行される日蓮の様子が写し出され、戸田が状況を説明する。それだけでなく、日蓮の台詞までも代弁する。
なんと日蓮は劇中、一言も喋らないのである。
わざわざ仲代達矢を起用しておいて台詞ゼロって、なんちゅう贅沢な使い方だよ。
ちなみに黒沢年男や佐藤允、雪村いづみも戸田の講義の参考映像に登場するだけで、やはり台詞は与えられていない。

日蓮が登場するシーンからは、ほとんどの時間を「学会員を集めた勉強会における戸田の講習」に費やしている。経済人への法話は日蓮にする出来事だけで終わるが、その後の勉強会では極楽や地獄について戸田が語ったり、修羅や仏について説明したりする。
ようするに、この映画は前半で戸田が創価学会を設立するまでの経緯を説明し、後半は法華経の教えについての説明という構成になっているわけだ。
後半に入ると、ストーリーを先へ進めようとかドラマを充実させようという意識は捨て去られ、観客も勉強会に参加して講釈を聞かされている状況になる。
だから後半で退屈を感じないのは、学会員を除けば、よっぽど忍耐強い人か、心が弱っている人か、法華経に興味を持つ人だろう。
っていうか、前半にしても充分すぎるほど退屈なんだけどさ。

(観賞日:2018年2月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会