『トニー滝谷』:2005、日本

太平洋戦争の始まる少し前、トニーの父親・滝谷省三朗はちょっとした面倒を起こして、中国に渡った。激しい戦争の時代を、彼は上海の ナイトクラブで、気楽にトロンボーンを吹いて過ごした。そして戦争が終わると、それまでの胡散臭い連中との付き合いが祟り、長い間、 刑務所に放り込まれていた。同じように登録された連中はろくな裁判も受けず、次々に処刑されていった。彼がげっそりと痩せこけて帰国 したのは、昭和21年の春だった。帰郷すると実家は大空襲で焼け落ちており、両親も兄も亡くなっていた。
天涯孤独の身となった省三朗は、やがて遠い親戚に当たる女性と結婚した。その翌年に男児が生まれ、その3日後に母親は死んだ。仲の 良かったアメリカ軍の少佐が、親身になって省三朗を慰めた。そして自分のファーストネームであるトニーを子供に付ければいいと告げた 。省三朗は「悪くないじゃない」と思い、息子にトニーと名付けた。少年になったトニーが名前を名乗ると、相手は妙な顔をするか、中 には腹を立てる人さえいた。そのせいもあって、トニーは閉じ篭もりがちな少年だった。
物心ついた時から省三朗は楽団を率いて演奏旅行に出ていたし、トニーにとって一人でいることは自然だった。幼い頃は通いの家政婦が 面倒を見てくれたが、中学生になると自分で食事を作り、自分で戸締まりをした。美大生になったトニーが裸体画を描いていると、女学生 が「上手いんだけど体温が感じられないのよね」と感想を述べた。トニーには、クラスメイトの芸術性や思想性のある絵画の価値が理解 できなかった。それは彼にとっては、ただ未熟で不正確なだけだった。
機械を描くのが最も得意だったトニーは、やがてイラストレーターになった。雑誌の表紙から広告のイラストまで、メカニズムに関する 仕事は何でも引き受けた。自宅のアトリエで仕事をこなす彼の元を、出版社の編集部員・小沼英子が初めて訪れた。そんな彼女に、トニー は特別な感情を抱いた。気持ち良さそうに服を着こなしている女性だと、そう感じた。それから何度か、彼女は仕事場にやって来た。ある 日、トニーは彼女を食事に誘った。彼女は「洋服って自分の中に足りない物を埋めてくれるような気がして」と言い、給料の大半は洋服代 に消えると語った。
トニーは省三朗に、「恋しちゃったみたいなんだよ。初めて結婚について考えた。なんというか、服を着るために生まれてきたような人 なんだ」と言う。省三朗は「そりゃいい」と笑った。トニーと省三朗は、2年か3年に一度くらい顔を合わせるだけだった。トニーは 5度目に英子と会った時、結婚を申し込んだ。しかし英子には恋人がおり、しかもトニーとの間には15の年の差があった。彼女は「少し 考えさせてほしいと」と言った。
もし結婚したくないと言われたら、このまま死んでしまうかもしれないとトニーは思った。彼は英子に、これまでの人生がどれだけ孤独で 、どれだけのものを失って来たか、そして彼女が自分に気付かせさてくれたということを語った。トニーはA子と結婚し、孤独な時期は 終了した。孤独でなくなったことによって、また孤独になったらどうしようという恐怖に見舞われるようになった。そういう恐怖は、結婚 して3ヶ月ほど続いた。だが、新しい生活に馴染むにつれて、それも消えていった。
英子は有能な主婦で、テキパキと家事をこなしたが、1つだけトニーは気になることがあった。それは英子が、あまりにも多くの服を 買いすぎることだった。洋服を目の前にすると、彼女は抑制が効かなくなってしまう。特に酷くなったのは、ヨーロッパへ旅行に行って からだった。その旅行の間、彼女は片っ端から洋服を買い込んだ。日本に戻っても、その熱は治まらず、来る日も来る日も彼女は洋服を 買い続けた。トニーは彼女のために、部屋を丸ごと衣装室に改造しなければならなくなった。
トニーは遠慮がちに、「少し服を買うのを控えたらどうだろう」と提案した。英子は「私にも分かってるの。でも、どうしようもないの。 綺麗な服を見ると、買わないわけにはいかないの。中毒みたいに」と告げた。それから彼女は、「でも、何とかそこから抜け出してみる」 と約束した。英子は1週間ばかり、新しい服を買わないように家に閉じ篭もったが、自分が空っぽになったような気がした。
英子は我慢が出来なくなり、とうとう服を買いに出掛けた。だが、夫の言うことは正論だとも思った。彼女は買ったばかりのコートと ワンピースを返品するため、行き付けのブティックを訪れた。帰りの車中、信号を待っている間、ずっと彼女は返品したばかりのコートと ワンピースのことを考えていた。信号が青に変わり、アクセルを踏んでハンドルを切った英子は、交通事故を起こして死んだ。
レストランでアルバイトをしている斉藤久子は、「サイズ7、身長165センチ前後、靴のサイズ23センチ前後の女性」という条件の付いた アルバイト募集を知り、面接に赴いた。そのバイト広告を出したのはトニーだった。応募した13人の中から、トニーが選んだのは妻の体型 に最も近い久子だった。トニーは「仕事は簡単です。9時から5時まで電話番をしたり、自分の代わりにコピーを取ったりするだけです。 ただし、一つだけ条件があります。妻を亡くしたばかりで、彼女の服がたくさん残っているんです。ここにいる間、それを制服として着て ほしい」と久子に告げた。困惑する久子に、彼は「妻が亡くなったことに慣れる時間が欲しいんです」と説明した。
久子は話の筋が良く飲み込めなかったが、トニーのことを悪い人ではなさそうだと感じたし、来月には失業保険も切れるし、その仕事を 受けることにした。久子が衣装室に行くと、残されていた靴も服も、彼女のために作られたみたいにピッタリだった。服を着た久子は、 その場で泣き出した。そんな彼女に、トニーは「とりあえず、一週間分の服と靴を選んで持って帰って下さい」と告げた。
久子が服を選んで立ち去った後、トニーは衣装室に残された英子の服を見つめた。彼の前にある物は、一刻一刻とひからびくいく影の群れ に過ぎなかった。見つめている内にトニーは、だんだん息苦しくなってきた。トニーはB子に電話を掛け、「事情が変わったんだ。貴方が 持って帰った服と靴は全部差し上げます。だから、このことは忘れてほしい。誰にも話さないでほしい」と告げた…。

脚本・監督は市川準、原作は村上春樹 著『トニー滝谷』(文藝春秋刊『レキシントンの幽霊』所収より)、製作は橋本直樹&米澤桂子、 プロデューサーは石田基紀、撮影は広川泰士、編集は三條知生、録音は橋本泰夫、照明は中須岳士、美術は市田喜一、音楽は坂本龍一、 作曲・編曲・演奏は坂本龍一。
出演はイッセー尾形、宮沢りえ、木野花、篠原孝文、四方堂亘、水木薫、草野徹、小山田サユリ、山本浩司、谷田川さほ、塩谷恵子、 猫田直、山崎彩央、塩山みさこ、佐藤貢三、はやしだみき、森山静香、北川さおり、藤真美穂、椎名令恵、萱島啓太、ささいけい子、 遠藤祐美、小野香織、勝俣さち、川端麻祐子、クレアシイ、大井美怜、山本美保、平体花、松井綾子、保田まゆ、阿部哲也、森嶋利成、 高橋怜、中野礼子、越後屋かおり、谷中理沙、岩元剛、中澤愛、木谷茜、鈴木大輔、齋藤泉、早坂一、藤村忠生、高橋直彦、松枝良明、 樋口慎祐ら。
語りは西島秀俊。


第57回ロカルノ国際映画祭で審査員特別賞、国際批評家連盟賞(FIPRESCI)、ヤング審査員賞をトリプル受賞した作品。
村上春樹の短編集『レキシントンの幽霊』に収められた同名小説を基にしている。
トニー&省三郎をイッセー尾形、英子&久子を宮沢りえ、B子のアパート の管理人を木野花、少年時代のトニーを篠原孝文、トニー少年が通っていた絵画教室の先生を四方堂亘、久子の母を水木薫、英子の元恋人 を草野徹、美大生のトニーに感想を告げる女子学生を小山田サユリ、トニーが勤務していたデザイン事務所のアルバイト青年を山本浩司、 トニー少年の世話をする家政婦を谷田川さほが演じている。

一言で言えば、これは「朗読劇に映像をくっつけたモノ」である。
果たして、これを映画と呼んでいいのか、少し考えてしまう。
正直な感想を述べるならば、これを映画とは呼びたくない。
しかし「映画」として公開されているのだから、そこは譲ってもいいだろう。
ただ、ハッキリと言えるのは、商業映画としては完全に失敗作だということだ。
ひょっとすると実験的な精神で作られた物かもしれないが、だとすれば実験は大失敗に終わったと言える。

冒頭、西島秀俊のナレーションによる進行が始まり、「どこでナレーションが終わってドラマが始まるのだろう」と思っていたら、その まま延々とナレーションが続いて行く。
画面に写し出される映像は、そのナレーションを補足するためのモノであり、それ以上の役割を果たそうとはしない。
7分ぐらい経過して、ようやく画面に写った人物が喋る。
省三郎がトニーという名前について「悪くないじゃない」と感想を口にするシーンだ。
だが、そのセリフも、ほぼナレーションの一部と化している。

もっと露骨なのは、次に喋るトニー少年の言葉だ。 それは自然に発せられたセリフという形ではなく、「相手は妙な顔をするか」というナレーションに続いて、「中には腹を立てる人さえ いた」と喋るのだ。
「中学生になると自分で食事を作り、自分で戸締まりをした」というナレーションに続く「特にさみしいとは思わなかった」というセリフ も同様だ。
セリフを喋っていると言うよりも、ナレーションを語る人物が一時的に交代しているというだけだ。

その後も、そのようにナレーションの一部をトニーが喋る箇所が何度も登場する。
トニーだけでなく、英子がナレーションを担当する箇所もある。彼女が洋服中毒について「でも、何とかそこから抜け出してみる」と約束 するシーンがあるが、「何とかそこから抜け出してみる、と彼女は約束した」という風に、ナレーションの部分まで喋らせるのだ。
アヴァン・タイトルを過ぎると、一応は登場人物がセリフを喋ったり会話を交わしたりするシーンも出て来るのだが、それは断片的であり 、「朗読を補足する」という立場に留まっている。
つまり、普通の映画とは、ナレーションとドラマの立場が完全に逆転しているのだ。

映像は常にナレーションと連動しているわけではなく、語られている内容と直接的に関係の無い映像が写し出される場合もある。
トニーが英子にプロポーズするシーンも描かれない。ナレーションで処理してしまい、求婚シーンの映像さえ無いのだ。トニーが買い物を している様子に、求婚したことを説明するナレーションが被さるのだ。
そして「少し考えさせてほしいと彼女は言った」と、これまたナレーションで説明してしまう。
だったら朗読劇でいいんじゃないのかと思ってしまうのだ。
補足としての絵が欲しければ、そこに写真でも付ければいい。
もはや動画である必要性さえ薄い。

アヴァン・タイトルの部分では、省三郎が結婚してトニーが産まれるまでの出来事や、トニーが幼い頃の出来事についての説明がある。
だが、そんなことを説明する必要性を感じない。
トニーが産まれるまでの父親がどうだったかなんて、トニーの人生には全く影響を与えるものじゃない。
トニーが幼い頃に一人で暮らしていたということは、そりゃあ後の人生観、生き方に大きな影響を与えるとは思うが、この映画で描かれる 「一人の女を愛し、失い、似た女に面影を見る」という筋書きにおいて、そこを描く必要性は薄いと思うのだ。

「幼い頃に一人で過ごしたが、特に寂しいとは思わなかった。しかし英子への喪失感はものすごく感じる。 それぐらい英子の存在はトニーにとって大きかったのだ」という風に、幼い頃や学生時代の描写を関連付けたいのかもしれないが、効果的 に作用しているとは思えない。
幼い頃の孤独感も、成長してからのクールな人生観も、英子と出会ってからの心情の変化も、ほとんど伝わって来ないし。
何しろ、全ては淡々としたナレーションでサラッと説明されるだけなのでね。
あと、大学時代のトニーをイッセー尾形が演じているのは、ほとんどコントのようにしか見えないし。

トニーは英子に求婚した後、「これまでの人生がどれだけ孤独で、どれだけのものを失って来たか、そして彼女が自分に気付かせさて くれた」ということを語ったらしいが、これまでの人生がどれだけ孤独で、どれだけのものを失って来たかというのは、まるで伝わって 来ない。
ナレーションで説明されるだけで、そんな彼の心の痛みや苦しみ、切なさというものは、まるで伝わって来ない。
そして、英子と結婚した後、彼女との生活に対する喜びも、まるで伝わって来ない。

これを「映画」として撮るのであれば、少年時代から順番に描くのではなく、英子が亡くなった辺りから始める方が、構成しやすいのでは ないか。
順を追って描いて行くと、どうしてもツギハギで断片的になってしまうし、イッセー尾形がずっと演じるのも無理がある。
だからと言って、大学生から就職した辺りでトニー役を交代するのは、そのタイミングが難しいし、どこで交代しても違和感は否めない だろう。
そうならば、英子との出会いや交際、結婚生活については回想シーンという形で描き、何度かに分けて処理すればいい。
回想であれば、断片的な場面の連続でも、それほど支障は無いと思う。

っていうか、もうトニーが久子を面接するシーンから始めればいいんだよな。
で、そこから、トニーが久子を見たり仕事をしたりしながら、英子のことを回想するシーンを何度にも分けて挿入するという構成にすれば いいんじゃないか。
あと、ずっとトニー視点で話は進めた方がいい。
「映画」として作るつもりがあるのなら、その方がドラマを構築するには、やりやすいんじゃないかと思う。

後半、英子の服を着た久子が泣き出すシーンがあるが、ワケが分からない。
「たくさんの服があるので混乱しちゃったんだと思います」と彼女は語るが、それは適当に言っただけで、本当の理由だとは思えない。
たぶん、「本人にも良く分からない」ということなんだろうな。
そこに理由を求めちゃいけないんだろう。
でも、私は理由を求めたくなってしまうので、ってことは、村上春樹作品の読者には向いていないってことなんだろうな。

(観賞日:2011年10月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会