『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』:2018、日本

平田幸之助は香港出張に向かう朝、妻の史枝と息子の謙一&信介に「クレーム処理なので、帰りがいつになるか分からない」と話す。彼が家を出る時、史枝は今月分の生活費を受け取った。彼女は何もかも値上がりしているので、少し金額を増やしてほしいと頼んだ。謙一から「なぜお父さんがお母さんに小遣いを渡すの?」と問われた史枝は、「どうしてかしら。結婚した時から、ずっとそうだったわ。たぶん、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんがそうなってたからじゃないの」と答えた。富子は史枝たちに「私は生活費だけを貰う方が楽だったから」と言い、家計簿を付けたりするのが面倒だったのだと説明した。
周造は富子がカルチャーセンターに行く日だと聞き、「年老いた文学少女の集まりですか」と嫌味を飛ばした。カルチャーセンターに様々な教室があると聞いた信介は、「ママも行ったらいいじゃん」と言う。史枝は行くならフラメンコ教室だと告げ、学生時代に経験があると明かす。しかし幸之助に教室へ通いたいと言ったこともあるが、「年を考えろ」と相手にされなかったのだと語った。周造は家族から免許を返納させられたため、幼馴染で医者の角田が運転する車でゴルフに出掛けた。
史枝が1人で家にいると、中村巡査が訪ねて来た。近所で空き巣が増えているため、中村は注意喚起のチラシを配りに来たのだ。チラシを受け取った史枝は、近所の主婦仲間2人がパートに行くのを見送った。富子はカルチャーセンターで、高村による『めし』の朗読を聞いた。史枝は買い物の帰りにフラメンコ教室を見つけ、気になって立ち寄った。庄太は金井家を訪問し、成子と泰蔵に会った。彼は周造と富子が明後日に墓参りで帰郷することを語り、誰も同行できないので香典代を出した方が良いのではないかと提案した。成子は2人で3万円にしようと言い、2万円を出した。
夜、周造は角田と居酒屋「かよ」に行き、酒を酌み交わした。角田はリタイアしたら田舎に帰って暮らすのが夢だが、東京育ちの妻と娘が嫌がっていると話した。周造は腹を立て、離婚を言い渡してやればいいのだと強気な言葉を吐いた。庄太は憲子を連れて実家を訪れ、富子に香典代を渡した。富子は庄太たちに、本当は面倒が多いので周造の田舎へ行きたくないのだと明かした。彼女は史枝に、幸之助と仲良くしているかと尋ねた。富子は幸之助が周造に似て来たと感じており、言いたいことは言った方がいいと勧める。史枝は「幾らでもあるけど、喧嘩になるだけよ」と言い、働きに出たいが絶対に反対されると告げる。彼女は幸之助から給料をもらってやり繰りする生活に惨めさを感じており、そこから脱却したがっていた。
翌日、家事をしていた史枝は2階の部屋を掃除した後、勝手口を開けたまま転寝してしまった。その間に泥棒が侵入し、史枝が冷蔵庫に隠してあったへそくりを見つけた。掃除を続けるため1階に移動しようとした史枝は、泥棒と目が合った。泥棒は慌てて逃げ出し、史枝は仕事中の庄太に電話を掛けた。庄太は狼狽している史枝に落ち着くよう言い聞かせ、警察に連絡するよう指示した。史枝は警察の事情聴取を受け、少し躊躇しつつもへそくりのことを明かした。すると刑事は、主婦なら誰でもやっていることだと語った。
幸之助が出張から戻ると、成子が来ていた。泥棒が入ったことを聞かされた幸之助は、不機嫌になった。史枝は自分の不注意だと謝罪し、何かの時に使おうと貯めておいた金を盗まれたと告白した。幸之助は金額を尋ね、40万円だと知って「みんな嫌な思いさせやがって」と声を荒らげた。成子が怖い思いをした史枝を気遣うよう諫めると、彼は口を出すなと罵った。怒った成子が去った後、史枝は改めて幸之助に詫びた。しかし幸之助の怒りは収まらず、「俺が仕事をしている間に昼寝か。いい身分だな」とネチネチと責め続けた。
富子は周造の実家の墓参りに赴き、知らない人ばかりの墓には入りたくないと言い出した。周造が驚くと、彼女は「死んだ後ぐらい自由になりたい」と語り、カルチャーセンターの仲間と共同で墓を買おうと相談していることを明かした。帰宅した周造と富子は、迎えに来た泰蔵から史枝が家出して居場所も分からないことを聞かされた。夜になって庄太が家族を集め、憲子は史枝が自分にだけ居場所を教えてくれたこと、皆には内緒にしてほしいと頼まれたことを打ち明けた。
憲子は周造たちに、史枝が空き家になっている茂田井の実家にいることを教えた。幸之助は周造から謝罪に行くよう促され、「どうしてだ。俺は被害者だ」と反発した。家族から責められた彼は怒鳴り散らし、酒を飲みに出掛けた。謙一は庄太の前で、「パパはママのこと、愛してたのかな。愛情なんてあったのかな」と漏らした。憲子は史枝から聞いた幸之助との馴れ初めを教え、安心するよう告げる。しかし謙一は、「でも今は愛してないんだろ、ママはパパを。だとしたら仕方が無いのかな、別れても」と言って泣き出した。
翌朝、起床しようとした富子は、腰痛でベッドから動けなくなった。周造が1階へ行くと、幸之助と謙一と信介がバナナで朝食を済ませていた。幸之助は謙一と信介に昼食代を渡し、富子に洗濯を頼むよう周造に告げて出勤した。周造に呼ばれた休診日の角田は富子を診察し、1週間の安静が必要だと述べた。角田は周造に頼まれて洗濯を手伝い、かよに家政婦という名目で来てもらった。かよは残っていた家事をテキパキとこなし、周造と角田は昼食を取りながら酒を飲んだ。
史枝が実家にいると、近所に住む友子が挨拶にやって来た。史枝は実家の墓参りに出掛け、旧友の杏子を訪ねた。角田とかよを送り出した周造は富子の元へ行き、家事を自分だけでこなしたように装った。彼はコンロの火を付けたまま居眠りし、通り掛かった鰻屋の配達員が煙に気付いた。彼は平田家に飛び込み、慌てて消火した。史枝は杏子の家に友子と3人で集まり、酒を飲んで語り合う。夫との喧嘩について友子が「向こうも今頃は反省してるだろうから、時期を見て帰ればいいわ」と言うと、杏子は「帰らなくていいわよ。別れちゃえ」と口にした。杏子の3人の息子たちを見た史枝は急に泣き出し、「子供たちに会いたくなった」と漏らした…。

監督は山田洋次、原作は山田洋次、脚本は山田洋次&平松恵美子、製作代表は大谷信義&中村邦晴&亀山慶二&木下直哉&村田嘉邦&井田寛&山本浩&桜井徹哉&山田裕之&藤川克平&安部順一&吉羽治&田中祐介&吉川英作&狩野隆也&樋泉実&森君夫、製作総指揮は迫本淳一、製作は大角正、プロデューサーは深澤宏、撮影は近森眞史、美術は倉田智子、照明は渡邊孝一、編集は石井巌、録音は岸田和美、衣裳は松田和夫、タイトルデザインは横尾忠則、音楽は久石譲。
出演は橋爪功、吉行和子、西村まさ彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵(九代目)、妻夫木聡、蒼井優、小林稔侍、風吹ジュン、笑福亭鶴瓶、笹野高史、木場勝己、大沼柚希、小林颯、中山凜香、藤山扇治郎、広岡由里子、徳永ゆうき、小川絵莉、北山雅康、一谷真由美、中條サエ子、池亀未紘、片岡富枝、池田道枝、上杉二美、華岡陽子、高橋ひろ子、大原真理子、新上貴美、若林久弥、住吉義典、近藤嘉宏、久松夕子ら。


『家族はつらいよ』シリーズ第3作。
監督&原作&脚本の山田洋次、脚本の平松恵美子など、主要スタッフの大半は1作目から全て共通。
周造役の橋爪功、富子役の吉行和子、幸之助役の西村雅彦、史枝役の夏川結衣、成子役の中嶋朋子、泰蔵役の林家正蔵、庄太役の妻夫木聡、憲子役の蒼井優、かよ役の風吹ジュン、鰻屋の従業員役の徳永ゆうきは、同じ配役でのレギュラー陣。
角田役の小林稔侍とタクシー運転手役の笑福亭鶴瓶は、全作に異なる役柄で登場。謙一役は大沼柚希、信介役は小林颯に交代。加奈役の中山凜香、中村巡査役の藤山扇治郎は、前作からの続投。刑事を立川志らく、泥棒を笹野高史、高村を木場勝己が演じている。

今さら言うまでもないのだが、『家族はつらいよ』シリーズは時代錯誤も甚だしい価値観、カビの生えたような古い価値観に基づいて製作されている。
山田洋次が監督を務めた映画は、本人も認めているように、概ね「家族」を描いていると言ってもいいだろう。
その「家族」というテーマが最も明確に打ち出されているのが、このシリーズではないだろうか。
そして山田洋次が考える「理想の家族像」は、かなり古い価値観で凝り固まっている。

山田洋次監督の「理想の家族像」に対するマチズモ的な感覚は、女性やLGBTQに対して差別的発言を繰り返す自民党の古参議員と、大して変わらない。
「男女が結婚して子供を儲け、女が家事や育児を担当し、男は働いて金を稼ぐのが理想の家族」という考え方だ。
劇中では周造や幸之助を周囲の面々に批判させたり、富子や史枝を擁護させたりすることで、バランスを取っているように見せ掛けている。
しかし、それはあくまでも見せ掛けに過ぎないし、そもそも見せ掛けとしての皮さえも上手く被れていない。

このシリーズでは、最終的に「妻が譲歩して家族や夫婦の関係が修復される」という結末が用意される。
つまり、表面上は男装女卑的な考えを否定しているように見せているが、「妻が夫を許し、寛容になることが大切」という答えに行き着いているのだ。
周造や幸之助も、少しだけ詫びたり反省したりする態度を見せる。
しかし身勝手や傲慢が大きく改善されることは無いし、それまでと夫婦の関係は基本的に変わらないままになる。

1作目からの周造にしろ、今回の幸之助にしろ、マチズモにドップリと浸かっているクズ男だ。擁護できる部分など、微塵も無い。富子にしろ史枝にしろ、早く離婚した方が間違いなく幸せで楽になれるはずだ。
しかし「それでも我慢して結婚生活を続けるべきだ」というのが、山田洋次監督の考える「家族の正しい在り方」なのだ。今の時代感覚からすると大きくズレているが、それは一向に構わないのだ。
なぜなら、監督と同じような古い考え方を持っている年寄り向けに作られた映画だからだ。
世の中には若者向けの映画や子供向けの映画が何本もあるのだから、老人向けの映画があってもいいだろう。

終盤、庄太は幸之助の説得に赴いた時、「そうやって稼いだ金で、家族を養ってると思ってるのか」と指摘する。幸之助が当然の考えだと主張すると、庄太は「そうじゃないよ。史枝さんに家計のやり繰りや子育てや家事を全て委ねているから、兄さんは一生懸命働くことが出来る。いわば役割分担なんだろ」と語る。
そういう台詞によって、「夫は妻の大変さを理解すべき」と諭す形になっている。
そんなことを今さら映画1本丸ごと使って説明している時点で、ものすごくアナクロな作品だ。
しかし、そういうアナクロな時代に生きて、今も感覚をアップデートできていないような年代に向けて作られた映画ってことなんだろう。

謙一は庄太と憲子の前で、「でも今は愛してないんだろ、ママはパパを。だとしたら仕方が無いのかな、別れても」と泣き出す。
家出の件は全面的に幸之助が悪いのだが、そこの問題を脇に追いやり、「離婚したら息子が悲しむのだから、史枝は戻って来るべきだ」と方向へ観客の意識を誘導しようとする。
富子は信介が「両親が離婚したらママに付いて行く」と言った時、「そんなこと、パパに言ったらダメよ。幸之助が可哀想」と漏らす。
史枝の味方を自認していた富子だが、結局は息子の方が可愛いのだ。そして彼女はマチズモ的な考え方を受け入れ、幸之助の非を責めずに史枝を説得して家に戻らせようと考える。

かよは家政婦として平田家に来た時、「お嫁さんの有難みが分かったでしょ。これで終わりじゃないのよ。まだまだ残ってるの」と周造と角田に語る。いかに主婦の仕事が大変なのかを教えるのだが、周造は全く有難みが分かっている様子など無い。
あと、そもそも「妻が不在だと家事をする人間がいなくなるから大変」というだけで終わっている時点で、古臭いマチズモ的な考え方に囚われていると感じる。
ここをギャグのような形で描くのは、別にいいのよ。
ただ、それだけで終わったら、妻は「賃金の発生しない家政婦の代わり」でしかないってことになるでしょ。本当に大事なのは、そこじゃないはずで。

史枝が子供たちに会いたくて泣き出すシーンも用意し、「子供のためには夫と離婚せず、関係を修復して家に戻るべきだ」という方向で妻への圧力を掛けている。
その辺りも、いかにも古い価値観の男が作った映画だと感じる。
脚本には平松恵美子も関わっているが、何しろ監督が山田洋次なのだから、彼の意見が全面的に採用されるのは当然だろう。
左翼思想だとして批判されることもある山田洋次監督だが、少なくとも家族観に関してはガチガチの保守派なのだ。

前述したように、この映画は「妻が家事を全て担当し、夫が外で働くのは役割分担」というメッセージを発信している。そして、「だから夫は妻に感謝すべきだ」と呼び掛ける。
だけど、「感謝すれば夫は家事を全て妻に任せてもOK」という考え方も、既に時代遅れの古い価値観なのよね。
あと、結局、幸之助は史枝に謝罪していないのよ。
彼は「俺にはお前が必要だよ。いなきゃ困るよ」と言い、史枝は情にほだされて家に戻るのだ。だけど「俺にはお前が必要」ってのは、「家事を全て担当してくれる女が必要」ってことかもしれないでしょ。
幸之助がちゃんとした形で、史枝への「愛」を表現しているとは到底思えないぞ。

(観賞日:2023年4月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会