『豆富小僧』:2011、日本

押し込み強盗の3人組は墓地で千両箱を開き、小判を確認する。そこへ妖怪たちが現れ、3人を怖がらせる。だが、豆富小僧が姿を見せた途端、強盗の首領は笑い出した。他の妖怪たちは豆富小僧に呆れ果て、姿を消した。豆富小僧は強盗の首領に刀で襲われ、慌てて逃亡する。集落に戻った豆富小僧は、妖怪の総大将である父の見越し入道から「妖怪は人間に恐れられなければ意味が無い」と厳しく叱責された。豆富小僧の姉・おろくが「豆富ちゃんだって一生懸命やってるんだから」と擁護に入るが、彼の怒りは収まらなかった。
豆富小僧は「おとっつぁんなんか嫌いだ」と叫び、泣いて走り去った。先生である達磨が袖から飛び出し、「どうしておとっつぁんが嫌いだなんて言い出したんだ」と戒めるが、豆富小僧は「おっかさんならきっと分かって下さいます。だから旅に出ます」と言い出す。竹林の中でおっかさんの姿を見つけた彼は、その後を追って御堂に入った。だが、それは狸一族の長である芝居者狸が化けた姿だった。豆富小僧と達磨は、御堂の中に閉じ込められてしまった。
芝居者狸は702番狸、100番狸、101番狸といった配下の808匹を集め、「我が狸一族は妖怪どもに数百年も馬鹿にされ続けてきた。しかし今日、豆富小僧を閉じ込めてやった。これで妖怪どもは滅びに向かう。この世は狸の物だ。人間の欲に取り憑き、欲を煽り、操ってやる」と語った。一方、「どうしておっかさんは手前をこんな所に閉じ込めたんでしょう」と漏らす豆富小僧に、達磨は芝居者狸が騙したことを説明する。彼は「何かとなるじゃろ」と言い、豆富小僧とにらめっこを始めた。
豆富小僧と達磨は壁一面が正の字で一杯になるぐらい、にらめっこを繰り返して時間を潰した。そんな中、ショベルカーが御堂の屋根を破壊した。豆富小僧と達磨は、開いた扉から外へ飛び出した。2人はショベルカーに持ち上げられて飛ばされ、走行中のトラックの荷台に着地した。2人が周囲に目をやると、高層ビルが立ち並んでいた。高い塔を見つけた豆富小僧は、「何でも見渡せます。おっかさんを捜します」と達磨に告げた。
豆富小僧たちが塔へ向かっていると、死神が密かに忍び寄った。彼は豆富小僧の持っている豆腐が食べたくて、こっそり盗もうとする。しかし姿の消えそうになった豆富小僧が「返して」と言うと、死神は「出来心だっての。どうもそれ見ると食いたくなっちまうんだよ」と笑いながら釈明した。「会えて安心したぞ」と口にする達磨に、死神は200年が経過していることを教える。「今となっては良かったんじゃねえか。何にも知らずにいられたってことはよ」と死神は言い、妖怪がいなくなっていることを教える。彼は「人間には妖怪を恐れる理由が無くなったってことよ」と告げ、その場から飛び去った。
塔に辿り着いた豆富小僧と達磨だが、そこにいる人間たちは全く視線を向けようとしない。達磨は奇妙に感じるが、豆富小僧は「人に見られないと便利ですね」と呑気に言う。2人がエレベーターで階上へ移動すると、「SORA完成祝賀会」と書かれた広間に大勢の人々が入って行くのが見えた。2人が中に入ると、そこでは気象研究センターが開発した気象コントロールシステム「SORA」の発表会が開かれていた。政治家の播磨が挨拶し、開発者である天文物理学者の室田茜を紹介した。
壇上に立った茜は、死んだ夫から引き継いだ研究であることに触れた後、SORAのシステムについて説明する。SORAは、雲に特殊な電波を当てることで化学変化を起こさせるシステムだ。茜が話す様子を会場の隅で見ていた娘のアイは、「お母さんたら馬鹿みたい」と冷たく告げて外へ出た。播磨に憑依していた芝居者狸が豆富小僧と達磨の前に現れ、「今頃出て来ても、もう手遅れだ。妖怪どもは、もう消えてしまった。今や人間は恐れを無くし、欲の塊。儂らには操り放題だ。狸の時代は、もうそこまで来ている。お前たちに、もう出来ることは何も無い」と言い放つ。彼の呼び掛けで、他の人間たちに取り憑いている狸一族も姿を見せた。
会場の外へ出た豆富小僧に、達磨は「もし人間が儂らを忘れたというのなら、そんな人間に妖怪の存在を教えるのもお前じゃよ。お前にはその力がある」と言う。そこへアイが現れ、豆富小僧たちに呼び掛けた。彼女には妖怪の姿が見えるのだ。アイは「妖怪より、あそこにいる大人たちの方が怖い。みんな偉くなることやお金のことばっかり考えてる」と口にする。そこへ茜の助手である田口が来て、家に送り届けることを告げる。アイは豆富小僧と達磨に、「私と一緒においでよ」と持ち掛けた。
芝居者狸は702番狸たちに、「SORAを動かすまで、邪魔をさせてはいかん」と告げる。702番狸たちは「豆腐を取る手は打っておきました」と自信ありげに言う。アイたちが車に乗り込むと、袖引き小僧が現れた。「他の妖怪さんたちはいないの?」というアイの質問に、彼は「今は狸の天下です」と答えた。その夜、アイが住むマンションの屋上に現れた狸一族は、ロープで降下して豆腐を盗もうとする。その役に指名されたのは702番狸だが、あえなく失敗に終わった。
達磨とアイと眠り込んだ後、袖引き小僧は豆富小僧に「おっかさんの心当たりがある」と告げて外へ連れ出す。彼は「ぶんぶく座」という芝居小屋に豆富小僧を案内した。舞台に上がった豆富小僧の前に、おっかさんが現れた。おっかさんは豆腐を渡すよう促し、豆富小僧の持っているお盆を引っ張った。目を覚ました達磨は豆富小僧を捜しに出るが、カラスの群れに襲われる。そこへ化け猫の三毛姉さんが現れ、達磨を助けた。朝になって起床したアイも、自転車で豆富小僧を捜しに出掛ける。
豆富小僧がおっかさんに豆腐を渡そうとした時、三毛姉さんと達磨が駆け付けた。2人はおっかさんが芝居者狸の化けた姿であることを指摘する。正体を現した芝居者狸と狸一族は、力ずくで豆腐を奪おうとする。三毛姉さんが立ちはだかっている内に、豆富小僧と達磨は芝居小屋の外へ向かう。どこからか現れた袖引き小僧と共に外へ出ると、アイが通り掛かった。豆富小僧たちはアイの自転車に乗せてもらい、追って来る狸一族を撒いた。
袖引き小僧は達磨から、狸一族の手先であることを指摘された。すると袖引き小僧は悪びれず、「今は狸の世の中や。狸の言うこと聞いて何が悪いねん」と口にした。台風が接近する中、播磨に憑依した芝居者狸はSORAの力を示す絶好の機会だと考える。彼はマスコミに対し、SORAを使って台風を消滅させると発表した。何も知らされていなかった茜の元へやって来た播磨は、「ここの資金を出したのは私だ。従ってもらう」と鋭く告げた。
死神が豆富小僧たちの元に現れ、気象研究センターの方へ飛び去った。アイは母が死ぬのではないかと不安になり、気象研究センターへ行くことにした。豆富小僧と達磨も彼女に同行する。茜は播磨からSORAを使うよう命じられるが、それを拒む。すると播磨は狸の憑依した田口に、命令を下した。豆富小僧たちがセンターに到着した時、田口がSORAを作動させる。だが、台風は消滅せず、逆に勢いを増した。芝居者狸は「人間の力はこんなものか」とSORAを見捨て、巨大化した。豆富小僧は芝居者狸を止めるため、父に呼び掛けた…。

総監督は杉井ギサブロー、監督は河原真明、原作は京極夏彦『豆腐小僧双六道中ふりだし』(角川文庫刊)、脚本は青木万央&藤井清美&杉井ギサブロー、脚本協力は尾崎将也&阿部美佳、製作総指揮はウィリアム・アイアトン、製作は久松猛朗&亀山千広&中野隆治&寺田篤&八巻磐&岸本俊一&藤井善美&千年正樹&青木建彦&井上伸一郎&小林理、エグゼクティブプロデューサーは小岩井宏悦、プロデューサーは内田康史、演出は田中洋之&鶴岡耕次郎&斉藤啓也、絵コンテは河原真明&波多正美&鶴岡耕次郎&奥村よしあき&大地丙太郎&斉藤啓也、美術監督は坂本信人、CG監督は川北和明、編集は新見元希、キャラクターデザインはLapiz&藤田しげる、音響監督は藤山房伸、音楽はS.E.N.S. Project、主題歌は『ハルカ』SCANDAL。
声の出演は深田恭子、武田鉄矢、松平健、檀れい、小池徹平、大泉洋、宮迫博之、平野綾、はるな愛、矢島晶子、渡辺美佐、岩田光央、勝杏里、高塚正也、櫻井孝宏、瀬野和紀、田中綾子、大浦冬華、平田宏美、栗山拓也、後藤ヒロキ、須藤沙織、川瀬晶子、野浜たまこ、生野陽子(フジテレビジョン)ら。


京極夏彦原作の小説『豆腐小僧双六道中ふりだし 本朝妖怪盛衰録』を基にした長編アニメーション映画で、3D版も作られている。
監督は『あらしのよるに』『シナモン the Movie』の杉井ギサブロー。
豆富小僧の声を深田恭子、達磨を武田鉄矢、見越し入道を松平健、茜を檀れい、袖引き小僧を小池徹平、死神を大泉洋、芝居者狸を宮迫博之、アイを平野綾、702番狸をはるな愛が担当している。

冒頭、押し込み強盗が収穫を確認するのだが、それを喜んでいるのはリーダーだけ。
彼の仲間は兄弟で、「これで最後ですよね」と明らかに乗り気でなかった様子を見せる。弟は兄に「死んだ母ちゃんが、あれほど悪事を働くなって。悪いことしたら罰が当たる。母ちゃんがそう言ってたじゃないか」と言う。
そんなキャラ設定にしている意味は、何も無い。その後、この兄弟が物語に絡むことは全く無いのだ。
だったら、単なる悪党3人組でいいでしょ。なぜ、そんな意味ありげなキャラ設定にしているのか。
そこで変に個性を付けるのは、ただ邪魔なだけだ。

見越し入道とおろくが言い争いを始めた後、豆富小僧は父に怒鳴られてつまづき、豆腐が飛んでしまい、そのために姿が消えそうになる。
それを何とかキャッチするが、他の妖怪たちに笑われる。
見越し入道は「人間にも仲間にも笑われて」と呆れ果てる。
すると豆富小僧は「怒ってばかりいるおとっつぁんなんて大嫌いです」と泣いて走り去るのだが、そりゃ変だぞ。
そのセリフの直前、見越し入道は怒ってなかったじゃねえか。

既豆富小僧が「おっかさんを捜す」と言い出した時点で、彼の母親に関する情報は達磨の発した「お前のおっかさんなど、とうの昔に消えてしまっておるじゃろ」ということだけ。
どういう妖怪なのか、どういう経緯で消えたのか、いつ頃消えたのか、そういった諸々のことが全く分からない。説明不足が甚だしい。
で、竹林でおっかさんを見つけた豆富小僧が追い掛けるというシーンがあるのだが、後でアイと会話を交わすシーンで、豆富小僧が母の顔も知らないことが分かる。
そうだったのかよ。それも全く分からなかったぞ。
そんな風に説明が足りなさすぎて、豆富小僧の母に対する思いもまるで伝わって来ない。

芝居者狸が「この世は狸の物だ。人間の欲に取り憑き、欲を煽り、操ってやる」と述べた後、「祝え、踊れ」と言うと、挿入歌が流れる。
だが、狸一族の踊りは歌のテンポと合っていないし、バラバラだし、すぐに御堂の様子が挟まれる。
「祝え、踊れ」のタイミングで挿入歌を流し、狸一族が踊り出す様子を描くのなら、そこはミュージカル・シーンとしてキッチリと演出した方がいいでしょ。
なんで中途半端な形にしちゃうのか。

芝居者狸は豆富小僧を閉じ込めるが、それで妖怪が滅びに向かうってのは、なぜなのか全く分からない。
彼は「我が狸一族は妖怪どもに数百年も馬鹿にされ続けてきた」と語るが、まるでピンと来ない。妖怪が狸を馬鹿にしている描写があるわけでもないしね。
それと、彼が豆富小僧を閉じ込めるのは馬鹿にしてきた妖怪たちへの仕返しが目的なのかと思ったら、「この世は狸の物だ。人間の欲に取り憑き、欲を煽り、操ってやる」と言い出す。
そっちが目的なのかよ。なんかブレブレだな。
だったら「人間を操るのに妖怪が邪魔だから滅ぼす」ってことでいいでしょ。わざわざ「数百年も馬鹿にされ続けてきた」とか、そんなことに触れる意味が無い。

豆富小僧と達磨が御堂から抜け出す方法を考えず、にらめっこを繰り返すというのは喜劇としての描写なのかもしれないが、間の取り方、シーンを切り替えるタイミング、テンポ、台詞回しなど、全てが上手くいっていない。
タイムスリップの見せ方も上手くない。壁に無数の「正」の字が書かれているので、にらめっこを何度も繰り返したことは分かるが、「長い年月が過ぎた」ってのは分からない。
長い年月が過ぎたことを意図的に分からなくしているのであれば、ショベルカーが現れたタイミングで「長い年月が過ぎた」と分かるのは中途半端。
ホントは豆富小僧たちが都会の景色を見るタイミングで、それが分かるようにした方がいい。

豆富小僧は塔を見つけて「何でも見渡せます。おっかさんを捜します」と言うが、見知らぬ場所に来てしまったことについては、何の反応も示さない。
マイペースな性格設定なので、仕方が無い部分はあるだろう。
しかし、だったら達磨にカルチャー・ショックのリアクションをやらせた方がいい。
どっちも「見たことも無い建物ばかりが並ぶ場所に来た」ということに対するリアクションが薄いので、200年も経過したのに、その仕掛けが効果的に作用していない。

豆富小僧と達磨は妖怪が消えたことを死神から知らされるが、それは人間が恐れを無くしたからだ。
だったら、芝居者狸が豆富小僧を御堂へ閉じ込めた意味って何も無いでしょ。
それと、芝居者狸は豆富小僧を閉じ込めた直後に「この世は狸の物だ。人間の欲に取り憑き、欲を煽り、操ってやる」と言っていたのに、200年も経過して、ようやく「操って気象をコントロールさせようとする」という行動に出ているのね。ペースが遅くないか。
あと、気象をコントロールして、それで何がやりたいのかもサッパリ分からんし。

それに、その気象をコントロールするSORAっていうシステムも、邪魔に思えるんだよなあ。
「200年も昔の妖怪が、いきなり現代の都会へ迷い込む」というカルチャー・ギャップで充分なのに、そこへ気象コントロールシステムという近未来的なモノを盛り込むと、話がブレてしまう。
しかも、それって物語の中で、絶対に必要な道具とも思えないんだよなあ。
むしろ、そんな妙なシステムを持ち込まない方が、上手く話を構築できたんじゃないかと思ってしまう。

「人間が恐れを無くして欲ばかりになったから、狸が人間に憑依する」ってのも良く分からん。
「狸は人間の欲にしか憑依できない」という設定なのかな。そこは分かりにくいんだけど。
そもそも「人間が恐れを無くして妖怪が消えた」というところも、ピンと来ないのよね。
だってさ、世の中には怪談話とか妖怪話ってのは色々とあって、それは衰退していないからね。例えば稲川淳二さんの怪談ライブとか、心霊モノのDVDとかもあるわけだし。

なぜアイだけに妖怪の姿が見えるのかは不明。
「欲まみれの大人には見えないが、まだ欲にまみれていない子供には見える」という設定だったら、「他の子供たちにも妖怪が見える」という描写があってしかるべきだが、そういう場面は無い。
だから「アイだけが特別」という受け止め方になるのだが、彼女だけが持っている「妖怪を見ることの出来る特殊な力」が何なのか、それは全く分からない。

芝居者狸は「SORAを動かすまで、邪魔をさせてはいかん」と言い、豆富小僧の豆腐を一族に奪わせようとする。
だが、なぜ彼が豆富小僧をそんなに恐れるのか、良く分からない。
豆富小僧って、ただ豆腐を持っているだけで、大した力も無さそうだし、放っておけばいいんじゃないかと。
それと、豆富小僧を消すために豆腐を奪おうとしているけど、始末すればいいわけだから、他の方法って無いのかね。

製作委員会にEPICレコードジャパンが入っており、タイアップで仕方が無かったんだろうけど、主題歌の他にEPIC所属アーティストの歌が4曲挿入されている。
歌を挿入するのは別にいいとしても、「無理に挿入しました」ってのが露骨に見えちゃってるのはマズいでしょ。
前述した「ミュージカルになり切れていないシーン」もそうだけど、アイが寝ているところへ茜がやって来るシーンで歌が流れるのも、その時点でイマイチ合っていない。
おまけに、その歌が流れたまま「豆富小僧が袖引き小僧と共に外へ出る」というシーンへ切り替わると、もう全く合わないものになってしまう。

芝居小屋に入った豆富小僧がいきなり芝居を始めるのは、すげえギクシャクした感じになっている。
で、そのまま翌朝になっているのだが、それまでずっと芝居者狸はお盆を引っ張っていたのかよ。
そんで朝になってから芝居者狸が「みんな、豆富小僧が豆腐をくれるってよ」と客に呼び掛け、客たちが「豆腐よこせ」と群がるところで歌が入るが、タイミングに無理がありすぎ。
あと、観客もみんな狸一族が化けた妖怪なんだけど、「消えたはずの妖怪が大勢いる」ってことに対して、豆富小僧は何の反応も示さないのね。

3Dということもあってか、芝居小屋のシーンもそうだし、自転車で川を飛び越えるという非現実的なアクションもそうだし、映像表現で惹き付けようという意識が感じられる。
ただ、そういうシーンが話の流れに上手く乗っておらず、無理に盛り込んでいるという印象が強い。そのため、ツギハギ感がハンパない。
豆富小僧がおっかさんを捜す話と芝居者狸が陰謀を企む話は上手く絡んでいないし、母は嫌いだと口にするアイと豆富小僧を重ね合わせようってのも上手く行っていない。
そもそも豆富小僧とアイの交流が薄いし。

SORAを使って台風を消すことに、茜は反対する。
たぶん「芝居者狸は危険な作業を強行させる」という風に見せたいんだろうけど、失敗しても気象研究センターが信用を失うだけにしか思えないんだよな。そのシステムがどういうものなのか、もし気象コントロールに失敗した場合はどうなるのか、そういうことの説明が不足しているのでね。
だから失敗しても、そのまま台風が来るだけだろうと思ってしまう。
システムを作動し、コントロールに失敗して台風が勢いを増して、ようやく「ああ、そりゃ危険だわな」と分かるのよね。

豆富小僧が気象研究センターへ向かうシーンで挿入歌が流れるが、これも全く合っていない。
気象コントロールに失敗した後、芝居者狸が「見ておれ、嵐など吹き飛ばしてくれるわ」と言って巨大化すると、豆富小僧は何とかしようと考える。でも、嵐を吹き飛ばしてくれるのなら、放っておけばいいんだよな。それを阻止しようとする意味が分からん。
で、どうやって阻止するのかと思ったら、父親に呼び掛ける。完全に他力本願。
しかも、妖怪は消えていたのに、呼び掛けたら父だけでなく他の妖怪たちもすぐに現れる。
で、見越し入道は「これで人間も自然を恐れる心を取り戻せるだろう」と語るが、だったら巨大な嵐を作り出した芝居者狸に感謝しなきゃいけなくなるぞ。

クライマックスとして派手なアクションを持って来ているけど、豆富小僧のキャラクター設定を考えると、もっと穏やかな内容、ほのぼのしたテイストの作品にした方が良かったんじゃないかと。
激しい戦闘を用意しても、豆富小僧は何もすることがなくて、ただ傍観しているだけになっちゃうんだし。
で、その後、茜が事故で死にそうになると、豆富小僧は死神に豆腐を差し出して、その代わりに茜を助けてもらう。
つまり、終盤に豆富小僧がやったのは、「父に頼る」「豆腐を死神にあげる」という2つだ(ちなみに、豆腐を失った豆富小僧は消えてしまうが、おっかさんらしき人に別の豆腐を貰い、妖怪たちの元へ戻ってくる)。

この映画、アイの「豆富ちゃんには豆富ちゃんの役割があるよ」という言葉が示すように「出来損ないと言われている豆富小僧にも出来ることがある」というテーマが含まれているはず。
だから、「その答えが見つかる」というところへ着地するべきだ。
で、その「豆富小僧の役割」として示されたのが「強大な力を持つ父親に頼ること」「命を投げ出すこと」の2つって。
それでホントにいいのか。

(観賞日:2013年4月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会