『波の数だけ抱きしめて』:1991、日本

1991年11月、東京。田中真理子の結婚式が行われている教会に、小杉正明が遅れて入って来た。彼は仲間の高橋裕子、芹沢良明、吉岡卓也が座っている後ろに着席した。小杉は他の参列客と一緒に立ち上がり、教会を出て行く新郎新婦に拍手を送る。真理子が気付くと、小杉は笑顔で彼女を祝福した。だが、彼女が通り過ぎた後ろで、小杉は少し寂しそうな表情を浮かべていた。結婚式が終わった後、小杉は芹沢を乗せて車を走らせる。トンネルの前で車を停めた小杉は、「帰ろう」と告げる。「ここまで来たんじゃないか。9年だぜ、あれからさ」と芹沢が言うと、「聴いてたのかなあ、田中」と小杉は呟いた。2人は車に戻り、トンネルを抜けて行く。
1982年5月、湘南。大手広告代理店「博放堂」の社員である吉岡は、女から海が見たいと言われて車で砂浜へやって来た。しかしタイヤが砂に埋もれてしまい、困っていた。そこへ女子大生の真理子が現れ、「手伝いましょうか」と声を掛けた。彼女は近くに落ちていた木片を使い、車を脱出させた。女が聴いていたラジオの周波数を見た彼女は微笑を浮かべ、その場を去った。真理子はサーフショップに設けたミニFM局「FM茅ヶ崎Kiwi」のブースに入り、ラジオを通じてビーチを出るための指示を吉岡に出した。
吉岡がブースに言って話し掛けようとすると、真理子は向こうから来たパトカーを見ながら少し黙るよう頼んだ。彼女はラジオを通じ、サーファーたちに違法駐車の車を移動させるよう促した。真理子がしつこく名前を尋ねる吉岡を無視していると、小杉と芹沢がやって来た。2人は芹沢の発明品の実験をするため、すぐに外へ出て行く。芹沢から「アメリカ、行くの?」と問われた真理子は、静かにうなずいた。吉岡が「アメリカ行くんだ?西海岸なら前の同僚がいるから紹介しようか。なんなら一緒に行こうか?何泊のツアー?」と軽く言うと、真理子は「二千泊。親が駐在してて、来い来いって」と告げた。
小杉は芹沢から「行くってさ、アメリカ。うるさいからな、田中の親は」と言われ、気の無い素振りを見せる。「止めるんだったら今だよ。田中だって止めて欲しいんだから。7年間も好きだって言いださない男なんて、あまりいないよ」と言われても、小杉は笑って「画期的だろ」と口にした。2人が実験の準備を進めていると、裕子がやって来た。一方、吉岡から「実験って何?」と問われた真理子は、「このFM、仲間がバイトしてる辻堂の店まで聞けるようにするんです」と答えた。
吉岡が「こっから1キロはあるぞ。そんなに出力上げたら、電波管理局が飛んで来るよ」と言うと、「良く分かんないんだけど、出力を上げるんじゃないんです」と真理子は告げた。それから彼女は「200メートルごとに電波を受け取って、また発信する機会を置いてやれば合法的にどこまでも飛ばせる理屈。ですよね?」と述べた。実験は成功し、真理子や小杉たちは喜んだ。雨が降り出す中、吉岡は女が車で去ろうとするのに気付き、慌てて追い掛けた。
その夜、真理子たちは、明日からの作業工程について芹沢の説明を受けた。しかし真理子たちは熱心に語り続ける芹沢を放置し、途中でビールを飲み始めた。「江の島まで繋ぎたいなあ」と真理子が言うと、小杉は「最後の夏休みだしな」と口にした。真理子を車で送った小杉は、7月4日でアメリカへ行くことを聞かされる。真理子は航空券を見せ、「親が送り付けて来た。来ないと仕送り打ち切るって」と言う。小杉は「大事な話があるんだ」と切り出すが、就職の話を始めてしまった。
次の日、吉岡は先輩社員の池本から、専売公社の湘南キャンペーンについての進行状況を尋ねられる。その日が会議なのに、吉岡は何も決めていなかった。恋人を車に乗せてドライブに繰り出した吉岡は、FM局の看板を塗っている裕子を目撃して声を掛けた。小杉と芹沢は丸正魚店に中継局を置かせてもらう協力を要請するが、快い返事は貰えなかった。そこへ吉岡が来て名刺を渡し、巧みなセールストークで店主の承諾を取り付け、さらに広告料まで出させることに成功した。
吉岡が小杉たちに協力したのは、真理子が目当てだった。サーフショップに赴いた吉岡は真理子を口説き、「君のインストラクター付きならボード買うよ」と持ち掛ける。真理子は「湘南のサーフィンは甘くないわよ」と言い、吉岡と共に海へ出た。吉岡は執拗に名前を尋ねるが、すぐに真理子は浜辺へ戻った。しかし小杉の姿に気付いた真理子は、「名前は田中真理子。電話は内緒。でも今夜は9時までなら平気です」と吉岡に告げた。
真理子と吉岡の車に乗り、クラブへ出掛けた。尾行した小杉はバイトしている市川に頼み、2人の会話を報告させる。小杉は吉岡が真理子を送るのを確認して、サーフショップへ戻って来た。翌朝、小杉は裕子から「七年前からあなたのことがずっと好きでした」と印刷されたTシャツを着せられ、それを使って告白するよう促された。「これじゃバカだろ」と小杉が脱ごうとしているところへ、真理子が現れた。小杉は慌てて文字の部分を隠し、サーフショップから逃げ出した。
サーフショップに戻った小杉は、真理子に「大事な話がある」と告げる。しかし吉岡が来ていたので、小杉は何も言い出せなくなった。吉岡は芹沢から借りた図面を使い、会社の製作部に中継局を作らせていた。吉岡がカードを使って高価な必要機器を揃えたので、小杉は対抗心を燃やした。ついに江の島まで電波が到達し、次の目標は葉山になった。そんな中、雑誌『ポパイ』にKiwiを取り上げた記事が掲載された。真理子たちが喜ぶ中、吉岡は何か考え込む様子を見せた。
吉岡はKiwiを専売公社の湘南キャンペーンに使うことを思い付き、上司の許可を貰って企画書を書いた。彼は池本にも協力してもらい、専売公社にプレゼンを行った。吉岡は真理子たちに、「湘南中にちゃんと聴かせることが出来れば大丈夫だって向こうの若い人たちも言ってくれたんだ」と報告した。小杉は「俺たちを商売にするだけじゃないか」と反発するが、「利用される代わりに利用するんだよ」と吉岡は告げる。しかし小杉は「アンタの点数稼ぎに使われるのは御免だよ」と不愉快そうに告げた。
小杉が車で去ろうとすると、吉岡は真理子に「チケット、ノーマルだったっけ、アメリカ行きの航空券?」と尋ねる。真理子がうなずくと、吉岡は「だったら、搭乗機の変更は自由だよな。俺たちと一緒に、湘南に一夏残ってくれよ」と持ち掛ける。真理子が理由を付けて難色を示すと、吉岡は「地元の女の子がDJだって言っちゃったんだよ」と説得した。湘南全域をカバーするミニFM局として7月4日正午に開局することを目指し、準備が進められた。
正式なゴーサインが出ない内から、1千万近くの予算が使われていた。吉岡は芹沢から金の出所を尋ねられ、「拾ったんだ」と軽く答えた。素人が運営するミニFM局に対して否定的な考えを持つ専売公社のお偉方に対し、吉岡は「7月4日に直接聴いて頂ければ、全ての心配は無くなると思います」と述べた。本放送の前日、小杉は芹沢に「今夜言う。アメリカ行くなって」と告げる。その夜、小杉は真理子に「大事な話があるんだ」と言う。しかし真理子は「ごめん、約束しちゃったんだ」と告げ、吉岡と出掛けてしまった…。

監督は馬場康夫、原作はホイチョイ・プロダクションズ、脚本は一色伸幸、製作は三ツ井康&相賀昌宏、エグゼクティブプロデューサーは村上光一&堀口壽一、プロデューサーは河井真也&茂庭喜徳、撮影は長谷川元吉、美術は山口修、照明は森谷清彦、録音は中村淳、編集は冨田功、助監督は冨永憲治、製作担当は仲野俊隆、プロダクションマネージャーは上原英和、アソシエイトプロデューサーは佐藤信彦、時代考証は泉麻人、音楽は松任谷由実、音楽監督は杉山卓夫。
出演は中山美穂、織田裕二、松下由樹、阪田マサノブ、別所哲也、勝村政信、前田真之輔(現・前田真ノ輔)、吉田晃太郎、阿部由美子、石田悠里、松本圭未、岩沢幸矢、岩沢二弓、矢島健一、平井武、大野淳次、新井泉、富岡利江、戸田薫、芹澤良明、下山則彦、二瓶鮫一、ミックボンド、高井純子、沢田天巳、八木志津子、森川数間、大城英司、渡辺正吉、坂口賢一、高山勉、實原邦之、野島凡平、坂本善純、北山ろく、成田豊、山口由美子、大野靖司、小川亜美、鈴木泰臣、長田洋子、川原圭宏、松原俊美、白浜建三、江口高信、彩乃木康之、林信宏、渡辺佳孝、松尾なおこ他。


『私をスキーに連れてって』『彼女が水着にきがえたら』に続くホイチョイ3部作の第3作。
前作からは織田裕二だけが続投しており、他の出演者は総入れ替え。
真理子を中山美穂、小杉を織田裕二、裕子を松下由樹、芹沢を阪田マサノブ(当時はお笑いコンビ「Z-BEAM」)、吉岡を別所哲也、池本を勝村政信が演じている。
監督は前2作と同じくホイチョイ・プロダクションズ社長の馬場康夫、脚本も一色伸幸が3作連続で担当している。

1作目はユーミン、2作目はサザン・オールスターズの楽曲がBGMとして使われていた。
今回はTOTOの『Rosanna』やBertie Higginsの『Key Largo』、J.D.Southerの『You're Only Lonely』、Cheryl Lynnの『In The Night』、Larry Leeの『Don't Talk』といった1970年代後半から1980年代初頭の洋楽が使われている。
ミニFM局から流れて来る音楽として使われるので、仕方が無いっちゃあ仕方が無いんだが、統一感という意味では、前の2作に劣る。
しかも、だったら使用楽曲は全て洋楽にしておけばいいものをユーミンの曲も使われているわけで、どうにも統一感が無いんだよなあ。

流れる楽曲がユーミンやサザンから洋楽に変わっても、それがBGMではなく主役のような存在となり、歌が流れている間は基本的にPVの状態になるってのは同じだ。その間は音楽を飾り付けるための映像を流しているだけなので、ドラマを厚く描くことは出来ない。
だから上映時間に比べて、おのずと中身は薄くなる。
その弊害は当然のことながら生じていて、例えば真理子だげか目当てだった吉岡が、なぜ本気でミニFMに入れ込むようになったのか、その心情の移り変わりはまるで伝わって来ない。
っていうか、吉岡の扱いがデカすぎるでしょ。
本来は真理子と小杉の恋愛模様がメインになるべきなのに、そっちよりも吉岡の方が存在感をアピールしちゃってる。

最初に結婚式のシーンがセピア色の映像で描かれ、小杉と芹沢の車がトンネルを抜けたところでカラーになり、そこから回想シーンに入る。で、1982年の小杉と芹沢が車に乗っている様子が写し出される。ところが、すぐにシーンが切り替わり、吉岡が砂浜にいる様子になる。
それは構成として上手くないなあ。
小杉と芹沢がトンネルを抜けて回想劇に入るんだから、しばらくは彼らのターンを描くべきでしょ。それから吉岡を登場させる順番にすべきだ。
早く真理子を登場させたかったのかもしれないが、それは小杉や芹沢と絡む形で彼女を登場させれば済むことだし。「まずは吉岡から」ってのは、ちょっと不格好な構成に感じる。
しかも、その後もしばらく真理子と吉岡のシーンが続くんだよな。

小杉が真理子に告白できない(そして真理子も小杉に告白できない)というのを、「切ない恋の物語」として描いている。
だけど、この映画における2人の煮え切らない関係は、ちっとも共感を誘わない。
小杉がウジウジしているのは「告白して振られたら立ち直れないから」ということになっている。メインの男を不器用な奴にしておくのはいいんだけど、真理子が彼に好意を抱いていることが誰の目にも明らかなので、それでも告白したり渡米を止めたりせずにウジウジしてんのは、ただのヘタレでしかない。
これが例えば、真理子が渡米する目的が「親に言われて仕方なく」ではなく彼女の夢を叶えるための第一歩になることであり、だから小杉は止めるべきかどうか迷っているとか、そういう理由付けでもあれば共感を誘ったんだろうけど、そうじゃないしね。

一方で、真理子の方も共感を誘わない。
本放送の前夜、小杉が真剣な顔で「大事な話があるんだ」と言ってるのに、「ごめん、約束しちゃったんだ」と吉岡とのデートに出掛けるのは無いわ。
小杉に当て付けるために吉岡と仲良くなるのはいいけど、そこはもう、そういう状況じゃないだろ。「小杉に渡米を止めてもらいたい」という気持ちがあるようには到底思えない。
それはもはや、小杉を振ったようなモンだぞ。
その後で、真理子が吉岡に「高校時代に小杉から告白されたけど、その時は裕子が彼を好きだったので断った」と明かしたり、告白するつもりでサーフショップへ戻ったら小杉が裕子とキスしているのを目撃したりという展開を用意し、彼女に同情させたり共感させたりするように仕向けているけど、それによって今度は、雰囲気に流されて裕子とキスしちゃう小杉の印象が悪くなっちゃうのよね。

本作品の大きな間違いは、回想劇として構成し、物語の大半を1982年にしていることだ。
これまでの2作も含め、ホイチョイ作品ってのは流行発信を最大の目的にしているわけで、今回だってミニFMをブームにしようという狙いがあったはず。
にも関わらず、1982年という時代を物語の舞台にしてしまったら、ミニFMは「現在のトレンド」じゃなくて「過去のアイテム」になってしまうでしょ。
っていうか、劇中でサーフィンをやろうとするシーンがあるんだけど、ミニFMじゃなくてサーフィンってことで良かったんじゃないの、今回の映画で仕掛けるブームは。

それと、これまでの2作ってのはバブルと寝ているところに意味があったわけで、まだバブル景気が訪れる前の物語にしてどうすんのかと。
登場人物がバブル景気の中をバブリーなノリで生きているからこそ、仕事なんて二の次でレジャーに浮かれる姿が似合っていたんじゃないのかと。
ただ、もうバブルが弾けてしまった後なので、浮かれるわけにもいかないということだったのかもしれないけど。

そうなのだ、この映画にとって、というかホイチョイにとって痛かったのは、やはり1991年2月にバブルが弾けてしまったことだろう。
映画の公開は1991年8月。
一応、まだ巷にはバブルの余韻が残っていたものの、浮かれた気分から抜け出してしまった人も少なくなかった。
そんな中、前2作によって「バブリーな作品」というイメージが定着したホイチョイ映画ってのは、植木等じゃないけど、「お呼びでない」という状態になっていたのだ。

メインの男女が結ばれてハッピーエンドだった前2作と違って、今回は切ない終わり方になっているが、ひょっとするとホイチョイの面々もバブル景気の終焉を感じ取っており、その気持ちが投影されているってことなのかもしれない。
ただ、その結末に関しては、「普通にハッピーエンドにしておけよ」と思うよ。
ホイチョイに切なさなんて似合わないよ。それは高倉健がコメディーをやるのと同じぐらい似合わない。もっと能天気にやるべきだよ。
それでコケようが酷評されようが、その心意気がホイチョイじゃないかと。
どっちにしろ、この映画は失敗に終わったんだし。
あと、やっぱり原田知世を手放したのは大きなダメージだなあ。
もちろん当時の中山美穂はアイドルとして大人気だったわけだが、しかしホイチョイ映画には全く合わないんだよなあ。

(観賞日:2013年9月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会