『トリック 劇場版』:2002、日本

自称売れっ子天才奇術師の山田奈緒子は、実際には安アパートに住む売れない手品師だ。彼女はアパートの大家から、マンションに建て替えるので来週中に出て行ってくれと言われてしまう。母の里見は、地元で書道教室を開いている。里見の書く文字には特別な力があるという評判で、今ではインターネットでの販売も行っている。
奈緒子は、糸節村の青年団の団長・神崎明夫と副団長・南川悦子の訪問を受けた。糸節村では300年に一度、大きな災いが起きるという言い伝えがあり、封印されていた神が動き出すという。神崎と南川は、奈緒子に手品を使って神を演じてもらい、「災いは起きない」と告げて村人達を安心させて欲しいと要請してきた。
天才物理学者の上田次郎は、政財界の大物になっている高校時代の同級生との飲み会に、親しい奈緒子を余興として招いた。だが、奈緒子は彼らからバカにしたような扱いを受け、さらに上田にも冷たい態度を取られ、怒って帰ってしまう。
奈緒子が帰った後、上田の同級生の1人・臼井が、徳川の埋蔵金を発見したので協力してくれと言い出した。だが、彼はトイレで「トイレツマル」というダイイングメッセージを残して死亡する。上田らは、臼井の残したメッセージが埋蔵金のありかだと推理する。
糸節村を訪れた奈緒子は神として手品を披露するが、すぐに村人の長曾我我部為吉らによって軟禁されてしまう。彼女以外にも、既に神を名乗る者が3人も来ているというのだ。そのため、奈緒子は明日の朝、誰が本物の神なのか勝負をするよう要求される。もし偽物だと判明すれば、生きて村から出られないと奈緒子は告げられる。
村人が立ち去った後、窓の外に上田が姿を現した。彼は新しい本の取材で村を訪れていたのだ。上田から臼井のメッセージについて知らされた奈緒子は、それが「トイレツマル」ではなく「イトフシムラ」であることを見破った。奈緒子は上田に、自分が神だと信じ込ませれば、村人達に埋蔵金発掘を手伝わせることが出来ると告げ、協力を取り付けた。
翌朝、奈緒子は村人達から“神001番”と呼ばれている男と対決した。奈緒子は神001番の見せた手品のトリックを明かし、自らは手品で村人達を驚かせた。神001番は逃亡するが、すぐに死体となって発見される。彼の顔には、不可思議な紋様があった。
神002番と神003番との対決にも勝利した奈緒子は、最後のテストを課された。それは、監禁された状態で、翌朝までに村のどこかに図形を描くというテストだ。上田の協力でテストをクリアした奈緒子だが、神崎と南川が彼女は手品師だとバラしてしまう…。

監督は堤幸彦、脚本は蒔田光治、製作は木村純一&風野健治、プロデューサーは桑田潔&島袋憲一郎&蒔田光治&山内章弘、ラインプロデューサーは渡邊範雄、製作統括は高井英幸&早河洋、撮影は斑目重友、編集は伊藤伸行、録音は中村徳幸、照明は池田ゆき子、美術は稲垣尚夫、マジックアドバイザーは藤原良雄&藤本明義、特殊効果は鳴海聡&船橋誠、アクションコーディネートは佐々木修平、CGIプロデューサーは西村敬喜、CGIディレクターは小関一智、VFXスーパーバイザーは升本大治、音楽は辻陽、音楽プロデューサーは志田博英、主題歌は鬼束ちひろ『月光』。
出演は仲間由紀恵、阿部寛、生瀬勝久、野際陽子、伊武雅刀、竹中直人、ベンガル、石橋蓮司、山下真司、芳本美代子、根岸季衣、螢雪次朗、大島蓉子、前原一輝、岡田眞澄、瀬戸陽一朗、アベディン・モハメッド、川崎麻世、相島一之、みのすけ、三宅弘城、菅原大吉、杉村蝉之介、山田幸伸、大木凡人、ふせえり、藤田啓而、赤池公一、青木忠宏、サバ男、塚本瑠子、堀井真吾、古澤龍之、久保英雄、安田憲邦ら。


テレビの深夜枠でカルトなドラマとして人気を得た『トリック』の劇場版。奈緒子役の仲間由紀恵、上田役の阿部寛、矢部刑事役の生瀬勝久、里見役の野際陽子といったTV版のレギュラーに加え、為吉役で伊武雅刀、神崎役で山下真司、南川役で芳本美代子、3人の神役で竹中直人、ベンガル、石橋蓮司が出演している。

いつの頃からか、テレビで人気を得たから劇場版を作るというパターンが増えているが、大抵の場合、同じ疑問が浮かぶ出来映えになっている。
その疑問とは、「これを映画にする意味があるのだろうか。テレビで充分じゃん」というものだ。
この作品も、その悪しきパターンにハマっている。
特に、この『トリック』というドラマの持ち味を考えると、この作品の持ち味が「ひたすらのユルさ」であり、それを崩せないというのであれば、劇場版以前に、2時間(正確には119分)という枠も向いていないと思う。

書道で「パート3希望」と書いてあるとか、喫茶店で全員がスパゲッティーを食べているとか、「死なぬ路」という場所があるとか(信濃路のダジャレね)、細かいネタはあるにはあるが、それほど多いわけではないし、それだけで引っ張れるというモノにはなっていない。
笑いの作り方として、何かボケがあってもスカしていくというやり方はある(ただし、奈緒子はボケに対してユルいツッコミを入れるので、厳密に言うとスカしの笑いだけではない)。そうやって、ゆる〜い空気を作っていくのは別に悪くない。
ただ、ストーリー展開としては、後半に向けて盛り上がっていかなければ困る。そこを萎ませるのは、スカしの笑いとは意味が違う。細かいポイントでスカしていくのと、大きな流れで盛り上がりを拒否するのとは、全く別次元の問題なのだ。

盛り上がることを意図的に拒否しているせいで、ものすごく間延びした状態が続く。後半に入ると単なる手品勝負が淡々と綴られることになる。神様候補にアクの強い役者を3人も揃えておきながら、それを生かし切ることもやっていない。
「トイレツマル」のダイイングメッセージの謎は、最初の時点で分かる(倒れた男と文字の方向が違うので)。また、神様候補が披露する幾つかの手品に関しては、すぐに種明かしがされていく。だから、トリックの謎解きで引っ張るということは無い。

ほぼ唯一、謎解きを残したままで引っ張られるのが、殺人事件の部分である。ところが、ここに関しては、奈緒子が少しずつ真相に近付いていくような流れは無く、終盤になって急に犯人がベラベラと真相を語るという形で、謎解きは全く行われない。

神様かどうかを決める勝負なのに、トランプを使うなど、「いかにも手品です」といったネタばかりを見せていくのは、どうなのか。もっと超常現象っぽい仕掛けを見せるべきではないのか。そこをワザと外したのかもしれないが、別の意味で外している。
村の因習と、「いかにも手品でござい」という幾つもの仕掛け(神様少女のネタまでもが、いかにも手品でございというシロモノだ)が、ちっとも噛み合っていない。もしかして、そこも意図的に外しているのだろうか。ある程度は、スカした笑いになるかもしれないが、中核となる部分で噛み合わなさが強く出てしまうと、かなり厳しい。
終盤に来て、ストーリーに沿った中でのネタだけでなく、それとは無関係に、スカしのためのネタも、幾つか挿入される。
で、結局、色々なことが放置されたままで終わる。
殺人事件はどうなったんだろう。
何も解決されていないような気がするぞ。

 

*ポンコツ映画愛護協会