『20世紀少年』:2008、日本

1973年、ケンヂは昼休みに第四中学の放送室を占拠し、「20th century boy」のレコードを流したが、生徒達は全く関心を示さなかった。 2015年、海ほたる刑務所に収監されている漫画家の角田は、向かいの独房にいる見知らぬ囚人に話し掛けた。角田はネットで発表した漫画 が原因で逮捕されていた。その漫画は、世界制服を企む悪を正義の味方が倒すが、実は正義の味方こそが悪の張本人だったという内容だ。 それを聞いた向かいの囚人オッチョは、「本当の正義の味方を知っている。そいつは俺の友達だった」と語った。
1997年、ケンヂはコンビニの店長として働いている。大学時代はロックバンドに情熱を燃やしたケンヂだが、成功できずに解散した。彼は 酒屋だった実家をコンビニにしたが、売り上げの悪さを教育係から注意された。姉のキリコは父親の分からない赤ん坊のカンナを残し、 失踪してしまった。そのため、ケンヂはカンナを背負いながら仕事をしている。母のチヨが読んでいる新聞には、アフリカ南部の村が急に 出血する未知のウイルスで壊滅したという記事が掲載されている。
歌舞伎町警察署の刑事チョーさんが、コンビニにやって来た。お茶の水工科大学教授の敷島が一家で失踪したのだという。敷島は酒屋時代 からの得意先だった。ビールケースを回収するため敷島邸に赴いたケンヂはは、壁に描かれているマークに目を留めた。それは、人差し指 を立てた手と見開いた目を組み合わせたマークだ。ケンヂは懐かしさを感じるが、何だったかは思い出せない。
ケンヂは近所で文房具屋を営む幼馴染みのマルオから、明日の小学校の同窓会について確認された。しかしケンヂは、あまり気が乗らない。 一方、あるアパートで、全身から出血した死体が発見された。被害者は金田正太郎という若者で、敷島ゼミの学生だ。歌舞伎町警察署の 刑事ヤマさんが「アフリカで発生した伝染病かもしれないぞ」と言うので、他の捜査員は怯えた。
翌日、ケンヂは同窓会の会場に赴いた。マルオやサラリーマンになったヨシツネ、蕎麦屋のケロヨンなど、親しかった仲間の姿もある。 ただし、ヤマネなど全く記憶に無い同級生も多い。1969年、ケンヂは仲間のオッチョたちと共に、原っぱに秘密基地を作った。史上最悪の 双子ヤン坊・マー坊に壊されることを恐れた彼らは、対抗できる強い奴を仲間に引き入れようと考える。最初に挙がったのは男勝りの女、 ユキジだ。次に、アベベのように裸足で速く走るドンキーの名前も挙がった。
ケンヂの元に、2人の同級生が近寄ってきた。その内の1人の妻が、“ともだち”と名乗る人物のカルト教団にハマって家を出たという。 その話を耳にした別の同級生は、会社の人間も同じ宗教に出家したことを語った。その“ともだち”の語る予言が、かつてケンヂの作った 予言そっくりなのだという。妻が入信した同級生は、「お前かオッチョが“ともだち”じゃないかと思った」と言う。
小学校時代に“よげんの書”を作ったことを指摘されたケンヂだが、全く覚えが無い。同級生が見せたカルト教団のシンボルマークは、 敷島邸の壁にあったものと同じだった。後から話に加わった同級生が「ケンヂが考えたマークじゃないか」と言うが、それもケンヂは記憶 に無い。“よげんの書”を知っているのはケンヂと仲間のモンちゃん、ヨシツネ、オッチョ、ドンキー、ユキジ、マルオ、ケロヨン、 フクベエ、ヤン坊・マー坊だという。
後から話に加わった同級生は、もう一人“よげんの書”を見た奴がいたが、誰か覚えていないと言う。他の同級生が、「ともかく幼馴染み の誰かが“ともだち”だと思う」と告げた。それで話は終わったが、そもそもケンヂは、その同級生3名が誰なのかも分からなかった。 マルオたちに教えてもらい、後から話に加わったのがフクベエだと分かった。しかし名前は分かっても、どんな奴だったかは記憶に無い。 しばらくして、ドイツで働いているモンちゃんも一時帰国し、会場に現れた。
次の日、チヨが読んでいる新聞には、サンフランシスコで謎の病原体が発生したという記事が掲載されていた。しかしケンヂは、その下 にある記事に驚愕した。工業高校の教師をしているドンキーが飛び降り自殺したというのだ。通夜に出掛けようとしたケンヂは、ドンキー からの手紙に気付いた。死の1週間前に投函されており、「このマーク、覚えてないか?時間を作って、ゆっくり話したいことがある」と いった文面に、例のマークが添付されていた。
通夜の後、ケンヂはモンちゃんから、小学生の頃にドンキーが飛び降りた話を聞かされた。それは別のクラスの同級生カツマタくんに関係 のある話だ。カツマタくんはフナの解剖の前日に死亡し、夜な夜な理科室に幽霊となって現れるという噂があった。水槽の空気ポンプの スイッチを入れ忘れたモンちゃんは夜中に学校へ戻ったが、怖いのでドンキーに代理を頼んだ。理科室へ赴いたドンキーは、何かを見て 窓から飛び出し、逃走したのだとモンチャンは言う。何を見たのかは教えてくれなかったらしい。
ケンヂは仲間たちに、ドンキーから手紙が来たことを明かした。ヨシツネが“よげんの書”を原っぱに埋めたことを思い出し、みんなで 掘り返しに行くこととなった。ケンヂたちはタイムカプセルを掘り起こすが、“よげんの書”は見つからない。だが、あのマークの旗が 見つかった。ケンヂは小学校の頃、「次にこれを掘り起こす時は、俺たちが悪の組織から地球を守る時だ」と宣言していた。ケンヂは仲間 に、「マークを考えたのは俺じゃない」と告げた。
ヨシツネはケンヂたちに、「同窓会で“よげんの書”を見た奴がもう一人いるという話が出たが、思い出した。秘密基地からサダキヨが 出て来たのを見たことがある」と口にした。しかしケンヂは、サダキヨという同級生を全く覚えていなかった。仲間によると、いつも忍者 ハットリくんのお面で顔を隠した奴で、小学5年生で転校し、そこで死亡したらしい。 ケンヂはドンキーの妻に会い、ドンキーが何か悩みを抱えていなかったかどうか尋ねた。妻の話によれば、ドンキーは「お茶の水工科大学 に進学した教え子の田村が、悪い友達に捕まった」と口にしていたらしい。一方、あのマークが描かれた包帯で顔を隠した“ともだち”は、 集会で信者に向かって講釈をしていた。信者の中には、“ともだち”を盲信する田村の姿もあった。
お茶の水工科大学を訪れたケンヂは、掲示板に張られている“ともだち”コンサートのチラシを目撃した。田村の元を訪れた彼は、例の マークについて尋ねた。すると田村は「そのマークまで辿り着いたら、あと一歩だ」と告げて立ち去った。田村は駐車場で身を潜めて待機 し、宗教団体“ピエールこころの会”の教祖・ピエール一文字に襲い掛かって刺殺した。
羽田空港で税関職員をしているユキジは、友人の弁護士・市原節子から、“ともだち”教団のことを聞く。節子は教団の被害者から相談を 受けているのだ。教団のマークを見たユキジは、それを知っていた。ユキジはケンヂの元へ行き、「このマークを考えたオッチョは、どこ にいるの?」と尋ねた。オッチョは9年前に商社マンとしてバンコクに渡り、そこで失踪していた。
チョーさんはヤマさんを喫茶店に呼び寄せ、「あと1週間で定年なので、引き継いでもらいたい事件がある」と告げる。その事件とは、 敷島一家の失踪と金田の死亡だった。チョーさんは、その2つが関連しており、“ともだち”教団に繋がっていると確信していた。彼は 調査を進め、“ともだち”の正体を突き止めたことをヤマさんに語った。チョーさんはヤマさんに捜査資料を渡し、後を任せた。だが、 その直後、チョーさんはヤマさんに殺された。ヤマさんは“ともだち”教団の信者だった。
神様と呼ばれるホームレスの老人は、予知夢を見ることで仲間から知られている。その神様と仲間が暮らす場所に、深手を負って血まみれ の男が現れた。男は「この辺にいるはずだ、ケンヂ」と呟いた。神様は「正夢だ。とうとう人類滅亡か」と口にした。神様と仲間たちは コンビニへ行き、弁当を万引きして逃亡した。それは、ケンヂに追跡させて住処に誘い込むための作戦だった。
ケンヂは血まみれの男から、「“ともだち”が本気で世界を滅ぼそうとしている。ぜんぶ、お前が子供の頃に考えた筋書きなんだろ」と 言われる。ケンヂは、悪の組織が細菌兵器で最初にサンフランシスコを攻撃し、次にロンドンを狙う筋書きを考えたことを思い出した。 男はケンヂに、レーザー銃の試作品を手渡した。レーザー銃も、ケンヂが子供の頃に考えたアイデアだ。
血まみれの男は「“ともだち”を救世主だと思っていたが、落とす前に気付いた」と口にした。彼はドンキーを突き落としたのだ。男は ドンキーが持っていたという手紙を差し出し、「お前しかいない、地球を救え。警察には行くな。あそこも“ともだち”のものだ」と 告げて死んだ。ドンキーの手紙にも、「お前しかいない、地球を救え」と記されていた。
ケンヂがコンビニに戻ると、新聞にはロンドンで病原体が発生した記事が掲載されていた。キリコの部屋を調べたケンヂは、「私と同じ 計画を持つ人と出会えるなんて」と記されたキリコ宛の手紙を発見した。差出人の名前は無かった。大阪でも病原体が発生し、ケンヂは ヨシツネとマルオにカルト教団が細菌兵器を使っていることを説明する。しかし2人とも面倒そうに対応し、「世界を救うより先に、やる ことがあるだろう」と、今の生活を守ろうとする言葉を口にした。
ケンヂはマルオから、“よげんの書”に飛行場爆破が記されていたことを知らされた。ケンヂは急いで成田空港へ行き、ユキジに「ここは 爆破される、すぐに逃げろ」と告げる。すると近くにいた友民党党首・万丈目胤舟が笑いながら、「君が子供の頃、この成田空港はあった かな?」と尋ねた。ケンヂが子供の頃、まだ成田空港は建設されていなかった。ケンヂは、成田ではなく羽田だと気付いた。その直後、 羽田空港で大爆発が起きた。
万丈目はケンヂに、「カンナちゃんを迎えに行っている頃だ」と告げた。コンビニには“ともだち”の信者が大挙して押し掛け、カンナを 拉致しようとしていた。そこへケンヂが駆け付けてカンナを奪還し、ユキジが麻薬犬を使って信者たちを退かせた。信者たちは失敗の責任 を一人に押し付け、その男に火を放って逃走した。男の体は燃え上がり、コンビニは爆発した。
“ともだち”コンサートの会場に赴いたケンヂは、レーザー銃を持ってステージに乱入した。彼は信者たちに向かって、“ともだち”の 悪行をぶちまけた。そこへ、ハットリくんのお面を付けた“ともだち”が現れた。ケンヂはレーザー銃を向けて近付くが、“ともだち” からカンナの父親だと告白され、呆然とする。そこへ信者たちが群がり、ケンヂは会場から追い出された。
万丈目は信者が増えていることを“ともだち”に報告し、「後は選挙だね」と告げた。コンビニの焼け跡に足を向けたケンヂは、そこに “よげんの書”が埋まっているのを発見した。そこには「2000年12月31日、原子力巨大ロボットが東京に姿を現し、細菌をばら撒きながら 破壊の限りを尽くす。そこに9人の戦士が立ち上がった」という内容が書かれていた。
2015年、オッチョは角田に、「一連の事件はあいつの仕業じゃなかった。凶悪なテロリストに仕立て上げられたあいつは地下に潜った」 と語る。角田が「それは教科書で習った、史上最悪のテロ事件のことですか」と尋ねると、オッチョは「本当のことは教科書にも新聞にも 、どこにも載っていない」と告げた。しかしオッチョは、本当のことを知っていた。
2000年、テロリストとして指名手配されているケンヂは、風俗嬢として働く敷島の娘ミカの元に現れた。ミカはケンヂに、「早く仲間を 見つけないと、遊びが始まっちゃうよ」と挑戦的な口調で告げた。バンコクにいるオッチョは、ショーグンという名前で裏社会の仕事を していた。彼は仲介人から、会いたがっている友人の連絡があったことを聞かされた。
日本では、友民党のCMがテレビで放送されている。それを見ていたマルオの元に、一枚のファックスが送られてきた。そこには例の マークが書かれており、「このマークを俺たちのもとにとりもどそう」と書かれていた。帰国したオッチョの前に、キグルミで姿を隠した ケンヂが現れた。ケンヂは母やカンナと暮らしている隠れ家にオッチョを連れて行き、人類の危機を語った。
ケンヂはファックスを送り、仲間に集結を呼び掛けていた。隠れ家にはヨシツネ、マルオ、モンちゃん、フクベエ、ユキジがやって来た。 だが、オッチョを含めても、“よげんの書”に書かれた9人の戦士には人数が足りない。ヨシツネは会社を興して成功しているヤン坊・ マー坊の元へ行き、協力を求めた。ヤン坊・マー坊は承諾するが、実は万丈目と内通していた…。

監督は堤幸彦、原作は浦沢直樹、脚本は福田靖&長崎尚志&浦沢直樹&渡辺雄介、企画は長崎尚志、製作は堀越徹&亀井修&島谷能成& 平井文宏&西垣慎一郎&島本雄二&大月昇&和田倉和利&長坂信人&板橋徹、プロデューサーは飯沼伸之&甘木モリオ&市山竜次、 Coプロデューサーは大平太&大村信、エグゼクティブプロデューサーは奥田誠治、製作指揮は島田洋一、セカンドユニット監督は 木村ひさし、撮影は唐沢悟、編集は伊藤伸行、録音は鴇田満男、照明は木村明生、美術は相馬直樹、VFXスーパーバイザーは野崎宏二、 音楽は白井良明&長谷部徹&AudioHighs&浦沢直樹、音楽監督は白井良明、主題歌「20th Century Boy」は T.REX。
出演は唐沢寿明、豊川悦司、常盤貴子、香川照之、石塚英彦、宇梶剛士、宮迫博之、生瀬勝久、小日向文世、佐々木蔵之介、佐野史郎、 黒木瞳、中村嘉葎雄、石橋蓮司、研ナオコ、竜雷太、吉行和子、藤井フミヤ、及川光博、石井トミコ、竹中直人、森山未來、津田寛治、 藤井隆、山田花子、ARATA(現・井浦新)、片瀬那奈、池脇千鶴、平愛梨、鈴木崇大(タカアンドトシ)、三浦敏和(タカアンドトシ)、 中田敦彦(オリエンタルラジオ)、藤森慎吾(オリエンタルラジオ)、光石研、石橋保、徳井優、入江雅人、竹内都子、洞口依子、 遠藤憲一、布川敏和、ベンガル、田村泰二郎、横山あきお、不破万作、ナイトメア、田中健(写真)ら。


漫画家・浦沢直樹と編集者・長崎尚志のコンビが作り上げた人気漫画を元にしたシリーズ第1作。
浦沢と長崎は本作品の脚本にも携わっている。
最初から3部作と決定した上で製作がスタートしており、総額60億円が投じられている。
原作は『20世紀少年』が全22巻、完結編となる『21世紀少年』が全2巻で、映画版の第1作では『20世紀少年』第5巻の「血の おおみそか」までが描かれる(ただし原作の第5巻では、「血のおおみそか」に起きた出来事は描かれていない)。
ソフト化の際には『20世紀少年 -第1章- 終わりの始まり』とサブタイトルが付けられた。

キャスティングに際しては、「原作の漫画のキャラに似ているタレント」ということが重視された。
チョイ役に至るまで、かなり豪華な配役となっている。
ケンヂを唐沢寿明、オッチョを豊川悦司、ユキジを常盤貴子、ヨシツネを香川照之、マルオを石塚英彦、モンちゃんを 宇梶剛士、万丈目を石橋蓮司、神様を中村嘉葎雄、キリコを黒木瞳、ケロヨンを宮迫博之、ドンキーを生瀬勝久、ヤマネを小日向文世、 フクベエを佐々木蔵之介、ヤン坊・マー坊を佐野史郎、角田を森山未來が演じている。
他に、チョーさんを竜雷太、田村をARATA、ミカを片瀬那奈、コンビニのアルバイト店員・エリカを池脇千鶴、成長したカンナを平愛梨、 “ともだち”コンサートのロックバンドのボーカルを及川光博、チヨを石井トミコ、ピエール一文字を竹中直人、ヤマさんを光石研、 ドンキーの妻を洞口依子、血まみれの男を遠藤憲一、キリコの恋人・諸星を津田寛治、諸星の母を吉行和子が演じている。

私は原作漫画を読んでいる。
途中までは面白かったが、「血のおおみそか」がピークで、カンナが登場してからの展開はグダグダになっていると感じた。
『20世紀少年』に限らず、浦沢直樹と長崎尚志による作品は、「風呂敷を広げまくるけど、畳み方は大雑把」という印象がある。
終盤に“ともだち”が顔をさらしても(完全ネタバレだが、実は最後に登場するのは二代目の“ともだち”)、「お前は誰だよ」と思って しまう。
実際、漫画の中では、セリフでしか語られていなかったような、存在感皆無のキャラが二代目の正体だった。
ミステリーとして引っ張りまくった挙句のネタ明かしとしては、ドイヒーな展開が待ち受けている作品だった。

そんなわけだから、原作を読んでいても、私の中では、それによって映画への期待値が上がっていることはなかった。
この第1作ではテンションがピークだった「血のおおみそか」までの部分を映画化しているので、話としては面白いはずだ。
ただし、監督が堤幸彦だし、そもそも漫画の実写化って失敗しているケースが多いので、やはり、あまり期待はしていなかった。

時系列が行ったり来たりするし、登場人物はかなり多いし、謎めいた部分も多いし、原作を読んでいない人は話に付いていけなかったり 混乱したりする可能性が高い。
原作を読んだ人は、「このキャラは、この役者が演じているのか」とか「ああ、このシーン、あったよな」などと、原作を思い浮かべ ながら比較する形で鑑賞できるだろうが、それ以上のモノは無い。
監督は漫画の完全コピーを目指して演出したらしいが、その時点で間違いだった。
話が支離滅裂で荒唐無稽でも、それが漫画ならスンナリと受け入れられるが、実写化するとバカバカしくなってしまうケースがある。
この作品は、そのケースだった。
原作の表面をなぞるだけではダメだったのだ。
これは「原作のあらすじ紹介」を映像でやっているだけだ。

そもそも原作はものすごく荒唐無稽で、それでも漫画だから「漫画の中でのリアル」として上手く成立していた。
それをそのまま実写にすると、荒唐無稽の部分が「陳腐なもの」として浮き上がってしまう。
これがコメディーなら、そうでもなかったのだろうが、サスペンスなのよね。
漫画は荒唐無稽の上でサスペンスが描かれていたけど、それは漫画だからOKだったんだよな。
実写として描くなら、そこに何か手を加えて加工する必要があったのだ。

同窓会の会場で近寄ってきた同級生は、「“ともだち”の語る予言が、ケンヂの作った“よげんの書”の内容そっくりだ」と語り、その “よげんの書”を知っているメンバーの名前を挙げていく。
だけど、その仲間じゃないと、“よげんの書”のことも、それを知るメンバーのことも把握していないはず。
なぜ彼らが、それを知っているのかという疑問が生じる。
「彼らは本当の同級生ではなく“ともだち”の仲間だった」と解釈すれば成立するが(っていうか実際、そういう設定なんだろうが)、 どうであれ、ケンヂや仲間がそこに疑問を持つべきだろう。
その時点ではスルーしてもいいが、この1作目が終わるまでには疑問を感じるシーンを入れるべきだ。
そこを第2章以降に持ち越すべきではない。

ケンヂはドンキーの自殺を報じる記事を見て驚くが、全国版のスポーツ新聞で、たかが一人の教師の飛び降り自殺を、そこまでスペースを 割いて掲載するかね。
それなりの大きさだったぞ。
まさか、そのスポーツ新聞も“ともだち”の支配下にあるという設定だったりするのか。
っていうか、そこは誰かが電話で伝えるなり、そういう形にすれば何の問題も無いはずだが。

この映画にとって、ノスタルジーはそんなに大切な要素だろうか。
原作漫画にはノスタルジーも含まれている。
ただ、原作の全てを映画に盛り込むことは、ほぼ不可能に近い。どこを削って行くかと考えた時に、まず手を付けるべきはノスタルジーの 部分ではないか。
なのに、むしろノスタルジーを強めようとしている印象さえ受ける(実際には全く強まっていないが)。
しかし本来、回想シーンにおいて必要なのは、ノスタルジーよりも、得体の知れない不気味さだろう。

“ともだち”教団の集会シーンが、ものすごく陳腐なものに感じられる。
なぜホラー的な演出にしたのか理解に苦しむ。
そうじゃなくて、そこは「狂信的である」ということを示すべきなのだ。
ホラー的な恐怖ではなく、やはり、そこも不気味さが欲しい。
そういうテイストが、本作品には決定的に欠けている。
しかも最悪なことに、ホラー的演出をしても、そこでの怖さもないし。
だから、本来は感じるべき“ともだち”への恐怖心が、全く湧き上がってこない。人類の危機がジワジワと着実に迫ってきているはず なのに、その危機感も全く感じられない。

集会シーンだけじゃなくて、コンビニに信者が群がるシーンなども、なんか陳腐なんだよなあ。
これはエキストラの芝居が下手だということも原因の一つだ。
あと、下手と言えば、血まみれの男がドンキーを突き落としたと知ったケンヂが「よくもドンキーを」と涙を流して激怒するシーンが あるんだが、この時の唐沢寿明の芝居、なんか下手じゃないか?

羽田空港の爆破シーンは、ものすごくチープ。
そんな安っぽい描写にするぐらいなら、空港爆破のシーンをバッサリとカットした方がマシだよ。
どうせ犠牲者も描かれないんだし。
そう、この映画、「ウイルス散布」も「空港爆破」も「ロボット大暴れ」もあるけど、それによって犠牲者が出る様子は、ほとんど 描かれない。
その場その場で1人か2人が死ぬ様子はあるけど、「大勢が一気に死ぬ」という様子は皆無。
それは原作でもそうだったけど、映画にした場合、その描写はあった方がいい。
荒唐無稽な筋書きの中でも、そういうことをやれば、少しは緊迫感や臨場感が増すと思うんだが。

(観賞日:2009年8月23日)


第5回(2008年度)蛇いちご賞

・監督賞:堤幸彦
<*『銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜』『20世紀少年』『まぼろしの邪馬台国』の3作での受賞>

 

*ポンコツ映画愛護協会