『東方見聞録』:1992、日本

大航海時代(中世の終わり)、ポルトガルとスペインは日本を勝手に分割していた。世界の半分を手に入れたと考えたポルトガルの宣教師は、残り半分を征服する鍵が日本に隠れさていると信じていた。小舟で浜辺に到着した彼は、2人の騎士に「女王陛下のペットを捕まえに行くのだ。誰が世界を治め、どの国が亡びるかを見通す力を持つ者がいる」と語った。彼が「捕まえることが出来るのは一度きり、今日から数えて7日目じゃ」と告げた直後、浜辺に現れた漁師たちは騎士を見て驚いた。
百姓の福助や弥太郎、孫七たちは、父の時貞を裏切った時政の城攻めに参加していた。時貞側の家来にも寝返る者が現れ、城内で激しい戦いが繰り広げられる。死んだフリをして戦を避けた孫七は、福助と弥太郎に「戦で大切なのは死なねえこった」と教えた。福助と弥太郎も彼のように死体を装って倒れるが、侍の源内に気付かれて叱責された。裏山で戦っていた万次郎や虎松たちも、後からやって来た。手柄を立てたい彼らは、もう仲間の権之助が入っていることに焦りを覚えていた。
権之助や虎松は、時貞の忠臣である勝又三郎左の強さに怖気付いた。福助や弥太郎たちも、怯えながら戦った。天守閣では時貞の娘である時姫が、乳母から死を覚悟するよう言われていた。しかし彼女は「城の一つや二つ落ちたぐらいで、なぜ死なねばならん」と納得せず、自害しようとする侍女たちを止めた。時貞も同様に「なぜ死なねばならん」と言い、城から逃げ出すことにした。彼は「ワシが隠しとった宝のありかが分からねば、たちまち音を上げるに決まっとる」と話し、次男である時重の元へ行くことに決めた。
時貞が逃亡した直後、福助たちは時姫を発見した。時姫は2人の家臣が隠れている場所を開け、「父上、お覚悟を」と嘘をついた。足軽の面々が家臣に気を取られている間に、時姫は姿を消した。権之助は家臣の首を取り、乗り込んで来た時政に披露した。だが、宝のありかを聞き出す前に首をはねていたことで、時政は苛立ちを示した。妾が寝言で聞いていた宝のありかを明かそうとすると、時貞の母は止めようとしなかった。だが、乳母が妾に襲い掛かり、刺し殺してしまった。
時政は時姫の居場所を捜索させるが、甲冑に身を隠した彼女はなかなか見つからない。虎松と権之助は侍に命じられ、捕縛された三郎左を拷問して時姫の居場所を吐かせるよう命じられた。権之助から「お前もやれ」と要求された福助は、「お前の家来になった覚えはねえ」と拒絶した。源内が妾たちから時貞の寝言を聞き出すが、「宝のありかには七色の橋が架かっている」だの「宝は恐ろしい化け物に守られている」だのといった、役に立ちそうも無い情報ばかりだった。
家来の松前利正は「夢を見ました」と言い出し、目の前が水で覆われている景色だったことを話す。外の空気を吸うために出て来た時姫は、福助に見つかった。時姫が父を見殺しにしていないことを明かし、ここで見たことは黙っているよう求めると、福助は承諾した。翌朝、福助たちは利正に率いられ、山中の捜索に出向いた。その夜、一行が野営していると、鎧武者の格好をした時姫の祖母が現れて三郎左に語り掛け、その間に時貞は忍び寄って縄を切ろうとする。その様子を、不安そうに時姫が見ていた。
時姫の祖母は時貞に成り済まし、三郎左に「こいつらを殺して宝を探すのじゃ」と命じた。足軽たちは鎧武者に気付くが、幽霊だと思い込んだ。三郎左は時貞の次男である時重の軍勢が来ることを告げ、寝返るよう足軽たちに持ち掛けた。彼は縄を切って襲い掛かろうとするが、あっさりと取り押さえられた。時姫は母がいる山小屋へ戻り、三郎左が失敗したことを報告した。時姫は三郎左を利用して一行を全滅させ、宝を手に入れようと目論んでいたのだ。
山小屋に戻って来た祖母は、ポルトガルの騎士たちを連れていた。言葉が通じない騎士たちが絵を描くと、時姫は龍神を捜しているのだと解釈した。祖母は彼女に、昔から龍神は太陽が隠れた時にしか現れないと言い伝えられていることを話した。時姫は祖母に、彼らに宝探しを手伝わせようと提案した。そこで時姫は、龍神が滝にいることを教えた。翌日、足軽たちは移動し、洞窟を抜けた福助、利正、弥太郎は海を発見した。利正が戻ろうとすると、浜辺には宣教師の姿があった。利正は異国に来たと思い込み、「戻るぞ」と告げた。
利正は宝のありかを聞き出すため、三郎左を裸にしようとする。途端に怖気付いた三郎左は、時貞が「宝は恐ろしい龍神に守られている。近付く者は片っ端から食われる」と言っていたことを告げた。雷鳴が轟いた直後、福助は騎士たちを目撃した。福助は茂みに隠れている時姫に気付くが、すぐに彼女は姿を消す。一行が鎧武者を目撃した直後、福助は時姫を追い掛けた。万次郎、弥太郎、孫七も後を追った。4人は時姫を見つけるが、また彼女は姿を消した。
万次郎たちが雷鳴を怖がっている間に、時姫は福助を小屋へ引っ張り込んだ。万次郎は小屋があるのに気付き、死んだフリをして追って来た権之助たちを騙した。追っ手が立ち去った後、万次郎は小屋に向かって呼び掛けた。時姫と母は、仕方なく万次郎たちを招き入れた。そこへ鎧武者の姿をした祖母が戻って来た。時姫は福助たちに、宝が龍神の滝に隠されていることを教えた。ただし詳しい場所は分かっていないので、協力して探してほしいと求めた。福助が分け前が欲しいと申し入れると、彼女は了承した。
万次郎は時姫を時政に差し出そうと目論み、孫七に協力を持ち掛けた。しかし孫七は、時姫を自分の女にしようと目論んでいた。福助や時姫たちが滝へ行くと、利正が滝壺を覗き込んでいた。時姫が立ち去った後、福助たちは利正の一行に見つかった。利正は福助と三郎左の腰に縄を巻き付け、滝壺を探らせた。福助と三郎左は激しい水流に飲まれ、縄を持っていた万次郎も巻き込まれた。万次郎は陸に上がり、様子を見ていた時姫の前に現れた。福助が陸に上がるのを見た時姫が走り去ると、万次郎は後を追った。
利正が使いを命じると、足軽たちが一斉に立候補した。孫七は巧みな弁舌を発揮し、利正から使者を命じられた。福助は隙を見て逃げ出し、山道を歩いている孫七と遭遇した。時姫の元へ行こうとしていた孫七は、使いを福助に任せようとした。万次郎は時姫に「宝を山分けしないか」と持ち掛け、「夫婦になろうじゃねえか」と抱き付いた。それを見た孫七は激怒して殴り掛かろうとするが、時重軍の侍が近くにいたので時姫が静かにさせた。
福助たちは時重の家来である忠兵衛の部隊に見つかり、逃げ遅れた福助と孫七が捕まった。しかし書状を見つけた時政は時重軍の家来ではないと判断し、すぐに拘束を解いた。彼らは時重軍を装い、敵を欺くための隠密部隊だった。孫七が急死した後、福助は時重に命じられて彼らを利正の軍勢の元へ案内する。時重軍は利正を始末し、足軽たちを捕縛した。時重は滝の流れを止めるため、堰を作るよう指示した。一人だけ逃げ出していた権之助は、時政から寝返った侍たちに襲われた。
翌朝、時姫と母と祖母、万次郎、2人の騎士は、滝で作業を強いられている足軽たちを密かに観察した。時姫は時重の前へ進み出ると、「城より流れ落ち、本日までこの者たちに匿ってもらいました」と告げた。時重は時姫たちを部隊に引き入れて休ませるが、腹違いの妹である彼女を城に戻ってから自分の物にしようと目論んでいた。時政軍が滝に現れ、時重軍に襲い掛かった。時姫は騎士に指示し、鉄砲で時政を撃たせた。しかし弾丸は鎧に防がれ、時政は不用意に近付いた時重を始末した。
時政は源内に、滝を塞き止めて調査するよう命じた。城へ戻ろうとした彼に、虎松は時姫もいたことを知らせた。しかし居場所については知らなかったので、「分からなかったら言わないで」と叱責された。虎松は捕まった時重軍の家来たちの元へ行き、密かに縄を切って解放してやった。三郎左は時姫に、源内を上手く利用するよう促した。福助は源内に「いい方法があるんじゃがな」と持ち掛け、川底にある穴の存在を教えた。時姫は彼を連れ出し、自分が時貞の娘ではなく養女であることを打ち明けた。宝の持ち主こそが実父であり、その宝を横取りした時に時貞が城へ拉致したのだと話す…。

監督は井筒和幸、原作は井筒和幸&阪本順治&平野美枝、脚本は高橋洋&井筒和幸、企画は宮坂進、プロデュースは岡本史雄&松本孝司、撮影は篠田昇、編集は吉岡聡、録音は朝倉務、照明は水野研一、美術は細石照美、ビジュアルコンセプトは林田裕至、アニメーションは津田輝王、音楽は千住明、主題歌はROCKS「思い出かきまわしても…」。
出演は緒形直人、設楽りさ子、柴俊夫、筒井道隆、徳井優、フランキー堺、藤田弓子、清川虹子、淡路恵子、ケント・デリカット、梅津栄、きたろう、本田博太郎、春田純一、川地民夫、石倉三郎、桑原和男、大泉滉、石井トミコ、螢雪次朗、諏訪太朗、栗原敏ら。


『犬死にせしもの』『宇宙の法則』の井筒和幸が監督&共同原作&共同脚本を務めた作品。
脚本の高橋洋は、これが劇場用映画デビュー作になるはずだった。
福助を緒形直人、時姫を設楽りさ子、三郎左を柴俊夫、時貞&時政をフランキー堺、万次郎を筒井道隆、弥太郎を徳井優、時姫の母を藤田弓子、時姫の祖母を清川虹子、時貞の妻を淡路恵子、孫七を梅津栄、利正をきたろう、虎松を本田博太郎、権之助を春田純一、時重を川地民夫、源内を石倉三郎、忠兵衛を桑原和男、宣教師を大泉滉、マリオをケント・デリカットが演じている。

この映画は、ディレクターズ・カンパニーが最後に製作した作品だ。ディレクターズ・カンパニーとは、1982年に池田敏春、石井聰亙、井筒和幸、大森一樹、黒沢清、相米慎二、高橋伴明、根岸吉太郎、長谷川和彦という9人の監督が「大手映画会社に頼らず、自分たちの望む映画を作るため」という目的で創設した映画製作会社である。
つまり東映や松竹のような大手メジャーではないわけで、そんな会社が大手スポンサーも付けず、自前で集めた10億円で製作したのが、この映画だ。
既にバブルも弾けた当時の日本では、10億円ってのは相当に高額の製作費だ。明らかに大作の予算である。
実際、これは大作映画として作られている。

大手メジャーの出資も受けず、テレビ局とも手を組まず、映画監督たちで設立した製作会社が10億円の大作を作ろうってのは、かなりのチャレンジだ。
しかも、その当時のディレクターズ・カンパニーは、興行収益の高い作品を次々に手掛けて儲かっていたとか、そういうわけではない。むしろ赤字経営であり、集めた10億円の中から4億円ほどが借金返済に充てられたらしい。
その時点で、既に予算的に厳しいことになっている。
おまけに3億円を使って滝のオープンセットを作ってしまったため、他に回す予算が足りなくなり、出演者の待遇は決して良くなかったようだ。

きっと本作品で起きてしまった「日本映画史上で最悪の事故」と呼ばれる悲劇も、そういう状況が招いてしまったのではないだろうか。
それは、エキストラとして出演していた21歳の俳優が溺死するという事故だった。
滝壺に落下するシーンを撮影するため、総重量約9キロの鎧を着用し、手を縛られた状態で彼はセットに入った。
しかし流れに飲まれて溺れ、スタッフの救助が遅れたために意識不明の重体となり、病院に運ばれたが翌日に死去したのである。

この事故を受けて遺族が業務上過失致死罪で告訴し、井筒監督と助監督が書類送検された。その後も撮影は続行され、作品は完成したが、事故について大きく報道されていたこともあって公開は中止された。
製作費の回収が不可能となったディレクターズ・カンパニーが倒産したため(当然のことながらスタッフとキャストのギャラは無し)、裁判に負けた井筒監督が遺族への補償金を全て支払うことになった。
このように書くと井筒監督は被害者のようだが、そうとも言えない。
そもそも「9キロの鎧を着て両手を縛られ、滝のセットに入る」という撮影がどうかと思うし、そんな危険な撮影なのに誰も万が一の事態に備えさせていないってのが問題なのだ。

この映画は公開中止となったことで製作費の回収が不可能になったわけだが、じゃあ公開されていたらどうだったのかというと、どのみち製作費は回収できなかっただろう。
もう少し延命はしたかもしれないが、結局はディレクターズ・カンパニーを倒産に追い込んでいたんじゃないかと思う。
ようするに、この出来栄えだと間違いなく興行的には惨敗していただろうし、大赤字になっていただろうってことだ。
というわけで、中身の批評に移ろう。

城を攻めるシーンでは、勇ましく戦っているのは三郎左ぐらいで、他の主要キャストはみんな腰が引けている。だから大勢が戦いに参加しているけど、迫力や高揚感は無い。
「侍がチャンバラをやって話が盛り上がって」というオーソドックスな時代劇に対するアンチテーゼを意識しているのかもしれない。
でも、その結果として、大作映画にふさわしい面白さが出なくなったら何の意味も無いわな。
そんなアンチテーゼなんか、犬にでも食わせてしまえってことになる。

時貞が「城の一つや二つ落ちたぐらいで、なぜ死なねばならん」と言うのは力強い口調ではなく、軽薄な印象が強い。たぶん喜劇人が出演していた昔のスチャラカ時代劇を意識しているんだろう。
軽妙洒脱を狙ったのかもしれないが、残念ながら上滑りで全く笑えない。
それと、10億円も使った大作映画で、スケール感を必要としない喜劇にするのは、いかがなものかと。
金のことばかり考えて映画を作るのがいいとは言わんけど、10億円を集めておいて回収できそうもないテイストの映画を作るってのもプロとしてどうかと思うぞ。

主人公の福助に、魅力がこれっぽっちも感じられないってのは相当に厳しい欠点だ(他にも欠点は多いが。っていうか欠点しか無いが)。
他の足軽たちは腰が引けながらも「手柄を立てたい」とか「飯が食いたい」といった強い欲を見せているのだが、福助にはそういう欲が見えない。何が目的なのか、サッパリ分からない。
だったら、なぜ足軽になったのかってことになるんだよな。
「徴兵されて仕方なく」ってことでもないんだから。

城に攻め入ったシーンが描かれると、もう早々に形勢は明らかとなっている。だったら、さっさと城を攻め落とした」というところに行き、さっさと宝探しへ移ればいい。
ところが、なかなか先へ進もうとせず、城に留まったままでダラダラと時間を費やす。
まず城から移動しない時点で「話が動いていない」という印象を少なからず与えてしまうのに、それだけでなくホントに話が進んでいない。ただ城に留まっているだけで、何も話が動かない。
一応は「城の中で宝のありかを見つけ出そうとしている」ってことなんだけど、だとしても、さっさと手掛かりを見つけて話を先へ進めろよ。ただ単に「宝のありかを見つけ出そうとしているが、なかなか分からない」ということで時間を浪費しているだけじゃねえか。

開始から30分ほど経過して、ようやく「宝探しの旅へ」という次の展開に移る。だが、なぜ山の中を捜索しているのかが良く分からない。一応は「滝を目指している」ってことなんだけど、特にこれといった手掛かりも無く適当に山の中を歩いているだけに見えてしまう。
一方、時姫たちも宝を見つけ出そうとしているのだが、こっちはこっちで行動が無駄に分かりにくい。彼女たちが宝目当てで行動していることが、そこで初めて分かるってのは構成として不備があると言わざるを得ない。
時姫が身を隠している時点では単純に「発見されないため」ということだったはずで、そこから「宝を見つける」という行動目的が生じるまでの手順がカットされているんだよな。
っていうか、実は最初から宝を見つける目的があったことが後から明らかになるけど、そこも無駄に分かりにくいだけ。

最初に森で鎧武者が現れた時点では、城では甲冑を時姫が着ていたから、彼女なんだろうと思っていた。
ところが三郎左に語り掛ける時には、時姫は鎧武者の近くにいる。
で、甲冑を着ているのは時姫の祖母なんだけど、初登場だから関係性がボンヤリしている。
その後で時姫の母も登場するけど、そもそも「時姫が時貞の実の娘ではなく養女で、本当は山の娘。だから母&祖母は山小屋に住んでいる」ということが説明されていないから、無駄に分かりにくくなっている。そこを隠していることが、映画の面白さに繋がっていない。

時姫が騎士たちに宝探しを手伝わせようと祖母に提案した後、龍神の居場所を彼らに教えるのも意味が分かりにくい。
つまり「龍神が宝を守っているから、その邪魔な龍神を騎士たちに排除してもらおう」ってことなんだけど、そもそも「龍神が宝を守っている」ということも明示されていないんだよね。時貞が寝言で「宝は恐ろしい化け物に守られている」と言っていることは示されているけど、それが龍神だと確定するための手順は無かった。
時姫は宝のありかも、龍神が守っていることも全て知っているという設定なんだけど、こっちに伝わっている情報がものすごく少ないのよ。
情報を制限して、少しずつ宝のありかや謎が明らかになっていくというミステリー仕立てにしているつもりかもしれんけど、それが映画の面白さに全く繋がらず、ただ分かりにくくなっているのでは意味が無いでしょ。
とにかく、この映画はやたらとゴチャゴチャしていて説明不足が甚だしい。

宝のありかを時姫が明かした時、福助は「宝は姫様の物じゃ。ただ、ちょっと分け前が貰えれば」と言い出す。
そこで初めて彼は「欲」を表現するのだが、それじゃあ遅すぎるでしょ。なんで主人公が特にこれといった目的を持たずにフラフラしているだけの奴になってんのよ。
そういうキャラでも成立する話もあるとは思うよ。「最初はフラフラしていた奴が何らかの意識に目覚めて積極的に行動するようになる」という成長物語にでもなっているなら、それも良しとしよう。
だけど、そういう中身になっているわけでもないのよ。ただ意味も無く、主人公の目的がボンヤリしたまま時間が過ぎて行っただけなのよ。
っていうか、分け前が欲しいと言った後も、やっぱり彼が何をしたいのかはボンヤリしたままで、分け前のために積極的に行動するわけじゃないんだよな。

っていうか、なかなか宝のありかが判明しなかった一方で、実は最初から宝のありかを知った上で行動していた奴らがいるというのは、話の進め方として上手くないんじゃないのか。
だから時姫たちが目的を明かした途端、あっさりと滝に到着してしまうんだよな。そこには何の苦労も無いのだ。
そうなると、今までの行程は時間の無駄遣いでしかないってことになるでしょ。さっさと時姫を動かしておけば、もっと早く滝に辿り着いていたわけで。
そりゃあ、宝のありかを明かさずに引っ張る中で厚みのあるドラマや魅力的な物語が描かれていれば何の文句も無いけど、スッカラカンのくせに無駄にややこしい中身を見せられていたので、文句しか出ないわ。

後半に入っても、相変わらず大勢の登場人物がゴチャゴチャと動いているだけで、ちっとも話が前に進まない。
足軽の連中がボスの座を巡って争うような出来事が展開する辺りは、欲に目が眩んだ連中の醜い争いを描きたいのかもしれんが、まあ退屈なこと。宝探しというイベントは、ずっと脇に追いやられたままだ。
しかも、そんな退屈な出来事が描かれている間、主人公であるはずの福助は物語の中心から外れて存在意義を失っている。っていうか、最初から彼の存在意義なんて皆無に等しいんだけど。
ただ、そういうことを言い出したら、この映画の存在意義からして疑わなきゃいけなくなるしなあ。

で、終盤になってハリボテ丸出しの龍神の頭部だけが出現した後、権之助は雷に打たれて死ぬ。龍神が偽物だと気付いた万次郎がそのことを話そうとすると、口封じのために三郎左が射殺して現場のボスになる。時姫が龍神は機械仕掛けだと暴露しても状況は変わらず、三郎左は福助たちに宝を探させる。
で、なんかゴチャゴチャした中で宝と共に本物の龍神が出現するのだが、そのCGで描かれた龍神も作り物っぽさ満点なのよ。
あと、妙に愛嬌があるデザインだし、魔法で時政を犬に変身させるし、色んな意味で浮いている。
そんな安っぽい龍神を登場させるぐらいなら、「龍神は存在しなかった」という設定にでもしておいた方がマシだわ。

色んな問題は含んでいるけど、ともかく龍神が登場したのなら、いよいよ物語は終幕へ一気に雪崩れ込むような段階に入っていると言っていいはずだ。
ところが龍神が登場した後、そこから激しいアクションや派手なスペクタクルでクライマックスを盛り上げるわけでもなく、「何とかして龍神から宝を貰いたい福助たちが説得や交渉を試みる」という展開になってしまう。
そこに来て物語を停滞させるって、どういう計算だよ。

それと、そこで急に福助が「みんな家族を食わせたくて足軽になったんだよ」と真剣な顔で龍神に訴えるが、そういう目的があったのかよ。だったら、もっと早い段階で表現しろよ。
っていうか今の今まで、「家族を食わせたい」という必死の思いなんて、これっぽっちも伝わって来なかったぞ。
さらに違和感が強いのは、ジャンケンで生贄になる奴を決めて虎松に決まり、彼が殺された後、福助が「宝なんて要らねえ。宝より虎松の方が大事なんだよ」と涙ながらに訴えるという展開。
そこで急に友情の厚さを訴えても、そこまでの仲間に対する情の薄さがあるから、心を打つモノは皆無だぞ。そもそも、そのジャンケンを言い出したのはテメエじゃねえか。ようするに、単なるマッチポンプじゃねえか。

なお、「ポンコツ映画愛護協会」では基本的に劇場公開された作品を取り上げることにしているので、オリジナルビデオとして発売された今作は本来なら該当しない。
しかし、これは特殊な事情で劇場公開が中止された映画なので、例外として取り上げた。

(観賞日:2014年9月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会