『なごり雪』:2002、日本

2001年初秋、東京。妻に逃げられた50歳の梶村祐作は、戯れに遺書を書いてみた。誰に宛てて書くのかと考えた時、彼は自分が今まで中途半端な人生を送ってきたと実感した。そこへ、故郷の大分県臼杵市に暮らす旧友の水田健一郎から電話が掛かってくる。水田の妻・雪子が、スクーターの事故で意識不明の重体に陥っているらしい。梶村は28年ぶりに、臼杵へ戻ることにした。
梶村は、若かりし頃のことを思い浮かべる。最初に雪子の存在を意識したのは、梶村が高校2年生、雪子が中学2年生の頃だった。水田が雪子を見掛けて、可愛い子がいると言い出したのだ。その雪子は友人の槙弘美に連れられ、梶村の母が営む手芸店へ買い物にやって来た。後日、梶村、水田、雪子、弘美の4人は仲良くなった。しかし、やがて弘美は北海道へ移住した。
ある日、梶村は同級生の杉田良一から呼び出された。杉田は同じテニス部の新谷由梨絵に惚れているのだが、彼女は梶村に惹かれているらしい。杉田は「彼女は僕を好きになるべきだ。彼女を嫌いだと宣言してくれ」と言うが、梶村は「彼女を何とも思っていないが、キライではない」と告げる。2人は水田の提案で対決することになり、梶村は敗北を喫した。梶村は、ケンカを知った由梨絵から「私は物じゃない。勝手に取り合わないで」とビンタを食らった。
臼杵に戻った梶村は水田と再会し、最後に故郷を後にした日のことを思い出す。駅まで見送りに来た水田は梶村に、「俺が雪子を守る」と約束した。その前日、梶村は雪子が手にした剃刀を水田が慌てて奪い取る様子を目撃していた。雪子は梶村に「違う、違う」と告げ、走り去った。結局、雪子は駅には見送りに来なかった。
梶村が初めて故郷を離れて東京に出たのは、大学に進学する時だった。同じ年に、雪子は高校へ進学した。夏休みに帰郷した梶村は、珍しく水田抜きで雪子と会った。雪子は何度と無く、梶村に気があることを匂わせる言葉を口にした。梶村に会うために、東京へ行きたいとまで語った。梶村も、雪子の気持ちを感じ取っていた。
梶村は雪子が帰りを待ちわびていると知りながら、冬も春も臼杵へは戻らなかった。東京の刺激的な生活が、梶村から帰郷する気持ちを奪っていた。翌年の夏休み、ようやく梶村は帰郷した。しかし嬉しそうに駅で待ち受けていた雪子の前に、梶村は恋人の菅井とし子を伴って現れた。それは、梶村が最後に故郷を後にした夏だった…。

監督は大林宣彦、原案は伊勢正三「なごり雪」、脚本は南柱根&大林宣彦、製作は大林恭子&工藤秀明&山本洋、プロデューサーは大林恭子&山崎輝道&福田勝、助監督は南柱根、撮影は加藤雄大、編集は大林宣彦&内田純子、録音は内田誠、照明は西表灯光、美術は竹内公一、音楽は學草太郎、編曲・指揮は山下康介、テーマ曲「なごり雪」詩・曲・唄・ギター演奏は伊勢正三、音楽プロデューサーは加藤明代。
出演は三浦友和、須藤温子、ベンガル、左時枝、細山田隆人、反田孝幸、津島恵子、宝生舞、長澤まさみ、日高真弓、田中幸太朗、斎藤梨沙、小形雄二、安東衣世、東明里、大谷孝子、広瀬大亮、小野恒芳、山本佳奈、山本梨香、赤嶺徳幸、荒瀬貴子、峰岸マック、前田麻子ら。


伊勢正三が作詞&作曲したフォーク・ソング『なごり雪』をモチーフにした作品。
冒頭で「あるいは五十歳の悲歌(エレジー)」というサブタイトル(?)が表示される。
臼杵市に心を奪われ、そこで映画を作ろうと決めた大林監督が、「だったら『なごり雪』で」と考えたらしい。ちなみに伊勢正三は、臼杵市の隣にある津久見市の出身だ。

梶村を三浦友和、若き日の雪子を須藤温子、水田をベンガル、梶村の母・道子を左時枝、若き日の祐作を細山田隆人、若き日の水田を反田孝幸、水田の母を津島恵子、とし子を宝生舞、水田の娘・真帆を長澤まさみ、弘美を日高真弓、杉田を田中幸太朗、由梨絵を斎藤梨沙が演じている。
また、オープニングでは、伊勢がギターを演奏しながら歌唱する様子が映し出される。

主人公の梶村は、優柔不断で、どこか煮え切らないタイプの男だ。いわゆる「男らしさ」を匂わせるようなキャラクターではない。
高柳良一、尾美としのり、松田洋治、林泰文など、大林作品の主演男優は、似たようなタイプが並んでいる。
強さよりも弱さ、たくましさよりも情けなさが目立つようなキャラクターは、大林映画のメイン男性キャラクターの伝統である。

大林監督は、良くも悪くも永遠の映画青年だ。
そして、ずっとノスタルジーの世界で暮らし続けている人だ。
リバイバル・ヒットしているわけでも何でもない1970年代のフォーク・ソングを、2002年にモチーフとして持ってくる感覚は、ある意味では大林監督らしい。
大林監督は、流行に媚びて自分を変えるようなことはしない。
時代の変化などお構い無しで、ひたすら我が道を突き進む。

セリフ回しは、かなり仰々しくてワザとらしい。例えば「いい」と言わず「良い」と言うなど、口語体よりも文語体を選択する。ぎこちなさを感じさせるぐらいレトロ感覚を追い求め、古めかしさを押し出そうとしている。
ハッキリ言って古臭い(良く言えば青臭いのか)が、それが大林監督の持ち味なのだろう。
大林監督と言えば、やはり尾道を舞台にした一連の作品群が有名である。それが傑作になるかどうかは別にして、こういう地方都市を舞台にしたノスタルジーを煽る青春映画でこそ、大林監督の本領が発揮されると言っていいだろう。
少なくとも、『SADA』のような官能的表現を求められる話に手を出すべきではない。
それは絶対だ。

後半は水田がとし子に臼杵を案内して回るという場面では、観光映画としての色が非常に濃くなる。故郷の尾道から臼杵へと興味を移動させた大林監督だが、これからも臼杵だけに固執するのではなく、様々な地方都市に目を向けて、その土地のローカル色を存分に生かしたノスタルジー映画を作り続けるといいんじゃないだろうか。
下世話な感覚で言うならば、大林作品の価値は「若手女優を魅力的に撮る」「およそ脱ぎそうに無いような若手女優を脱がせる」という2点に集約される。
まず1点目だが、この映画まではハッキリ言ってパッとしないアイドルで終わりそうだった須藤温子を、見事に「大林ワールドのヒロイン」として輝かせている。
ただし脱がないので、そこは大きなマイナス。
2点目だが、須藤温子が脱がない代わりに、宝生舞がオッパイを見せている。
これまでも大勢の若手女優を脱がせてきた大林監督だけに、そこは抜かりがないということか。
ほとんど必然性は感じられないが、それでも脱がせてしまうのだから、その点に関しては大林監督の手腕は素晴らしいものがあると言っていいだろう。

『なごり雪』の歌詞をセリフに織り込んでいるのだが、かなり苦しい。セリフで説明するよりも、歌詞の内容をドラマとして表現すべきだろうに。それが無理なら、いっそ『なごり雪』を原案から外してしまえばいい。
ハッキリ言って、話の内容は『なごり雪』の歌詞からは大きく外れている。あの歌の舞台は、東京だろうに。ラスト、「東京で見る雪はこれが最後ねと」という歌詞に合わせて、臼杵に雪が降る様子を描いたりするのだが、そりゃあ違うだろ。

「雪子が剃刀を手にしていたのは自殺を図ろうとしていたのか」という部分で、仕掛けが用意されている。しかし、その疑念を梶村が作品中、ずっと気にしているわけではない。当該シーンを回想するポイントで気にした後は、ずっと忘れ去られている。謎が明かされる場面でようやく再登場する程度なので、有効に機能しているとは言い難い。
で、ネタバレだが、剃刀を握っていたのは、枕を裂いて白いビーズを取り出し、それを雪に見立てて降らそうとしたのだ。
しかし、そうだとすれば、雪子は梶村のことを割り切っていたのではないだろうか、と思ってしまう。「その後も梶村のことを引きずっていた」というのは、水田の思い込みに過ぎなかったんじゃないのかと思ってしまう。
そして、そうだとすれば、その思い込みのままで男達が雪子の死を迎える筋書きは、感動へは繋がっていかないんじゃないだろうか。

 

*ポンコツ映画愛護協会