『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』:1968、日本
瀬戸内海の美しい海を、観光客は日本の地中海と呼ぶ。戦後二十年、日本の人々の心からも国土からも、忌まわしい戦争の影は全て拭い去られてしまったかに見える。だが、果たしてそうなのだろうか。山口県徳山港湾の大津市には、かつての日本海軍の魚雷試射場の跡がある。完全に外部と隔離されていた島は、今もほとんど訪れる人を見ない。そこには、人間魚雷回天特別攻撃隊の基地があった。
昭和十八年十月、広島県倉橋島P基地には甲標的の訓練部隊があった。特殊潜航艇を、海軍部内では甲標的と呼んでいた。搭乗希望者は、大竹の潜水学校で普通科の教程を終えてから赴任する。その年は三島少尉を含む七名が赴任し、磯崎大尉が出迎えた。三島は大里大尉と同室になり、甲標的について意見を求められた。大里は攻撃用兵器として役に立たなくなっていると考えており、三島が「改良して搭乗員が修練を積めば、まだ有効です」と言うと「それでは間に合わんのだ」と語気を強めた。
日本軍は昭和十七年六月にミッドウェー海戦で惨敗し、十八年二月のガダルカナル島から撤退した。四月に山本連合艦隊司令官が戦死し、五月にアッツ島守備隊が全滅、六月に学徒戦時動員となった。「今のままなら日本は全滅だ」と大島は語り、早期決戦に出て戦局の主導権を掴む以外は無いのだと訴える。そのために彼は、一人千殺の兵器が必要だと考えていた。三島は上官の江川や野中たちから、大島が93魚雷を利用した人間魚雷を考えていること、何度も軍令部に上申して却下されていることを聞いた。
三島は「人間が魚雷を操縦して突撃する」という大里の案に対し、「自由自在に浮上したり潜航したり出来なければ役に立たない」と意見を述べた。大里は改良が必要なことを認めた上で、「例え不完全な物でも、行かねばならん時が来たら俺は乗って行く」と告げた。三島の搭乗した甲標的は訓練中に浮上せず、大里に救助された。三島は甲標的が役に立たないと実感し、人間魚雷の開発に協力を申し出た。大里と三島は荻野技術大尉に計画を説明し、手助けを求めた。荻野が「不可能じゃないが、時間が掛かる」と口にすると、大里は「そんな時間は無い」と激しく苛立った。
大里は軍令部へ乗り込み、赤石少佐や三好中佐たちに計画を説明した。しかし脱出装置が無いことを問題視され、「例え必殺でも、必死である兵器を認めるわけにはいかん」と否定された。大里は「それを考えると戦局に間に合わない」と訴え、島田軍令部総長との面会を要求する。赤石たちは却下して去るが、大里は会議室に居座った。菅沼副官が来て帰るよう命じても、彼は従わなかった。大里が命懸けの覚悟を口にすると、面会が許された。「必死必殺の作戦を取るべきだ」と大里は熱弁を振るうが、島田は「分かった。命を大切にするんだな」と告げて立ち去った。
昭和十九年二月、米軍の機動部隊がトラックに来襲し、日本海軍は大敗を喫した。これを受けて、人間魚雷の試作が決定した。同年三月、人間魚雷は丸六兵器という仮称を与えられ、呉工場の秘密区画で麻生技術大佐たちが設計に当たった。四月に入ると不眠不休で試作が続き、その間に三島は中尉、磯崎は少佐に進級した。大里が搭乗した試験を経て、丸六兵器は正式兵器として採用が決定した。丸六兵器は回天と名付けられ、徳山湾港の大津島には第二特攻戦隊が設けられ、訓練と戦備が委ねられた。
回天の搭乗員には特攻訓練中の士官と下士官の中から熱望する者が採用され、要員募集に応じた者も厳選して結成された。大津港基地には吉岡少尉と潮田少尉を含む十七名、竹井二飛曹と芦沢二飛曹を含む十二名が赴任し、指揮官の片山少佐から訓示を受けた。片山は第六艦隊水雷参謀の栗原中佐に、二割の犠牲者を出すだろうと告げた。吉岡は「日本は負ける」と言っていたと誤解され、呼び出しを受けて三島に殴られた。大里が「負けると分かっていて、それでも静かに死ねるか」と尋ねると、彼は「勝てなければ死ねないと言うなら、滑稽だと思います」と述べた。実際に「日本は負ける」と言った潮田が名乗り出て誤解が解けると、大里は吉岡に始末を委ねた。
大里は吉岡たちに回天の使い方を教え、徳永上等兵曹たちに点検を任せた。吉岡が訓練での搭乗を希望すると、大里は「まだ貴様たちを乗せる段階ではない。八月中には百機が来るので、それまで待て」と言う。竹井は両親を亡くした吉野イチと弟と祖母の畑仕事を手伝っていたことが判明し、呼び出しを受けた。事情説明を聞いた大里は片山に報告せず、「今後も同様の行為があれば厳重に処罰する」と通告するだけに留めた。八月になっても回天は三機しか届かず、大里と三島は片山たちに抗議した。しかし「何もかもが不足しているので仕方が無い」と説明され、片山は「障害は猛烈訓練で克服しろ」と鋭く言い放った。
元芸者の堀内菊枝は大里と食事をする約束を交わし、料亭「若松」と仲居のお朝と話しながら到着を待った。大里は訓練を行っていたが、波が高くなったので片山は中止を指示した。大里は納得せず、「これぐらいの波で役に立たないようでは、実践の役に立ちません」と続行を主張した。片山は了承するが、大里と同乗予定だった綿引少尉は腹痛で休んでいた。潮田は三島から代役に指名されるが、怖くて躊躇した。それを見た吉岡が名乗り出て、大里と共に回天に搭乗した。しかし予定の十時間が過ぎても回天は浮上せず、三島たちは捜索した。翌朝になって回天は引き上げられ、大里と吉岡の遺体が確認された。
昭和十九年十月、敵がレイテ島に上陸した。B29百機が九州南部に来襲し、神風特別攻撃隊「敷島隊」が敵艦を攻撃した。回天はようやく十数機に達し、搭載のための潜水艦の準備も完了した。十月初旬、回天を使用する特攻命令が出され、回天特別攻撃隊「菊水隊」が結成された。出撃を数日後に控えた十一月三日、出撃隊員に帰省休暇が許された。三島は大阪へ戻って両親の専三と悦子と会い、潮田は京都に帰郷して妻の孝子や家族と会った…。監督は小沢茂弘、原作は毎日新聞社編・刊『人間魚雷 回天特別攻撃隊員の手記』より、脚本は棚田吾郎、製作は大川博、企画は岡田茂&俊藤浩滋&日下部五朗、撮影は吉田貞次、照明は増田悦章、録音は中山茂二、美術は鈴木孝俊、編集は堀池幸三、音楽は木下忠司。
出演は鶴田浩二、松方弘樹、千葉真一、梅宮辰夫、近衛十四郎、池部良、里見浩太郎(現・里見浩太朗)、伊丹十三、山田太郎、柳永二郎、志村喬、藤山寛美、佐久間良子、藤純子、小川知子、桜町弘子、三益愛子、大木実、待田京介、小池朝雄、金子信雄、山城新伍、藤岡重慶、中田博久、宮土尚治(現・桜木健一)、嶋田景一郎、橘ますみ、三島ゆり子、江幡高志、徳大寺伸、荒木道子、天津敏、遠藤辰雄(遠藤太津朗)ら。
ナレーターは芥川隆行。
『あゝ同期の桜』に続く「東映戦記映画三部作」の第2作。
監督は『浪花侠客伝 度胸七人斬り』『三人の博徒』の小沢茂弘。
脚本は『渡世人』『続渡世人』の棚田吾郎。
大里を鶴田浩二、三島を松方弘樹、滝口航海長を千葉真一、吉岡を梅宮辰夫、第六艦隊司令長官を近衛十四郎、片山を池部良、江川を里見浩太郎(現・里見浩太朗)、潮田を伊丹十三、竹井を山田太郎、島田を柳永二郎、三島の父を志村喬、呉服屋の主人を藤山寛美、孝子を佐久間良子、菊枝を藤純子、イチを小川知子、吉岡の姉を桜町弘子、お朝を三益愛子、栗原を大木実、菅沼を待田京介、荻野を小池朝雄、赤石を金子信雄が演じている。大里は菅沼と対面するシーンで、「必死と必殺は、あらゆる兵器が併せ持つ両面。なぜ必死であってはならんのか」と訴える。
「例え兵器として採用になっても、貴様一人で戦争は出来んぞ」と言われると、「そうなれば、航空隊の中からも必ず同じ考えの者が出て来る。そう信じております」と力強く語る。
自分が開発した兵器で特攻し、命と引き換えに敵を殺すのは、その人の勝手だ。
しかし大里の計画は、他の多くの兵士たちを巻き込む内容だ。
大里は大勢の仲間に、「命を捨てて敵を殺せ」と要求しているようなモンなのだ。ザックリ言うと、人間魚雷の計画は「敵を道連れにする自殺推奨計画」である。それを真正面から堂々と美化している時点で、反戦の主張を強く押し出すのが当たり前だった日本の戦争映画においては異質と言えよう。
特攻隊員を「上からの指令を受け、国や国民を守るために命を落とした立派な若者」として描くだけなら、それは「反戦」のメッセージと相容れないわけではない。しかし本作品の場合、特攻のための兵器も、それを開発した人間も、全面的に肯定している。立派な考えだと賞賛し、美化している。
そこには、かつて学徒兵として第二次世界大戦を体験した小沢茂弘監督の考えが強く投影されている。
戦場で多くの仲間の死を見て来た小沢監督は、「絶対に反戦思想を持ち込まない」と決めて本作品を撮ったのだ。粗筋で書いたように、大里は人間魚雷を開発してもらうため、軍令部へ乗り込んで赤石たちに説明する。却下されても納得せずに居座り、菅沼が帰るよう命じても従わない。
大里の覚悟を知った菅沼の許可で、島田との面会が許される。ここで大里は熱弁を振るうが、それに心を打たれて島田がゴーサインを出すのかと思いきや、やっぱり認めてもらえない。
でも、ここでOKが出ないのなら、そこまでの手順は何だったのかと。全てカットでもいいんじゃないかと。
結局、柳永二郎や待田京介、金子信雄といった面々を登場させるために用意されただけのシーンになっている。「出演者を登場させるために場面が用意される」ってのは、オールスター映画では良くあることだ。
ただし、オールスター映画の場合は「スターに見せ場を用意する」ってのが仕様だ。でも本作品の場合、「ただ大勢の俳優を出しているだけ」で終わっているんだよね。
そのため、ホントに無駄なだけのシーンになっている。
見せ場らしい見せ場が用意されているのは、畑仕事をしながら歌う山田太郎ぐらいかな。
まあ、それも「他と比べれば」という程度であり、比較対象が無ければお世辞にも見せ場とは言い難いのだが。片山は吉岡たちに訓示をした後、栗原との会話シーンで「訓示をしながら、こいつらは死ぬのを覚悟で搭乗を希望してきたかと思って、急に胸が熱くなって。この若い者たちを犬死させるようなことがあってはならんと思いました」と語る。
栗原が「例え死んでも、彼らの純粋な精神は我が国がある限り語り継がれるんだ」と言うと、片山は「その時、何と言われますかな。特攻兵器や特攻作戦を採用した我々は」と口にする。
このように「特攻兵器や作戦を無条件では推進できず、後ろめたさを感じていた上官もいた」ってことを描き、一応の言い訳をする役目を担わせているわけだ。潮田は仲間の前で「日本は負ける」と発言しており、そんなことを言った理由について吉岡に問われると「いつでも笑って死ねると思う時と、生きていたいと切実に思う時がある」と答える。
波が高い中での危険な訓練を命じられると、怖がって躊躇する。
このように「士官の誰もが特攻を正しい行為だと盲目的に信じ、敵を倒して死ぬことを熱望していたわけではなく、恐怖や不安を抱く者もいた」ということを描くのも、言い訳みたいなモンだ。そういう言い訳がましい描写がダメだとは言わないけど、肝心な「特攻兵器の開発を積極的に推進した張本人」である大里と三島が、最後まで何の迷いも無く「これは正しいこと、素晴らしいこと、立派なこと」と信じているんだよね。微塵も疑わないんだよね。
なので、幾ら片山や潮田のようなキャラを用意したところで、屁のツッパリにもならないのである。
良くも悪くも、「特攻兵器の美化」においては、一点の曇りも生じないのである。
映画開始から1時間ぐらいで大里が死亡するけど、それが免罪符になることは無いしね。「自ら希望して危険な訓練を担当した結果として死ぬんだから、そいつの主張は全て肯定してやるべきだ」なんて理屈は成り立たないからね。菊水隊の隊員が帰省して家族と会ったり、恋人や母親代わりの女性と会ったりするシーンは、「これから死地に赴く隊員の悲哀」を表現するための時間だ。
ただし、それはあくまでも表面的に設けられた狙いに過ぎない。
実質的には志村喬や佐久間良子、桜町弘子や藤山寛美といった面々の「顔見世のための時間」という印象が強い。
とは言え、さすがに出撃が近付くと、特攻に「悲劇性」を感じさせるようになっていく。
でも、それは展開として当たり前のことなんだよね。(観賞日:2024年10月16日)