『ナミヤ雑貨店の奇蹟』:2017、日本

1969年夏。新町通り商店街にあるナミヤ雑貨店では店の前に掲示板が設置されており、小学生の子供たちが相談事を書いた紙を貼っていく。店主の浪矢雄治は「運動会の徒競走で1位になる方法を教えてほしい」「宇宙飛行士になりたいけれど、遠足のバスで酔ってしまうので諦めた方がいいですか」といった文面を読み、返事を書いて掲示板に戻す。例えば宇宙飛行士の相談に対しては、「まだあきらめるのは早いでしょう。あなたの夢がかなうことを願っています」と記す。
2012年。矢口敦也、小林翔太、麻生幸平は深夜に一軒の屋敷から飛び出し、車で逃走を図るが動かなかった。翔太は近くに空き家があると言い、2人を連れて新町通り商店街へ向かう。彼らは廃屋となっているナミヤ雑貨店へ忍び込み、朝を待つことにした。3人は盗んだ金を山分けした後、室内を物色する。古い雑誌を開くと、「昭和弐年参月 暁子」と裏書きされた若い女性の写真が挟んであった。その直後、シャッターの向こうから光が差し込み、郵便受けから一通の手紙が店内に落ちた。
敦也が警戒しながら外を調べるが、近くには誰もいなかった。古雑誌を開いた翔太は、ナミヤ雑貨店が紹介されているページを見つける。相談事を書いた手紙をシャッターの郵便受けに入れておけば、次の朝には店の脇の牛乳箱に回答が入っているというシステムが紹介されていた。それは1973年の記事であり、敦也は悩み相談が昔のことだと断定する。手紙の冒頭に「前略、昨日、ジョン・レノンが死にました」と綴られていたが、翔太はがスマホで調べるとジョン・レノンが死んだのは1980年12月8日だった。つまり32年前から届いた手紙ということになるが、敦也は「誰かの悪ふざけだろう」と言う。
敦也は誰かが来たことを問題視し、警察にバレる前に逃げようと仲間たちに告げる。3人は「魚屋ミュージシャン」と称する男の手紙を放り出し、ナミヤ雑貨店を飛び出した。すると商店街の店舗には次々と明かりが付き、そこへ路面電車が走って来た。敦也たちは慌てるが、路面電車は彼らを通り抜けていった。気付くとナミヤ雑貨店の前に戻っており、彼らは再び中に入った。幸平が手紙に返事を書きたいと言い出し、敦也は呆れ果てる。しかし幸平が返事を書き始めると、敦也は熱心に魚屋ミュージシャンの手紙を読んだ。
1980年。東京でミュージシャンを目指して活動していた松岡克郎は祖母の葬儀に参列するため、実家の鮮魚店「魚松」がある商店街へ戻る。彼は着替えを済ませて寺へ行き、両親と妹の栄美子に合流する。克郎は栄美子から、父の健夫が少し前に倒れたことを聞かされた。22歳の克郎は大学を中退して音楽活動をしていたが、まだ目立った結果を残せていない。叔父の岩男は帰郷して店を継ぐよう説くが、克郎は「親が死んだ時ぐらい、おとなしく出来ねえのか」と怒鳴り付けた。
寺を出た克郎は廃屋となったナミヤ雑貨店を眺め、小学生時代を回想した。帰宅した彼は栄美子にナミヤ雑貨店のことを尋ね、雄治が少し前に息子夫婦の元へ去ったことを知らされる。克郎は「魚屋ミュージシャン」という名前で相談の手紙を書き、郵便受けに入れた。2012年の敦也は幸平が「頑張れ」と書くつもりだと聞いて呆れ果て、翔太に返事を書くよう促した。彼は書き終わった返事を牛乳箱に入れると、「これで満足したか」と述べた。
1980年の克郎は翌朝に牛乳箱を開け、手紙の返事を見つけて読む。「何の苦労もなく家業を継げるのに、贅沢な悩みですね。音楽で食べていけるのなんて、一部の人間だけですよ」という翔太が書いた文面に腹を立てた彼は、「家業と言っても小さな魚屋です。自分の可能性に賭けるのも1つの考えだと思います」という手紙を書いて再び投函した。2012年の敦也たちは、また手紙が投函されるのを目にした。文面を読んだ敦也は、「甘ちゃんだな」と冷たく突き放した。翔太は克郎に、「貴方に才能はありません。3年も続けて芽が出ないのが証拠です」と返事を書いた。
克郎は「遊び半分で音楽をやっているわけではありません」と手紙に記し、それを郵便受けに半分だけ入れた状態でハーモニカを演奏する。曲を聴いた幸平は「これって、セリの曲じゃない?」と言い、敦也と翔太は外へ飛び出して捜索するが誰もいなかった。克郎は演奏を終え、手紙をシャッターの向こうへ落とした。そこへ妹が走って来て、また父が倒れたことを知らせた。病院へ赴いた克郎は家業を手伝おうと考えるが、健夫は「もう一遍、死ぬ気でやってみろ。東京で勝負してこい」と告げた。彼が雑貨店へ行って手紙の返事を見ると、「貴方の音楽で救われる人たちがいると思います。貴方が作った音楽は必ず残ります」と書かれていた。
8年後。芽が出ないまま音楽活動を続けている克郎は、養護施設「丸光園」のクリスマスパーティーに呼ばれた。彼は子供たちの前で園長の皆月良和と共にギターを弾き、クリスマスソングを歌う。克郎が2曲目でオリジナル曲を披露すると、園児の水原セリが興味を示して話し掛けた。タイトルを問われた克郎は、「リボーン」と答えた。克郎は良和にセリのことを尋ね、彼女と弟の辰俊が虐待を受けて1年前に来たことを知った。
克郎は電車の脱線事故で帰れなくなったため、丸光園で泊めてもらうことになった。セリが克郎の曲を口ずさんでいたので、彼は一度で覚えたことに感心する。克郎はセリに、死んだ父親に自分が信じた道を進むと誓ったことを語る。その夜遅くに火事が発生し、全員が避難する中で辰俊だけが逃げ遅れた。克郎は辰俊を救うため、テラスへ戻る。克郎は崩れた梁の下敷きになり、辰俊を脱出させて命を落とした。2012年、セリは弟を救ってくれた克郎の曲に歌詞を付けたことをコンサートで説明し、その歌を披露した。翔太は克郎とセリが繋がっていたこと、自分たちも丸光園出身であることは、単なる偶然ではないと確信した。
1980年1月。まだ悩み相談を続けている雄治が手紙を読んでいると、息子の貴之が訪ねて来た。雄治が読んでいたのは、25歳の女性の不倫相談だった。「グリーンリバー」と名乗る川辺みどりは妊娠中で、父親のいない我が子が幸せになれるかどうか不安で出産を悩んでいた。貴之が「堕ろした方がいいに決まってる」と言うと、雄治は「彼女は堕ろした方がいいと分かった上で相談してるんだよ」と述べた。貴之は雄治に、店を畳んで同居しないかと提案した。
その秋、雄治は腹痛を起こして診察を受け、貴之と妻は主治医から末期のすい臓癌で余命3ヶ月だと知らされる。貴之は雄治に明かすべきかどうか悩み、答えを出せなかった。病室で新聞を読んだ雄治は母親が乳児を連れて無理心中したことを報じる記事を読み、それが相談者の「グリーンリバー」だと確信して愕然とする。彼は貴之に記事を見せ、「大勢の人の相談に答えて来た。もしかして、相談者が俺の回答の通りに行動し、とんでもない不幸になってしまったこともあるかもしれないな」と弱々しく吐露した。
雄治は最近になって奇妙な夢を見るのだと明かし、それが「誰かが手紙を入れる様子を、自分はどこかで見ている。何十年も先のことだ。手紙を投げ込む人たちは、かつて俺に相談して受け取った人たちで、人生がどう変わったか知らせてくれている」という内容だと説明した。雄治は「これは単なる夢じゃない。俺は店に行けば、あの人たちからの手紙を受け取ることが出来る。俺を店に連れてってくれ」と頼み、余命わずかと気付いていることを口にする。最後の願いだと言われた貴之は、雄治を車に乗せて店へ戻った。
雄治は貴之に遺言状を渡し、「今、読んでもいいぞ」と告げて店内へ入る。夜まで車内で待っていた貴之が遺言状を開くと、「三十三回忌に、以下のことを世間の人に告知してほしい」と書かれていた。彼が告知してほしいのは、「午前0時から夜明けまでの間、ナミヤ雑貨店の相談窓口が復活するので、かつて回答を得た人たちに、人生の役に立ったかどうか手紙で教えてほしい」という内容だった。雄治が店内で待っていると、次々に手紙が投函された。
雄治が手紙を拾って読もうとすると、暁子が現れて「ずっと見ていました」と微笑む。暁子は雄治の妻の仏壇に手を合わせ、「少しだけ雄治さんとお話しをさせてください」と遺影に話し掛けた。彼女が「あれから50年が経ちます」と告げると、雄治は「あん時は申し訳ないことしたね」と詫びる。暁子は笑顔を浮かべ、「雄治さんは何も悪くない。駆け落ちしようって言ったのは私の方」と言う。貴之は店に入るが、雄治の話し声を聞くと黙って出て行った。
雄治は暁子と共に手紙を開封し、相談者の人生について知る。テストで百点を取りたいと言っていた少年は成長して教師になり、現在は中学の校長として働いていた。みどりの娘・映子は丸光園で育ち、高校1年生の時に母の新聞記事を見つけた。精神不安定に陥った彼女が投身自殺を図ると、セリが見舞いにやって来た。セリは園長から全て聞いており、「貴方は何も分かってない」と言う。映子は母に殺され掛けたと思っていたが、セリは「違うの」と告げてが園長から預かった雄治の手紙を見せた。そこには、「子どもを幸せにするためなら、どんなことにも耐える。その覚悟が無いなら産むべきではありません」と記されていた。
セリは映子に、「お母さんは貴方を幸せにする覚悟があったから産んだ。だから無理心中なんかするはずがないよ」と語る。当時、みどりは働き詰めで疲労困憊となっており、運転中に居眠りして事故を起こしたのだ。「だから何なのよ。事故に遭ったのだって自業自得?私が産まれて来なければ死ななくて済んだってことでしょ」とみどりが反発すると、セリは克郎が弟を救って死んだことを語る。「だから私、これからも一生、松岡さんに感謝しながら精一杯生きて行こうと思う。もう誰にも死んでほしくない。映子ちゃんも、お母さんの気持ち、分かって欲しい」と彼女が語ると映子は涙をこぼし、人生を精一杯生きようと心に決めた…。

監督は廣木隆一、原作は東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川文庫刊)、脚本は斉藤ひろし、エグゼクティブプロデューサーは井上伸一郎、製作は堀内大示&高橋敏弘&松井智&藤島ジュリーK.&飯田雅裕、企画は加茂克也、企画プロデュースは水上繁雄、プロデューサーは二宮直彦&千綿英久、撮影は鍋島淳裕、照明は北岡孝文、録音は深田晃、美術は丸尾知行&中川理仁、衣装デザインは小川久美子、編集は菊池純一、音楽はRayons、音楽プロデューサーは安井輝。
主題歌『REBORN』Words,Music & Arranged by:山下達郎、Produced by:山下達郎、Performed by:山下達郎。
出演は山田涼介、村上虹郎、寛一郎、西田敏行、尾野真千子、吉行和子、萩原聖人、小林薫、林遣都、成海璃子、門脇麦、鈴木梨央、山下リオ、手塚とおる、PANTA、根岸季衣、川瀬陽太、浅見姫香、菜葉菜、山田キヌヲ、蜷川みほ、好井まさお(井下好井)、猫田直、菅原大吉、森川多賀子、古谷佳也、久住健斗、林卓、湯舟すぴか、南山あずさ、大村優怜、池田良、伊藤実珠、唐木ちえみ、新名基浩、松本梨成、村上咲良、村上颯志、若山夢芽、後藤沙織、山崎満、岩崎未来、昆竜弥、日向寺雅人、吉田翔、名倉央、白戸達也、下総源太朗、大島奈穂美、染谷恵二ら。


東野圭吾の同名小説を基にした作品。
監督は『オオカミ少女と黒王子』『PとJK』の廣木隆一。
脚本は『余命1ヶ月の花嫁』『風に立ライオン』の斉藤ひろし。
敦也を山田涼介、翔太を村上虹郎、幸平を寛一郎、雄治を西田敏行、相談者の田村晴美を尾野真千子、その養母の秀代を吉行和子、貴之を萩原聖人、健夫を小林薫、克郎を林遣都、暁子を成海璃子、セリを門脇麦、少女時代のセリを鈴木梨央、映子を山下リオ、2012年の「丸光園」園長の刈谷守を手塚とおる、良和をPANTAが演じている。

この映画が露呈している最大の欠点を端的に表すなら、それは「説得力の無さ」だ。
まず、最初の手紙が廃屋のナミヤ雑貨店へ投函されるシーンに、ファンタジーとしての力が皆無。
夜なのに光が差し込むってのは不可思議な現象と言えなくもないが、その表現が薄い。だから、それがファンタジーとして描いているものなのか、そうじゃないのかが分からない。
っていうか、そこは明らかに「不可思議な現象」として描いた方がいいはずで。
だから手紙が投函された時点で、「これは普通では無い出来事です」ってのを、もっと分かりやすくアピールすべきだろう。

その手紙が敦也が開封して「ナミヤ雑貨店様へ」という文面を読んだ直後、翔太は急いで古雑誌をめくり、悩み相談の店として掲載されているページを見つけて「あった」と言う。
だけど、そんなに早く、そのページを見つけられるのは何故なのか。
そもそも、その雑誌で店が紹介されていることを、どうして彼は知っているのか。
写真が挟まれているのを見つけた時には、そのページを気にしている様子も全く無かったわけで。つまり、彼が「その雑誌の、そのページで店が紹介されている」と知るタイミングなど無かったはずなのだ。

雑誌で紹介されている記事の内容が示された時点で、「冒頭シーンと整合性が取れない」という問題が生じる。
雑誌の記事では、「相談事を書いた手紙をシャッターの郵便受けに入れておけば、翌日には店の脇の牛乳箱に回答が入っている」というシステムが説明されている。
しかし冒頭シーンでは掲示板に相談事の手紙が貼り出されており、その日の内に雄治が返事を書いて元に戻しているのだ。
これは雑誌で説明されているシステムと全く異なるので、どういうことなのかと言いたくなる。

克郎の回想シーンでは「横丁坊主さんへの回答は牛乳箱に入れておきます。他の方は決して中身を見ないでください」という貼り紙があるけど、その隣には普通に別の相談事への返事が貼ってあるんだよね。
つまり、2つのシステムが混在していることになるのだが、そこは統一すべきでしょうに。
ひょっとすると、「雄治が返事を書いて貼り出すシーンを用意しておかないと、彼が相談に乗っていることが観客に伝わりにくい」と思ったのかもしれない。
ただ、どっちにしても、その設定が充分に効果を発揮しているとは言い難いぞ。

「前略、昨日、ジョン・レノンが死にました」という文面を読んだ途端、翔太がスマホで調べてジョン・レノンの死んだ年月日を表示する。
これは不自然な行動だ。
幾ら若くても、3人の内の1人ぐらいはジョン・レノンを知っているんじゃないか。そしてジョン・レノンが既に死んでいることも、知っているんじゃないか。
つまり、誰かが「昨日って、もっと昔に死んでるだろ」とツッコミ的なことを言って、それを受けて実際に死んだ年月日を仲間が検索するという流れの方がスムーズじゃないかと。

敦也たちがナミヤ雑貨店を飛び出して商店街を走り始めると、次々に明かりが付く。
だが、それに彼らは全く気付かない。
そもそも商店街に明かりが付く映像からして物足りなさを感じるのだが、そこに「3人が全く気付かない」というリアクションの薄さも手伝い、ますますファンタジーしての仕掛けが弱くなってしまう。
「路面電車が出現して3人を通り抜ける」というシーンに関しては、VFXが悲しくなるほど安っぽくて、もはや仕掛けが云々という以前の問題だ。

ナミヤ雑貨店の前に戻っていると気付いた敦也たちは、すぐに中へ戻る。
その行動は不可解極まりない。
「誰かが来たから早く逃げよう」ということで飛び出したはずなのに、なぜ「気付いたら戻っていた」というだけで簡単に中へ入るのか。とりあえず、もう一度ぐらいは逃亡を試してみるべきじゃないのか。
他の2人はともかく、敦也は誰かが店に来たことを問題視したから逃げようとしたはずなのに、なぜ簡単に気持ちが変わるのか。

幸平が手紙に返事を書きたいと言い出すのも、まるで解せない。
彼は「俺みたいな人間が誰かの相談に乗れるなんて、滅多に無いし」と口にするが、敦也が指摘するように、それは1980年の手紙だ。そんな手紙に返事を書いて、何の意味があるというのか。仮に「朝まで退屈なので暇潰しに何かしたい」と思ったとしても、それが「手紙に返事を書く」という行動になるのは理解し難い。
それを敦也が牛乳箱に入れるってのも、「なんでやねん」とベタなツッコミを入れたくなる不可解な行動だ。
手紙で現在と過去が繋がるってのは作品の肝となる大切な部分なのに、説得力が皆無なのだから、そりゃあ厳しいと言わざるを得ないだろう。

っていうか「現在」と書いたけど、正確には「現在」じゃないんだよね。敦也たちのシーンは映画が公開された2017年じゃなくて、2012年の設定だ。
しかし、そこが2012年でなければならない必然性、2012年に設定している意味が、何も見えて来ない。
2012年に起きた出来事と密接に関連させているとか、そういう仕掛けは無い。単行本の刊行が2012年で、原作の設定に何も考えず合わせているだけにしか思えない。
なぜ映画公開と同じ2017年を「現在」にしておかないのか。2017年で都合の悪いことなんて、そんなに無いでしょ。

1980年の克郎は、ナミヤ雑貨店が空き家になって雄治が息子夫婦の家へ去ったことを聞いたのに、なぜか相談の手紙を書いて投函する。
この行動も、「なんでやねん」というツッコミが正解と言える不可解な行動だ。
さらに不可解なのは、その翌朝に牛乳箱を確認したら返事が入っていたのに、まるで驚いたり困惑したりする様子を見せないこと。
いやいや、普通に考えたら、返事が入っているのは有り得ない出来事のはずでしょ。なんで淡々と返事を開いて読んでいるんだよ。
そこはリアクションを完全に間違えている、もしくは忘れているとしか思えんぞ。

1980年の克郎は返事に驚かないだけでなく、また手紙を書いて投函する。その前に、「返事を書いたのは誰なのか。雄治が戻ってきて返事を書いたのか」と考えたり、雄治について調べたりという行動を取ることは無い。相手が誰なのか全く分からないまま、また手紙を書いて投函する。
その手紙は、2012年では同じ日の内に投函されている。すぐに新たな手紙が届いたのに、敦也たちは全く不思議に思わず返事を書く。
それを受けた克郎は、手紙を半分だけ郵便受けに入れてハーモニカを演奏する。
ってことは、「中に誰かいて、不可思議な現象が起きている」と確信しているわけだよね。
こいつらの不可思議に対する順応性は、それこそが不可思議な現象となっている。お前らは揃いも揃って、メルヘンの主人公なのかと。

克郎は丸光園で演奏する際、まずはクリスマスソングの『We Wish You A Merry Christmas』を歌う。しかし次の曲は、彼のオリジナルだ。
そんなの子供たちが知っているはずはないので、それだけでも違和感が強い。しかも、それは歌詞が無くて、ハミングするだけなのだ。
いやいや、なんで歌詞も無いようなオリジナルのメロディーを、急に歌い始めているんだよ。不自然極まりない行動だろ、それは。
例えば何曲かクリスマスソングを披露して、誰かがオリジナルを要求したから、「まだ未完成だけど」ってことで軽く口ずさむとか、そういうことなら分からんでもない。だけど、そうじゃなくて、「正式な2曲目」という形での披露だからね。

克郎のハーモニカ演奏を聴いた時、幸平は「これってセリの曲じゃない?」と言う。
しかし、そこまでに「水原セリという女性歌手の曲がヒットしている」という情報は全く提示されていないし、その歌も流れていない。
その後、「それはセリの命の恩人が作った曲」ということが台詞で語られ、「貴方の音楽で救われる人たちがいると思います。貴方が作った音楽は必ず残ります」という返事の文面が示される。
さらに話が進んで、克郎がセリの弟を救って命を落とした出来事が描かれ、その後で「成長したセリが彼の曲に歌詞を付けて歌ったら大ヒットする」というシーンになる。

そこは「克郎が手紙に励まされて音楽活動を続け、幼少期のセリが克郎の曲を気に入り、克郎は克郎を救って死亡し、セリが歌手として彼の曲をヒットさせる」という一連の出来事を解体し、再構成しているわけだ。
でも、この進め方だとパズルのピースの並べ方や組み立て方が下手すぎて、全く感動に繋がっていない。
さらに困ったことに、セリが歌唱するシーンだけを抽出しても、かなり陳腐になっている。
コンサートの歌唱シーンの途中で「セリが砂浜で踊る」という映像を挿入する演出には、「廣木隆一監督は疲れて変になっていたのか」と言いたくなるぞ。

雄治は奇妙な夢について貴之に語り、それを実現させるための告知を遺言として彼に頼む。遺言状を貴之が読んでいると、雑貨店には未来からの手紙が次々に投函される。
これは「実はこういうカラクリになっていました」という作品の設定を明確に描いているシーンなのだが、「そうだったのか」という謎解きの心地良さは皆無だ。
むしろ「なんでそうなるの」とツッコミを入れたくなるし、そこのファンタジーを素直に受け入れることは困難な作業だ。
ファンタジーに理屈を求めるのが野暮なのは分かっているが、どうしても「三十三回忌で手紙を投函してもらうのに、なんで病院を抜け出した1980年の雄治の元へ届くのかサッパリ分からん」と言いたくなる。

あとさ、その手紙は悩み相談じゃなくて、「雄治の確認作業」なのよね。
雄治は自分の回答が正解だったか不安になったから、相談者の人生が幸せになったかどうかを知りたくなって、そういうことを頼んでいるのだ。だから冷たい言い方をすると、自分のためのお願いだ。
そりゃあ相手は既に死んでいるんだし、かつて相談に乗ってもらった人からすると、そのお願いを聞いてあげようとは思うかもしれない。
ただ、相談に乗っていた時は完全に「誰かのために役に立ちたい」と思っていたはずで、それが「俺のために手紙を書いてくれ」とお願いするのは、どうなのかと。
その程度で身勝手とは思わないけど、キャラとしての印象は一気に落ちるぞ。

敦也たちが手紙の相談に返事を書くようになると、その内容は「親身になったアドバイス」ではなく「予言」が入って来る。
克郎の時には、「貴方が作った音楽は必ず残ります」と書いているが、これは実際にセリがヒットさせたことを知っているからだ。
だが、それが未来を知っている人間からの助言であることを、克郎は知らないはず。それなのに、なぜ彼は「貴方が作った音楽は必ず残る」という何の保証も無い言葉を信じ、行動できるのか。
それぐらい雄治への信頼があるってことかもしれんが、説得力は皆無だ。

克郎のケースでは助言の具体性が低いので、まだ「そう信じている人の助言」と捉えることも出来なくはない。
しかし晴美のケースでは、「数年後には好景気になるので都内に小さなマンションを買い、高くなったら売却し、その金を元手にマンションを買って売りなさい。1988年に景気は悪化するので手を引きなさい。2000年を超えると新たなビジネスの時代が到来します」と、ものすごく具体的な助言になる。
それって未来を知らなきゃ絶対に言えないような内容でしょ。
なのに、それを晴美が全面的に信用する上、「相手は何者なのか」と気にしたり、「貴方は誰ですか」と手紙で尋ねたりするようなことも無いのは、かなり不可解だ。

雄治が未来からの手紙を読んで相談者の人生を知るシーンが描かれる辺りで、ふと「このパートと敦也たちのパートって、ちゃんとリンクしているのかな」という疑問が浮かぶ。
もちろん「敦也たちが雑貨店に侵入しいる」とか「相談の返事を書いている」という要素があるし、表面的には関連性がある。
ただ、雄治は敦也たちの存在を知らないし、敦也たちも返事は書くものの雄治について気にしている様子は乏しい。
ここに個人としての繋がりが見えて来ないので、この構成はホントに正解なのかと思ってしまう。

最終的には「敦也の手紙に雄治が返事を書く」という描写があるんだけど、そこへ向けた流れも見えない。
ちゃんと伏線は回収しているんだけど、あまり「腑に落ちて心地良くなる」という感じでもないし。
それに、時系列を行ったり来たりするのは序盤から続いていることだけど、終盤の構成に関しては、その並べ方を完全に失敗している(それまでが成功しているというわけでもないけど)。
そのために、「パズルが組み合わさって全ての答えが明らかになる」というトコの気持ち良さを、完全に妨害している。

(観賞日:2019年3月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会