『図書館戦争』:2013、日本

昭和63年(1988年)。性描写や暴力、差別的な表現を規制するメディア良化法案が成立した。正化元年(1989年)、メディア良化法が施行された。メディア良化特務機関による厳しい検閲が開始され、書店からは多くの書物が消えた。良化法施行後、良化隊は銃器による武装化を進めた。正化16年(2004年)、検閲に対する唯一の組織「図書隊」が設立された。正化31年(2019年)、笠原郁は図書隊に入隊した。彼女は高校時代、書店で良化隊に童話を奪い取られそうになったことがある。その時、1人の図書隊員が現れ、良化隊を追い返した。郁は彼に憧れを抱き、自分も本を守りたいと思うようになったのだ。郁は自分を助けてくれた優しい男性隊員を「王子様」と呼んでいたが、その顔は良く覚えていなかった。
郁は東京の武蔵野第一図書館(関東図書基地)で、同期の手塚光たちと共に訓練を積む。教官の堂上篤が厳しい態度を取るので、郁は反感を覚えた。彼女はルームメイトである業務部の柴崎麻子の前で、愚痴をこぼす。「私は結構タイプだけどなあ」と麻子が告げると、郁は「無い、性格悪くて愛想ゼロだよ」と悪口を言う。堂上は講義の中で、20年前に起きた「日野の悪夢」について語る。メディア良化法に賛同する団体が日野図書館を襲撃し、館長の稲嶺和市以下図書館員が死去12名が犠牲となった事件のことだ。この事件を契機に、図書館は図書隊を設立して武装化を進めた。戦い方の基本は「専守防衛」で、威嚇射撃が中心であり、殺傷目的での発砲は行わない。また、発砲は図書館の敷地内に限定されている。堂上は新人隊員たちに、「我々は戦うために戦うのではなく、守るために戦う」と説いた。
柔道の実技で郁は圧倒的な強さを見せ、堂上に対しても余裕の態度を示す。堂上に投げられた郁はカッとなり、背後からドロップキックを浴びせた。堂上の反撃を食らう郁の様子を、図書特殊部隊隊長の玄田竜助が見ていた。翌日、郁は手塚と共に、関東図書基地・図書特殊部隊に配属される。図書特殊部隊で初の女性隊員に選ばれた郁だが堂上班への所属だと聞かされると露骨に嫌な顔をした。図書特殊部隊員は過酷な訓練を積んで戦闘に備えるだけでなく、図書を管理する業務も担当する。訓練で優秀な結果を出す手塚は、足を引っ張る郁に「お前に合わせているせいで何をやっても他の班に後れを取ってる。いい迷惑だ」と冷たい態度で告げる。郁から愚痴を聞かされた麻子は、手塚が図書館協会の息子であることを教えた。
ある日、警備の業務に就いていた郁は不審な男に気付いて尾行する。男がトイレで雑誌のグラビアページを切り取る現場を目撃した彼女は、逃げようとする彼を投げ飛ばした。郁は駆け付けた堂上に得意げな態度で報告するが、起き上がった男がカッターナイフで襲って来る。堂上は郁を庇って腕に怪我を負うが、男を手錠で拘束した。堂上は郁に平手打ちを浴びせ、「相手がフリーのままで何が確保だ」と叱責した。認識の甘さを感じた郁は謝罪するが、堂上は「お前はこの仕事に向いていない。荷物をまとめて帰れ」と冷淡に告げる。すると郁は高校生の時に助けてくれた図書館員のようになりたいことを告げ、「絶対に辞めません」と口にした。
玄田が関東図書基地司令の仁科巌と共に病院を訪れると、友人である週刊「新世相」の折口マキがやって来た。「新世相」が守り続けているジャーナリズムを、仁科は高く評価していた。玄田たちが病院へ来たのは、野辺山財閥の元会長・野辺山宗八の様子を見ることが目的だった。小田原の情報歴史図書館を運営している野辺山は、意識不明の状態に陥っている。そして医者は、意識の回復は無いと診断していた。情報歴史図書館には、良化法成立時に行われた不正の証拠が残されていた。もし野辺山が死去すれば、小田原で大きな戦いが起きると玄田は確信していた。
深夜、野営の訓練場所が暴風雨に襲われた。郁が倒れたテントを直そうとしていると、堂上が来て手伝った。郁は堂上に、図書隊員に本を守ってもらった5年前の出来事を語った。すると堂上は「見計らい権限は本来、一隊員が個人的権限で発動していいものじゃない。そいつは浅はかな隊員だ」と、その隊員の行動を否定した。彼が「俺たちは正義の味方じゃない」と言うと、「だったら私は付いて行けません」と郁は反発した。
翌日、野営訓練を終えた図書隊は関東図書基地へ向かう途中、書店で行われている良化隊の検閲を目撃した。郁が「見計らい権限があるじゃないですか」と介入を求めると、「あれは、ただの図書の買い上げ制度だ。検閲の妨害をするために乗り込むわけにはいかない」と玄田は述べた。玄田は隊員たちに、図書隊の権限を乱用するなと釘を刺した。しかし泣いている子供の姿を目にした郁は車を飛び降り、書店へと走った。
郁は見計らい権限を主張するが、図書士である彼女には権限が無いことを良化隊員に指摘される。郁は公務執行妨害で連行されそうになるが、駆け付けた堂上が改めて見計らい権限を宣言し、良化隊を立ち去らせた。堂上は郁を叱責し、自分を救ってくれた隊員の真似をしたと主張する彼女を「ただの無鉄砲な馬鹿だ」と怒鳴り付ける。「私の王子様を馬鹿にしないで」と郁が声を荒らげると、堂上は困惑した表情で「王子様?」と口にした。実は、郁を助けた王子様の正体は堂上だった。そのことを知っている小牧から冷やかされた堂上は、「昔の俺とは違う」と言う。
後日、堂上は仕事の遅い郁が手塚に叱責されている現場を目撃した。郁が去った後、堂上は「あれなら居ない方がマシです」と言う手塚に「自分のレベルに達しない物を見捨てていたら、最終的に何が残る?」と告げる。手塚が「自分が優秀に見えるのなら、それは努力をしているからです。笠原のような人間は怠惰としか思えません」と反論すると、堂上は「正論だな。だが、お前は笠原をどうして欲しいんだ?正論は正しい。だが、正論を武器にするのは正しくない」と言う。
図書館内にサイレンが鳴り響き、良化特務機関が武蔵野第一図書館付近に展開中であることがアナウンスされた。図書隊員たちは利用客を退避させ、配置に就いた。乗り込んで来たメディア良化隊長の尾井谷は、杉並区連続殺害事件の容疑者が閲覧していた蔵書の差し出しを要求した。玄田が拒絶すると、尾井谷は「19時から20時まで、メディア良化法に基づいて強制回収権を発動する」と通達した。
19時になって戦闘が開始され、麻子は敵の狙いが西館の第4会議室だと知って緊急連絡を入れる。郁は手塚と共に裏門の警護を命じられていたが、独断で第4会議室へ向かおうとする。手塚は反対するが、郁が走り出したので仕方なく後を追った。2人は蔵書を持ち出そうとする良化隊員たちと遭遇し、銃撃を受ける。郁は反撃し、脱出しようとする良化隊員たちを追う。郁は手塚に援護を任せ、良化隊員たちから蔵書を奪還した。郁は他の良化隊員から狙い撃ちにされるが、駆け付けた堂上が彼女を救った。20時が訪れて戦闘は終了し、良化隊は引き上げた。柔軟な対応を評価した堂上が去った後、郁は手塚から交際を申し込まれて困惑した。
翌日、大手マスコミは揃って昨晩の事件を大きく取り上げ、捜査協力を拒否した図書隊の対応を厳しく糾弾した。警視庁の平賀警部補は仁科司令を訪ね、容疑者の貸し出し記録を開示するよう要求した。仁科が拒否すると、平賀は内通者のリークで良化隊の検閲が行われたことを教えて「図書隊も一枚岩じゃないらしい」と告げた。仁科は表情を変えず、立ち去るよう求めた。図書館を後にした平賀は、仁科が日野の悪夢の生き残りであることを部下に話して「20年越しの執念だな」と告げる。
堂上が郁と手塚の関係、郁が堂上と麻子の関係を気にしながら巡回業務を行う中、関東図書基地への帰還命令が届いた。野辺山の死去に伴い、情報歴史図書館の閉館が決定したためだ。野辺山の遺言により、情報歴史図書館の全資料は関東図書隊が引き取ることになった。しかしメディア良化隊が不正の証拠を手に入れるため、受け渡しのタイミングを狙って来ることは明白だった。全資料の受け渡しは告別式の当日に行われる。玄田は隊員たちを集め、「もはや検閲ではない。かつてない規模の戦闘が予測される。全勢力を挙げて良化隊の妨害を阻止する」と語る。しかし郁は一人だけ、仁科の警護役として葬儀会場で防衛部の補佐に就くよう命じられる…。

監督は佐藤信介、原作は有川浩『図書館戦争』(角川文庫65周年記念)、脚本は野木亜紀子、エグゼクティブプロデューサーは濱名一哉、スーパーバイジングプロデューサーは那須田淳、プロデューサーは辻本珠子、共同プロデューサーは厨子健介&吉田浩二、ラインプロデューサーは田口生己、アソシエイトプロデューサーは渡辺信也、撮影監督は河津太郎、美術は斎藤岩男、録音は横野一氏工、編集は今井剛、VFXスーパーバイザーは神谷誠、アクション監督は下村勇二、助監督は李相國、音楽は高見優、音楽プロデューサーは志田博英。
エンディング・テーマ曲『Library Wars』作詞・作曲:高見優。
出演は岡田准一、榮倉奈々、田中圭、福士蒼汰、西田尚美、橋本じゅん、栗山千明、石坂浩二、鈴木一真、相島一之、嶋田久作、児玉清、テイ龍進、波岡一喜、落合モトキ、井坂俊哉、工藤俊作、阿部丈二、草薙良一、増田修一朗、俊藤光利、大迫一平、植木祥平、松崎裕、朝香賢徹、荒木貴裕、生島勇輝、宇都宮一基、大塚幸汰、佐藤充浩、小林峻、酒井勇樹、中村織央、二階堂修、福田望、和田亮太、井出卓也、大塚ヒロタ、前野朋哉、岸本尚子、吉岡奈都美、五十嵐麻朝、伊東悌智、上野直人、西泰平、廣瀬裕一郎、高橋宗人、三宅克治、千野裕子、山森大輔、春日井静奈、寺田伽藍、西田奈津美、桝木亜子、満田伸明ら。


有川浩の同名小説を基にした作品。
監督は『GANTZ』『GANTZ: PERFECT ANSWER』の佐藤信介。脚本はTVドラマ『ラッキーセブン』『主に泣いてます』の野木亜紀子で、これが映画デビュー作。
堂上役の岡田准一と郁役の榮倉奈々は、文芸誌『ダ・ヴィンチ』の「読者が選ぶ誌上キャスティング」企画で第1位だったコンビ。
小牧を田中圭、手塚を福士蒼汰、折口を西田尚美、玄田を橋本じゅん、麻子を栗山千明、仁科を石坂浩二、尾井谷を相島一之、平賀を嶋田久作が演じている。

冒頭で「図書館の自由に関する宣言」の文章が読み上げられ、武装したメディア良化隊に図書館が襲撃される本が燃やされる様子が描写される。
そうやってハード&シリアスな形で物語を始めると、こっちとしては「表現の自由や本の検閲、図書館の存在意義に関する強いメッセージ性を込めた内容になるのだろう」という心構えが出来上がる。
しかし、こちらに準備を整えさせた割りには、そこの掘り下げは浅い。
映画を見ていても、その手のテーマやメッセージは、申し訳程度にしか匂って来ない。

この映画の欠点はハッキリしていて、それは「ハードな方向へ舵を切った」ということだ。
この話って、本質的にはラブコメのはずなのだ。
「メディア良化法が云々」とか「図書」が云々」ってのは、極端に言ってしまえばラブコメを描くための背景に過ぎない。ある意味では、ものすごくライトノベル的な匂いが強い作品のはずなのだ。
そういう話を実写映画化しようとしたのなら、「ライトなラブコメ」として作るのが適している。なぜなら、リアリティーを追及したり、ハードな味付けを試みたりすれば、必ず「ディティールの粗さ」や「設定のユルさ」という壁にぶつかる羽目になるからだ。

これが「ライトなラブコメ」であれば、その辺りのユルさは甘受できてしまう。
だから、そういう形での納得が良いのか悪いのかという問題はひとまず置いておくとして、ともかく本作品は、ラブコメに仕上げるべきだったのだ。
ところが、なぜか佐藤信介と野木亜紀子はラブコメ色を思い切り削ぎ落とし、ハード&シリアスな方向へと舵を切った。そして配給した東宝も、それでゴーサインを出した。
その結果として、前述した問題が大きな欠点として露呈してしまう羽目になった。

まず、1988年にメディア良化法案が成立するのはいいとして、それが描かれた直後に「新しい元号は“正化”であります」と発表されるシーンがあるので困惑してしまう。
何がどうなって、元号が変わったのかと。
元号が変わるってことは天皇陛下が崩御されたってことになるはずなんだけど、そこは色々と面倒になるという危惧があったのか、まるで触れないんだよな。
で、そこに触れる覚悟や勇気が無いのなら、元号を変えちゃダメじゃないかと。そもそも、これって元号を変えなきゃ成立しない話でもないんだし。

「書物の検閲」というのは形こそ違えど今までにも起きていることであり、メディア良化法ってのは現実味を感じさせる設定だけど、その検閲方法が「銃器による武装化を進める」ってことになった時点で、途端にリアリティーはゼロになる。
そりゃあ、そういう可能性を強く感じさせる国もあるだろうし、日本だって将来的に「武装した部隊が書物を検閲する」という時代が訪れる可能性はゼロじゃない。ただし、「数年後」という設定なので、そうなると全くリアリティーは無い。
そこにリアリティーを求めるかどうかってのは、映画の作り方、雰囲気の作り方などに大きく左右されるのだが、この映画は本来なら、「そこにリアリティーを求めるのは野暮でしょ」と大半の観客に思わせる雰囲気作りをすべきだったのだ。
ところが導入部の作り方で、そこに観客がリアリティーを求めるようにしてしまった。にも関わらず全くリアリティーが無い設定なので、気持ちが乗らないまま本編が開始されるという状態になってしまっているのだ。

そもそも、良化隊の武装化を政府が安易に認可するとは到底思えないし、厳しい検閲が進めば世論の反対は高まるはずで、そうなれば政権交代も起きるだろう。
そして政権が交代すれば、メディア良化法の見直しはともかく、少なくとも良化隊の武装化なんてことは起きないはずだ。
政権交代が起きない中で急速に良化隊の武装化が進むってのは、かなりの無理を感じる。
これが例えば「軍部が強い力を持つ独裁国家で、その権限で良化隊の武装化を進めることも可能な国」であれば何の違和感も無いだろうが、なんせ日本だからね。

そして、そうやって良化隊が武装化したのであれば、それに対して検閲に対する唯一の組織「図書隊」が設立されるってのも全く現実味が無い。
それは「ファンタジーとして解釈すれば受け入れられる」という問題ではない。
そもそも、そこまでの設定に関する説明文を呼んだだけで荒唐無稽なファンタジーであることは理解している。
何が問題なのかというと、「ファンタジーにしても、ファンタジーとしてのルールが定まっていない」ってことだ。

良化隊が武装化し、対抗組織として図書隊が設立されるとすれば、それは政府が機能していないルール無用の世界観ってことになる。
なぜなら、良化隊が武装化する時には政府が認めているわけであり、それを認めたのであれば図書隊の設立など認可するはずがないからだ。
冒頭で語られる「図書館の自由に関する宣言」の中に「図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまで自由を守る」という一文はあるが、だからと言って「国の方針に対抗する武装組織」など政府が許すはずはない。そうなると図書隊ってのは「非合法組織」ってことになるわけで、だったら政府なり警察なりがクーデターとみなして取り締まる流れになるはずでしょ。
そもそも「図書隊」になんてのは設立時点では戦闘訓練を受けた連中じゃないわけだし、すぐに壊滅させられると思うぞ。
ところが映画を見ている限り、どうやら非合法な組織ではなさそうなのだ。

その辺りは設定がハッキリしていないので良く分からんのだが、もしも非合法な組織なら、普通に図書館で勤務しているなんてことは有り得ない。
なぜなら、県立や国立の図書館ってのは幾つも存在するわけで、そこで働いている図書館員は公務員のはず。
政府の方針に反抗して武装化している連中が、県立や国立の図書館で勤務しているってのは変でしょ。そんなの、政府が認めないでしょ。
っていうか、それを考えると、ますます「どういうこと?」と首をかしげてしまう。
公務員が政府機関である良化隊と互いに武装して戦いを繰り返しているって、どういう状態なのよ。国家機関とは全く別に、完全に独立した組織として「図書隊」が成立しているってのは、どう頑張って解釈しようとしても無理がある。

本編が開始された直後に堂上が「図書館の自由に関する宣言。これを図書館法として立法化したことにより、図書館だけは唯一、検閲に対抗できる法的根拠を持つ組織となった」と語るんだけど、そんな言い訳だけで、そこまでに説明された全ての設定を容認できるなんてことは無いよ。百万歩譲って何とか受け入れようとしても、やはり「だからって武力行使もOKってのは無理があるでしょ」というところで引っ掛かってしまうしね。
その後には、蔵書のページを切り取っていた男を堂上が捕まえて警察に引き渡すシーンがあるんだけど、警察ってのは国家機関であって、良化隊も政府機関でしょ。その良化隊に反抗して武装した図書隊が、確保した男を警察に引き渡すってのが普通に成立しているってのは、どういう世界観なのかと。
色々と腑に落ちないことが多すぎる。
しかし前述したように、「ユルいラブコメ」として作っておけば、ある程度はディティールの甘さも容認できてしまうのだ(さすがに許容量を超えている部分もあるけど)。
とにかく、この映画が失敗した原因は、その大半が導入部に詰まっていると言っても過言では無い。

ラブコメ色を排除した代わりにハードなアクションの部分を強めているんだけど、これまた成功していない。
なぜなら、図書館にサイレンが鳴り響いて避難を指示された利用客が「たかが戦争ごっこだろ」と吐き捨てるシーンがあるが、その通りだからだ。
玄田が図書館法に基づいて蔵書の差し出しを拒否すると、尾井谷は「19時から20時までメディア良化法に基づいて強制回収権を発動する」と言って書類を渡し、両者が敬礼して別れる。そして19時になると戦闘が開始され、22時ピッタリに終了する。
いきなり戦闘が勃発することは無くて、「これから戦争を始めましょうね」と言う。あらかじめ時間を決めておき、どんなに激しく撃ち合っていても終了時間になったら良化隊は引き上げる。
完全に戦争ごっこ以外の何物でもないでしょ。

その後で情報歴史図書館の資料を巡る対決もあるが、また尾井谷と玄田が「メディア良化法に基づいて検閲行為を執行する」「図書館法に基づいて防衛権を発動する」と互いに通達し、敬礼して別れる。
その後に戦闘が開始されるが、相変わらず図書隊は威嚇射撃オンリー。
で、郁と仁科が廃墟に拉致されて「図書隊の銃の使用は図書館内に限られている」というルールが邪魔になると、玄田は「図書館にすれば文句はあるまい」と言い出して建物全体を買い取る。
もはやルール無用じゃねえか。
この映画の作り出している雰囲気では、その手の無茶は容認し難いぞ。
ディティールが雑なままで、なんで中途半端に「リアルな手触り」を目指しちゃったのかねえ。

(観賞日:2014年12月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会