『涙そうそう』:2006、日本

2001年、沖縄本島。新垣洋太郎は農連市場で食材運びのアルバイトに精を出している。そんな彼の元に、離れて暮らす妹・カオルがやって 来ることになった。那覇北高校に合格したため、オバァと暮らす島を離れて本島に来るのだ。洋太郎は自分で立てた小さな家に戻り、 カオルを迎える準備を整える。ウサギのヌイグルミを手にした彼は、幼かった頃のことを思い出した。
洋太郎が8歳の頃、離婚している母の光江はジャズクラブ「HIDEAWAY」に彼を連れて行き、金城昭嘉というトランペッターの演奏に聞き 入った。洋太郎は光江から、昭嘉と再婚し、その娘・カオルが妹になることを知らされた。その時にカオルが持っていたのが、その ヌイグルミだった。だが、新しい家族4人での生活は、長くは続かなかった。昭嘉が失踪したのだ。間もなく光江は病気になり、入院する ことになった。光江は洋太郎にカオルを守るよう告げ、そして息を引き取った。
洋太郎は船で本島を訪れたカオルを出迎え、同じ屋根の下での生活が始まった。洋太郎は琉球大学医学部に通う恋人・稲嶺恵子をカオルに 紹介し、3人で遊びに出掛けた。夜のバイトをしている居酒屋「みどり」にも連れて行き、女将・みどりとマスター、友人の島袋勇一にも 会わせた。洋太郎は昼も夜も働き、自分の飲食店を出すという夢を抱いていた。
カオルは入学式を迎え、出席した洋太郎は涙ぐんだ。洋太郎は「みどり」の常連客である亀岡の協力を得て、自分の店を建て始めた。 やがて店は完成し、洋太郎は「なんくる」という看板を掲げて仲間とパーティーを開いた。だが、そこへ土地の所有者が現われ、洋太郎は 権利が放棄されていないことを知った。亀岡が洋太郎を騙して多額の借金を背負わせ、行方をくらましたのだった。
カオルは洋太郎の仕送りを貯めていた貯金通帳を渡し、役立てるよう持ち掛けた。だが、洋太郎は「お前がいざって時に使え」と告げ、 通帳を受け取らなかった。洋太郎の元に大病院の院長である恵子の父・義郎が現われ、大金を渡して借金返済に充てるよう勧めた。洋太郎 が遠慮すると、義郎は「いずれ恵子には後を継いでもらう。環境が違えばズレが生じる」と暗に別れるよう求めてきた。その金が手切れ金 だと気付いた洋太郎は、義郎を追い帰した。夜になって恵子が謝罪に来るが、洋太郎はドアを開けようとはしなかった。
カオルの三者面談で学校に出向いた洋太郎は、今の成績なら琉球大学文学部に行けると担任教師から聞いて大喜びする。カオルはホテル でのアルバイトを始めていたが、勉強して大学に進むことを望む洋太郎には内緒にしていた。洋太郎は借金返済のため、市場の仕事を 辞めて建築現場で働いていた。そこへ恵子が現われ、洋太郎は久しぶりに会った。国家試験に合格したと報告する恵子に、洋太郎は「もう 会えない。別の道を進むんだ」と別れを告げた。
お祭りの日、カオルに見とれていた洋太郎は、やって来た勇一に冷やかしを受けた。ホテルでカオルを目撃していた勇一が知らせたことに より、洋太郎は彼女のアルバイトを知った。カオルは「少しでも助けになれば」と借金返済を手伝おうとした気持ちを告げるが、洋太郎は 「受験生が何をやっている」と激怒する。するとカオルは、「なんで大学に行かせたいの」と反発した。
カオルは「アタシのことばかりじゃなく、自分のために生きればいい」と号泣し、洋太郎に抱き付いた。一度は受け止めようとした洋太郎 が押し退けると、カオルは夜の街に走り去った。ジャズクラブ「HIDEAWAY」を通り掛かった彼女は出演者リストに昭嘉を見つけ、中に 入っていった。朝帰りしたカオルは、家の外で待ち続けていた洋太郎に謝った。
カオルが大学に合格し、洋太郎の借金返済も完了した。家でお祝いを始めようとする洋太郎に、カオルは「この家を出ることにした」と 告げる。洋太郎はマスターから、「HIDEAWAY」でカオルと中年男が会っている噂を聞いた。「HIDEAWAY」へ赴いた洋太郎は昭嘉を見つけ、 話を聞く。昭嘉は、カオルに声を掛けられて会ったことを明かした。そして、今まで世話になった洋太郎を解放してやれとカオルに 吹き込んだことも語った。昭嘉と殴り合って帰宅した洋太郎は、カオルに「一人暮らしをしろ」と告げた。
カオルが家を出て、1年半の月日が過ぎた。12月、タコスの屋台で働く洋太郎は、カオルからの手紙を受け取った。そこには、もうすぐ 迎える成人式で島に戻るつもりだと記されていた。大型の台風が沖縄に上陸する中、カオルはアパートに戻った。部屋は停電で真っ暗に なり、風で折れた木がぶつかって窓が割れ、雨風が吹き込んだ。そこへ洋太郎が駆け付け、窓を塞いでカオルを助けた。だが、洋太郎は 激しく咳き込み、高熱で倒れてしまう…。

監督は土井裕泰、脚本は吉田紀子、製作は八木康夫、プロデューサーは濱名一哉&那須田淳&進藤淳一、撮影は浜田毅、編集は穂垣順之助、 録音は武進、照明は松岡泰彦、美術は小川富美夫、音楽は千住明、 主題歌「涙そうそう」唄は夏川りみ、挿入歌「三線の花」唄はBEGIN、Special Thanksは森山良子&BEGIN。
出演は妻夫木聡、長澤まさみ、麻生久美子、塚本高史、小泉今日子、橋爪功、船越英一郎、平良とみ、森下愛子、大森南朋、普久原明、 中村達也、広田亮平、春名風花、佐々木麻緒、大城美佐子、津波信一、田仲洋子、喜舎場泉、城間やよい、与座嘉秋、 金城翔子、宮城麻里子、津波恭、当銘由亮、大城保、平田美智子、 浦崎明香理、比嘉恭平、小渡俊彰、新城愛理、津波俊之介、伊野波美織、島田永徳、大野弘毅、林勇治、遠藤徳光、石坂慶彦、米山典昭、 山室広史、大神豊治、宮下伸也、日高有紀子、久貝大志、池間結ら。


TBSテレビ開局50周年の記念企画、涙そうそうプロジェクトの一環として製作された映画。
洋太郎を妻夫木聡、カオルを長澤まさみ、恵子を麻生久美子、勇一を塚本高史、光江を小泉今日子、義郎を橋爪功、亀岡を船越英一郎、 おばぁを平良とみ、みどりを森下愛子、病院に運ばれた洋太郎を担当する岡本医師を大森南朋、マスターを普久原明、昭嘉を中村達也が 演じている。
もちろん、夏川りみが歌って大ヒットした『涙そうそう』が主題歌として起用されている。

涙そうそうプロジェクトとは、視聴者から涙が止まらない体験を募集し、その中から優れた手記を選んでドラマ化するという企画である。
第1作『広島 昭和20年8月6日』が2005年8月に、第2作『涙そうそう この愛に生きて』が同年10月に放送され、打ち止めとなった。
なお、この映画に関しては、視聴者の手記を基にしているわけではない。
この映画の監督は、テレビ50周年ドラマ特別企画『さとうきび畑の唄』や前述の『広島 昭和20年8月6日』を撮った福澤克雄が担当する 予定だった。しかし急病になったため降板し、企画そのものが消滅寸前となった。
結局、『いま、会いにゆきます』の土井裕泰が新たな監督として起用され、公開予定を1月から9月に延期して完成に至ったという経緯がある。

「涙そうそうプロジェクトの一環として、映画も作りましょうよ」
「どんな内容にする?」
「内容なんてどうでもいいよ。とにかく泣ける奴なら」
「じゃあ『世界の中心で、愛を叫ぶ』や『いま、会いにゆきます』など、愛する人間が死ぬ映画で搾取できているので、今回もその路線で行こうか」
「それなら、『涙そうそう』は森山良子が死んだ兄のことを書いた詩だから、そんな感じでどうよ」
「ちょっと捻って、血の繋がらない兄妹でやるか」
「よし決まりだな」
などという会話は私の勝手な妄想だが、まあ似たような適当極まりないノリで大雑把に作られた映画であることは間違いない。
そもそも涙そうそうプロジェクト自体、あざとさ満載で嫌悪感を強く抱く企画だった(何しろ企画したのが、あのTBSだし)。
ただでさえ志が低いのに、前述したような理由でスタートが遅れてしまい、しかし完成までの期限は迫っているため、かなりの突貫工事で 仕上げたものと推測される。
で、「だから仕方が無い」という言い訳にも出来るが、ワシは認めないぞ。

映画が始まってすぐに、洋太郎の回想に入る。だが、そこでの「死ぬ間際の母と、カオルを守る約束を交わす」という場面は、洋太郎と カオルの結び付きではなく、洋太郎と母の絆を描くものになっている。その回想の中で、血の繋がらない兄妹の絆が伝わるようなものは 皆無と言っていい。
例えば昭嘉の失踪にショックを受けるカオルを洋太郎が慰めるとか、光江の死を悲しんで洋太郎とカオルが抱き合うとか、「他人だった 2人が本当の兄妹のように強い絆で結ばれる」というエピソードが無い。オバァの島へ行く船の中で手を握り合うというだけでは、弱すぎる。
そういう前提無しで、船でカオルが本島にやってくるシーンになり、BGMだけ大げさに盛り上げて感動の再会に仕立て上げようとしても 、全く心は動かないよ。
あと、その前に洋太郎は「色黒で男っぽくて」と幼い頃のカオルの印象を語っていたのだが、すっかりキレイになった彼女を見て驚いたり 戸惑ったりするリアクションは見せなきゃダメなんじゃないのか。

カオルの入学式のシーンでは、洋太郎がはしゃいで妹に大声で呼び掛け、恥ずかしそうにカオルが無視を決め込む。
ここは、本島に来て大騒ぎして興奮していたカオルの天真爛漫な態度からすると、むしろ彼女が兄を見つけて嬉しそうに声を掛け、洋太郎が恥ずかしがる方が フィットする。
2人の態度が場面ごとにブレるのだが、そもそも洋太郎が最初からカオルに対してベタベタした感じを見せるのではなく、やや引いた感じ だが妹への愛は強いというタイプにしておいた方がいいと思うんだが。

洋太郎が亀岡に騙された時、カオルが通帳を差し出して「にーにー(洋太郎のこと)のいざって時は、私のいざって時じゃないの」などと 言うのだが、まだ兄妹の結び付きをほとんど描写できていない内にそんなことを言われてもピンと来ない。
っていうか、そもそも、その騙されるエピソード自体が要らないんじゃないかとさえ思ってしまう。
内容が多くて詰め込みすぎだから削れという意味ではない。むしろ中身はワイドショーのコメンテーターの言葉と同じぐらいペラペラだ。
そうではなく、この映画が持って生きたいところ、つまり「兄妹の絆のドラマ」ということを考えると、それを描くための仕掛けとして、 そのエピソードが作用しているとは思えないのだ。
借金を背負った流れで洋太郎は恵子と別れることになるが、それもまたカオルとの絆を描くドラマには繋がっていない。

その洋太郎と恵子の恋愛関係だが、互いに好きなのに別れを決めるよりは、洋太郎が一方的に惹かれているか、あるいは恵子が一方的に アタックしてくるかという形の方が、後半の展開を考えれば良かったのではないか。
というのも、後半に入って洋太郎とカオルの間に仄かな恋愛感情らしきものが芽生えるのだが、それまで洋太郎が何のブレも無く恵子と 本気で強く惚れ合っていて、後半に入ってカオルに恋愛感情を抱くというのが急なものに感じられるのだ。
昭嘉を生かしておいたのも失敗で、洋太郎とカオルが幼少時に死なせておいた方がいい。後半に入って彼が再登場するが、洋太郎とカオル の絆のドラマには繋がらない。洋太郎と昭嘉、カオルと昭嘉の関係でしかない。
その一方で、勇一やみどり、マスターといった面々の扱いが単なる「周囲の人々」に留まっているのは勿体無い。
もっと兄妹のドラマを描くために使ってあげればいいのに。

知らない内に1年や1年半など時間が飛躍しているのだが、そういったタイムワープに戸惑いを覚えてしまう。
1年ぐらいのスパンで物語を収めても良かったんじゃないかなあ。
もう1つ言うと、いっそのこと最初からプラトニックな『くりぃむレモン』として物語を進めても良かったんじゃないかなあ。
なんか後半の「恋の匂い」も、ホントにわずかな匂いだけで済ませているけどさ、それが中途半端なものにしかも見えないのよ。
その程度なら、むしろ恋の匂いなんてゼロの方がいいと思うぜ。
でも血の繋がらない兄妹にしてあるのは、たぶん恋愛の匂いを入れたかったからだろうしなあ。

カオルが家を出ると一段落付くので、どうやってクライマックスを盛り上げるのかと思っていたら、急に洋太郎を病院送りにすることで 悲劇的なお涙頂戴ドラマに持っていこうとする。
それまで元気モリモリでピンピンしていた洋太郎が、過労と風邪のウイルスでポックリと死んでしまうのだ。
名曲『涙そうそう』を思い切り汚すような、強引な「涙の物語」への展開である。
しかも、すぐに死んでしまうので、倒れてから死ぬまでの期間で兄妹の絆を確かめ合うというドラマも作れやしない。
製作サイドは、人が「死」に対して感涙するのではなく、「死を巡るドラマ」で涙腺が緩くなるのであり、「死」は瞳から涙が零れ落ちるゴーサインに 過ぎないのだという基本的なことが理解できていないようだ。
とは言っても、ただそこにあるだけの死、何の前触れも無い唐突な死でも泣くぐらい、最初から泣きたがっている観客が最近は増えている 傾向があるのも確かなんだよな。
そんなメチャクチャな展開でも、最初から泣くことを目的として劇場に足を運ぶアンポンタンな観客は簡単に感涙してくれるんだから、 チョロいもんだよな、搾取することなんて。
そりゃあ安い「死の悲劇」も流行するわな。

(観賞日:2007年10月29日)


2006年度 文春きいちご賞:第4位

・きいちご女優賞:長澤まさみ
<*『ラフ ROUGH』『涙そうそう』の2作での受賞>

 

*ポンコツ映画愛護協会