『泣き虫ピエロの結婚式』:2016、日本

神奈川県秦野市。クラウン見習いの芹澤佳奈美は、公園でジャグリングの練習に励んでいた。男の子が近付いて「何してんの?」と問い掛けると、彼女は鼻に赤いスポンジを付けて笑った。そんな彼女の様子を、公園の前の道を通り掛かった秋山陽介が目撃した。次の朝、佳奈美は父の満男と母の芹澤佳子を横目に、慌ただしく家を出た。普段の彼女は師匠に同行し、道具を投げたり場を盛り上げたりする役目を担っている。お捻りの1割が、彼女の収入になる。
午前中の仕事を終えた彼女は、親友の稲葉真紀たちとバーベキューに出掛けた。会場へ行くと、真紀の友人である陽介が来ていた。彼は佳奈美を見て、あの時の女性だと気付く。しかし、もちろん佳奈美は陽介のことを知らなかった。陽介は真紀から、佳奈美が修業に入って3ヶ月だと聞き出した。彼は佳奈美に対して馬鹿にした態度を取り、プロのジャグリングを見せるよう挑発した。腹を立てた佳奈美は承知するが、緊張で失敗した上に転倒して足を痛めた。陽介は「見てて飽きねえわ」と軽く笑い、彼女をおんぶして車まで送った。
数日後、佳奈美は陽介のことが気になり、真紀に質問する。真紀は「やめといた方がいいと思うよ」と言い、陽介は女性と長続きしたことが無いと忠告した。佳奈美が公園で練習していると、陽介が近付いて声を掛けた。佳奈美は練習を続け、陽介は「全然出来ねえじゃん」と言いながらも付き合った。なぜクラウンになりたいのかという陽介の質問に、佳奈美は「クラウンには素敵なモットーがあるの。貴方の喜びは私の喜び。人間って鏡だと思う。笑顔でいれば周りの人も笑顔に変われる」と語った。佳奈美が様々な策を凝らしていると、陽介は笑顔になった。
2日後、佳奈美は真紀に電話を掛け、陽介に連絡を取っても留守電ばかりだと漏らした。陽介は秦野赤十字病院へ行き、人工透析を受けていた。患者仲間の勝俣忍から「一昨日、来なかっただろ。何してたんだよと問われた彼は、笑って「ジャグリング」と言う。そこへ主治医の鈴鹿晴彦が来て、病気のことを真剣に考えるよう注意した。病院は陽介のアパートから1時間ほどの距離にあり、彼は週に3回通って人工透析を受ける日が死ぬまで続く。
陽介が洋品店で仕事をしていると、真紀がやって来た。真紀は陽介の病気を知っており、水分を充分に摂取できないことも理解している。真紀は佳奈美の電話に出るよう促し、「いつもなら近付く女には病気のことを言ってるよね。なんで言わなかったの?知ったら電話の数がゼロになると思うの?倍になるよ。そういう子だよ」と語った。病院を訪れた陽介が「やっぱ1人が気楽で一番だよなあ」と呟くと、勝俣は北原白秋の詩を引用し、2人よりも1人の方が寂しいものだと説いた。
その夜、陽介が真紀に呼び出されて居酒屋へ行くと、佳奈美が酔い潰れていた。真紀が「送ってあげて」と立ち去ったため、陽介は仕方なく佳奈美の傍らに座る。すると佳奈美は目の前に彼がいると知らず、その気持ちを吐露した。顔を上げた彼女は動揺するが、「答えて」と告げる。陽介が「悪いけど、お前とは付き合えない」と言うと、「ここで朝まで待つ」と佳奈美は座り込んだ。陽介は「めんどくせえ」と呟き、腎臓に障害があって人工透析を受けていること、旅行や外食は難しいこと、水は計算して飲んでいることを明かした。
「長生きだって、たぶん出来ない。一緒にいたって、いいことなんて何も無いんだよ」と陽介が話すと、「好きな人と一緒にいられるなら平気だよ」と佳奈美は言う。苛立った陽介が「お前の付きまといには迷惑してるんだよ。二度と電話掛けてくんな」」と告げると、彼女は走り去った。1ヶ月後、陽介が病院へ通う時、佳奈美は公園に姿を見せなくなった。彼が病院に着くと、鈴鹿は勝俣が前日に劇症性心筋炎で緊急搬送されて死亡したことを教えた。陽介は勝俣が残したメモを見せられるが、何が書いてあるのか分からないほど文字が乱れていた。「家族宛てだろ」と陽介が言うと、鈴鹿は「家族はいない。彼は1人だった」と告げた。
陽介がアパートに帰ると、佳奈美が真紀に車を乗せて現れた。彼女は自動車免許を見せ、合宿で取得したことを話した。「これで貴方を、いつでも病院に送り迎えすることが出来ます。他に何か出来ることがあったら言って。私は諦めないから」と佳奈美が言うと、「ちょっと面白い奴からかっだけだよ。調子乗んじゃねえよ」と陽介は声を荒らげた。彼が「なんも分かってねえんだ。俺は死ぬんだぞ」と告げて去ると、佳奈美は追い掛けて「死ぬなんて言うなバカ」と泣いた。陽介は彼女を抱き締め、付き合うことにした。
佳奈美は病院への送り迎えを始め、陽介は鈴鹿から顔色が良くなったと指摘された。佳奈美はジャグリングの練習を再開し、陽介が「もう必要ないな」と口にするほど上達した。彼は「パントマイム始めてみようかな」と言い、クラウンの赤鼻を付けてみた。すると佳奈美は、それを自分の分身としてプレゼントした。佳奈美は陽介を庭園へ連れて行き、結婚式への願望を匂わせた。陽介は全て分かっており、指輪を取り出してプロポーズした。
陽介は佳奈美の家へ行き、満男と佳子に挨拶した。佳奈美は真紀と会い、陽介の両親である洸一と玲子に会ったことを語った。挙式の前日、陽介は佳奈美がパフォーマンスする会場へ同行した。彼女の大道芸を見物していた陽介は倒れ込み、病院へ搬送される。結婚式は延期され、佳奈美は鈴鹿から陽介に血流障害があることを知らされる。検査結果によっては両足を切断することもあると聞き、佳奈美は動揺した。しかし死ぬことは無いのだと確認し、「それぐらい大丈夫です。私は彼を支えると決めたから」と気丈に告げた。
彼女は病室へ戻り、婚姻届に署名するよう告げて去った。陽介は呆れながらも署名しようとするが、指が震えて字が書けなかった。佳奈美、洸一、玲子は鈴鹿から、陽介の体が手術に耐えられないほど弱っていることを知らされる。「最悪のことを考える必要があります」という彼の言葉に、玲子は泣き出した。佳奈美は駐車場へ行き、車の中で泣いた。真紀が病室へ行くと、陽介は「死ぬのはもう怖くないんだ。でも俺が死んだら、あいつは毎日、泣いて暮らすんだ」と涙ぐむ。佳奈美が元気を装って病室へ行くと、「やめた、結婚。別れよう」と彼は丸めた婚姻届を投げ付けた。「お前を見てると、どんどん辛くなるんだよ。俺を苦しめないでくれ」と彼が苦しそうに吐露すると、佳奈美は泣いて病室を飛び出した…。

監督は御法川修、原作は望月美由紀『泣き虫ピエロの結婚式』(リンダパブリッシャーズ)、脚本は田中洋史、エグゼクティブプロデューサーは浅野由香&中西一雄&高木徳昭&余田光隆、プロデューサーは山本晃光&八尾香澄、スーパーバイジングプロデューサーは久保田修共同プロデューサーは木幡久美、ラインプロデューサーは佐藤幹也、撮影は池田直矢、照明は加持通明、美術は松田香代子、録音は照井康政、編集は山中貴夫、音楽はフジモトヨシタカ。
主題歌 WHITE JAM『咲かないで』作詞:SHIROSE、作曲:SHIROSE&ヒロイズム、編曲:ヒロイズム&SHIROSE。
出演は志田未来、竜星涼、螢雪次朗、新木優子、高橋洋、おかやまはじめ、岩橋道子、佐藤恒治、粟田麗、関しげみ、川上一輝、空美、ぺろぺろ、金澤健太、菅原彩香、松本大地、村田唯、加藤文美、辻本瑞貴、七瀬なな、上田航平、塚本翔人、小出浩祐、浜田神楽、中澤梓佐、加藤才紀子、鹿野浩明ら。


第4回日本感動大賞を受賞した体験談を基にした同名小説の映画化。
監督は『人生、いろどり』『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』の御法川修。
脚本はTVドラマ『ムッシュ!』『予告犯 -THE PAIN-』の田中洋史で、これが映画デビュー作。
佳奈美を志田未来、陽介を竜星涼、勝俣を螢雪次朗、真紀を新木優子、鈴鹿を高橋洋、満男をおかやまはじめ、佳子を岩橋道子、洸一を佐藤恒治、玲子を粟田麗が演じている。
個人的には粟田麗が竜星涼の母親役ってのがショックだったが、いつの間にかそんな年齢になっちゃったのね。

日本感動大賞ってのは、身近で感動的な実話をハガキで募った賞。ニッポン放送と日本出版販売株式会社とリンダパブリッシャーズが共同で主催し、最初から出版化や映像化まで考えて企画されている。
なので第4回まで大賞作品は、全て書籍化されている。ただし、あまり芳しい結果が得られなかったのか、2016年の第6回で終了している。
ちなみに映像化されたのは、この1作だけだ。
体験談の書籍化なので、もちろん原作者の望月美由紀は実際にクラウンとして活動しているし、夫を亡くしている。

映画の中身に入る前に、製作会社について触れておこう。
この映画を製作したのは、スールキートスという会社た。
2007年の『めがね』でプロデューサーを務めた木幡久美が2008年に設立した会社で、2009年の『プール』や2010年の『マザーウォーター』、御法川修監督の前作である『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』などを手掛けている。
この会社が手掛けた作品の特徴は、「F1層に癒やしを与える」である。
そもそも、これは『めがね』の監督である荻上直子と企画の霞澤花子による一連の作品が持っていた特徴だった。

どうやら霞澤花子と荻上直子に感化されたらしく、木幡久美はスールキートスでもスローライフを推奨するような癒やしの映画を次々に手掛けていた。
そんなスールキートスが本作品では、ついに「感動」という要素に手を出したわけだ。
この映画には、もはや「癒やし」や「スローライフ」は無い。
これ以前の作品でも既に、その要素が無い映画はあった。どうやら、もう「癒やし」に対する固執は無くなったらしい。
それは別にいいのだが、よりによって「感動」に手を出すとは、なかなか危険な兆候である。

原作が日本感動大賞を受賞した体験談の書籍化で、タイトルが『泣き虫ピエロの結婚式』という時点で、大まかなプロットが想像できてしまう。「ピエロとして活動するヒロインが恋人と結婚するけど、どっちかが死んじゃうんだろうな」という推測である。
そして、そんな推測は見事に的中する。
日本の映画界では「感動」をセールスポイントとして明確に打ち出す場合、その大半は「主人公か、その恋人や身内が病死する」という要素が含まれているものなのだ。
その手の映画を基本的に、見に行く人は最初から泣くことを求めている。そして、「誰かの死」という出来事は、最も泣きやすい仕掛けなのだ。
悪く言えば安易な要素だが、そもそも泣きたがる人が主な観客層なので、それで何が悪いのかってことだわな。需要に対する供給だからね。

さて本作品だが、良くも悪くも、ほぼ最初から最後まで先が読める展開が続く。予定調和ってことだ。
もはや「あらかじめ恋人が病気で死ぬことが分かっているけど、それでも結婚式を挙げる」ってのは「どこかで見たような」と感じさせるような話なので、何かしらの捻りを加えたいところだ。
だけど「だって実話なんだもの」と言われたら、「じゃあ仕方がないね」と受け入れざるを得なくなるのね。
まあ、あくまでも「実話がベース」というだけなので脚色は可能なんだけど、捻って感動が薄れることを懸念したのかな。

とは言え「どこかで見たような」と感じるってことは、それだけベタになっているということでもある。そしてベタになっているということは、そんなに何度も使われるほど多くの人々の心に刺さりやすい話ってことでもある。
だからキャラクター描写を厚くしたり、個々のエピソードを膨らませたり、細かい部分まで丁寧に描写したりすれば、「ベタだけど良く出来ている」と感じさせる作品に仕上がる可能性もあるはずだ。まあ正直に言うと厳しいような気はするけど、そう信じたい。
だから、この映画の出来栄えが芳しくないのは、きっと物語の骨格が悪いのではなくて、飾り付けの作業が悪いってことだ。
ちょっと考えてほしいんだけど、そもそもの実話を再現ドキュメンタリーか何かとしてテレビ番組で見せられたら、たぶん素直に感動できると思うんだよね。

とにかく気になるのは、「色々と雑じゃね?」ってことだ。
最初に引っ掛かるのは、映画のタイトルである。
劇中でも佳奈美が修正しているように、彼女の職業はピエロじゃなくてクラウンだ。
ここは第三者からすると「どっちでもいいんじゃねえか」と思うかもしれないが、その仕事をやっている人からすると、まるで別物だ。
そもそも日本感動大賞を受賞した際のタイトルは「クラウンに魅せられて」であり、書籍化の際に『泣き虫ピエロの結婚式』と改題されたのだ。

小説を売りたいという狙いもあるだろうし、そのタイトルをそのまま使うのは分からんでもないよ。
だけど劇中で佳奈美が「ピエロじゃなくてクラウン」と言っているので、「いやタイトルでピエロって言ってるじゃねえか」とツッコミ入れたくなるわけよ。
タイトルでピエロと付けちゃったら、その台詞はツッコミ待ちみたいなモンでしょ。「クラウンが分かりにくい」ってことなら、ピエロじゃなくて道化師にでもしておけば良かったんじゃないか。
タイトルは『道化師のソネット』とか、どうだろうね。もちろん主題歌は、さだまさしに歌ってもらってさ(って完全に別の映画じゃねえか)。

佳奈美がクラウン見習いってことを示すために、彼女が公園で練習する様子が何度か描かれている。
でも彼女がやっている練習って、必ずボールを使ったジャグリングなのよね。だけどジャグリングって、他にも色々とあるはずで。
あと、クラウンの仕事って、ジャグリングだけじゃないはずで。もはやクラウンじゃなくてジャグラーを目指しているのかと思っちゃうぞ。
人を笑わせる、楽しませるのがクラウンの仕事なので、極端なことを言っちゃうと、ジャグリングが出来なくてもいいはずだしね。

この映画で何よりも重要なのは、当然のことながら「佳奈美と陽介の恋愛模様」だ。っていうか実のところ、それ以外の要素なんて皆無に等しい。そこの一点突破に懸けているわけだから、ますます重要性は高くなる。
なので、かなり注意を払って、丁寧に描いていく必要があるはずだ。
ところがどっこい、ここが見事なぐらい雑なのよ。
まず出会いのシーンからして雑だ。陽介は公園で男児を楽しませようとする佳奈美を見た後、歩きながらフッと小さく笑う。
これは「微笑ましく思う」とか「好感を抱く」という意味での微笑のはずなのだが、それが伝わりにくい。もっと明確に、「穏やかで優しげな笑み」をアピールしておくべきだ。

バーベキューのシーンで陽介は意地悪な態度を取り、佳奈美を馬鹿にして嫌がらせのようなことをする。
そのくせ、佳奈美が失敗して転倒した時は駆け寄ったり、逃げなかったことを評価して彼女をおんぶしたりする。
そんなトコで優しさを見せるぐらいなら、最初から馬鹿な嫌がらせなんかしなきゃいいだろ。「ガキっぽい嫌がらせ」と捉えるにしても、すんげえ不愉快な奴にしか見えないのよ。
ところが佳奈美は、そんな彼に惚れてしまうのだ。
いやいや、どういうことなのかと。

そりゃあね、少女漫画みたいな恋愛劇にしたいんだろうっての分かるのよ。「ヒロインが出会った相手は嫌な奴だったけど、優しいトコもあるので惹かれるように」という、ありがちなパターンね。
だけど、それにしても佳奈美は、最初から惚れちゃってるからね。
「イケメンだったら何をやっても許される」という少女漫画の鉄則を使うにしても、さすがに粗すぎるだろ。
これがコメディータッチの荒唐無稽な話ならともかく、「実話を基にしたシリアスな話」なので、軽薄でバカバカしいモノにしか見えないのよね。

佳奈美は陽介から病気を打ち明けられても、全く驚きもしなけりゃ動揺もしない。
そして、すぐさま「それぐらい何でもない。好きな人と一緒にいられるなら平気だよ」と口にする。
「それぐらい陽介に対する気持ちが強いのだ」というつもりかもしれないけど、ただ軽く処理しているだけにしか思えないのよ。
むしろ、「予想外の告白に戸惑い、その時は何も言えなかった。しかし彼に対する気持ちを再確認し、改めて彼の元へ行く」というぐらいの手順を踏んでくれた方が、よっぽど本物だと感じられるわ。

佳奈美は陽介のために、1ヶ月の合宿で自動車免許を取得する。
それは別にいいとして、師匠はOKしてるのか。ちゃんと事情は話しているのか。何も言わずにジャグリングの仕事だけサボッているとしたら、破門になっても仕方がないぞ。
この映画において「ヒロインがクラウン見習い」ってのは1つの大きな特徴であり、そこは活用した方が絶対にいい要素のはずでしょ。それなのに、佳奈美の師匠は出番が少ないし、ここの関係は全く描かれていないんだよね。
私生活の悩みにおいても、クラウンの師匠が助言して、ヒロインの行動に影響を与える筋書きがあってもいいぐらいなのに。

「2人が出会う」「互いに惹かれ合う」「陽介が佳奈美に病気を告白する」「交際を始める」「結婚を決める」「陽介が倒れて余命わずかと診断される」「それでも結婚式を挙げる」という手順を踏むために、最初から最後まで慌ただしくなっており、1つ1つのエピソードはペラペラだ。
互いの両親は「そこにいるだけ」に近いし、名前の分かる友人は真紀だけに限定されている。
勝俣は重要なキャラなのかと思いきや、あっという間に死ぬ。
ものすごく狭い人間関係に絞り込むことで省略を図っているが、そこを削るのと引き換えにメイン2人の描写が厚くなっているわけではない。全体を浅薄にしているだけだ。

でもまあ、色々と書いたけど、「とにかく泣きたくて仕方がない」って人は、ワシみたいなネジ曲がった根性の持ち主じゃないはずなので、素直な気持ちで鑑賞すれば、たぶん泣けるだろう。
だから、それで別にいいんじゃないかな。尺も88分と短めだから、そんなに気合いを入れなくてもいいし。
あと、「志田未来が可愛ければ、それだけで満足だ」という人も、見て損はしないと思うよ。
それにしても志田未来って、TVドラマ『女王の教室』や『女王の教室』で天才子役として騒がれた後もコンスタントに仕事をしているけど、成人して以降は、あまり作品に恵まれていない印象があるなあ。とても魅力的な女優だと思っているんだけどねえ。

(観賞日:2018年5月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会