『突入せよ!「あさま山荘」事件』:2002、日本

1972年2月19日、長野県南軽井沢、あさま山荘。長野県警に追われた連合赤軍のメンバー5人が、管理人・小雀彰夫の妻・真理子を人質に取って立てこもった。警備局付警務局監察官・佐々淳行は、警察庁長官・後藤田正晴から現地へ行くよう命じられる。
後藤田は佐々に、犯人を殺さずに捕まえることや、火器やライフルの使用は警察庁許可事項とすること、人質交換の要求には応じないこと、報道陣と良好な関係を保つことなどを方針として示した。警察は階級主義がまかり通っているため、佐々は丸山参事官の補佐という形で現場の陣頭指揮を執ることになった。
現地に入った佐々は、メンツに固執する長野県警の面々と顔を合わせた。彼らは、ライフルと警察犬さえ貸してもらえれば、警視庁から派遣された機動隊など要らないと考えていた。佐々は長野県警の顔を立てる形で、事件の解決を目指そうとする。しかし、長野県警は犯人の顔写真もマトモに撮影できない始末だった。
長野他にも佐々を悩ませる問題はあった。隊員の食事まで凍ってしまうほどの寒さである。さらに、大勢のマスコミ関係者や、人質の身代わりを申し出る人々もトラブルの種になる。警察庁上層部は、現場を信頼せずに勝手な命令を出してくる。事件解決が見えないまま、時が過ぎて行く。そんな中、ついに佐々は強行突入を決意する…。

監督&脚本は原田眞人、原作は佐々淳行、製作は佐藤雅夫&谷徳彦&椎名保、企画は小玉滋彦&源孝志、プロデュースは原正人、プロデューサーは鍋島壽夫&濱名一哉&鈴木基之、アソシエイト・プロデューサーは山田俊輔、協力プロデューサーは貝原正行、撮影は阪本善尚、編集は上野聡一、録音は中村淳、照明は大久保武志、美術は部谷京子、音楽は村松崇継。
出演は役所広司、宇崎竜童、天海祐希、伊武雅刀、串田和美、豊原功補、松尾スズキ、山路和弘、矢島健一、遊人(原田遊人)、街田しおん、藤田まこと、遠藤憲一、篠井英介、もたいまさこ、高橋和也、椎名桔平、篠原涼子、松岡俊介、池内万作、山崎清介、螢雪次朗、大森博、榊英雄、荒川良々、甲本雅裕、武田真治、鈴木一真、深水三章、田中要次、村田則男、佐々淳行、宇田川信一 、後田成美、田中哲司、光岡湧太郎、井上肇、李鐘浩、眞島秀和、野村貴志、重松収ら。


1972年に連合赤軍が起こした「あさま山荘」事件を、当時の指揮官だった佐々淳行のノンフィクション『連合赤軍「あさま山荘」事件』を基に映画化した作品。
ただし、例えば人質の氏名が実際とは違うなど、「実話を基にしたフィクションです」という形にしてある。
どうでもいいけど、カミソリ後藤田が藤田まことって、そりゃ無いだろ。

かなりリアリティーを持たせて重厚に作っているはずなのだが、それと主人公のキャラクターが合っていない。やたら主人公だけがカッコ良く活躍して、彼のおかげで事件が解決したような感じになっている。原作者にベンチャラしているのか?
私はリアルタイムで事件の生中継は見ていないが、後になって当時の記録映像は目にしたことがあるし、事件を扱ったドキュメンタリー番組も見ている。リアルタイムの体験でなくても、緊迫した空気や何とも言えない迫力が感じられた。だが、この映画には、そういったモノはほとんど感じない。警察のゴタゴタはあるが、熱いドラマは皆無に等しい。

この映画、連合赤軍の脅威は全く描かれない。最初に4人の警官からアタフタと逃亡する連合赤軍メンバーの姿を見せているので、そんなに恐ろしい敵だという印象を受けない。そして、長野県警がドジを繰り返す様子が描かれる。つまり、「敵は強くなかったけど警察がバカだったので解決までに苦労しました」という形になっている。
敵の正体や目的が全く分かっていなければ、未知の存在に対する恐怖が生じたかもしれない。しかし、観客は敵が連合赤軍であることも、彼らに関する情報も充分に知っている。だから、敵を描かないことによるプラスは何も見当たらない。

終盤に入るまでは、長野県警のマヌケっぷりが延々と描かれており、人質事件の緊迫感は乏しい。それに、何よりも退屈で間延びしている。もし実際の現場が退屈の続く状況だったとしても、フィクションだと最初に断っている時点で制約は取っ払われているはずだから、ドラマティックに盛り上げる脚色は出来たはずだ。

原作(未読だが)が危機管理の大切さや警察組織の問題点を訴える内容になっていても、それは一向に構わない。ただ、この事件を映画にした時に、そこを抽出してどうするのかと。「犯人との対決」という構図こそがサスペンスとしての肝なのに、連合赤軍が全く描かれないので、その肝の美味しさが全く味わえないのだ。
警察の内輪揉めを滑稽な雰囲気を漂わせながら描くには、あさま山荘事件は重すぎるし、この映画での扱いは軽すぎる。
別に内輪揉めを描くなというわけではない。ただし、それと並行して、「凶悪な敵との戦い」という図式を太い線で示すべきだと思う。

結局、この映画の目的は、「あさま山荘」事件を描くことではない。別に他の事件だって構わないのだが、世間的に良く知られている事件だから、それを使っただけのことだ。
事件も連合赤軍も、「ボンクラ地方警察はダメだから警視庁に任せろ」ということを描くための道具に過ぎない。
警察の中央集権を訴える、プロパガンダ映画になっている。

 

*ポンコツ映画愛護協会