『日本沈没』:2006、日本

静岡県沼津市で大地震が発生し、街は炎に包まれた。瓦礫の中から体を起こした小野寺俊夫は、一人ぼっちで歩いている少女・倉木美咲を 目撃した。危険を伝えようとした直後、近くで大爆発が起きた。そこへハイパーレスキュー隊のヘリコプターが出現し、隊員の阿部玲子が 美咲を救出した。後日、神奈川県横須賀市の国際海洋開発センター。潜水艇の操艇者である小野寺俊夫が仕事をしていると、玲子が訪ねて きた。美咲は地震で父親を亡くし、母親は意識不明で入院しているという。
玲子は品川区でもんじゃ焼き屋を営む叔母・田野倉珠江に、美咲を預けた。玲子は両親を亡くし、珠江の世話になっていた。小野寺が 店で飲んでいると、地震が発生した。すぐに収まったが、美咲は酷く怯えた様子を見せた。小野寺は同僚の結城と共に、東都大学の田所 博士の研究チームで海洋調査を行っていた。宮城県金華山沖に“わだつみ6500”で潜った彼らは、初めての光景を目撃した。海洋掘削 調査船“ちきゅう”に戻って観測データを調べた田所は、ある事実に気付いて驚愕した。
首相官邸では、特別災害対策会議の中間報告会が開かれた。田所は政府首脳を前に、バクテリアの異常発生が原因で日本が1年も持たず 沈没すると発表した。山城教授のように聞く耳を持たない者もいたが、田所の別れた妻である文部科学大臣の鷹森沙織や山本総理は危機感 を抱いた。山本総理の指示により、異変の検証チーム“D−1”が編成されることになった。
東京消防庁第八方面本部で訓練をしていた玲子は、転落して左腕を負傷してしまった。鷹森は山本総理に、日本国民を海外へ退避させる 計画の骨子案を提出した。山本総理は鷹森に、専門家数名から「このまま何もせず日本列島が沈むのを甘受すべきだ」という意見があった ことを明かした。山本総理は海外の首脳と話をするため、東京国際空港を飛び立った。
北海道南岸では大規模な地震が発生し、阿蘇山では噴火が起きた。山本総理を乗せた政府特別機は、噴火に巻き込まれて消息を絶った。 その後も各地で地震や噴火が発生し、野崎総理代行は会見で「5年以内に日本が沈没する。日本国民は海外に脱出してもらう」と公表した。 しかし日本人の受け入れ交渉に、諸外国は難色を示した。そんな中、田所の練習チームは解散した。
鷹森は田所の研究室を訪れ、日本人を救う方法について尋ねた。すると田所は、プレートの亀裂に沿って掘削坑を作り、そこに爆薬を 仕掛けて連鎖的に爆発を起こすというプランを告げた。その方法でプレートを切断すると、上手く行けば日本の沈没を最小限に食い止める ことが出来るという。そのために使用するのは、試作段階のN2爆薬だ。ただし、その計画を実行するためには、世界中の掘削船を集める ことが必要となる。
イギリスのチームからオファーを受けた小野寺は、結城に「一緒に行かないか」と持ち掛けた。しかし結城は、田所が日本を救うために 始めようとしているので、それを手伝うと告げた。美咲の母が意識を取り戻したとの連絡があり、小野寺と玲子は美咲を連れて病院に 駆け付けた。美咲の母は娘に少し話し掛けただけで、すぐに意識を失い、そのまま息を引き取った。
鷹森が世界中の掘削船を集合させ、田所の提案した日本沈没阻止のための作戦が始まった。小野寺は玲子をイギリスに誘い、美咲も含めた 3人分のチケットを手配してあると告げる。しかし玲子は「美咲のような子が待っているので助けなければ。自分だけ幸せになれない」と 、同行を断った。小野寺は会津の実家に戻り、造り酒屋を告いだ姉や母と久しぶりに会った。小野寺の母は、海外へは避難せずに家族の 思い出が染み付いた実家に留まる意思を告げた。
日本国民が避難した諸外国での排斥運動が高まる中、アメリカは円と日本の国債を手放し始めた。小松と広島周辺の飛行場は、火山灰が 多いため使用不可能となった。珠江と美咲は、もんじゃ焼き屋の常連と共に日野市の一時避難所に移っていた。救援物資を持って訪れた 小野寺は、珠江達が今日限りでもっと高い場所に移動するよう指示されたことを知った。
東京でも震度6強の地震が発生し、富士観測所の福原教授らは富士山噴火の兆候をキッャチした。鷹森たちのいる対策本部も被害を受け、 予備施設への移動を決めた。田所達はプレートを切断するための行動を進めていたが、乱泥流で結城が命を落とし、“わだつみ6500”が 失われた。それを知った小野寺は、施設にあった旧式の“わだつみ2000”を使って結城の仕事を引き継ごうと考える…。

監督は樋口真嗣、原作は小松左京、脚本は加藤正人&成島出、プロデューサーは中沢敏明、 製作統括は近藤邦勝&島谷能成&島本雄二&喜多川誠&細野義朗&亀井修&常田照雄、 エグゼクティブプロデューサーは濱名一哉、撮影監督は河津太郎、編集は奥田浩史、録音は中村淳、美術は原田恭明、特殊技術統括・ 監督補は尾上克郎、VFXプロデューサーは大屋哲男、VFXスーパーバイザーは佐藤敦紀&田中貴志&道木伸隆、特技監督は神谷誠、 音楽は岩代太郎、主題歌「Keep Holding U」はSunMin thanX Kubota。
出演は草なぎ剛、柴咲コウ、豊川悦司、大地真央、及川光博、福田麻由子、吉田日出子、柄本明、國村隼、石坂浩二、六平直政、 手塚とおる、大倉孝二、花原照子、加藤武、丹波哲郎、和久井映見、長山藍子、遠藤憲一、村杉蝉之介、津田寛治、木村多江、山田辰夫、 前田愛、佐藤江梨子、ピエール瀧、池田成志、石田太郎、北村和夫、矢島健一、松尾貴史、並樹史朗、大口広司、 富野由悠季、和田倉和利、福井晴敏、福井美宏、庵野秀明、安野モヨコら。


小松左京のSFシミュレーション小説を基にしたTBS製作の映画。製作予算は20億円。
1973年に映画化されているが、それのリメイクということではなく、あくまでも原作小説の再映画化というスタンスらしい。
小野寺をSMAPの草なぎ剛、阿部玲子を柴咲コウ、田所を豊川悦司、鷹森を大地真央、結城を及川光博、倉木美咲を福田麻由子、珠江を 吉田日出子、福原を柄本明、野崎を國村隼、山本総理を石坂浩二が演じている。

1973年に公開された旧作は、決して傑作と呼べるような出来映えではなかった。
だが、「タイトルは有名だが中身はそれほどでもない」という映画だからこそ、リメイク(再映画化という建前らしいが、どう考えても リメイクだよ)に適していると言える。
旧作が傑作だったとすると、それをリメイクが越えることは不可能に近い。
しかし旧作の出来映えが今一つなら、改善できる余地が充分にあるということだ。
そしてタイトルによる訴求力も期待できるのだから、これはリメイクに適していると言っていいだろう。

樋口監督は本作品を監督するに当たって、旧作とは全く違う映画に仕上げようという意識で臨んだらしい。
なるほど、確かに旧作とは随分と異なる内容になっている。
しかし、「ただのリメイクにしない」という意識だったからといって、まさかコメディーにするとは予想もしなかった。
それも「真面目な顔して、シリアスな作品と見せ掛けて、おバカをやる」というタイプのね。
前作とは違い、今回は恋愛劇に重点を置いた作りになっている。わざわざ樋口監督が苦手なジャンル(彼は特撮オンリーの人であり、 人間ドラマは描くことが出来ない)を選んでいるのだが、どうやら『アルマゲドン』をやりたかったようだ。
あれはポンコツ映画なんだが、それでも大ヒットは記録しているので、「じゃあ間違い無いでしょ」ということなんだろう。

前作で熱い男の藤岡弘、が演じていた役を、真逆のタイプである草なぎ剛に演じさせている段階で、既にギャグだ。
この人は芝居をさせるとボロが出る人で、特に熱くなるような役は決定的に不向きだ。この人は平凡な人、もしくは冴えない人など、 とにかく等身大のキャラでないとダメなのだ。このように「ちゃんと役を演じなければいけない役」など、以ての外だ。
序盤、仕事中に発せられる台詞回しからして、既に気が抜けていて失笑を誘う。
柴咲コウにしても、やはり配役からしてギャグになっている。
あの華奢な体付きでハイパーレスキュー隊員ってのが、何よりもギャグだ。
で、訓練中に、あっさりと怪我を負う。そんな弱っちい奴なのに、冒頭の危険な救助シーンは任されるのね。
その冒頭の登場シーンでは、「怪我はありませんか」という一言目の台詞回しからして、失笑を誘うようにしてある。
キャラで言えば、田所も見事なバカになっている。いきなりモニターを叩いて荒れるところからして、もうギャグでしかない。会議で意見 を否定されると、「テメエはバカか」「腰巾着は引っ込んでろよ」とタメ口で荒れる。
そのキャラは、どう考えても笑いを取ろうとしている。
もう配役やキャラ設定の段階からコメディーは始まっているのだ。
そして草なぎ剛にしろ柴咲コウにしろ、ちゃんと失笑コメディーの役割を果たしている。
小野寺と玲子の陳腐な会話、田所と鷹森の陳腐な会話も、やはり笑いを誘おうとしているのだろう。

旧作では、小野寺と玲子の恋愛劇が取って付けた感に満ち溢れており、玲子の存在意義に大きな問題があった。
今回は玲子を「小野寺の恋人」ということに留めず、ハイパーレスキュー隊員という設定にしてある。
これにより、彼女も恋愛劇だけでなく「災害から人々を救う」という役割を持つことになった。
しかし、恋愛劇が邪魔だという印象は相変わらず。
むしろ今回は恋愛劇をメインに押し出して描写する時間を増加させたことで、なおさら邪魔な印象が強まっている。
しかも恋愛劇をメインに据えておきながら、玲子が小野寺のどこに惚れたのかサッパリ分からない。
たぶん、もんじゃ焼き屋で小野寺が玲子を抱き締めて励ます様子などで「優しさに惹かれた」ということにしたいんだろうが、そんな程度 じゃ無理だわ。ただ恋愛劇の時間が長くなっただけで、中身は薄い。

綿密な科学考証をするとか、政治情勢を考えて諸外国の対応を考慮するとか、そういうことは一切考えていない。
おバカなコメディー映画なので、真面目なSF映画・災害映画としてのリアリティーなんて不要なのだ。
小野寺は瞬間移動能力か、もしくはどこでもドアを持っているらしく、大災害で交通網が麻痺状態にあるだろう状況の中でも東京・福島・ 静岡を短時間で移動してしまうが、その辺りも「おバカな映画だからリアリティーは二の次よ」ということだ。
そもそも、こういう話は、最初は平和で平穏に暮らしているところから開始して、それから予兆があって「来るぞ、来るぞ」と盛り上げて 大災害に突入するのがパターンだが、いきなり問答無用で大災害シーンから始めているのがスゴい。
その大胆な構成は、マトモなSFパニック映画として作っていないことの表れだ。
死者はどんどん増えているようだが、そんな感覚はちっとも伝わってこない。しかし、そんな描写は笑いに繋がらないので、不要だって ことだろう。
生き延びるための必死さ、何とかしようと不恰好でも必死にもがく様子は全く見られない。
「絵空事だからキレイゴトで」というスタンスのようだ。

地震や噴火のシーンは、CGを使って迫力たっぷりに描いているように思われる人もいるかもしれないが、やはり笑いを取りに行く姿勢が 明らかだ。冒頭、爆発のタイミングでヘリが現れ、玲子が美咲を救出するというシーンの描写からして、既にギャグでしかない。総理を 乗せた政府特別機が、なぜか活火山の上を低空飛行して噴火に巻き込まれるというのも、明らかにギャグとしてのモノだ。
国家の危機に、ただの潜水艇の操艇者が出来ることなんて、そんなに無いだろう。だから旧作では、実は小野寺は主人公と呼べる存在では なかった。田所博士と山本総理がメインになっていた。
しかし今回は、そういうわけには行かない。何しろ天下のスマップ様が小野寺を演じているのだから、名実共に主役でなければ許されない。
だが、「国家の危機に潜水艇の操艇者が出来ることなんて多くない」という 問題は解消されていない。なので、災害や避難計画が進む中、小野寺は何もせずボーッとしているという形になっている。
草なぎ剛だと、それが似合ってしまうというのが、これまた笑いを誘うための戦略なのだろう。

日本が沈没すると判明しても、コメディーなので緊張感は無い。
野崎が「5年以内に沈没する」と公表しても、やはり緊張感は無い。
そして沈没を知らされた国民は、パニックに陥ることも無い。
うろたえる者はおらず、皆が冷静に淡々と受け止める。
北尾選手のプロレスデビュー戦で負けてやったクラッシャー・バンバン・ビガロ選手と同じぐらい、物分かりのいい連中だ。

樋口監督は「危機に遭遇した人間が恐れずに立ち向かい、乗り越えていく姿を描きたかった」とコメントしている。
しかし実際には、確かに恐れてはいないが、皆が立ち向かっているわけでもない。
立ち向かっているのは数名であり、肝心の小野寺は何もせずボーッとしているだけで終盤まで過ごしている。
つまり、監督コメントからして、既にボケになっていたわけだね。
やるじゃないか、樋口監督。

政府関係者は落ち着いたもので、野崎総理代行は「海外脱出は問題無い。死者がどんどん増えていて、そいつらを避難させる必要は無い から」と平然と言ってのける。
政府首脳に「国民のために何とかしなければ」という使命感や切迫感は無い。
さっさと死ぬ山本総理でさえ、国民よりも孫の将来への危惧が強そうだったし、どうやら「日本のため」「国民のため」ということよりも 個人レヴェルの問題として描こうとする意識が強いようだ。
だから今回は、政府首脳が総じてボンクラ。「肝心な時に日本政府は役立たずでロクなもんじゃねえ」という形になっている。
そんな中では鷹森が一人だけ頑張っているが、しかし彼女も日本沈没を阻止する計画のためにはポストを捨てる覚悟を決めなきゃいけなく なっている。
ただし、監督に政府批判の意図があるとは思えない。
単純に、鷹森を引き立たせるための戦略だろう。
ただし、彼女の活躍の場である「短期間で掘削船を集める」という仕事は、その過程が省略されて「いつの間にか大集合」という形にして ある。
どうせ笑いには繋がらないと考えてのことだろう。

鷹森から日本人を救う方法を問われた田所は「爆薬でプレートを切断すれば沈没を食い止められるかも」と言うが、だったら、なぜ今まで 言わなかったのかと。 で、無駄に勿体ぶって口にした作戦が、「N2爆薬を使う」ってのは、やはりギャグだよな。
そんな大事な箇所でエヴァンゲリオンのネタを使ってしまうという、TPOを全く考えないオタク精神は、さすが樋口監督だ。
美咲はキーパーソンになるような感じで登場するが、実際には大して意味が無い。小野寺と玲子を出会わせるためのダシに使われたと 言ってもいいだろう。
その後は、たまに「感動的と見せ掛けて実は失笑を誘う」という場面で都合良く使われる
。美咲が母と病院で再会するという、本来なら感動的になるはずのシーンでさえ、「母が意識を取り戻したとの連絡で駆け付けると、母は わずかに喋って再び意識不明になって即死亡」という形にして失笑を誘おうとする徹底ぶり。
小野寺と母のやり取りでも、感動的な場面にせず、「命より大事なものがある。それは人を好きだという気持ち」と陳腐なセリフを母に 言わせて笑いを誘う辺り、徹底している。

各地で大勢の死者が出ている中で、小野寺の実家がある会津地方だけは全く被害が無いという御都合主義もコメディーならでは。
大勢が死んでいるのに、個人レヴェルで話を作っておきながら、小野寺と玲子の周囲で災害によって誰かが死ぬという「個人レヴェルでの 死」は描かず、だからもんじゃ焼き店の関係者は誰一人として死なない御都合主義も、やはりコメディーならではだ。
今回は旧作と異なり、沈没を阻止しようとする動きもある。
だったら、その計画が立ち上がった段階で小野寺を関与させるのがベストの選択、というか唯一の選択だと、普通なら考えるだろう。
しかし、これはコメディー映画なので、災害パニック映画のセオリーを言っても仕方が無い。観客を笑わせるために、主人公をどこに配置 しようかと考えた結果として、「何もせずにボンクラぶりを見せ付ける」という形を選んだのだろう。

終盤に入って結城が死んだ後、急に小野寺は田所に対して「日本はどうなるんですか」と熱く問い掛けるが、急に自己犠牲の精神に 目覚めるというのが、お笑い種でしかない。そこまでに結城との関係が大して描かれておらず、また小野寺の心の変遷や葛藤も無いため、 ただ唐突なだけにしか感じない。
小野寺は「今なら結城の気持ちが良く分かる」と言うが、こっちは小野寺の気持ちがサッパリ分からん。彼は「奇跡は必ず起きる」と 言うが、そこは奇跡じゃなく御都合主義の間違いだろう。
主人公の命懸けの行動に全く心が熱くならない、感情を揺り動かされないという状態にしてある。
コメディーなので、感動など不要なのだ。

避難する人々だけでなく、沈没を阻止する人々もいるわけだから、そっちも相当の時間を使って描写すべきところだ。
しかし実際には、何しろ小野寺がそこに関与していないこともあって、それほど描写の時間は多くない。
小野寺が沈没阻止作戦に絡むのは、終盤のわずか10分程度だ。だから「最初から沈没阻止作戦に関わって奮闘するが失敗の連続で無力感を 抱き意欲を失う。しかし何かのきっかけで再び意欲を取り戻す」という風な心の変遷、厚みのあるドラマは無い。
それまではボーッとしているだけのデクノボーで、終盤にチョコッと頑張ったぐらいで主役になろうなんて、虫の良すぎる話である。
で、沈没を阻止しようとする行動があるのだから誰でも分かることだろうが、なんと日本の沈没は途中で止まるのである。
つまり、この映画は『日本沈没』というタイトルからして、既にボケになっていたわけだ。
そこは「タイトルに偽りありだ」ということではなく、「おいおい、沈没しねえのかよ」とツッコミを入れてあげるべきであり、監督に とっては会心のボケなのだろう。

本来ならば恋愛劇のクライマックスになるような場面でさえ、やはり陳腐に作ってギャグにする。
小野寺は玲子から「抱いて」と求められて拒むのだが、だったらキスをした後、場面をテントに移すなよ。
で、イギリスへ行かず海に潜るという真実を玲子に言わず去るのであれば、置き手紙であっさりバラす情けないことはやめろよ。
そこは普通、「小野寺は隠したまま出動しようとするが、何らかの方法で玲子が知ってしまう」、もしくは「玲子は全く知らないまま 小野寺は出動」という形にするところだろう。
で、それどころか、直後に玲子が会いに来る展開まで作る。せめて「会わないまま出動」とすべきだろうに。
だがコメディーなので、恋愛劇や感動ドラマのセオリーなど知ったことではないのだ。

この映画は紛れも無く駄作だが、SFパニック映画として、災害映画としてダメだったわけじゃない。
そもそもSFパニック映画や災害映画ではないので、緊張感の無さとか、リアリティーの無さとか、迫力の無さとか、そんなのは別に どうだっていい。
問題は、明らかに脱力感に満ち溢れたコメディー映画として作っているのに、ちっとも笑えないってことなんだよ。

(観賞日:2008年4月14日)


第3回(2006年度)蛇いちご賞

・作品賞

2006年度 文春きいちご賞:第2位

 

*ポンコツ映画愛護協会