『252 生存者あり』:2008、日本

9月14日。小笠原近海で地震が発生し、東京にも甚大な被害が出た。気象庁予報部の海野咲は、課長の小暮秋雄に「海底の地殻が裂け、 マグマによって溶け出したメタンハイドレートが海中に放出されて海水温が異常に上昇し、魚が大量死している」と説明した。彼女が巨大 な台風の発生を警告すると、小暮は監視を続けるよう指示した。都内では地震からの復旧作業が続けられていた。
9月16日。元ハイパーレスキュー隊員の篠原祐司は、銀座へ出掛けた。彼は妻の由美、耳の不自由な娘・しおりの3人で暮らしている。 その日は、しおりの7歳の誕生日だった。祐司は三越へ行き、誕生日プレゼントを購入した。外に出た直後、空から巨大な雹が襲ってきた 。祐司が負傷した人を助けていると、地下鉄新橋駅にいた妻の由美から電話が掛かってきた。由美は逃げ惑う人々に押され、携帯電話を 落とした。それを拾っている間に、彼女はしおりとはぐれてしまった。
東京湾で発生した高潮が都内に押し寄せ、地下鉄の構内にも水が流れ込んだ。新橋駅へ列車でやって来た祐司は、ホームでしおりの姿を 発見した。祐司はしおりに駆け寄ろうとするが、逃げ惑う人々に押されて近付けない。そこへトンネルから鉄砲水が流れ込み、大勢の人々 が犠牲となった。鉄砲水が過ぎた後、生き残った祐司が生存者に呼び掛けると、重村という若者が生きていた。
東京消防庁のハイパーレスキュー隊の隊長を務めている祐司の兄・篠原静馬は、由美と遭遇した。新橋駅は地下1階部分が潰れ、その範囲 の地上部分が陥没していた。本部長の真柴哲司は、新橋駅で入り口が見つからなければ虎ノ門駅と銀座駅から入るよう部下に指示を出した 。祐司が生存者を捜していると、韓国人女性のスミンがしおりを抱いて倉庫に避難していた。スミンが左腕を負傷していたため、祐司は 応急処置を施した。
祐司は外部と連絡を取ろうとするが、携帯電話は通じなかった。その時、揺れが発生し、祐司は再び鉄砲水が来ると確信した。祐司たちは 、慌ててホームから逃げ出した。彼らは生き残っていた藤井という男と合流し、鉄砲水を回避した。2度目の鉄砲水によって、銀座側の 侵入経路は完全に塞がれた。静馬は隊員の宮内達也や青木一平らを引き連れ、虎ノ門側から入った。
祐司はしおりたちを連れて、廃駅になった新橋駅へやって来た。祐司が「ここで救助を待つ」と言うと、早く外に出たがった重村が怒って 殴り掛かった。その態度に腹を立てたスミンが重村を怒鳴り付けるが、倒れ込んでしまったため、祐司が事務所に運んで手当てした。祐司 は重村と藤井に、鉄パイプで柱を2回、5回、2回と叩き、それを交代で繰り返すよう持ち掛けた。それは「生存者あり」を知らせるため のサインだ。重村は反発するが、藤井は協力を承諾し、鉄パイプで柱を叩き始めた。
その頃、巨大台風が東京に近付きつつあった。咲は小暮に「もっとリアルなデータが必要です。予備の気象衛星を動かしてください」と 要請した。彼女は予報部の津田沼晴男を伴って真柴の元へ行き、「すぐに救助活動を中止してください、二次災害が起きます」と警告した 。真柴から連絡を受けた静馬は、それでも先へ進もうとするが、宮内に止められた。静馬は真柴に「隊員を犠牲にするのか」と説得され、 苦悩しながらも救助活動を中止した。
藤井が柱を叩いていると、重村は彼のアタッシェケースを勝手に開けようとした。慌てて奪い返した藤井は、大阪で中小企業を経営して いて、営業に来たことを話す。重村が見下すような態度を取ったため、藤井はアタッシェケースを開けて、自分が開発した熱帯魚の水槽の 循環装置を見せた。その時、しおりが事務所から現れ、笛を吹いて祐司を呼んだ。スミンの容態が悪化したのだ。
祐司は研修医の重村に、スミンの診察を要求した。重村はスミンが輸血を必要とする状態に陥っていることを告げるが、そこには器具も 消毒液も無かった。祐司はアタッシェケースの中にあったEDTAを差し出し、重村にスミンへの輸血を指示した。最初は拒絶していた 重村だが、祐司に説得されて承諾した。祐司たちは施設にあった物で必要な器具を作り、重村は自分の血をスミンに輸血した。
一方、静馬は由美から「どうして助けないの、見捨てるの」と激しく詰め寄られた。青木は「自分たちの安全のために、救助を必要として いる人々を見殺しにするのは納得できない」と激しく反発し、他の隊員と言い争いになった。地盤の保水量が限界を超えたため、地下では あちこちから水が噴き出し始めた。祐司はスミンを抱え、しおりを連れて避難しようとする。だが、しおりは祐司のプレゼントを取りに 戻り、崩れた瓦礫の下敷きになってしまう…。

監督は水田伸生、原作は小森陽一、脚本は小森陽一&斉藤ひろし&水田伸生、製作は堀越徹、プロデューサーは佐藤貴博&下田淳行、 エグゼクティブプロデューサーは奥田誠治、COエグゼクティブプロデューサーは神野智&神蔵克、製作総指揮は島田洋一、撮影は 林淳一郎&さのてつろう、編集は菊池純一&佐藤崇、録音は鶴巻仁、照明は豊見山明長、美術は清水剛、VFXスーパーバイザーは 小田一生、音楽は岩代太郎、主題歌はMINJI『LOVE ALIVE』。
出演は伊藤英明、内野聖陽、山本太郎、山田孝之、香椎由宇、木村祐一、MINJI、大森絢音、桜井幸子、杉本哲太、早瀬久美、西村雅彦、 温水洋一、松田悟志、阿部サダヲ、ルー大柴、半海一晃、太田有美、中根徹、笛吹雅子、木原実、大川浩樹、蕨野友也、中村圭太、 松田賢二、平塚真介、KENROKU、杉浦文紀、石田将士、鈴木雄一郎、安部賢一、矢代和央、生方太郎ら。


『海猿』シリーズの原案を担当した小森陽一が原作を書き下ろし、脚本にも携わった作品。
監督は『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』『舞妓 Haaaan!!!』の水田伸生。
祐司を伊藤英明、静馬を内野聖陽、宮内を山本太郎、重村を山田孝之、咲を香椎由宇、藤井を木村祐一、 スミンをMINJI、しおりを大森絢音、小暮を西村雅彦、津田沼を温水洋一、青木を松田悟志が演じている。

この映画を見た時に、「もしかしてポーチライト・エンターテインメントが関わっているのか」と思ってしまった。
ちなみにポーチライト・エンターテインメントとは、『ライトニング』『フローズン・インパクト』『ホワイト・インフェルノ』 『フラッシュフラッド』など、災害を題材にしたボンクラなテレビ映画を多く手掛けているアメリカの制作会社である。
あ、もう「ボンクラ」って書いちゃったね。
まあ、そんなわけで、この映画は、とても陳腐で安い作品である。

序盤、雪合戦で使う雪玉ぐらいの巨大な雹が降って来て、最初に頭を直撃された男性が出血して倒れ、その後も雹はガラスを破壊している 。
ところが、逃げ惑う人々には、なぜか一発も命中しない。
既に高潮が都内に押し寄せているのに、なぜか地下鉄は動いている。
由美は地下鉄の構内でしおりとはぐれたのに、なぜか地上に出てきている。それは娘を見捨てたとしか思えない。
そんな彼女は、都合良く静馬と遭遇する。
地下鉄の構内で母親とはぐれたしおりは、なぜか都合良く、祐司が乗った列車が通るホームに来ている。

地下鉄で祐司がしおりを見つけたり、人々が逃げ惑ったりする様子をスローモーションで見せるのは、緊迫感を出そうとしているのなら、 全くの逆効果。
もし緊迫感という意図が無かったとしても、とりあえずプラスの効果が無いことは確かだ。
ところが監督は、そこにプラスの効果があると確信していたようで、クライマックスのピンチや救助シーンにおいてもスロー映像を多用 している。

駅に鉄砲水が流れ込んで大勢が死ぬ中、祐司は都合良く生き残る。
生き残った面々と犠牲者の違いは、単に製作サイドの都合だ。
「ある場所にいた人々だけが助かった」とか、「ある方法を取った人々だけが助かった」とか、そういう条件は用意されていない。
で、鉄砲水が過ぎた後、なぜか祐司は「生存者はいませんか」と呼び掛けており、すぐに娘を捜そうとはしない。

ステレオタイプとして、主人公に反発するキャラを置きたいのは分かるが、重村は一刻も早く外に出たがっているはずなのに、自分で 出口を探そうという行動を一度も取っておらず、言ってることと行動が一致していない。
ただ愚痴ったり反発したりするだけにしておけば、そこに引っ掛かることも無かったのにね。
っていうか、そうだったとしても、やっぱり重村って不快なだけだなあ。

台風が東京に上陸するのなら、その数日前から発生しているはずなのに、まるでトルネードのように急に出現する。
咲は「もっとリアルなデータが必要です。予備の気象衛星を動かしてください」と要請しているが、今さら動かして、どうなるものでも ないだろ。
っていうか、そもそも予備の気象衛星を動かしたところで、どうなるものでもないだろ。
あと、台風によって高潮が起きているはずだが、描かれている海の映像は、大津波にしか見えない。

藤井が熱帯魚の水槽の循環装置を見せるシーンは、「そんなことをしている暇があったら、他にやることあんだろ。
っていうか、明らかに後の展開に繋げるための前フリだよな」と思っていたら、そのアタッシェケースに入っているEDTAを輸血に使う 展開が待っていた。
だけど、すげえ不自然で不恰好な前フリなんだよな。
せめて「重村が勝手にアタッシェケースの中身を見る」→「怒った藤井が装置の説明をする」→「スミンを救うために装置が利用できる ことに祐司が気付く」という展開なら、もう少しマシだっただろうに。
分かりやすい御都合主義を、わざと不自然さを際立たせたいのかと思うような形で描写しているんだよな。

台風が直撃していて、外は立っているだけで吹き飛ばされそうな暴風雨が吹き荒れているはずなのに、なぜか由美は建物の外に出て静馬に 「しおりを見捨てるのか」と抗議する。
それを目撃した咲は、さっきは自分から台風直撃の中を出掛けていって「二次災害が起きるので救助を中止してください」と言っていた のに、その時は「危険だから早く中に避難して」とは言わず、じっと見ているだけ。
っていうか根本的な問題として、咲はキャラそのものが不要だ。

救助を中止したことについて隊員の川瀬が「女房・子供を残して死ねるか」と言うと、青木は「じゃあ、その身内が埋まっていても同じ ことが言えますか。一般人と身内とで、救助に差を付けるんですか」と反発する。
このセリフが、後になって悪い意味で大きく響いてくる。
と言うのも、その後で静馬が救助活動に戻る展開があるのだが、それは明らかに「祐司を助けるため」だからだ。

ようするに静馬は、一般人と身内で救助に差を付けているのだ。
もしも埋まっているのが祐司でなく、見ず知らずの他人だったら、きっと静馬は救助に向かわなかっただろう。
何しろ静馬は、反対する本部長に対してハッキリと「助けたいんです。弟が助けを求めてるんです」と言っているのだ。
それはイカンだろうに。
そこは兄弟という関係を捨てるか、どうしても兄弟関係の要素を使いたいのであれば、「弟が埋まっているが、別の場所で一般人も 埋まっていて、そっちの方が一刻を争う」という状況を設定し、「静馬は弟ではなく、先に一般人の救助に向かう」という展開にでもした 方が良かったんじゃないか。

しおりがプレゼントを取りに事務所へ戻って瓦礫の下敷きになるというのは、やりたいことは分かるけど、アホにしか見えない。
それと、やたらと「252」のサインにこだわってるけどさ、「252」が「生存者あり」とサインだってことは、ほとんどの人は知らない はずだし、「2回、5回、2回」じゃなくても、音を出していれば、ハイパーレスキュー隊員は人が生きていることを察知すると 思うぞ。
この映画だと、まるで「252のサインが救助に繋がった」という風な描写になっているけど、そりゃあ違うだろ。

静馬が突入して祐司を発見すると、救助のために残された時間は短いのに、兄弟の会話をダラダラとやっている。
レスキュー隊員としては完全に失格である。
そんな風に時間の無駄遣いをしているので、タイムリミットの緊迫感は全く無い。
地盤変動で穴が塞がった後、祐司が宮内を担いで出てくる展開は爆笑モノだ。
穴が塞がっていたのに、どこを歩いて出て来たのかと。

実は、ほとんど地下鉄の新橋駅だけで展開される小ぢんまりとした話であり、台風も高潮も要らないのよね。
「地下に閉じ込められた人々をレスキュー隊員が救助に向かう」という枠組みさえあればいいわけだから、地震だけでも成立する。
地震だけでは生き残りが大勢になっちゃうので鉄砲水で人を減らそうってことなのか、それとも台風や高潮の映像を見せてスケール感を 出したかったのか。
ただ、そこでスケール感を出しちゃったせいで、後半の尻すぼみ感がハンパじゃないぞ。

そんなこんなで、見事なぐらいデウス・エクス・マキナに愛されたポンコツ映画である。
それにしても、日本でマトモな災害パニック映画が作られたことって、今までにあるんだろうか。
っていうか、そもそも災害映画って、基本的にポンコツ映画とイコールみたいなトコはあるんだけど。

(観賞日:2010年10月9日)


第2回(2008年度)HIHOはくさい映画賞

・最低助演女優賞:香椎由宇
・特別賞:ワーナー・ブラザーズ映画
<*『L change the WorLd』『Sweet Rain 死神の精度』『銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜』『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』『ICHI』『252 生存者あり』の配給>

 

*ポンコツ映画愛護協会