『憑神(つきがみ)』:2007、日本

時は幕末。徳川慶喜が乗り込んだ京都では、尊皇攘夷・公武合体のキャッチフレーズが飛び交っていた。一方、江戸は歴史の本流から 遠ざけられていた。下級武士の別所彦四郎は、兄・左兵衛と兄嫁・千代の家に居候している。夜中に帰宅した彦四郎は、母・イトから 気遣いを受け、「これで酒でも」と金を渡された。夜鳴き蕎麦屋に出向いた彦四郎は、昌平坂学問所で学友だった榎本釜次郎と遭遇した。 榎本は武揚と名を変え、軍艦頭取にまで出世していた。
彦四郎は榎本から、「小番長(こばんちょう)・井上軍兵衛様の家へ婿養子に入り、小十人組(こじゅうにんぐみ)の組頭に収まったと 聞いたが」と言われ、訳あって離縁されたことを明かした。城中で配下の者が喧嘩をしたため、その責任を取らされたのだ。榎本は「お前 の才能を腐らせるわけにはいかん」と彦四郎に告げ、仲間と共にその場を去った。
彦四郎は大工から、「あれはやっぱり、みめぐり稲荷にお参りした御利益かもしれませんな」と告げられた。相手にしない彦四郎だが、 蕎麦屋の主人・甚平は「騙されたと思ってお参りしてみては」と勧めた。酔っ払って帰路に就いた彦四郎は、土手から転げ落ちた。すると、 目の前に寂れたお稲荷様の祠があり、そこには「三巡(みめぐり)稲荷」と書いてあった。分社に違いないと思った彦四郎は、祠に手を 合わせた。その途端、周囲の蝋燭に火が灯ったため、彦四郎は驚いた。
翌朝、祠を探すために草むらを歩いていた彦四郎は、伊勢屋と名乗る男に出会った。彼が料亭の宴会に誘うので、彦四郎は付いて行った。 伊勢屋が向島から来たこと、稲荷寿司が好きなことを知った彦四郎は、三巡稲荷から使わされた福の神だと思い込んで喜んだ。しかし、 伊勢屋は、それを否定した。彦四郎が詰め寄ると、伊勢屋は自分が貧乏神だと明かした。
次の日、彦四郎は甚平に伊勢屋のことを話した。甚平は自分もお参りしたことを告げ、お守りを見せた。そこには「三囲稲荷」と書いて あり、字が異なっていた。そこへイトが慌てた様子で現れ、彦四郎に家の一大事を知らせた。札差の港屋が、積もり積もった借金のカタに 俸禄米(ぼうろくまい)を差し押さえるというのだ。しかし左兵衛は呑気な態度で、「御徒(おかち)の株を売れば良い」と言う。家名 を売るだけで、五百両になる話があるのだという。
彦四郎が「眉唾では」と口にすると、左兵衛は「偉そうに言うなら、井上の家から手切れ金でもせしめて来い」と告げた。彦四郎は井上の 家へ行くが、軍兵衛に追い払われた。彦四郎は井上家の使用人・小文吾から、城中の喧嘩は軍兵衛が仕組んだものだったことを聞かされる。 金の亡者である軍兵衛は、堅物の彦四郎を疎んじており、種馬としか考えていなかったのだという。既に軍兵衛の娘・八重には息子の 市太郎がおり、城中の喧嘩は用済みの彦四郎を離縁するための企みだったのだ。
怒った彦四郎が井上家へ乗り込もうとすると、慌てて小文吾が止めた。そこへ伊勢屋が現れると、小文吾は「物の怪じゃ」と驚いた。彼が 九字を唱えると、伊勢屋は苦しみ出した。彦四郎が「やめてほしかったら我が家を救う手立てを考えろ」と言うと、伊勢屋は宿替えという 秘法があることを明かす。取り付いた相手に神を泣かせるほどの事情があった場合、災いを別の人間に振ることが出来るというのだ。 小文吾から「軍兵衛様に振っては」と提案された彦四郎は、それに賛同した。
深夜、伊勢屋は井上家に大量のネズミを発生させ、蝋燭の火を倒して火災を発生させた。半鐘の音に気付いた彦四郎が駆け付けると、八重 が避難するところだった。あばら家で仮住まいを始めた八重に、彦四郎は食事を差し入れた。彦四郎は伊勢屋に会い、「誰が八重や市太郎 を巻き添えにしろと言った」と怒った。すると伊勢屋は、「貧乏から免れるために、災いを他の者に振る。そのようなお方に、蔑まれる 覚えはありません」と告げた。
務めを終えた伊勢屋は、三巡稲荷という名前なので三度の来訪があること、次に来るのは疫病神であることを教えた。嵐の夜、彦四郎は 川の氾濫を防ぐための作業に参加したが、左兵衛は持ち場を離れて逃げ出した。翌朝、彦四郎は世話役の片山伊佐衛門から、左兵衛が役目 を怠っていることを知らされた。左兵衛が手入れすべき紅葉山の御影鎧が埃まみれになっているというのだ。
彦四郎は左兵衛に、片山から配置替えも必定だと言われたことを報告した。しかし左兵衛は全く慌てることなく、「それも悪くない」と 喜んだ。イトが叱責すると、左兵衛は「彦四郎を影武者にしてはどうか」と言い出した。左兵衛が仮病を使って国頭に願い出ると、役目の 交代は簡単に許可された。こうして、彦四郎は紅葉山御影鎧番への就任が決まった。
彦四郎は甚平から「ツキが回ってきたのでは」と言われるが、直後に高熱を出して倒れ込んでしまう。そこへ現れた相撲取りの九頭龍が、 家まで送っていこうと申し出た。九頭龍を怪しんだ甚平は、彼の姿を大川の水に映した。すると、そこには人間ではなく物の怪の姿が 映っていた。九頭龍は疫病神だったのだ。九頭龍は「もう遅い。あいつの熱は下がらず、手足が腐っていく」と告げた。甚平は彦四郎を 救うために左兵衛への宿替えを提案するが、九頭龍は拒否した。
家督を譲って楽隠居した左兵衛は、寝込んだ彦四郎を放置して宴会を開いた。その宴会には九頭龍も参加していた。暇を出された小文吾は 、彦四郎の見舞いに訪れた。彼は九頭龍に向かって九字を唱えるが、全く歯が立たなかった。お勤め初日、彦四郎は動ける程度に回復し、 紅葉山の倉庫に赴いた。そこへ榎本が、元軍艦奉行の勝海舟を連れて訪ねてきた。勝は彦四郎に、「榎本と一緒に働かないか。共に新しい 国を作ろう」と持ち掛けた。勝は考えておくよう告げて、倉庫を去った。
九頭龍は彦四郎に、「律儀なお前さんを見てたら、取り付く相手は他にもぎょうさんおるような気がしてきた」と告げた。左兵衛が急に血 を吐き、寝込んでしまった。九頭龍が宿替えしたのだ。イトは床に伏せる左兵衛の眼前で、別所家が家康公から拝領した家宝の刀を彦四郎 に譲り渡した。彦四郎が刀を鞘から抜くと、左兵衛が手入れを怠っていたため、すっかり錆付いていた。
彦四郎は九頭龍に会い、兄の容態がどうなるのかと尋ねた。それは本人次第だと聞き、彦四郎は「死ぬことは無いだろう」と安堵した。 彦四郎は餞別代わりとして、九頭龍を蕎麦屋に連れて行った。九頭龍は、次に取り付くのが死神だと教えた。彦四郎は落ち着いた様子で、 「犬死にはしたくないが、命の身代わりを立てるつもりはござらん」と言い切った。
彦四郎は刀鍛冶・喜仙堂の元に家宝の刀を持ち込み、それが偽物だと知らされた。それでも彦四郎は、研いでほしいと頼んだ。帰り道、彼 は一人で遊んでいる少女・おつやと出会った。「知らないおじちゃんが来てるから、外にいなきゃいけない」と彼女は口にした。おつやの 腹の虫が鳴るのを聞き、彦四郎は家へ連れ帰って食事を食べさせた。おつやは異常なほど食欲旺盛だった。
腹の調子が悪かった彦四郎は胃薬を飲むが、それがネコイラズだとイトから知らされ、慌てて吐き出した。「油断大敵」と言うおつやの顔 を見た彦四郎は、彼女が死神だと気付いた。彼は小文吾と会い、「三巡の神がどれほどのものか、真正面から対決してやる」と言う。2人 が話しているところに市太郎が現れ、刀で彦四郎に斬り掛かった。井上家が御家断絶となったのだが、それは彦四郎のせいだと軍兵衛から 吹き込まれ、市太郎は恨みを抱いていたのだ。
彦四郎は様子を窺っているおつやを見つけ、後を追った。彦四郎は「息子に殺させようとするとは、幾ら何でも酷すぎる」と抗議する。 しかし、おつやは何食わぬ顔で、「次は奥さんにする?それともお母さんがいい?」と告げた。彦四郎は刀を差し出し、今すぐ自分を斬る よう要求した。だが、おつやは「死ぬお膳立てをするのが仕事で、自分で手を下しちゃいけないの」と述べた。
慶應四年(1868年)正月、京都で薩摩・長州対幕府軍の戦いの幕が切って落とされた。薩長の新型大砲の威力は凄まじく、幕府軍は大阪へ 敗走した。彦四郎は大阪へ行き、慶喜のために戦って死に花を咲かせようと考える。そこへ、おつやが現れ、「慶喜は最低。京都、鳥羽、 伏見に負けたら、家来を捨てて、さっさと大阪城から軍艦で逃げ出した」と告げる…。

監督は降旗康男、原作は浅田次郎、台本は降旗康男&小久保利己&土屋保文、プロデューサーは妹尾啓太&鈴木俊明&長坂勉&平野隆& 古川一博、企画は坂上順&堀義貴&信国一朗、絵師(撮影監督)は木村大作、編集は園井弘一、録音は松陰信彦、照明は杉本崇、美術は 松宮敏之、音楽はめいなCo.。
主題歌「御利益」作詞・作曲・歌は米米CLUB。
出演は妻夫木聡、西田敏行、香川照之、江口洋介、佐々木蔵之介、佐藤隆太、赤井英和、森迫永依、鈴木砂羽、笛木優子、鈴木ヒロミツ、 夏木マリ、石橋蓮司、上田耕一、本田大輔、徳井優、大石吾朗、稲垣陽子、湖条千秋、福本清三、蓮ハルク、千田孝康、白井滋郎、 西村匡生、鈴川法子、池田静雄、大至、平井三智栄、高野由味子、倖本麻世、美晴、亜呂奈、山田永二、本山力、渡辺要ら。


浅田次郎の同名小説を基にした作品。
彦四郎を妻夫木聡、伊勢屋を西田敏行、甚平を香川照之、勝海舟を江口洋介、左兵衛を佐々木蔵之介、小文吾を佐藤隆太、九頭龍を 赤井英和、おつやを森迫永依、千代を鈴木砂羽、八重を笛木優子、片山を鈴木ヒロミツ、イトを夏木マリ、軍兵衛を石橋蓮司、喜仙堂を 上田耕一、榎本を本田大輔が演じている。
監督は『ホタル』『赤い月』の降旗康男。

彦四郎が配下の喧嘩の責任を取らされてクビになったとか、軍兵衛に追い出されたとか、それでも八重は愛してくれているとか、そういう ことは、短くていいから、序盤の内に回想シーンで見せておいた方がいいんじゃないか。
彦四郎が置かれている状況の基本説明が、あまりにも少なすぎる。
あと、妻夫木聡は芝居の幅が狭い人だが、時代劇は基本的に合わないんじゃないか。下級武士としてのセリフが、全く口に馴染んで いない。
その上、監督の降旗康男は喜劇のセンスが全く無い人なので、かなり厳しいことになっている。

榎本は「お前(彦四郎)の才能を腐らせておくわけにはいかん」と言い、甚平は「榎本様を凌ぐ秀才」と評価している。
だけど、彦四郎の優秀さが示されるような場面は全く無い。
ただの優男にしか見えないのだ。
そうじゃなくて、普段は冴えない下級武士だけど、特定分野においては右に出る者の無い才覚を発揮するということを、ハッキリと アピールしておくべきだろう。

なぜ伊勢屋に自分から貧乏神だと言わせてしまうのか、そこは大いに疑問を感じる。
彦四郎が伊勢屋を神様だと簡単に信じてしまうのも疑問。福の神と思い込んでいる時はともかく、貧乏神だと告白された時点で、疑いを 持ったらどうなのか。
っていうかね、そこは「伊勢屋は福の神だ」と彦四郎が信じたままにしておいて、それなのに不幸な出来事が幾つも起きるから不可解に 感じて、甚平のお守りを見ると字も違う、そこで自分が手を合わせたのは分社じゃなかったと気付き、伊勢屋を問い詰めて貧乏神だと 吐かせるような流れにした方が良かったんじゃないかと思うんだが。
あと、伊勢屋が催した宴会の代金って、どうなったのかね。

伊勢屋にしろ九頭龍にしろ、ユーモラスな部分ばかりが強調されていて、物の怪としての凄味、おどろおどろしさは全く感じられない。
「人間ではない存在」としてのアピールが少ないので(例えばVEでオーラ的なモノを描くとか)、伊勢屋が小文吾の九印に苦しむ場面は 、普通の人間が普通の格好で苦しんでいるだけにしか見えない。
だから安いコントみたいに感じられてしまう。

なぜ伊勢屋に「あと2人が取り付く、次は疫病神」と言わせてしまうのか。
実際に九頭龍が登場して、その後で彦四郎に災いが降り掛かり、「貧乏神は去ったのに、なぜなのか」と考えて、そこから「実は三巡 だから3度の憑依があって、次に来たのは疫病神だった」ということを明かす流れにした方がいいんじゃないの。
そりゃあ九頭龍が登場した時点で、そいつも貧乏神の仲間だってことはバレバレだけど、それでも先にネタバレさせることは避けておく のがセオリーってモンじゃないの。セオリーを外したことでプラスの効果がありゃいいけど、何も無いんだからさ。

伊勢屋は家名を売るような話を別所家に持ち込み、九頭龍は彦四郎を高熱で寝込ませる。
でも、次の災いは宿替えで別の人間に降り掛かる。
つまり、1人の神は、1つの災いを彦四郎にもたらしただけで役目を終えてしまう。
次々に災いが降り掛かる、どんどんエスカレートしていくといったことは無い。
それが淡白に思えるし、テンポの悪さにも繋がっている。

宿替えで親しい人間に災いが降り掛かることに対して、彦四郎がどのように感じているのか、心が全く見えてこない。
八重と市太郎が巻き添えになったことでは伊勢屋に怒っているけど、それも上辺だけのモノにしか感じられない。
そこで怒った後に、どういう感情が沸いたか、考え方にどんな変化が生じたかが重要なはずなのに、そこの表現が無い。
九頭龍から「次に取り付くのは死神」と言われた時、彦四郎は「犬死にはしたくないが、命の身代わりを立てるつもりはござらん」と 言う。
そりゃあ他人を死に追いやるのを悪く思うのは、当然と言えば当然だ。
だけど、それまで災いを他人に振っても何の後悔もしなかったのに、どういう心の移り変わりで「身代わりは立てない」と思うように なったのか、それが全く描かれていない。

おつやを家に連れ帰って食事を与える彦四郎の行為は、理解に苦しむ。
腹を空かせている様子だから、外で食事を与えるなら分かるけど、どこの誰だか分からない初対面の少女を自宅へ連れ帰るなんて、 かどわかしているようなモンだぞ。
で、彦四郎はネコイラズを飲んだ後、おつやが死神だとすぐに気付く。
ここも引っ張らないのね。「こんなに愛くるしい少女なのに、まさか死神のはずが無い」と疑ったり、そんな手順も踏まないのね。

彦四郎が市太郎に殺されかけるのは、かなり違和感を覚える。
あんころ餅の土産を受け取らずに無言で立ち去ったシーンはあったので、懐いていないのかなあとは思ったけど、殺そうとするってのは、 軍兵衛に色々と吹き込まれているとは言え、どうなのかと。
おつやの術で洗脳されているということなら分からんでもないけど、あんころ餅のシーンを考えると、おつやが登場する前から彦四郎を 憎んでいたという設定なんでしょ。

薩長と幕府軍の戦いが勃発した後、彦四郎が「上様の影武者となって死に花を咲かそう」と考えるようになるのだが、その展開に強い疑問 を感じる。
「どうせ死ぬことは決まってるから、死に方は自分で選ぼう」ってことなのか。
だけど、そもそも死を受け入れている時点で納得いかない。
なぜ抗おうとしないのか。なぜ「宿替え以外にも死を避ける方法は無いのか」と必死にならないのか。

それまでの流れから、「彦四郎が自ら死を選ぶ」というところへ着地するのは、全く共感できない。
それが武士の本懐だと言うのか。
「宿替えすると他人に迷惑が掛かるから自ら死を選ぶ」ってことなんだろうけど、あまりにもアホらしい。
大体、慶喜は家来を捨てて早々に逃げ出してしまうような奴だぞ。
そんな奴を守って死ぬより、新しい国作りに協力しろよ。生き抜こうとしろよ。

彦四郎は「死神に会って自分が何をすべきか考えた。上様に会って意味を掴んだ。神には出来ぬことを人間は出来る」と言う。
それが「志のために死ぬこと」らしい。
だけど「志のために死ぬ」というところへ着地するには、それまでの流れ、伏線が全く無いのよ。
命を懸けて何かを成し遂げようとするのなら、それこそ命懸けで新しい国作りに向き合えよ。

慶喜の隠居を受けて、「武士の世は終わった」と自ら認めているのに、なぜ彦四郎は新しい世の中を作る作業をジュニアに委ねて、自分は 死のうとするのか。
隠居した慶喜の影武者となって戦いに挑むことを決めているけど、あんな上様の名誉と誇りを守って何の価値があるのかと。
それこそ、ただの「犬死に」だろう。
それは「生きることから逃げている」としか思えないのだ。
息子に「一時の興奮に任せて命を粗末にしてはならん」と言っているが、命を粗末にしているのはアンタだよ。

(観賞日:2009年10月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会