『ねこあつめの家』:2017、日本

小説家の佐久本勝は喫茶店での打ち合わせ中に転寝し、少年時代の夢を見た。編集者の鴨谷進に起こされた彼は「寝てません」と否定するが、「今の提案、どうですか?」と問われると聞いていないので答えられなかった。鴨谷は主人公がゾンビになる展開を提案し、困惑する佐久本に「だって、このままじゃインパクトが無いですよ」と告げる。まだ連載は半分以上も残っているので、そろそろ山が必要だと彼は説く。「そういう小説じゃ」と佐久本が難色を示すと、若手編集者の十和田ミチルは「先生らしさが出るような哲学的ゾンビ」とか言い、具体的な案を語る。しかし鴨谷はミチルを軽く扱い、途中で遮って「先生、次がありましてね」と打ち合わせを切り上げた。
店を出た佐久本は、北風裕也の新刊『Pop Star』の巨大看板を見て驚いた。佐久本は北風と同期で、新人賞は彼の方が先に受賞していた。イケメンの北風は今や大人気の作家で、『Pop Star』もベストセラーとなっていた。一方、佐久本は新人賞を受賞して人気を得たが、現在は没落した一発屋の扱いだった。彼はネットに自分の連載を絶賛するコメントを書き込むが、すぐに嘲笑の嵐となった。ミチルは佐久本に「ゾンビには反対です。でも、今の先生に何かきっかけが必要なのも事実です」と言い、連載中の作品『まあるい三角』がいかに地味で退屈なのかを指摘した。
悩みを抱えた佐久本は占い師の老婆を見つけ、リセットするための助言を求めた。すると老婆は、短く「タコ」とだけ告げた。佐久本は意味が分からず首をひねりながらも、金を払って立ち去った。その老婆は単なる見張り番で、本物の占い師が買って来るタコ焼きを待っていただけだった。帰宅した佐久本はネットでタコについて検索し、千葉県多古町にある2階建の一軒家へ引っ越した。出迎えた不動産屋の猿渡めぐみは、小説を書くため缶詰になるのだと思い込んでいた。
家に入った佐久本は、ミチルからの電話を無視した。次の日も電話が入るが、彼は無視を決め込んだ。庭を眺めた佐久本は、白い猫を目撃した。しばらく見ていると、猫はゆっくりと立ち去った。佐久本がゾンビ映画のDVDを何枚も借りて観賞していると、ミチルが現れた。猿渡が写真をSNSにアップしたため、ミチルは佐久本の居場所を突き止めたのだ。佐久本は2週間の原稿を落としており、それを指摘されると謝罪するしかなかった。
ミチルは佐久本を責めず、「始めましょうか」と告げて執筆を促した。原稿を待つ間、ミチルは庭にいた2匹の猫を見つけ、手鏡に日光を反射させて遊ぶ。夜になって原稿は完成するが、感想を求められたミチルは「イマイチでした」と正直に語った。それでも彼女は「時間がありませんから」と言い、その原稿を持ち帰ることにした。佐久本は皮肉を込めて「いい仕事ですね、自分は安全な場所にいて」と告げ、「それが発売されても、叩かれるのは僕でしょ。言われた通り、ゾンビを出しましたよ。後は何がいいですか」と声を荒らげた。ミチルは「上司には放っておけと言われてます。でも、放っとけないんです」と述べて、家を後にした。
雑誌『週刊近代』の発売日、佐久本が町の個人書店へ行くと、北風の新刊が目立つ場所で平積みになっていた。『週刊近代』を購入して自宅で読んだ後、彼はネットで読者の反応をチェックした。すると「編集部に見捨てられた」「人生オワタ」など、否定的なコメントが並んでいた。庭の白猫を見つけた佐久本は、ミチルと同じように手鏡に反射させた光を使って遊ばせようとする。しかし猫は完全に彼を無視し、庭から姿を消した。
佐久本は近所のコンビニで猫の餌を購入し、皿に入れて庭に置いた。翌朝には餌が無くなっていたので、今度は皿を2つに増やして観察することにした。なかなか猫が現れないので、彼は皿の場所を変えてみた。転寝していた彼が目覚めると、3匹の猫が庭に来て餌を食べていた。佐久本は携帯を取り出して写真を撮ろうとするが、シャッター音で猫たちは逃げてしまった。佐久本はペットショップを訪れ、猫が喜ぶオモチャについて店長の洋子に質問する。写真を撮りたいのだと彼が言うと、洋子は「ガツガツしないこと」と助言した。
佐久本は人気商品のボールを購入し、庭に置いた。しかしミチルが来たので、急いでボールを隠す。締め切りなのに原稿が完成していないことを指摘された佐久本は、構想はあるのだと釈明する。ミチルが「待たせていただきます」と言うので、佐久本は、ノートパソコンに向かう。庭に猫が現れると、佐久本はミチルに飲み物を買って来るよう頼む。その間に彼は猫の写真を撮り、手に載せた餌を食べさせて笑顔を浮かべた。
原稿を完成させた佐久本に、ミチルは「ゾンビは失敗だったかもしれません」と言う。失恋して事故死した主人公がゾンビ化してヒロインに復讐する身勝手さを彼女が指摘すると、佐久本は「直すんなら直しますよ」と言う。ミチルは「いや、いいです」と断り、「せっかく生き返ったのに、やりたいこと無いのかなって」と口にした。ミチルが去った後、また佐久本は猫の写真を撮った。翌日、佐久本はペットショップで新たなオモチャを購入し、野良猫の世話をしていることを洋子に話した。マーキングについて教えてもらった彼は、猫が喜ぶような環境を庭に整えて待機した。彼は集まって来た猫たちの写真を撮り、体を摺り寄せられて喜んだ。
『週刊近代』の会議では編集長の浅草たちが集まり、来週号で佐久本の連載が打ち切られることについて確認していた。ミチルが佐久本に話していないことを知り、浅草は「ハッキリしてよ。こういうの揉めるよ」と苦言を呈する。2週間落とした時点で打ち切りは決まっており、それを無理に復活させたものの、ひんしゅくを買っていたのだった。ミチルが「先生は調子が出て来たので」と続行を頼むが、浅草は冷淡に却下した。
ミチルが打ち切りを伝えに行くと、佐久本は猫用のアスレチックタワーを作っていた。彼はミチルに猫手帳を付け始めたことを明かして、「ホントに時を忘れるっていうか」と口にする。佐久本が「意外と、やる気も出て来ているんです」と言うと、ミチルは「初めてちゃんと笑ってる先生を見た気がする」と告げる。佐久本は連載打ち切りを悟っており、最終回の原稿をミチルに渡した。彼は「長い間、お世話になりました」と頭を下げ、タワー製作に戻る。
今後の予定について問われた彼は、「しばらく猫と暮らしてみます」と答えた。帰りのバスで原稿を読んだミチルは、涙をこぼす。ゾンビになった主人公は復讐が目的ではなく、愛を伝えようとしていたというのが物語のオチだった。ミチルは編集部へ戻り、浅草に最終回のオチを語って「佐久本先生の新作、やらせてもらえませんか」と訴える。すると浅草は、「作家は、追い込んで捻り出す奴と、放っておくと出して来る奴と二種類だ。佐久本は、どっちだ?担当するなら活かし方を考えろよ」と告げる。その頃、佐久本は敷地内に何匹もの猫を集め、喜びに浸っていた…。

監督は蔵方政俊、原作・原案は ねこあつめ(Hit-Point)高崎豊&森田一平&上村真裕子、企画・脚本は永森裕二、製作総指揮は吉田尚剛、製作は梅村昭夫&坂本敏明、プロデューサーは岩淵規、ラインプロデューサーは田中清孝、撮影は安田圭、照明は石田健司、録音は越川浩道、美術は山下修侍、アニマルトレーナーは江上縁&大河内翼、編集は岩切裕一、音楽プロデュースは塚田良平、音楽はペイズリィ8。
主題歌 「ひとやすみ」歌:竹村愛弓、作詞・作曲:坂本英三。
出演は伊藤淳史、忽那汐里、木村多江、田口トモロヲ、大山うさぎ、戸田昌宏、大久保佳代子、村木藤志郎、青戸浩香、鈴木美保、大嶺創羽、蔭山征彦、CHIE他。


スマートフォン向けゲームアプリ『ねこあつめ』をモチーフにした作品。
監督は『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』『ゲームセンターCX THE MOVIE 1986 マイティボンジャック』の蔵方政俊。
佐久本を伊藤淳史、ミチルを忽那汐里、洋子を木村多江、浅草を田口トモロヲ、老婆を大山うさぎ、鴨谷を戸田昌宏、猿渡を大久保佳代子、占い師を村木藤志郎が演じている。
台湾で俳優として活動し、『念念』では香港の映画賞で脚本賞を受賞した蔭山征彦が、北風の写真のみで登場している。

本作品でポイントになる人物が、企画と脚本を務めている永森裕二だ。
この人は『イヌゴエ』から始まり『ネコナデ』や『幼獣マメシバ』などが作られた、いわゆる「動物ドラマ」シリーズの仕掛け人だ。
そのシリーズだけでは飽き足らず、別の動物映画にも手を広げたということになる。
「動物ドラマ」シリーズは、決して大ヒットしているわけではないが、2005年からずっと続いている。
ってことは、それなりの需要があるんだろう。そこに着目し、「動物好きを狙えば確実に黒字が見込める」と考えたのかもしれない。

この映画の一番の売りは、「様々なメディアで人気のスター猫が勢揃いしていますよ」ってことだ。
チョーヤ梅酒CMのシナモン、映画『猫なんかよんでもこない。』のりんご、写真集『アイドル猫のつくりかた』のひげ、大和ハウスCMのおうじ、ドラマ『あまちゃん』のドロップ、ドラマ『荒れ地の恋』のりの、ドラマ『最高の離婚』のゆず、十六茶CMのまっぷ、『ようこそ、わが家へ』のパスタなどなど。
猫好きなら「あの猫が」と気持ちが高揚しまくるメンツが揃っている。

原案として表記されるゲーム『ねこあつめ』は、ザックリ言うと「庭先にエサとグッズを置いて猫を呼び、遊ぶのを眺める」という内容だ。ストーリー性があるようなタイプのゲームではない。
だから本作品は、「人気ゲームの名前を借りただけ」と言ってもいい。「たくさんの猫が登場し、可愛い様子を存分にアピールする」というだけだ。
なので、言ってみりゃ「動物ドラマ」シリーズと似たような企画だ。
「猫が可愛けりゃ他は要らない」という徹底ぶりでは、こっちの方が遥かに上かもしれない。

ただ、根本的な問題として、「そんなに訴求力の期待できるタイトルなのか」という疑問がある。
『ねこあつめ』がリリースされたのは2014年10月であり、この映画が公開された2017年4月の段階で、そんなに大ヒットしたりブームになったりしていたようには思えないのだ。
2017年4月26日にはニンテンドー3DS版もリリースされているが、それは映画の公開に合わせての動きであって。
そういうことを考えると、わざわざ名前を拝借しなくても、普通にオリジナル作品として作ればいいんじゃないかと思うんだけど。

それにしても、こんな映画に伊藤淳史、忽那汐里、木村多江、田口トモロヲといった面々が揃うんだから、役者の無駄遣いだよなあ。
前述したように、これは「猫が可愛けりゃ他は要らない」という映画であり、スター猫の勢揃いが一番のセールスポイントなので、そこまで有名な役者を揃える必要なんて無いのよ。
そりゃあ、ある程度は著名な人間を使わないと、企画として通りにくいだろうし、訴求力にも影響が出るだろう。
ただ、主人公を務める1人だけ有名俳優を起用すれば、それで事足りるようなモノであって。

佐久本が連載している『週刊近代』は、表紙カバーの無駄にセクシーな女性イラストや名前からすると、たぶん『週刊現代』みたいな雑誌という設定なんじゃないかと推測される。
ただ、表紙がセクシーな女性なので、だったら連載小説も官能小説の方が合うんじゃないかと思うんだけどね。
あと、佐久本の連載小説なんて人気が無いからセールスポイントにならないはずで、なのに4つしか無い見出しの1つを使って「人気連載小説」と宣伝しているのは不可解だ。

あと、そんな人気の無い佐久本の連載に対して、なんでネットで大量のコメントが付きまくるのよ。
佐久本が書き込んだ途端に嵐のようなコメントが付くってことは、それがアンチであろうと、それなりに注目を集めているってことじゃないのか。
ホントに「終わった作家」であれば、もはやネットで大きく取り上げられることも無いと思うぞ。
ゾンビの登場についても、批判的ではあっても中身について具体的なコメントが幾つも上がるってことは、佐久本の連載は大勢に読まれているわけでしょ。

佐久本の連載小説は人気が低迷しているのなら、なぜ編集部が続けさせようとしているのかも良く分からない。
佐久本が大物作家だったり、同じ出版社からベストセラーを出していたりってことなら、何とかしようとするのも分からんではないのよ。だけどデビュー作だけの一発屋であり、ずっと低迷しているんでしょ。
そんな小説家の連載が不人気だったら、すぐに打ち切ればいいはずで。
2週間分も原稿を落としたのに、それでも面倒を見ようとしているのは、どういうことなのかと。一部の例外を除けば、出版社にとって小説家なんて使い捨ての存在でしょうに。

楽して稼ごうとしている映画なので、シナリオは分かりやすいぐらい適当だ。
主人公は小説家の設定だが、そこにディティールの細かさやリアルな手触りは全く無い。ようするに主人公のキャラクターは、「何かの理由で猫を飼い始める」というトコさえあれば、他の設定はどうでもいいのだ。
とりあえず小説家にしてみただけで、そこに深い意味など無いし、それを有効活用する意識も乏しい。
永森裕二は自分で小説も執筆している人なので、ホントなら小説家を取り巻く世界も、それなりに理解しているはずだ。
でも、そんなのは彼にとって「どうでもいいこと」なので、雑な感覚で無視しているのだ。

佐久本は老婆に占いを頼んだ時、「タコ」と言われて意味が分からず困っている。だったら「どういう意味ですか」と質問すればいいのに、その一言だけに金を払って立ち去る。そして家に帰った彼はネット検索し、多古町へ引っ越す。
なかなか強引な展開だ。
そもそも老婆に「引っ越しなんかして気持ちをリセットしてみたいんですけど。どの方角がいいかとか、分かりますか」と尋ねている時点で不自然でしょ。
小説のことで悩んでいるのに、もう「引っ越す」というトコまでは決定済みなのかよ。そこまで無理のある手順を用いてまで「主人公が多古町へ引っ越す」という展開が必要不可欠なのかというと、そうでもないし。
主人公が野良猫を見つけて飼い始める手順さえ消化すれば事足りるので、実は引っ越す行動さえ無くても成立しちゃうのだ。

佐久本は白猫に無視されると餌を購入し、それを庭に置く。餌が無くなっているのを見て、満足そうな笑みを浮かべる。その後も猫に夢中になり、ボールを与えたり写真を撮ったりする。
どういう心情なのか、良く分からない。
きっかけが「猫に無視されて腹を立て、絶対に手懐けようという気持ちになった」ということなんだろうってのは分かる。ただ、なぜそんな気持ちになったのかが分からない。
その後、猫に夢中になる気持ちも全く分からない。「最初は服従させてやろうと思っていたが、次第に可愛く思えてきて」みたいな流れがあるわけでもないしね。

ただし分からないのは当然っちゃあ当然で、そこの理屈は完全に無視しているからだ。
前述したように、「主人公が猫を飼い始める」という手順さえあればいいという安易な考えなので、佐久本が猫に夢中になるきっかけや経緯を丁寧に描こうとか、そこでの心情を繊細に描こうとか、そういう気は無いのだ。
「その辺りは自分なりに想像してくれたらいいんじゃないか」という程度の感覚なのだろう。
あるいは、「どうせ猫好きの観客が大半だろうから、そこに理由は要らないでしょ」という考えだったのかもしれない。

佐久本が渡した最終回の原稿を読んで、ミチルは涙をこぼす。「主人公がヒロインに復讐するのではなく、愛を伝えようとしていた」というオチに、彼女は感動したのだ。
だけど、そもそも2週間分の原稿を落として急に最終回ってことは、かなり端折っているはずだよね。それに、唐突にゾンビが出て来た時点で、かなり陳腐になっているはずだよね。
そこまで質が下がっている状態で、「復讐じゃなくて愛の告白だった」というオチだけで感動できるってのは、単にミチルのハードルが低すぎるだけなんじゃないのか。
そもそも「復讐じゃなくて愛の告白だった」ってのは、そこまで意外性があるオチでもないし。

最終回の原稿を読んだミチルが佐久本の新作を掲載するよう浅草に訴え、「調子は整ってます」と自信満々に言うのは、佐久本を過大評価しているとしか思えない。
佐久本は小説より猫に夢中で、自分で「小説、辞めたんです」とか言っちゃうぐらいなのに。そもそも「猫に夢中になったから小説の調子が出て来た」というトコにも、何の説得力も無いし。
もちろん最終的には「佐久本が新作を発表し、小説家として見事に復帰する」というトコへ至るのだが、言うまでもなく、そのドラマも中身がスッカスカで説得力はゼロだ。
それでも、たくさんの猫が登場すれば猫好きは満足できるんだろうから、それでいいってことなんだろう。

(観賞日:2018年8月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会