『日本の黒い夏 冤罪』:2001、日本

1994年6月27日、長野県松本市で猛毒ガスのサリンが撒かれる事件が発生し、多数の死傷者が出た。警察は事件の第一通報者であった神部俊夫の自宅を殺人容疑で捜索し、マスコミは彼を犯人と決め付けたような報道を続けた。
事件から約1年後、松本市の高校の放送部員・島尾エミは、神部が犯人扱いされたのは報道に問題があったのではないかと考え、事件に関するドキュメンタリー・フィルムを作ることにした。彼女は報道機関に取材を申し込んだが、ほとんどが断られてしまう。唯一、地元のローカルテレビ局だけが取材を承諾してくれた
テレビ局の会議室で島尾の取材に応じたのは、報道番組『ニュース・エクスプレス』の担当部長をしている笹野誠と、番組スタッフである社員の花沢圭子、浅川浩司、野田太郎の4名だ。彼らは島尾の質問に答えながら、当時のことを回想する。
事件の発生当初、笹野達に入ってくる情報は極端に少なかった。事件の翌日、長野県警は、事件の第一通報者である神部俊夫の自宅を、殺人容疑で捜索するとマスコミに発表した。その発表は、警察としては異例のことだった。
その夜遅く、東京の通信局から笹野達の元に、神部が庭で薬品を混ぜて発生したガスが付近に流れたことを、長野県警が発表したという配信が届く。笹野は部下達に裏付けを取るよう指示し、浅川は吉田警部に接触する。
確たる裏付けが取れなかったため、笹野は配信された内容を番組で取り上げなかった。だが、翌日の全ての新聞では、神部を犯人扱いするような内容の記事が掲載されていた。しかし、新聞社にしても、裏付けが取れていたわけではなかった。
野田が担当医に取材し、神部宅で発見された青酸カリでは、事件のような状況は発生しないことを聞かされる。他局では、事件と青酸カリの関連性を示唆する内容を報道していた。それを見た笹野は、番組で青酸カリが無関係だと示す内容を放送する。
やがて県警は、事件の原因物質が科学兵器として使われる猛毒の神経ガス、サリンであると発表した。ガス中毒で入院していた神部は退院し、警察の事情聴取に協力する。しかし取り調べは2時間以内という診断書を医者から貰っていたにも関わらず、警察は神部を7時間以上も拘束し、彼を犯人と断定した尋問を続けた。
笹野は神部の弁護を担当する永田威雄に面会し、マスコミの姿勢を非難される。笹野は特別報道番組を組むことを決定し、部下に取材を指示する。そして花沢の取材によって、「サリンは素人でもバケツの中で簡単に作れる」という報道が間違いであり、大掛かりな設備が無ければ生成できないことが判明する。
つまり、事件当日に、神部が庭でサリンを作り出すことなど不可能なのだ。しかも、警察が神部から押収した薬品の中に、サリン製造に必要な薬品は無かった。笹野は神部無罪説を唱える内容の特別報道番組を放送し、目論見通りに視聴率は飛躍的にアップした。だが放送終了後、視聴者から大量に抗議の電話が掛かってきた…。

監督&脚本は熊井啓、原作は平石耕一、企画は猿川直人、製作は豊忠雄、製作協力は河野義行&永田恒治、プロデューサーは福田豊治&新津岳人、製作総指揮は中村雅哉、撮影は奥原一男、編集は井上治、録音は久保田幸雄、照明は矢部一男、美術は木村威夫、音楽は松村禎三。
出演は中井貴一、細川直美、遠野凧子、寺尾聰、石橋蓮司、北村和夫、北村有起哉、加藤隆之、藤村俊二、梅野泰靖、平田満、岩崎加根子、二木てるみ、根岸季衣、鴨川てんし、草野裕、真野等坪、竹川雅貴、三国一夫、岡村洋一、斎藤亮太、山崎美貴、佐藤健太、白鳥哲、笠兼三、反田孝幸、皆川香澄、児玉真菜、鯉沼トキ、小西崇之、河原崎貴ら。


平石耕一の舞台劇を基にした作品。
1994年に発生した松本サリン事件で、第一通報者だった河野義行氏が警察とマスコミに犯人扱いされたという事実をモチーフにしている。
笹野を中井貴一、花沢を細川直美、島尾を遠野凧子、神部を寺尾聰、吉田警部を石橋蓮司、永田弁護士を北村和夫が演じている。

決めつけによる捜査と尋問とマスコミの誘導を行った警察の姿勢、警察に踊らされて無罪の人間を犯罪者扱いしたマスコミの姿勢、犯人扱いされた神部の苦しみと、色々なことを織り込もうとしているが、どれも全て、突っ込みが不足していて中途半端。
事件の報道に疑問を抱いて取材するのが高校生なんだけど、「汚れの無い純粋な若者」というより「考えの浅い奴」としか取れない。青臭い正義感を声高に熱く主張するんだけど、なんか白けるのね。
言いたいことは分かるけど、胸に響いてこない。
しかも、この島尾って女、テレビ局を立ち去る直前に、浅川に対して言うのが「ごめんね」というタメ口。
「ごめんなさい」だろうが。
口の聞き方もなっていないようなガキに青臭い涙のメッセージを主張されても、そんなものは聞こえませんって。

そもそも、島尾が取材すべきは無罪報道をした面々ではなくて、ずっと神部を犯人扱いしていたマスコミの連中でしょうが。で、それは高校の放送部では不可能だろうから、それを考えても高校生をメインに持って来るのはミステイクだろう。
だから、島尾のポジションにローカルテレビ局の笹野を持って来て、彼が自省も込めて当時の報道を振り返り、中央のマスコミに突撃取材を試みるって形の方が良かったのでは。
でも、朝日新聞やTBSが製作に協力してるから、その構図は無理かな。

笹野は「視聴率稼ぎ」と言いながらも神部の無罪を訴える報道をするし、最初はワルっぽく出てきた吉田警部も、終盤には宗旨替えする。報道サイドでは無罪報道を進めた人、警察サイドでは別の犯人説を唱えていた人をメインに持って来ている。
本来ならば、警察とマスコミが間違っていたのではないかと問い掛けるべきだろう。
しかし、前述の2人をマスコミと警察の主役として登場させることで、「無罪だと思っていた人もいたんですよ」と、まるでマスコミと警察の自己弁護させるような形になっている。そうすることによって、警察と報道への糾弾が弱くなってしまう。

一応、取材に応じる4名の内の1人・浅川に神部を犯人扱いする報道に関して開き直った発言をさせて、マスコミの自己弁護だけにしないようにバランスを取っているつもりかもしれない。だけど、その浅川のキャラクター造形が安っぽいんだよなあ。

この映画の内容だと、「警察にしてもマスコミにしても、お偉方や中央に問題があって、地方や下っ端はそうでもない」というように受け取れる。
だったら、その問題のあるお偉方や中央の連中の顔がほとんど見えないのはダメでしょ。そこを突っ込んで、そういった面々からの言葉を引き出さないと、意味が無いんじゃないだろうか。

序盤に登場するガス中毒事件の描写が、ものすごく軽い。
そこはもっと地獄絵図のようにして、パニックの恐ろしさを迫力たっぷりに描くべきだろう。ドキュメンタリー・タッチで客観的に描こうとしたのかもしれないが、そこは観客に訴え掛けるべき場面でしょ。
何度も描かれる取材のシーンにも、記者の熱や緊張感が全く感じられない。
回想シーンに熱気があればこそ、現在のシーンで落ち着かせるという構成も生きてくるはずなのに、取材シーンが淡々としていると、全てが平坦になっちゃうのよね。

で、取材記者やテレビ局のリアリティーにも乏しいのよねえ。
まあローカル局ということで、テレビ局の中身が何となくウソっぽいのは許すとしても、細川直美はキャスターの役なのに喋りがトロいし、残りの2名も報道記者には見えないしなあ。彼女達だけじゃなくて、取材に携わる面々が張り詰めた空気を漂わせる部分が見当たらないし。
テレビ局のリアリティーや取材記者のパッションを用意できないのなら、頭から構成を大幅に変更して、神部を主役にすべきだったのでは。そして彼と家族が犯罪者として糾弾される様子を克明に描き、彼の悲しみや怒りを描く痛々しい映画にすれば良かったのだ。

この映画の中でも、神部と家族が周囲の人々に追い込まれる様子が無いわけではない。
ただ、ものすごく弱い。もっと彼らが脅迫を受けるとか、糾弾されるとか、とにかく犯人扱いされて人々に迫害される様子を見せるべきだったのではないだろうか。

最後になってカルト教団によるサリン噴霧事件のシーンがじっくりと描写されており、そこは確かに迫力がある。だけど、報道やマスコミへの問い掛けが全て終わってから事件の恐ろしさを描写するってのは、構成として間違ってるでしょ。
クライマックスとして盛り上げるために、最後に迫力のシーンを取っておきたいという気持ちは分からないでもない。でも、やれば出来るんだから、最初に描かれる事件のシーンで、その迫力とパニックの凄まじさを見せておくべきだったんじゃないのかねえ。

 

*ポンコツ映画愛護協会