『図書館戦争 THE LAST MISSION』:2015、日本

図書特殊部隊隊員の堂上篤や笠原郁、小牧幹久、手塚光といった面々は雑誌『新世相』を含む検閲対象図書を印刷所から回収し、武蔵野第一図書館へ向かう。メディア良化委員会の尾井谷隊長は部隊を引き連れ、図書館に到着する。彼は図書特殊部隊隊長の玄田竜助に対し、検閲行為の施行を通達する。「速やかに差し出せ」と違反図書を目録を見せられた玄田は、「ウチに無い図書がある」と告げる。尾井谷が「間もなく届くことは分かっている」と言うと、玄田は「拒否権を発動する」と告げる。
堂上たちはメディア良化委員会が待ち受けていることを玄田から知らされ、車両で一気に突破しようとする。一斉射撃を受けた堂上たちを、防衛部隊が援護する。堂上から図書を託された郁は、何とか任務を遂行した。『新世相』は貸出禁止処分が下され、業務部の柴崎麻子は「赤字覚悟で記事を書く雑誌なんて、今や『新世相』ぐらい」と口にする。手塚は「お先真っ暗だな」と漏らすが、郁は「だから私たちがいるんじゃん」と前向きな気持ちを示す。
郁は憧れの王子様が堂上だと知ったものの、気持ちを明かすことは出来ずにいた。麻子から「好きって言っちゃえば」と促されても、彼女は「出来ない」と口にする。夏に買ったプレゼントも、半年が経過しても渡せないままだった。夜中まで残業していた郁は、同期である業務部の野村一士から荷物を運ぶ手伝いを頼まれる。郁は快諾し、ダンボール箱を運ぶ。一方、手塚は文部科学省の「未来企画」代表を務める兄の慧から電話が掛かり、さんざん迷ってから出る。慧が「最後のチャンスをやるよ。図書隊は辞めろ」と告げると、彼は「もう電話するな」と告げて切った。
郁は「図書隊はバカバカしいよ。幾ら戦っても自主規制は進む。検閲は無くならない。世の中はどんどん無関心になる。何も変わらない」という野村の言葉に腹を立て、「だったら辞めれば?いる意味ないじゃん」と言う。すると野村は冷たい視線を向け、「そうだね。いいよ、もう行って」と口にした。郁が立ち去った後、野村はダンボール箱に入っていた図書を燃やした。慧はセミナーの壇上に立ち、「関東図書基地司令である仁科巌が自由を守ろうとしたために、図書隊と良化隊の終わりの無い戦いが始まってしまった」と訴える。
『新世相』の編集部主任を務める折口マキは、仁科や玄田と共に日野図書館の跡地を訪れる。折口から質問を受けた仁科は、「あの日から少しでも世界は変わっただろうか。図書隊を作ったことを、後悔はしていません。しかし、戦いによって傷付く者がいることも事実」と述べた。茨城県の黒木知事と面会した仁科は、良化委員会から警告があったことを聞かされる。芸術祭「未来への自由展」のテーマが「表現の自由」だったため、内容によっては展示物の強制回収もあると通達してきたのだ。
対抗する術が無いことを黒木が語ると、仁科は図書隊で警護を引き受けることを約束した。すると黒木は、今回の祭典に「自由の象徴」を貸してほしいと要請する。仁科は検閲対象書庫へ行き、金庫に保管されている『図書館法規要覧』の初版本を取り出した。現存するのは、その1冊だけだ。彼は堂上や玄田たちに、それを茨城県展に出展すると告げる。玄田は警備に当たるタスクフォース54名を集め、「貸し出しは当日まで極秘。水戸図書館に一時保管し、当日の朝に美術館へ近代美術館へ搬入する」とミッションを説明した。
『週刊ジャーナル』に図書隊を批判する書物が密かに燃やされているという告発記事が掲載され、ニュース番組でも取り上げられる。犯人の野村が自首し、郁も共犯だと証言した。査問委員会に掛けられた郁は、中身を知らずに運んだだけだと訴える。しかし査問員の白石や赤田たちは彼女を犯人だと決め付け、執拗に追及する。玄田は折口と連絡を取り、行方をくらました野村が自作自演で『週刊ジャーナル』に告発した可能性が高いと確信する。
延々と質問を受けて疲れ切った郁は、白石たちから「堂上への誤った憧れが、焚書行為に繋がったのではないですか」「問題のある上官に育てられた部下が、問題行動を起こす。良くある話だ」と告げられる。堂上を侮辱された彼女は憤慨し、「私が共犯でも何でもいいです。でも悪影響とか教育が悪いとか、全然違います」と声を荒らげた。ようやく解放された郁は、堂上から「査問委員会の継続が決定した。何を言った?」と質問される。「お前の進退が懸かってるんだぞ」と責めるように言われた郁は、思わず泣き出してしまった。
寮に戻った彼女は、寮母から「電話あったわよ。折り返し連絡くださいって」とメモを渡される。その相手が慧だと知り、郁は連絡を取る。麻子は野村が3ヶ月前から自由企画の非公式セミナーに通っていた情報を入手し、手塚に教える。郁は慧から「この国から検閲を無くすことが出来る」と聞かされ、レストランで会う。詳しい方法を尋ねる郁に、慧は「図書隊を文科省の傘下に入れます。国家機関になれば、対等に話を進められる」と語る。その条件として彼は、図書隊防衛部の解散が必要だと告げる。
戸惑う郁に、慧は「武力衝突している者同士が、同じ国家機関として並び立てるわけがない」と言う。郁が「賛成できません。検閲が完全に無くなるまでには、時間が掛かるんですよね。防衛部がいなくなったら、その間に本は燃やされていく」と語ると、慧は「多少は受け入れないと」と冷淡に告げる。慧は手塚から電話が入ったことを彼女に知らせ、「こう言ってくれないかな。私を助けるために、図書隊を辞めてくれないか。そう言ってくれれば、野村の証言を撤回させてあげよう」と持ち掛ける。
自分を利用したことを明かす慧に、郁は「言えません」と断る。慧が「世界は悪くなる一方だ。君たちに世界を変えることは出来ない」と話していると、堂上が来て「行くぞ」と郁に告げる。「見てるだけか。直接来い」と堂上が告げると、慧は「現場は卒業しました。たかが兵隊じゃ何も出来ない」と返した。店を出た郁が「戦っても意味が無いんでしょうか」と問い掛けると、堂上は「俺たちが必要かどうかを決めるのは、俺たちじゃない。図書館の利用者が増えたって喜んでいたのは、どこのどいつだ。しっかりしろ」と述べた。
慧は査問委員会の終了を指示し、「身を以て知ればいい。自分たちの愚かさを」と口にした。タスクフォースはトラックに乗り、茨城県へ向かう。郁は堂上に「御迷惑をお掛けしたお詫びです」と言い、思い切ってプレゼントを差し出す。堂上は「必要ない」と言うが、郁は「部下の感謝を無碍にしないで下さい。カミツレのアロマオイルです」と渡す。タスクフォースは水戸図書館に到着し、副隊長の緒形が菅原館長に『図書館法規要覧』を預けた。
堂上と玄田は美術館へ行き、準備の状況を黒木から説明される。郁は水戸図書館防衛部の女子隊員から声を掛けられ、「3階の書庫には行かれましたか」と質問される。その直後、良化委員会の接近を知らせる警報が鳴り響き、タクスフォースは慌てて警戒に当たる。玄田は情報漏れを危惧するが、尾井谷が差し出すよう要求した図書に『図書館法規要覧』は含まれていなかった。玄田は要求を拒否し、戦闘が開始される。しかし普段と比べて良化隊の攻撃が単調で、その数も少なかった。
郁は玄田に、水戸の防衛部員は1人も参加していないこと、書庫を見たのかと言われたことを知らせる。書庫へ駆け込んだ郁は、水戸が検閲に屈していたことを知る。終了予定時刻になっても良化隊が攻撃を再開したため、図書隊も応戦する。しかし良化隊は増員され、館内へ突入した。菅原は図書館法規要覧を引き渡す通知書に署名しており、それを奪還するという理由で良化隊は戦闘を再開したのだ。菅原は玄田たちに批判されても悪びれた様子を見せず、「戦っても無意味だ。歪んだ世界を平和に戻すんです」と告げる。慧に感化されている菅原に、玄田は「戦闘の口実を作っただけだと分からんのか」と怒りを示した。
麻子は全てが慧の策略だと突き止め、仁科に知らせる。仁科が「あの本を奪っても、図書館法が無くなるわけじゃない」と言うと、彼女は「狙いはライブラリー・タスクフォースの壊滅。防衛部最強の彼らを叩き潰すことで、抵抗しても無駄だと全国の隊員に知らしめる」と述べた。激しい戦いで次々に負傷者が出る中、郁は傍観している水戸図書館防衛部の面々に「ここは貴方たちの図書館でしょ。守る物があったのに」と怒りをぶつける。堂上は郁を連れ出し、「ご自由にお持ち下さい。有志一同」と書かれたカミツレの鉢植えを見せる。彼は郁に、「カミツレは簡単には咲かない。誰かが手を尽くして、やっと咲く花だ。ここにもいるんだ。本を守りたい人が」と告げる。水戸のタスクフォースも戦いに参加するが、ついに良化隊は館内へ突入して来た…。

監督は佐藤信介、原作は有川浩『図書館戦争』シリーズ(角川文庫)、脚本は野木亜紀子、エグゼクティブプロデューサーは平野隆、プロデューサーは辻本珠子、共同プロデューサーは田口生己&吉田浩二&厨子健介、音楽プロデューサーは志田博英、テクニカルプロデューサーは大屋哲男、企画協力は那須田淳、撮影監督は河津太郎、美術は斎藤岩男、録音は横野一氏工、編集は今井剛、VFXスーパーバイザーは神谷誠&ツジノミナミ、アクション監督は下村勇二、衣装デザイナーは宮本まさ江、助監督は李相國、アソシエイトプロデューサーは大脇拓郎&渡辺信也&辻有一、音楽は高見優。
出演は岡田准一、榮倉奈々、田中圭、福士蒼汰、西田尚美、橋本じゅん、土屋太鳳、松坂桃李、栗山千明、石坂浩二、相島一之、テイ龍進、波岡一喜、阿部丈二、二階堂智、螢雪次朗、手塚とおる、デビット伊東、大塚ヒロタ、井坂俊哉、岡野真也、石橋菜津美、鈴木達央、朝香賢徹、荒木貴裕、生島勇輝、伊藤友樹、植木祥平、大迫一平、小林峻、酒井勇樹、佐藤充浩、中村織央、二階堂修、福田望、藤側宏大、松崎裕、和田亮太、千野裕子、春日井静奈、寺田伽藍、あこ、山森大輔、満田伸明、成松修、田邊和也、河野マサユキ、瀧口亮二、小水たいが、大地泰仁、堀内充治、田島匠悟、永井響、本間理紗、山中敦史、北山雅康、永倉大輔、中野剛、三洲悠暉、金時むすこ、ふくまつみ、 中澤準、藤本飛龍、越村公一、阿部翔平、後田真欧、田中一英ら。


有川浩の小説を基にした2013年の映画『図書館戦争』の続編。
監督の佐藤信介と脚本の野木亜紀子は、前作からの続投。
堂上役の岡田准一、郁役の榮倉奈々、小牧役の田中圭、手塚役の福士蒼汰、折口役の西田尚美、玄田役の橋本じゅん、麻子役の栗山千明、仁科役の石坂浩二、尾井谷役の相島一之、緒形役のテイ龍進、進藤役の波岡一喜、新世相のカメラマン役の阿部丈二らは、前作からのキャスト。
他に、慧を松坂桃李、小牧の幼馴染の毬江を土屋太鳳が演じている。

この映画は2015年10月10日に封切られたが、その直前の10月5日にテレビで『図書館戦争 ブック・オブ・メモリーズ』という特別ドラマが放送された。このドラマに松坂桃李や土屋太鳳らが登場しており、その続きとなる物語が本作品で描かれている。
つまり、これは映画の第2作だが、内容としては「映画第1作」→「TVドラマ」→「映画第2作」という流れになるわけだ。
ただし、特別ドラマを見ていなくても、話が全く分からないということは無い。しかし、何しろ物語が特別ドラマの続きなので、見ていない人からすると「説明不足」という印象になることは否めない。
そういう映画の作り方は、観客に対して不親切だよなあ。

サブタイトルに「THE LAST MISSION」とあるんだから、これで物語を完結させるのが「あるべき姿」のはずだ。
しかし実際には、慧は未来企画を解散させたが、まだ完全に失墜したわけではない。「今後も図書隊を潰すために行動するかも」という様子が残っており、「まだ話は続く可能性が」と匂わせる形で映画は終わる。
色んなことが決着しないままになっているしね。
「ヒットしたら3作目も作りたい」という思惑があるのなら、それは別に構わない。
でも、それなら、このサブタイトルはダメでしょ。何がどう「ラスト・ミッション」なのか、サッパリ分からんよ。

シリーズの続編だから当然っちゃあ当然なのだが、前作で見られた問題点は何ら改善されていない。
前作の批評でも触れたように、この作品はディティールが粗くて設定がユルい。
「書物を検閲するため、政府が銃器による武装化を進める」という事態が今から数年後に起きるのは、まるでリアリティーが無い。
それだけを取っても荒唐無稽な話なのに、やたらとハード&シリアスなテイストにしたせいで、設定の違和感を甘受できなくなってしまうのだ。

前作で言及した「設定に感じる疑問点」を幾つか挙げると、例えば良化隊の武装化を政府が安易に認可するのは違和感が強い。厳しい検閲が進めば世論の反対は高まるはずなのに、急速に良化隊の武装化が進むのは無理を感じる(軍事政権ならともかく、日本の話だからね)。
良化隊が武装化したのに対し、対抗組織として図書隊が設立しているのも不可解だ。「国の方針に対抗する武装組織」など、政府が許すはずはないからだ。
慧が「メディア良化委員会は法務省に属し、良化隊は検閲の実行部隊。対抗する術を持っていたのが、地方行政に属する図書館」と説明しているが、それによって「図書館とメディア良化委員会は管轄が違うから、対立する組織が存在するのも変じゃないんですよ」と言い訳しているつもりなんだろうか。だけど、地方行政が政府と無関係で何でも出来るってわけじゃないでしょ。
慧は図書隊を文科省傘下にする話をした時に「武力衝突している者同士が、同じ国家機関として並び立てるわけがない」と言っており、裏を返せば「今は地方行政の管轄だから防衛部も成立する」ってことになる。でも、そんな戯言で丸め込まれるほど、全ての観客がお人好しではないぞ。

前作の物語から2年後という設定なのに、未だに堂上と郁の関係は全く変化していない。
前作で堂上が王子様だと知った郁だが、気持ちを打ち明けていないし、その距離を近付けることも出来てない。一方の堂上も、たまに優しいトコは見せるが基本的にはクールに突き放すというツンデレぶりは相変わらず。
ただし、2人の関係が全く進展していないことに関しては、批判の対象にならない。むしろ、そこが本作品の肝だとさえ感じている。
だからこそ、「中途半端にリアルな手触りを狙ったハード&シリアスな作風にするよりも、ラブコメとして作るべきだ」と言いたくなるのだ。こっちが恥ずかしくなるぐらい甘ったるいラブコメにしておけば、図書館や検閲を巡るディティールの部分も「あくまでもラブコメの背景だしね」ってことで受け入れられたかもしれないのに。

オープニングから銃撃戦を用意しているのは、「まずは派手な見せ場から入って観客の気持ちを掴もう」という狙いだったのかもしれない。
だが、激しい銃撃戦なのに誰一人として死なないという「絵空事としての世界観」が最初から露呈している。主要キャストに限らず、顔も名前も分からないチョイ役に至るまで、誰一人として死なないのだ。死なないどころか、怪我を負っている人間さえ見当たらない始末。
水戸図書館の戦闘では、さすがに怪我人は出ているが、やはり死者はゼロの様子。
殺傷能力の無い武器を使っているようには見えないから、よっぽどタフな肉体を持った人間じゃないと図書隊や良化隊には入れないんだろうね。

政府機関の検閲が厳しくなる中でも、検閲対象である本が普通に印刷される。
わざわざ図書館を検閲して回収する前に、印刷所を自由に使えなくすればいいんじゃないかと思うが、そういう考えは浮かばないらしい。
良化隊は検閲対象図書が届けられることを知り、トラックが敷地に入るのを待ってから攻撃する。
そもそも敷地に入れないように入り口を封鎖すればいいんじゃないかと思うが、どうしても攻撃してから図書を没収したいらしい。

そもそも「図書館の敷地内じゃないと発砲できない」というルールからして、かなりの違和感がある。
そこにツッコミを入れると作品を根底から全否定することになるんだけど、良化隊はともかく図書隊は「図書を守るため」に戦っているのに、敷地内で戦うってことは館内が戦闘の部隊になる恐れもある。
実際、水戸図書館では館内で激しい戦闘が繰り広げられる。だから当然のことながら、戦闘によって図書が破損している。
図書を守るべき人間なのに、その図書がダメージを食らう場所で戦うんだから、どういうつもりなのかと。
良化隊の狙いは『図書館法規要覧』なんだから、それを持って早く館内から外へ出るべきじゃなかったのか。

このシリーズは前作から、「一般市民の存在感が希薄」という問題を抱えている。
今回も、序盤で図書館を利用する人々がチラッと写る程度で、以降は図書隊と良化隊の戦いや慧の暗躍が描かれるだけ。折口や黒木のような立場の人間を除き、図書館利用者を含む一般人が物語に関わることは無い。
ご丁寧なことに「水戸図書館で激しい戦いが繰り広げられている中、慧は街にいる無関心な人々を見ている」というシーンまで用意している。
しかし、一般市民の存在感が希薄であることを「問題」と書いたが、実は意図的な設定だ。
「一般人は図書隊の戦いに無関心」という状況を設定することで、「図書隊は本当に必要なのか」と郁たちが悩んだり迷ったりするドラマを作ろうという狙いがあるのだ。

しかし、「検閲が過剰なスピードで進行しているのに、一般人は無関心」ってのは、かなり無理のある設定だ。やりたいことは分かるが、それをリアリティーのある設定として受け入れることは難しい。ここもまた、リアリティーを意識させたことがマイナスになっている。
しかし、もっとマズいことが、他にある。それは、「一般人が無関心」という世界観を構築したことによって、「図書隊と良化隊が勝手に戦っている」という状態になってしまったことだ。
それが一般人に何の影響も与えず、一般人が何の関心も持っていないのであれば、それは本作品を観賞する観客からしても「どうでもいい戦い」になってしまうのだ。
幾ら本の検閲が進んでも、それが一般人の生活に全く影響を及ぼさないのなら、それこそ「不毛で無意味な戦い」でしかないでしょ。

たぶん、「一般人が無関心であろうとも、政府による検閲が進む国は危険であり、だから図書は守らなきゃいけないのだ」と訴えたいんじゃないかとは思うのだ。
でも、郁が「戦っても意味が無いんでしょうか」と問い掛けた時、堂上は「俺たちが必要かどうかを決めるのは、俺たちじゃない。図書館の利用者が増えたって喜んでいたのは、どこのどいつだ」と言っている。
つまり、「図書館の利用者がいるからこそ、図書隊は必要なのだ」ってことを訴えているわけだ。
それなのに、一方で「図書館の利用者である人々が検閲に対して無関心」という形を取っているわけで、それはどうなのかと。

っていうか、図書館の利用者だけでなく、本や雑誌を読んでいる人も、検閲に対して全くの無関心ってことは有り得ないでしょ。無関心な人もいるだろうけど、それは全く本を読まない人だと思うぞ。
それに、「政府による検閲は危険」ってことぐらい、ボンクラな日本国民だって多くの人が理解している。だから、実際に検閲まがいの出来事が起きた時は、望む結果が得られるかどうかは別にして、それなりの行動を起こす人々が出現する。マスコミだって、ちゃんと批判や分析の記事を書く。
そういうことが何も起きない世界観、声を上げる一般人が存在しない世界観ってのは、かなり無理がある。
その無理を強引に受け入れさせるためのパワーは、この映画には無い。そして、その荒唐無稽さを甘受させるような世界観も、この映画には無い。

この映画は慧を悪役として配置しており、「彼の主張は間違っている」と全面的に否定する。実際、その手口は卑劣だし、企んでいることも全面的に賛同できるような内容ではない。
ただし「戦っても無意味。図書隊防衛部に世界は変えられない」という主張に関しては、同意したくなる。それは前述したように、「一般人の不在」ということが影響しているのだ。
本来なら、「無意味だと思っていたけど、やはり自分たちは必要だし、戦うことに意味はある」と郁だけでなく観客も確信できるような展開を用意しなきゃダメなはずだ。
しかし、最後まで外部の人間の考えや行動が全く描かれず「無関心な人々」として記号化され、ひたすら「内輪揉め」に終始しているので、「観客とは無関係な遠い場所で繰り広げられている絵空事」にしか思えないのだ。

(観賞日:2017年2月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会