『日輪の遺産』:2010、日本

2011年3月、アメリカ合衆国カリフォルニア州。新聞記者をしている日系二世のダニエル・ニシオカは、マッカーサーと占領政策に尽力したマイケル・エツオ・イガラシを訪ねて取材する。かつて在日米軍司令官を務めたイガラシは「幽窓無歴日」と紙に書き、「監獄の中に月日は流れない。私の人生も同じ。マッカーサーも」と言う。彼は1945年8月30日、厚木飛行場で通訳の将校として初めてマッカーサーと会った時のことを話す。その時、マッサーカーは「私の財宝は?父の遺産はどこだ?」と口にしたという。
2011年3月、森脇女子学園中等部の卒業式に、老夫婦の金原庄造と久枝がやって来た。追悼の碑を見た久枝が「これを見る度に自分だけが仲間外れにされたような気がします」と話すと、庄造は「生き残った者が贅沢言うな」と戒める。2人は毎年、卒業式に出席するのを楽しみにしており、そのために寄付を続けている。追悼の碑には、「8月14日、軍需工場で空襲に遭い、はかなくも無念に散った少女達に捧ぐ」と記され、生徒19名と教師1名の名前が刻まれている。
教師をしている孫娘の金原涼子と婚約者で同僚の後藤俊太郎は、庄造と久枝の元へ挨拶に行く。卒業式に出席した庄造は、久枝に「今、真柴さんに会った。もう命令は守らなくていいそうだ」と告げる。直後に倒れた庄造は、そのまま息を引き取った。婿養子である涼子の父・荘一郎は、「市会議員までやった人が、密葬では世間的に収まりが悪い」と言う。しかし久枝は、それが庄造の遺言だと告げる。
涼子は遺影に使う写真を選ぼうとするが、どれを見ても庄造は目付きが悪かった。久枝は「赤鬼さんだから」と言い、それが女学生時代に付けた渾名だと涼子に教える。そんなに昔から知り合いだったのかと訊く涼子に、「私とお爺さんは、とても大切な人たちを亡くしてしまったの」と言う。昭和20年8月3日、森脇女学校の女学生は勤労奉仕に狩り出され、久枝たちは軍需工場で飛行機の部品を作っていた。担任の野口孝吉は、治安維持法の疑いで連行された。
荘一郎が久枝と涼子の元へ来て、「弁護士の木村先生から電話で聞いたけど、遺産のほとんどを市に寄贈するというのは本当なんですか」と尋ねる。すると久枝は、「お爺さんが言ったの。もう命令を聞かなくてもいいと」と告げた。「いい機会だから話しておこうかね」と彼女は言い、涼子に後藤を呼ぶよう告げた。久枝は「まずは真柴さんの話から始めないとね」と言い、かつて彼が離れを借りて剣道の道場を開いていたことを語る。だが、涼子は全く記憶に無かった。
久枝は真柴が日記として使っていた手帳を取り出し、昔の出来事を語り始めた。日記の始まりは昭和20年8月10日、野口が工場へ戻って来た日だ。殴られで口元を腫らしている野口は、級長の久枝や女学生たちに「俺は本当は、あんな作業はさせたくないんだ」と告げた。同じ頃、近衛第一師団の真柴司郎は師団長の森赳に指示を受け、他の兵士に気付かれないよう陸軍省へ赴いた。通された部屋に入ると、そこには東部軍経理部主計の小泉重雄も来ていた。
真柴と小泉を部屋で待ち受けていたのは、陸軍大臣の阿南や第一総軍司令官の杉山、参謀総長の梅津、東部軍司令官の田中、そして森という面々だ。ポツダム宣言の受諾という極秘事項を知らされた真柴と小泉は、ショックを受けた。阿南たちは小泉に対し、昭和21年度分の臨時国家予算900億円を国庫から払わせること、マッカーサーが父の代からフィリピンに貯めていた資産を山下将軍が日本に運び込んだことを語る。そして真柴と小泉に対し、米軍が本土へ上陸する前に隠匿して管理するよう命じた。
片脚を引きずっている曹長の望月庄造が、真柴と小泉の手伝いとして現れた。3人が東部軍司令本部へ行くと、通された部屋には指令書が置いてあった。さらに古い軍服を来てマントを羽織っている謎の憲兵が現れ、ドアの隙間から指令書を差し込んだ。その指令書には、横浜のニューグランドホテルへ行くよう書かれていた。広瀬蔵相と面会してから真柴たちとホテルで合流した小泉は、財宝が東京駅の貨車の中に「血號榴弾」と名付けられた架空の対戦車砲として保管されていることを説明した。
マントの憲兵が持って来た新たな指令所を、ホテルの支配人が真柴たちの部屋に届けた。その指令書には、軍臨列車で南部鉄道の武蔵児玉へ物資を運ぶので、三鷹電気から派遣された作業員を使えと書かれていた。翌日、真柴たちは南多摩火工廠へ赴き、壕を確認する。そこに野口と森脇女学校の生徒たちが、手伝いとしてやってきた。何も知らない女学生たちに、真柴は決號榴弾を武蔵児玉駅の貨車から運ぶ任務を説明した。スーちゃんと呼ばれている女学生の鈴木は貧血を起こし、真柴は兵舎で休むよう促した。
女学生は全力で運搬作業に取り組み、貨車の荷物は残り一両分になった。そんな中、米軍機がポツダム宣言受諾を知らせるビラを散布した。真柴は女学生を整列させてビラを回収し、敵の謀略なので士気を失うなと説いた。マツさんと呼ばれている女学生の松本は挙手し、米国の女学生も自分たちと同じ境遇にあるのかと質問した。彼女は「日本軍が米国本土へ攻め込めば米国の女学生も辛い目に遭う」と指摘し、「それで大勢の人を助けることが出来るなら、戦争をやめるのは恥ずかしいことではない」と熱く語った。野口が慌てて謝罪し、久枝が場を取り繕う。真柴は何も言わず、黙って聞いているだけだった。兵舎から出て来た鈴木は、ビラを読んでしまった。
真柴はマントの憲兵から、新たな指令書を渡された。そこには、8月15日の玉音放送を拝聴した後で秘密保持のために野口と女学生に服毒させよという命令が記されていた。渡された封筒には、そのための毒薬も入っていた。真柴は小泉に指令書を見せ、命令に従った後で自らも死を選ぶ意思を明かした。すると小泉は「腰抜けですか?」と言い、財宝によって敗戦後の日本を再興させるべきだと熱く訴えた。物音を耳にした2人が兵舎へ行くと、休んでいた鈴木が体を起こしていた。彼女は父の夢を見ていたのだと2人に語った。
真柴は命令を撤回してもらうため、東京の司令部へ向かった。すると徹底抗戦を求める兵士たちが反乱を起こし、森たちを殺害していた。道路を封鎖している連中を目にした真柴は、明日になって戦争が終われば女学生が間違いなく死ぬことになると感じる。するとトラックの運転を担当していた望月が、「戦争が終わって、彼女たちも生きるとは考えられないのですか」と問い掛けた。真柴が阿南の家へ行くと、彼は割腹している最中だった。命令撤回を求める真柴に、阿南は「そのような命令はしておらん」と告げた。
真柴と望月が南多摩火工廠に戻ると、小泉は軽装になっていた。小泉は2人に、三助として女学生の体を洗ってやっていたのだと話した。命令が撤回されたことを真柴から聞き、小泉は安堵した。玉音放送を聴く気になれない望月は、風呂掃除に向かった。久枝も彼と一緒に、風呂を掃除した。玉音放送を聴いた女学生たちは、強いショックを受けた。真柴は「ここで見聞きしたことを絶対に話してはならない」と口止めした上で、トラックで帰る時間まで待機するよう指示した。
鈴木は真柴に、「本当に帰っていいんでしょうか?」と確認する。小泉は穏やかな口調で、もう任務は終わったのだと告げた。真柴と小泉は兵舎へ赴き、野口と会話を交わす。真柴と小泉は毒薬が無くなっていることに気付き、慌てて兵舎を探す。野口も含めた3人が兵舎を飛び出すと、壕の前には女学生たちの荷物が置かれていた。野口と小泉が中に入り、真柴は事態を察して吐きそうになった。望月と久枝が来た直後、壕から銃声が聞こえて来た。出て来た小泉は、女学生たちが青酸カリで自害したこと、苦しんでいる者がいたので拳銃を撃って死なせてやったことを語った…。

監督は佐々部清、原作は浅田次郎(講談社文庫/徳間文庫/角川書店)、脚本は青島武、製作代表は椎名保、製作は池田宏之&阿佐美弘恭&長尾忠彦&臼井正明、企画は嵐智史&三宅澄&高松宏伸、プロデューサーは根津勝&臼井正明&青島武、協力プロデューサーは井上文雄、アソシエイトプロデューサーは古森正泰、撮影は坂江正明、美術は若松孝市、照明は渡辺三雄、チーフデザイナーは小林久之、録音は藤丸和徳、編集は川瀬功、音楽は加羽沢美濃、イメージソング「永遠(トワ)の調べ」元ちとせ。
出演は堺雅人、中村獅童、福士誠治、ユースケ・サンタマリア、八千草薫、八名信夫、麻生久美子、塩谷瞬、北見敏之、中野裕太、ミッキー・カーチス、ジョン・サヴェージ、森迫永依、柴俊夫、麿赤兒、串田和美、山田明郷、野添義弘、土屋太鳳、松本花奈、遠藤恵里奈、金児憲史、伊嵜充則、三船力也、栩野幸知、平山祐介、ヨシダ朝、田村三郎、加島潤、佐藤貢三、新見紗央、長崎三沙、篠塚瑠音、佐藤純果、中さとみ、浜田美優、久保田日向、石幡七海子、田中茉莉香、金子海音、鈴木杏奈、中西夢乃、門井由莉乃、山門香央里、松本優花、前田瀬奈ら。


浅田次郎の同名小説を基にした作品。
監督は『出口のない海』『夕凪の街 桜の国』の佐々部清、脚本は『光の雨』『樹の海』の青島武。
真柴を堺雅人、望月を中村獅童、小泉を福士誠治、野口をユースケ・サンタマリア、老齢の久枝を八千草薫、老齢の望月を八名信夫、涼子を麻生久美子、後藤を塩谷瞬、荘一郎を北見敏之、ニシオカを中野裕太、老齢のイガラシをミッキー・カーチス、マッカーサーをジョン・サヴェージ、女学生の久枝を森迫永依、阿南を柴俊夫、杉山を麿赤兒、梅津を串田和美が演じている。

最初に久枝が過去を回想し、その後で真柴の日記を読み聞かせる展開に入る。そうやって日記の回想に入ると、メインの視点は真柴になる。
ここで視点が複数になることは、話に幅を持たせることには繋がっておらず、散漫にしているだけだ。
久枝の視点からの回想を始めるのであれば、ずっと彼女の視点で回想劇を描いた方がいい。「真柴の回想」ということにしたいのなら、その前に久枝の視点で過去を振り返るシーンを入れるのは邪魔だ。
視点が複数になることが必ずしも悪いということではなく、この映画では上手く行っていないってこと。

っていうか、日記を読み聞かせる形で回想劇に入っていくとはいえ、久枝が語り始めたのに、ずっと彼女が関与していない軍の策略や命令に関するシーンが続くというのは、構成として違和感が否めないんだけど。この映画が何を描きたいのかを考えて、視点を久枝か真柴の一方に絞り込んだ方がいい。
ただ、そもそも何を描きたいのかがボンヤリしているんだよな。
山下財宝を巡る軍の策略を描くサスペンスなのか、少女たちが犠牲になる悲劇のドラマなのか。
両方をやろうとしたのなら、それは欲張り過ぎで、完全に「一兎を追う者ホニャラララ」になっている。

要らないと感じるシーンが多い。
まず冒頭、日系人記者がイガラシに取材するシーンからして要らない。そこが無くても全く支障は無い。無駄に構成をややこしくしているだけ。
いっそのこと、真柴と小泉軍の最高幹部から説明を受けるシーンさえ、削除してもいいんじゃないかと思ったぐらいだ。後になって「実はこういう任務を受けていた」ということを明かす形にしてね。
そう思った理由は、最高幹部から説明を受けるシーンで、今一つ内容が頭に入って来なかったからだ。

真柴と小泉は軍の最高幹部から山下財宝や任務について聞かされるのだが、いきなり色んなことを一気に言われても、そのインパクトが伝わりにくい。
当時の情勢について知識が乏しい現代の人間にとっては、セリフによる説明だけでは中身がイマイチ伝わって来ない。軍の策略が何となくボンヤリしていて、いかに重大な使命を帯びているのか、いかに重大な機密事項なのかってのが今一つ伝わらない。
その辺りは、映像による補足が欲しい。そうじゃないと、なかなか頭に入って来ない。
観客に山下財宝の存在を明かして驚きを与えるべき箇所で、任務や作戦に関する事細かい説明をされても、それを噛み砕いて理解するだけで精一杯になってしまい、緊迫感を感じ取ることが難しい(っていうか、そもそも緊迫感が足りていないという見方も出来るが)。
どうせ山下財宝を巡る策略の部分でスケールの大きさや緊迫感を充分に表現できているわけでもないし、思い切って軍の動きを最小限の描写に留め、もっと真柴&小泉&望月と野口&女学生たちの関係描写を厚くしても良かったんじゃないかと。

久枝が回想に入っていくのに、回想シーンにおける女学生・久枝の存在感の、なんと薄いことよ。
真柴の日記を読んでいるという形だから、野口や女学生の存在感が弱くなってしまうのは当然と言えば当然だ。しかし、その構成そのものに疑問を覚える。
久枝が過去を語るのなら、やはり彼女視点で回想劇を描くべきだと思うのだ。真柴の日記で回想に入るのなら、誰か別のキャラに読ませる形を取った方がいい。例えば涼子とか。
っていうか、涼子や後藤って何のために出て来たんだか、サッパリ分からないんだよな。全くの無意味じゃないかと。
過去の出来事と現代の観客の距離感を縮めるために、現代を生きる若者を劇中に登場させ、回想劇に触れさせるってのは良くある手法だ。
ただ、登場させるからには、ちゃんと意味のある使い方をすべきだろう。
この映画だと、全く機能していない。いてもいなくても、ほぼ変わらない。

真柴をメインに据えて回想シーンを構築しているが、彼に感情移入したり共感したりすることが難しい。女学生を抹殺せよという命令に対する彼の苦悩や葛藤は、かなり物足りない。
「軍人としてあるべき姿」に対する思考が入って来ることで、「一人の人間としての苦悩」が薄まってしまう。
そこに限らず、真柴や望月たちの心の中には、あまり切り込んでいかない。筋書きを追うので精一杯という感じだ。
後の展開を考えると、望月なんかはもっと掘り下げるべきキャラクターだろうに。

なぜ女学生たちが自害を選ぶのか、まるでピンと来ない。
だから、そこに悲劇性を感じ取ることが出来ない。
そこに理不尽は感じるが、本来は「戦争や軍部の策略に翻弄され、無垢な少女たちが死を選ばざるを得なかった」という理不尽を感じるべきだろうに、全く別の意味での理不尽になっている。
それは「死ぬ必要性なんて全く無いのに、映画の都合で段取りとして自害させられる」という理不尽だ。

女学生たちが自害し、その後処理が済むと、ひとまず現在のシーンに戻ってくる。その後、久枝と望月が暮らしている家を真柴が訪ねる昭和23年のシーンが入るが、蛇足にしか感じない。
その後、再びイガラシのシーンに戻り、彼が過去を回想する展開があるが、これまた蛇足にしか感じない。
ホントは蛇足じゃなくて、一応は「山下財宝のありかを探しているマッカーサーに小泉が面会し、自殺して取引を飲ませる」という意味があるシーンなのだ。
でも、そもそも「マッカーサーが山下財宝を探している」ということ自体、この映画において機能不全に陥っている要素なので、だから蛇足にしか思えないのだ。

あと、この映画では「マッカーサーが父の代からフィリピンに貯めていた資産を山下将軍が日本に運び込んだ」ということになっていて、それはM資金と山下財宝をミックスさせたような設定なんだけど、それは意図的にやっているのかな。
浅田次郎が原作なので、M資金と山下財宝を混同しているってことは無いはず。
だけど、普通にM資金の設定だけでいいんじゃないかという気がしてしまうんだよな。
そこに山下財宝の要素を盛り込んだ意味ってのが、あまり良く分からないんだよなあ。

(観賞日:2014年8月2日)

 

*ポンコツ映画愛護協会