『虹をつかむ男』:1996、日本
平山亮は就職試験に失敗し、柴又の実家を飛び出した。アルバイトをしながら旅を続けている亮は、徳島県の光町に辿り着いた。そこで彼は、古ぼけた映画館・オデオン座を経営する白銀活男という男と出会い、アルバイトをしないかと誘われる。
活男は町の人々に面白い映画を観せたいという願いを持っており、映写技師の常さんや町の人々と共に、土曜名画劇場という企画を3年に渡って続けていた。労働条件に不満を抱いた亮だが、オデオン座でのアルバイトを続けることにした。
活男は幼なじみの未亡人・八重子に惚れていたが、気持ちを口にすることが出来ずにいた。そんな中、八重子の父親が急死し、彼女は亡夫の同僚と結婚して大阪に行くことを活男に告げる。気落ちした活男は、オデオン座を閉館すると宣言する…。監督&原作は山田洋次、脚本は山田洋次&朝間義隆、製作は中川滋弘、プロデューサーは深澤宏&本木克英、撮影は長沼六男、編集は石井巌、録音は鈴木功、照明は熊谷秀夫、美術は出川三男、衣裳は本間邦仁、音楽は山本直純&山本純ノ介。
主演は西田敏行、共演は吉岡秀隆、田中裕子、田中邦衛、倍賞千恵子、前田吟、すまけい、柳沢慎吾、松金よね子、神戸浩、鶴田忍、永瀬正敏、柄本明、下條正巳、三崎千恵子、佐藤蛾次郎、宮下順子、笹野高史、山田スミ子、佐藤仁美、上島竜兵、高原駿雄ら。
渥美清の急逝によって『男はつらいよ』という看板シリーズの続行が不可能となった松竹が、それに代わる人気シリーズを目論んで生み出した作品。
最後にテロップで、「敬愛する渥美清さんに、この映画を捧げる」と出る。活男の言葉を中心として、この作品は「映画は芸術だ」と執拗に強調しようとする。
どうやら、娯楽としての映画では我慢できないようだ。
そんな作品を作ったのは、多くの娯楽映画を手掛けてきた山田洋次監督である。『男はつらいよ』は、松竹にとって非常に大きな映画だった。
渥美清の演じる寅さんは、偉大な存在であった。
その呪縛から逃れることは難しい。
だから、この作品は『男はつらいよ』から抜け出すのではなく、塗り直すことを選んだ。亮を演じるのは吉岡秀隆で、柴又出身という設定だ。
亮の両親を演じるのは、倍賞千恵子と前田吟。
そして、下條正巳、三崎千恵子、佐藤蛾次郎といった面々も出演している。
まさに、『男はつらいよ』の世界をそのまま持って来ている。劇中で数本の映画が上映されるが、最後の作品は『男はつらいよ』の第1作だ。
さらに、寅さんの姿をした人物がチラッと姿を見せるシーンもある。
エンディングでは、『男はつらいよ』の主題歌が途中まで流れる。その劇中で使われている『男はつらいよ』第1作では、寅さんが「お前とオレとは別の人間なんだぞ」というセリフがある。
その言葉を借りるならば、渥美清と西田敏行は別の人間だ。
寅さんと白銀活男は別のキャラクターのはずだ。
だが、この映画は西田敏行に寅さんを演じさせる。
同じ松竹で『釣りバカ日誌』のハマちゃんという当たり役を持つ西田敏行を、あえて主演に持ってきて、あえて渥美清の当たり役だった寅さんの模倣をさせている。白銀活男は、まるで出来損ないの浜村純かマルセ太郎であるかの如くに、身振り手振りで映画の内容を説明する。
『雨に唄えば』のジーン・ケリーの真似も見せる。
賞賛に値するほど上手くもなければ、笑えるほどヘタというわけでもない。活男がたった1人の小学生のために映画を上映する場面がある。
そこで上映される映画は、『禁じられた遊び』だ。
経営者の活男が、今の小学生に白黒フィルムの文芸映画を見せるというセンスの持ち主なのだから、オデオン座の経営が危ういのも当然だろう。活男は「客の入りが良くて芸術的価値の高い映画」を選んで上映しているつもりのようだ。そして彼が田舎の町の映画館で上映するのは、古い文芸映画がほとんどだ。
それは活男の自己満足であり、つまりは山田監督の自己満足だ。劇中、活男は『ニュー・シネマ・パラダイス』を“映画への応援歌”だと熱く語る。
しかし、この作品は映画を応援せず、傷を舐めて自分を慰めることに終始する。
劇中で使われる映画も含めて、この作品はノスタルジーに浸り切っている。この映画は、アンパンに砂糖を塗りたくったような甘い甘い夢を語る。
そして製作者は、アンパンに砂糖を塗りたくったような甘い甘い夢に溺れた。
現実を見ようとはしなかった。
現在を見ようとはしなかった。良き思い出に浸ることは、気持ちがいい。
良き思い出は美化され、楽しかった夢として心に残る。
思い出に浸る間は、現実を忘れることが許される。
この映画は虹をつかまず、思い出にしがみつくことを選んだ。
これは映画賛歌ではなく、渥美清と古い映画賛歌である。貧乏映画館の映写技師が1200万円も貯め込んでいたという不自然極まりない展開によって、金銭的に危機に陥っていたオデオン座の存続が決まる。
まさに、映画は夢の中。
問題は、多くの観客が今作品の夢に浸れるかどうかである。