『虹男』:1949、日本

新東洋新聞の記者をしている明石良輔は、昭和日報の鳥飼美々と交際中だ。しかし仕事となるとライバルであり、最近は美々に特ダネを奪われてばかりだ。ある日、警視庁を訪れた美々は、女学校時代の親友である小幡由利枝の姿を目撃した。由利枝は蓼科事件の嫌疑者として、岡田警部の元へ連行されて来たのである。約1週間前、蓼科高原にある物理学で有名な摩耶龍造博士の別荘が全焼した。焼け跡から男の死体が発見され、龍造は3日前から別荘に泊まっていた助手の菅八郎に違いないと証言した。死体に刺し傷があったため、彼は他殺と断定された。
由利枝は龍造の後妻である志満子の姪で、1ヶ月ほど前から別荘に泊まっていた。事件が起きたのは、由利枝が女中の野々村かねと共に離れた温泉町まで買い物に出掛けていた時だった。警察が調べると時間が合わず、由利枝は山道で痙攣を起こしたので女中が呼んだ医師の診察を受けたと主張した。しかし医師の名前も覚えておらず、しかも町で唯一の医者は由利枝を診察した覚えが無いと証言した。かねは火事騒ぎの最中に姿を消し、今も行方が分からないままだった。
岡田は美々に、摩耶家が不思議な一家だと語る。龍造は人工の虹の研究に没頭し、後妻の家へ先妻の子を2人も連れ込んでいる。長男は訳の分からない絵を描き、次男は行方知れずになっている。明石は清水刑事から他に容疑者がいないと聞いており、冷静に考えるよう美々を諭す。しかし美々は由利枝が潔白だと信じ、彼女に会わせてほしいと岡田に頼んだ。由利枝は美々に会うと、弱々しい様子で「何も覚えてないの」と吐露した。
「何か心当たりは無いの?」と問われた由利枝は、ふと「あいつに違いない。虹男よ。決まっているわ」と口にした。由利枝は「摩耶家にはね、昔から生霊を神聖なものとして崇める掟がある。何百年か前、その掟を破って、狂い死にした人があったの。それからというもの、口から七色の虹を吐く悪魔が付きまとうようになって。それを見た者は、必ず変死すると言われている。あのウチには、確かに虹男の呪いが掛かっています。みんな虹に取り憑かれた人ばかりです。虹の伝説を馬鹿にして、八郎さん、とうとうあんなことに」と語り、虹男は自分を狙っているのだと怯えた。
かねは由利枝に公衆電話から連絡し、「これから言って、あのことをお話しします。これ以上、お嬢様をお苦しめするぐらいなら」と言う。ところが彼女は受話器を落とし、虹を見て叫んだ。かねは「虹が見える。虹男」と悲鳴を上げ、明石が話し掛けても応じなかった。すぐに警察が捜索するが、かねは死体で発見された。明石は摩耶邸を訪れ、由利枝のことを聞こうとする。龍造は渡された名刺を無愛想に破り捨て、志満子は由利枝を心配する様子を見せた。長男の勝人は能天気に笑って挨拶し、次男の豊彦が昨日になって5年ぶりに戻って来たことを話す。
勝人は母が死んで父が入り婿として志満子の屋敷へ転がり込んだこと、豊彦はそれが気に食わないだけでなく由利枝に一目惚れしたことを話す。しかし志満子から強硬に反対され、豊彦は腹を立てて2ヶ月ほどで家を出てしまったのだと彼は説明した。かねが「虹が見える」と言いながら死んだことを明石に聞かされると、勝人は顔を強張らせて「ついに来たか。虹男の狙っている第三の生贄は誰だ?」と口にした。龍造は志満子に「あんな虹の研究をして、貴方がいけないんです」と責められると、無言で研究室へと去った。追い掛けた明石から質問を受けた彼は、どんな時でも人工の虹が作れることを語る。保釈になった由利枝は美々に付き添われ、摩耶邸へ戻った。
八郎の死体の近くで発見された小柄には人間の血が付着しており、それが凶器だと警察は断定した。歯の間には指輪の紫水晶が挟まっており、格闘の際に被害者が噛み切ったものだと推測された。小柄も指輪も由利枝の所持品だったため、岡田は彼女を尋問する。由利枝は指輪を1年ほど前に無くしたと証言するが、岡田は警視庁へ連行して取り調べようとする。豊彦は由利枝が自分を好きな八郎にやったのだと話し、「ひょっとすると奪い取ったのかもしれない」と述べた。彼は岡田に、火事があった前日、八郎から温泉町で話を聞いて指輪を見せられたのだと語った。
明石はひとまず引き上げるが、美々は不安を感じる由利枝に頼まれて留まることにした。志満子は龍造と豊彦が屋根裏で話す声に気付き、聞き耳を立てた。「どうしてもその気なら、ワシにも考えがある」と龍造が憤慨すると、豊彦は学会から葬り去る秘密を握っていることを口にした。夕食の席で、志満子は龍造に「貴方は私の財産を奪う気なんでしょ。誰が貴方なんかに」と苛立ちを示した。彼女は屋根裏での会話を聞いたことを明かし、「明日になったら岡田警部さんに来てもらって、全部お話ししますからね」と述べた。
岡田は清水からの連絡で、豊彦のアリバイが完璧だと聞かされた。由利枝は美々から全て打ち明けてほしいと頼まれ、泣きながら「誰にも言えない秘密があるの」と口にする。由利枝が秘密を打ち明けようとした時、「誰か来て」という志満子の声が響いた。彼女は駆け付けた美々たちの前で、「そこに虹男が。口から虹を吐いてる」と怯える。他の面々がその場を離れ、残った由利枝は志満子に頼まれて水を汲みに行く。美々たちが悲鳴を聞いて舞い戻ると志満子は死んでおり、その傍らではナイフを握った由利枝が呆然と立ち尽くしていた。美々が呼び掛けると由利枝は我に返り、絶叫して倒れ込んだ。
由利枝は水を汲みに行っている間に志満子が殺されていたと証言するが、ナイフからは彼女の指紋しか検出されなかった。美々は志満子が岡田に話すと言っていた内容を龍造に尋ねるが、彼は「家庭内のことだ」と詳細を語ろうとしなかった。数日後の夜中、美々はベランダから外へ出て、龍造が葡萄酒を飲んでいる様子を窓から観察する。勝人は夢中で絵を描き、豊彦は就寝していた。屋内へ戻った美々は、龍造が「虹だ。虹男だ。殺される」と狼狽する様子を目撃した。豊彦が駆け付けて龍造を取り押さえ、美々は周囲を見回すが何も異常は無かった。美々は落ちていたノートを拾い、誰にも気付かれないよう隠した。
豊彦は龍造をソファで休ませるが、そこへシャンデリアが落下した。龍造は怪我だけで済んだが、頭部を打っているので病院へ運ばれた。美々は明石と岡田に、幽霊騒ぎではないこと、ブドウ酒が見当たらなかったことを話す。美々が拾ったノートは、龍造の親友であり、秀才と言われながらも逆境で死亡した矢島清一郎という男の物だった。明石は別の角度から調査を進め、かねの親戚である医師免許を取り上げられた男が由利枝を診察したことを突き止めた。かねに口止めされていた男だが、由利枝が妊娠していたことを告白した。
明石や美々たちは勝人のアトリエへ入り、彼が徹夜で描いていた絵を確認する。明石は他の不気味な絵と見比べ、あまりに平凡であることに不審を抱いた。岡田は下の絵を隠すための偽装だと見抜き、表面の絵の具を剥がす。すると刺殺された志満子を描いた絵が露呈し、勝人は頭を抱えて「だから俺は見られたくなかったんだ。僕は母を憎んでいた。だから嫌がらせで絵を描いた。だが、その晩に絵とそっくりな格好で殺された。殺したのは僕じゃない」と吐露した。由利枝は美々に「大変なことなの。貴方だけに打ち明けるわ」と言い、秘密を告白しようとする。その直後、彼女は「虹が見えるのよ」と狼狽し、手すりが緩んでいた階段から転落して怪我を負う…。

監督は牛原虚彦、原作は角田喜久雄、脚本は高岩肇、企画は辻久一&黒岩健而、撮影は柿田勇、特殊撮影は横田達之、録音は米津次男、照明は柴田恒吉、美術は今井高一、編集は辻井正則、メスカリン幻覚考証は早稲田大学心理学教授  戸川行男、発色技術は富士写真フイルム技術研究所、監督助手は村山三男、音楽は伊福部昭。
出演は小林桂樹、暁テル子、若杉須美子、大日方伝、植村謙二郎、平井岐代子、浦辺粂子、見明凡太郎、宮崎準之助、加原武門、花布辰男、森山保、宮島城之、佐々木正時、丸山修、渥美進、北原義雄、原田[言玄]、守田學、鈴木信、永田芳子ら。


角田喜久雄の同名探偵小説を基にした大映東京撮影所製作の作品。
監督は『いつの日か花咲かん』『誰に恋せん』の牛原虚彦。これが監督としては最後の映画であり、この翌年に大映を退社している。
脚本は『その夜の冒険』『男が血を見た時』の高岩肇。
明石を小林桂樹、美々を暁テル子、由利枝を若杉須美子、岡田を大日方伝(新東宝)、勝人を植村謙二郎、志満子を平井岐代子、かねを浦辺粂子、龍造を見明凡太郎、豊彦を宮崎準之助が演じている。

この映画は白黒フイルムで撮影されているが、部分的に色彩が取り入れられている。登場人物が虹の幻覚を見るシーンで、赤や青や黄色といった色彩が画面に表示されるのだ。
日本初の長編カラー映画は1951年の『カルメン故郷に帰る』だが、その2年前の封切であり、当時としては画期的だった。
ただし、実際の景色をカラー撮影した映像ではなく、前述したような色のコントラストが現れるだけだ。
しかも、その部分の映像は消失してしまったため、現在の我々が観賞できるのは関係者の証言を参考に復元したバージョンである。

岡田が警視庁で美々に蓼科事件のことを話していると、雷が鳴り、激しい風が吹き始める。
嵐の到来によって恐怖や不安を煽るってのは、今となっては「古臭い演出」になってしまうかもしれないが、この当時であれば、まだそんなに陳腐という印象は無かったはずだ。何しろユニバーサルの怪奇映画だって、似たような演出は使われているしね。
ただし引っ掛かるのは、「そこは恐怖や不安を煽るようなシーンじゃなくねえか?」ってことだ。
まだ虹男について言及もしていないし。

ただ、ともかくBGMや摩耶家の面々の言動を使い、おどろおどろしい怪奇テイストを醸し出そうとしていることは伝わってくる。それならば、そこを徹底して進めるべきだろう。
ところが、そんな雰囲気を邪魔しようとする厄介な要素がある。それは主人公の明石だ。
正確に表現すると、その明石を演じている小林桂樹の芝居だ。この人の芝居が、そういう怪奇テイストと全く馴染んでいない。
かなり軽やかであり、「不気味な一家」や「謎めいた事件」を深刻に捉えている様子が感じられないのだ。

龍造は明石の訪問を快く思っていない様子で、名刺を無造作に破り捨てる。明石が色々と喋っても全く口を挟まず、志満子に責められると無言のまま立ち去る。
そこまでは無愛想で無口な男としてキャラを動かしていたのに、明石から人工虹を作る意味を問われた途端、饒舌に語る。
それは段取りに応じて、キャラを都合良く急変させているようにしか思えんぞ。
あと、人工虹を作る意義について「大宇宙が膨張しつつあるという学説の理論を実験物理学的に人間の感覚に裏付ける物、それが虹だ。つまり、この分光器によるスペクトルがそうなんだ。一個のガラスの固まりを通して、無限の彼方から来る天体の光を分解して虹を作る」と語るけど、まるで意味不明。
まあ、そこの設定に意味なんて無くて、とにかく「人工虹の研究をしている」という設定だけが必要ってことは分かるけどね。

明石が主人公として設定されており、ライバルの記者として美々が登場する。美々は嫌疑者の由利枝と友人同士で、明石は美々の恋人だ。
この2人が事件について調べ始めるんだから、「明石と美々が様々な手掛かりや証言を得て、真相を突き止める」という展開が待っていると予想するのは当然だろう。
実際、明石も美々も、それぞれに幾つかの情報を掴んでいる。
ところが、犯人を突き止める役目は岡田が担当するのだ。
そりゃあ彼は刑事だし、事件を捜査する様子は何度か描かれていたよ。
だけど、最後の仕事を彼が担当するってのは、キャラの動かし方としてどうかと思うわ。

公開された時に使用されたポスターには、恐ろしい形相をした虹男の姿が描かれていた。
だから多くの観客は当然のことながら、どんなタイミングで、どういう状況で虹男が現れるのかと期待したことだろう。ある意味ではワクワク、ある意味ではハラハラしながら、虹男の登場するシーンを待ちながら映画を観賞したことだろう。
しかし完全ネタバレを書くが、その期待は残念ながら裏切られることとなる。
なぜなら、この映画に虹男など登場しないからである。
そもそも、虹男など実在しないという設定なのである。

最初に由利枝が容疑者として提示され、「他に容疑者はいない」と語られる。実際には他にも怪しい連中ばかりがいるのだが、それでも由利枝の疑いが強くなるような出来事ばかりが立て続けに発生する。
それは逆に、彼女が犯人ではないとアピールしているようなモノだ。
よっぽどミステリーに不慣れな人でもない限り、由利枝が犯人というミスリードに騙されることは無いだろう。
そんな中、勝人に疑いが掛かるような展開が訪れるが、これまたミスリードの匂いが強いので「こいつじゃねえな」ってのはバレバレだ。

そんな状態のままで残り15分ぐらいになり、明石がメスカリンの入った酒で虹の幻覚を見るという出来事が起きる。その直後、勝人が不審な行動を取り、メスカリンを服用して絵を描いていたことを告白する。
この告白で、彼がシロなのは明確になったと言ってもいいだろう。
そんな勝人を擁護した豊彦が「由利枝の部屋に葡萄酒の瓶があった」と証言し、明石が「メスカリンを入れることが出来たのはあの人以外に無い」と言い出す。
残りわずかになって、また由利枝に疑いを向けさせようとしているのだが、そこは乗れないなあ。今さら、そこのミスリードを狙っても不発だわ。

っていうか、どうやら最初からミスリードを期待していなかったのか、岡田は豊彦を尋問する。彼は龍造が矢島のノートで学位を取ったこと、その秘密を犯人に握られていたことを語る。
この段階で、もう豊彦が犯人ってことは大半の観客が分かるだろう。
さらに岡田は、豊彦と八郎が一緒に写っている写真がアルバムから抜き取られていること、2人が良く似ていたことを語る。
ところが、そこに来ても明石は由利枝が犯人だと主張するので、すっかりマヌケなことになっている。

ってなわけで、犯人は豊彦、ではなく彼に化けた八郎である。
彼は豊彦を殺害して人が通るのを待ち、炭焼きに顔を見せてから家に火を付けた。そして豊彦に変装して近道を先回りし、炭焼きと会ってアリバイを作ったというのが真相だ。
「豊彦は5年前に家出したのに、階段から3年前に落ちたと話した」「龍造が葡萄酒を飲んでいたと知るのは美々だけ」という2つのヒントから岡田は真相を言い当てるが、それらは残り時間わずかになってから提示される。
そこまでは何のヒントも無いので、謎解きの醍醐味は味わえない。

それと、「幾ら顔が良く似ているからって、摩耶家の面々は八郎が豊彦に化けていることに気付くだろう」と思っていたら、実際、すぐに気付かれたという設定だった。
そこで弱点を掴んで脅しを掛けたが、暴露されそうになったので次々に殺害したという設定だ。
だけどさ、そもそも「顔が良く似ているから豊彦に成り済まして摩耶家へ戻る」という計画自体がアホすぎるでしょ。
誰がどう考えても、すぐに嘘が露呈することは分かるぞ。

ともかく犯人が明らかになったことで、事件は解決に至る。これによって、前述したように虹男など存在しなかったことが明らかになる。
実のところ、もう序盤の時点で「まず間違いなく、口から七色の虹を吐く悪魔なんてのは存在しない設定だろうなあ」とは思っていた。あくまでも言い伝えであって、それを利用した何者かが実在するように見せ掛けて犯行を重ねているんだろうと推理していた。
だから虹男が登場しなくても、想定内だと感じただけだ。
だけど当時の観客は、やっぱり落胆した人も多かったんじゃないかな。
あと、虹男が登場しないとなると、パートカラーの演出も全くの無意味になっちゃうんだよなあ。

(観賞日:2017年8月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会