『つる -鶴-』:1988、日本

ある雪の夜、貧しい百姓の大寿が暮らすあばら家を、美しい女が訪ねて来た。つると名乗った女は、「アンタの嫁になりに来たんじゃ」と口にした。彼女と初対面の大寿は驚き、「小作仕事でやっと暮らしとるんじゃ」「明日食う稗にも事欠く有り様なんじゃぞ」などと言うが、つるは「それでもええ」と口にする。大寿が「おまけに養わにゃならんお袋がいる。それも寝たきりでよお」と言うと、体の不自由な母の由良が奥の部屋から「お前の世話になんかなっとらんぞ」と告げた。由良が歓迎し、大寿も望んで、つると夫婦になった。
翌朝、大寿が目を覚ますと、家が綺麗に片付いていた。寝ている間に、つるが掃除したのだ。さらに彼女は、池まで出掛けて魚まで獲って来た。しかし池には氷が張っているはずなので、大寿は不思議に思う。すると由良が、「氷が張っていようとも、クチバシで割って魚を獲りよるがのお、水鳥は」と口にした。相当に離れた近所に住んでいる馬右衛門は、つるの姿を目撃して女房の波に知らせる。しかし波が全く信じようとしないので、馬右衛門は彼女を連れて大寿の家へ行くことにした。
由良はつるを納戸に隠れさせ、馬右衛門と波には知られないようにしようとする。頭の鈍い大寿は喋ってしまいそうになるが、由良が体をつねって黙らせた。彼女は「家を間違えたんでねえのか」と言い、つるの存在を否定した。馬右衛門は納得できない様子だったが、波は彼を引っ張って立ち去ることにした。つるを隠した理由を大寿が尋ねると、由良は田んぼを貸してくれる鼻把(はなわ)の長者に祝い事も悲しみ事も届けるのがしきたりであり、その前に嫁が来たことが知られたら叱られるのだと説明した。
つるは家に置いてある機織り道具を見つけ、使わせてほしいと由良に申し入れた。つるは納戸に機場を作ってもらうが、織り上がるまでは決して覗かないよう2人に頼んだ。翌朝になって、ようやく彼女は機場から出て来た。完成した純白の布を見た大寿は、その美しさに興奮する。大寿から布を見せられた由良は、「まるで鶴の羽根のようじゃ」と言う。彼が「売ってもええかな」と尋ねると、つるは笑顔で「はい」と答えた。美しい布に魂を奪われた大寿は、心細げに痩せてしまった彼女の様子に気付かなかった。
大寿が布を売りに出掛けた先は、強欲な長者の家だった。女房の吉備は「オラにちょうどええと思わんか」と言うが、大寿は奪い取って「触るな。都の高貴なお方に売るんじゃ」と声を荒らげた。彼は大寿から買い上げた布を、倍の倍の倍で売却しようと目論んでいた。吉備は由良が寝たきりだと知っており、誰が織ったのか不思議に思う。大寿は大金を持ち帰り、有頂天になった。「布織るのは、あれっきりですからの」とつるが言うと、大寿は金を数えながら「あれで充分じゃ」口にした。
そこへ馬右衛門と波が来て、つるの存在を確認した。馬右衛門は大寿を家に招き、長者が布を高額で転売するつもりだと話す。その上で彼は「この上、長者様を太らせることはねえ。つるさんの織る物、俺に預けろ」と言う。大寿が「機を織るのはあれきりじゃと、つるさんが言っておった」と告げると、馬右衛門は「おめえの女房じゃねえか、どんどん織らせろ。もっと大儲けさせてやる」と持ち掛けた。布を扱っている都の商人に売れば大金が手に入ると聞かされ、大寿は目を輝かせた。
つるは恩返しを済ませたので、山に帰ろうと考える。しかし由良に「いつまでも家にいてくれるんじゃろ」と問われたので、戸惑いながら「ええ」と言う。馬右衛門の家へ借りていた塩を返しに出向いたつるは、駕籠に入っていた鶏を見つけて逃がしてやった。だが、それは馬右衛門が大事に育てていた鶏なので、怒った彼は抗議に行く。つるは土下座して謝罪するが、馬右衛門の怒りは収まらない。すると大寿は、「オラが鶏を探しに行く。だから許してやってほしいんじゃ」と頼んだ。
つるが行方をくらましたため、大寿はあちこちを捜し回る。大寿には、彼女が出て行く理由が全く分からない。馬右衛門も言い過ぎたことを後悔し、つるに詫びていたので、出て行く理由など無いはずなのだ。山へ行ってみた大寿は、つるを見つけた。「なんで逃げた?」と訊く大寿に、つるは「オラがアンタんとこへ行ったのは、あの時の御恩返しに」と言う。「んっ?」と大寿が首をかしげると、「アンタの役に立ちたいと思ってのことじゃ。布を織って思いが届き、もう帰ってもいいと思った」と述べた。
つるは「でもアンタの傍に居たいと思った。オラ、怖くなったんじゃ。アンタから離れられんようになってしまうのが」と言う。「例えオラが何であれ、愛しいと思うて下さるか?」と彼女が問い掛けると、大寿は「オラ、つるさんはどぶろくより好きだ」と告げる。つるは喜び、彼に抱き付いた。つるが大寿の家に戻って、しばらく経った頃、長者が大寿を呼び出した。帰宅した大寿は、長者がつるに前と同じ布をもう一枚織らせるよう言って来たことを話す。
大寿は返答を保留して帰宅したが、つるに織ってもらいたいと考えていた。前回の倍額で買い取ると長者が言ったのだ。彼は「たった一枚だけじゃ」と頼むが、つるは「あの布は一生に一枚しか織れんのじゃ」と告げる。大寿は不機嫌になり、「オラが頼めば、織ってくれると思ってたがのお」と漏らす。大寿は長者の元へ行き、つるに断られたことを話す。すると長者は「お前に田んぼをやろう。銭もやろう。だから布を織らせるんだ。しかしだ、布を織って来なければ、お前に貸している小作畑、そっくり返してもらうぞ」と言い放つ…。

監督は市川崑、脚本は和田夏十(市川崑&日高真也)、製作は高井英幸、企画は丸山正一、プロデューサーは藤井浩明、企画協力は松谷みよ子&吉沢和夫、題字は町春草、美術・衣裳デザインは朝倉摂、撮影は五十畑幸勇、美術は志村恒男、録音は大橋鉄矢、照明は下村一夫、編集は長田千鶴子、助監督は吉田一夫、監督助手は手塚昌明、太棹は山田節子、音楽は谷川賢作。
出演は吉永小百合、野田秀樹、菅原文太、横山道代、常田富士男、岸田今日子、川谷拓三、樹木希林ら。
ナレーターは石坂浩二。


民話『鶴の恩返し』と類型の『鶴女房』を基にした作品。
吉永小百合100本記念特別企画として製作されている。
つるを演じた吉永小百合と監督の市川崑は、『細雪』『おはん』『映画女優』に続いて4度目のタッグとなる。
大寿役の野田秀樹は、これが映画初出演。長者を菅原文太、波を横山道代、猟師を常田富士男、吉備を岸田今日子、馬右衛門を川谷拓三、由良を樹木希林が演じており、ナレーターを石坂浩二が担当している。

吉永小百合は当時43歳で、そりゃあ年齢からすると綺麗な容姿ではあるんだが、だからって「雪ん娘」を演じるのは無理がありすぎる。
考えてみてほしいんだけど、これって普通にやるなら「貧しい百姓の元に、雪のように白い肌をした若い美女がやって来る」という形にすべきでしょ。
やって来るのがアラフォーの熟女で、そいつが「アンタの嫁になりに来たんじゃ」と言っても、それって完全に行き遅れでしょ。もしくはバツが付いてるでしょ。中年女性が嫁に来るという形だと、もはや話の意味が変わってきちゃう。
ところが、つるは「若いおなご」という設定なんだよなあ(劇中の台詞でそのように称されている)。
吉永小百合は、いつ頃から年齢的にものすごく無理のある役柄ばかりを演じる女優になってしまったんだろうなあ。

『鶴の恩返し』や『鶴女房』がベースとは言っても、そのまま描いたら『まんが日本昔話』の実写版みたいな作品になってしまう。
それだと子供向けやファミリー向け映画になってしまうので、吉永小百合主演作が対象とすべき年齢層とは明らかに異なる。
そんなことは製作した東宝も充分に理解しているだろうし、どんな風に脚色して独自の物語を作り上げるのだろうと思っていたのだが、こちらの予想の斜め上を行く答えが用意されていた。
なんと東宝は、民話をそのまま映画化したのである。

『鶴女房』はともかく、『鶴の恩返し』の方は、大まかなストーリーなら知っている人が多いだろう。
その大まかなストーリーを貴方の頭の中に思い描いたら、ほぼその通りの内容だと思ってくれていい。意外な展開なんて、全く用意されていない。最初から最後まで、とてもオーソドックスでベタな話が続く。
良くも悪くも、っていうか明らかに悪いんだけど、「昔から語り継がれている民話」の枠内に留まっている。
安心感はあるが、面白味は無い。

だってさ、良く知られた民話を、そのまんまの内容で長編実写映画として見せられて、それを面白いと思えるのかと問われたら、答えは「ノー」ってなるでしよ。
それは『鶴の恩返し』に限らず、例えば『こぶとりじいさん』だっていいし、『桃太郎』だっていいんだけど、そんなの長編映画で見せられても、面白くはないぜ。
それこそ『まんが日本昔話』みたいに10分程度のアニメで見るなら、それなりに楽しめるかもしれない。
だけど、それたらTVアニメで充分だし。
少なくとも、93分の尺で映画にするようなモンではない。

それに関しては、もはや「大人向けか、子供向けか」という問題じゃないんだよな。
ファミリー映画として作ったとしても、やはり長編で1つの民話をそのまんま映画化するってのは、あまりにも無謀というか、愚かな行為だ。大抵の民話なんて、長編にするほどの内容量は無いんだし。
そして『鶴の恩返し』も、長編映画のボリュームは無い。
もちろん、長編として作るためのエピソードは用意しているけど、それも「いかにも民話的」であり、ハッキリ言っちゃうと、つまらないんだよな。

そもそも『鶴の恩返し』をベースにした映画を作ろうという企画の段階で厳しいんじゃないかとは思うのだが、作るにしても、大胆な脚色を施すとか、現代的な要素を取り入れるとか、かなりの工夫をすべきだろう。だからって無造作に宇宙船を登場させればいいってモンじゃなくて(いや別に市川崑監督の『竹取物語』のことを言っているわけでは)、もちろん民話の範囲を外れるのであれば、繊細な作業は必要になる。
ただ、どうであろうと、ともかく短編の民話をそのまま適当に引き延ばすだけではダメってことは確実に言える。
この映画を味付けする上で最初にパッと思い付くのは、『鶴の恩返し』だけじゃなくて『鶴女房』を使っていることからして、「つると大寿の恋愛ドラマ」を軸に据えるという方法だ。そこに厚みや深みを持たせて悲恋の物語を構築すれば(ハッピーエンドでもいいが、原作の内容を考えれば悲恋の方が適しているだろう)、大人の鑑賞に堪える映画に仕上がる可能性はあるだろう。
っていうか、東宝上層部や市川崑のようなセンスに欠けている無能な私なんかでは、恋愛劇を軸に据える以外の方法が思い浮かばない。

民話からエッセンスだけを拝借して全く別の物語を作るのなら、他にも色々と方法はあるだろう。それこそ、アクションやホラーにすることだって、可能性としてはゼロじゃない。
しかし、かなり原作に寄り添った内容で映画化するのなら、恋愛劇を重視する意外に無いんじゃないだろうか。
そう思うのだが、本作品は恋愛劇を充実させているわけではない。
大寿はつるに対する恋愛感情など微塵も持っておらず、ただ「美人だから」ということで嫁にしただけだ。そして、嫁にしてから愛情が芽生えていくわけでもない。

つるの方は「最初は助けてもらった恩返しのつもりが、大寿を愛するようになってしまった」ということを語るのだが、そこに説得力は無い。彼女が大寿のどこに本気で惚れたのか、サッパリ分からんのだ。
大寿は彼女に対して優しく接したわけでもないし、男らしさを発揮したわけでもない。
鶏の一件で「オラが探すから許してやってほしい」と馬右衛門に頼んだところが唯一のアピール・ポイントだが、それぐらいしか無い。それ以外は、単にオツムが弱くて欲深い奴でしかない。
だから、片思いの恋として見るにも、ちと苦しい。

それに、百万歩譲って「つるの片思い」を受け入れるにしても、愛する相手が醜悪なクズ野郎でしかないので、ちっとも応援したい気持ちが湧かないんだよな。
大寿は欲に目がくらみ、つると交わした「1度だけ」という約束を破って、機を織るよう要求する。しかも、頭を下げて頼み込むのではなく、「織ってくれないと首を吊る」と脅しを掛けるのだ。で、つるが承諾すると、波の前で「当たり前じゃあ、オラが頼めば、つるさんが断わるわけねえ」と得意げに話す。
いやあ、見事にクズだな。
そもそも、最初の機織りからして彼女が疲れていることに全く気付いていないし、その後も彼女を思いやる様子は皆無に等しいし。
前述した「つるのために鶏を捜しに行くと申し出る」という行動は、大寿を善人として見せるための手順なんだろうけど、焼け石に水だ。

最終的には「布を織らないと田んぼを取り上げると長者から脅された」という言い訳が用意されているけど、その前から、欲に目が眩んで大儲けを企んでいる様子が何度も描かれている。
だから、「脅されて仕方なく頼んだだけで、大寿も被害者」という見せ方は成立しない。こいつは恩返しに来た上に自分を愛してくれた鶴の思いを、欲に目が眩んで踏みにじったのだ。
本来なら「姿を見られた鶴が飛び去る」というのは悲劇的な結末であるはずなのに、大寿が強欲なクズ野郎なので、すんげえ不快感の残る映画になってしまっている。
もしかすると、これって怪談物として作られているのかな。終盤の展開には、そういう雰囲気さえ漂っているぞ。

民話を改変して、大人向けの映画に仕上げているわけではない。だからと言って、民話をそのまま長編にしているのに、ファミリー向けの内容にしているわけではない。
もうさ、どういう客層に向けて作った映画なのか、サッパリ分からんよ。
まさか、吉永小百合のファンだけを狙って作られた、ものすごく狭い観客層だけに向けた作品なのか。
だとしたら、ものすごく大胆な企画だなあ。
ただ、もしも吉永小百合のファンだけに向けて作るにしても、『鶴の恩返し』をチョイスしなくてもいいのに。そういうのをサユリストが何よりも望んでいるとは、到底思えないんだけど。

終盤、大寿は約束を破り、つるが機を織っている納戸を覗き込む。
その行動に関しては、由良が「以前にお前の助けた鶴が、人間に化けて恩返しに来たのではないか」と吹き込んで疑惑が生じているので、それを確かめようとするのは分からんではない。その行動に関しては、約束を破った大寿を「酷い奴だ」と責める気にはならない。
しかし、そのシーンには、それどころではない問題がある。
それは、「機を織っている鶴」の姿が、みすぼらしいハリボテで表現されているってことだ。
作り物の鶴が機織りしている様子は、ひたすらにマヌケでしかない。
それは「驚愕のシーン」として演出されているが、監督の意図とは別の意味で驚くわ。

(観賞日:2014年5月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会