『共喰い』:2013、日本

昭和63年、篠垣遠馬が17歳の時、父親の円が死んだ。母親の仁子は戦争で空襲に遭い、焼けて崩れた家の破片の下敷きになった。左腕の手首から先を失った彼女は、結婚するはずだった男の母親から口汚く罵られた。仁子は彼女の口に左手首の先を突っ込み、啖呵を切った。両親が空襲で死んだので、仁子は戦後の開発から取り残されている川辺の魚屋に住み込んだ。彼女は10歳下の円と夏祭りで知り合い、結婚した。円はセックスの時に女を殴り付ける男だった。仁子の妊娠中は殴らなかったが、他の女を渡り歩いた。
出産して1年も経つと再び円が殴り始めたので、仁子は魚屋で一人暮らしを始めた。なぜ連れて行かなかったのかと遠馬に問われた仁子は、「アンタはあの男の種やけんね」と答えた。彼女は一人暮らしを始める直前に2人目を妊娠していたが中絶したことを明かし、「あの男の子供はアンタ一人で充分やけ」と口にした。遠馬は神社で恋人の琴子と会い、誕生日記念として御堂でセックスする。初めてセックスしようとした時は、コンドームを装着している最中に射精してしまった遠馬だった。
御堂でのセックスが終わると、遠馬は「親父と俺、やっぱり同じなんやなあ。とにかく、やるのが好きなだけなんやなあ」と呟く。千種は「マーくんは殴ったりせんよ」と言うが、彼は「殴ってから気が付いても遅かろうが」と口にする。今まで何度もセックスしている2人だが、まだ痛みを感じることを千種は語った。遠馬が帰宅すると、円が昼間からビールを飲んでいた同棲している愛人の琴子は、遠馬が千種とデートしていたことを知っていた。それを聞いた円は、羨ましそうに「もういっぺん若いのと」呟いた。彼が「今日は泊まるけの」と言って出掛けたので、遠馬はアパートの女の元へ行くのだろうと推測した。
遠馬がアパートの女を思い浮かべながら股間をいじっていると、琴子が自分で焼いた誕生日ケーキを運んで来た。琴子は35歳で、海に近い飲み屋街の店で働いていた。円は店に通い詰めて口説き落とし、彼女は1年ほど前に家へやって来た。遠馬は琴子が殴られていると知っており、なぜ別れないのかと尋ねた。「親父が怖いの?」という彼の問い掛けに、琴子は「ウチの体がすごいエエねんて。殴ったら、もっとようなるねんて」と述べた。その夜、遠馬は父が琴子とセックスしながら暴力を振るい、相手の首を締めて絶頂に至る様子を覗き見た。それを思い浮かべながら、遠馬は自分も琴子の性器に突っ込みたいと思った。
夏休みに入る前日、遠馬は神社で千種とセックスする。彼は痛いのを気遣い、ゆっくり動いていた。それを知った千種が「ええよ、好きに動いて」と言うので、遠馬は遠慮せずに動いた。彼が帰宅すると円は外出しており、琴子は店に来る若い男との浮気を疑って嗅ぎ回っているのだと話す。夕方からウナギ釣りをしようと父に誘われていたので、遠馬は母の魚屋へ赴いた。しかし円はおらず、仁子は顔を出して去ったことを告げる。遠馬は仕方なく、自分だけで釣りを始めた。
仁子は遠馬に昼食を用意し、円について「なんかあったんやろか」と言う。「あの男のああいう目は、ようないよ。アンタの誕生日にも、ああいう目しとった。血がたぎっちょるよ」と、彼女は語る。遠馬が「父さん、ここに泊まる時、やっぱり殴るの?」と訊くと、仁子は「泊まるっちゅうことは、のうなった。もう女やのうなった女、どうこうする気もないやろ」と答えた。遠馬はウナギを一匹だけ釣り上げ、母に調理を頼んで魚屋を後にした。
帰宅した遠馬は、琴子から妊娠を打ち明けられる。「産むつもりじゃけど、マーくん、承知してくれるかいね?」と問われた遠馬は動揺し、「なんでそんなこと、俺に訊かんといけんの」と告げて家を飛び出した。彼は千種を神社へ呼び出し、コンドーム無しでセックスしようとする。千種が抵抗すると、遠馬は「子供出来るん怖いんか」と声を荒らげて彼女の首を絞めた。怒った千種が腹に蹴りを入れると、遠馬は「頼むけん、入れさしてくれ」と言う。千種は冷たく一瞥し、その場を去った。
遠馬がウナギを取りに魚屋へ行くと、仁子は円と同じ恐ろしい目をしていると指摘した。「もうちょいこっちに似せて産んどきゃ良かったけど、手遅れやね」と、仁子は淡々とした口調で告げる。遠馬が琴子の妊娠を教えると、仁子は全く動じず「そしたら、しばらくは琴子さんもやられんで済むわ」と述べた。遠馬は帰宅し、円と琴子にウナギを見せる。ウナギを食べたのは円だけで、遠馬と琴子は興味さえ示さなかった。夜になって入浴した遠馬はオナニーに耽り、父に首を絞められる琴子を思い浮かべて射精した。
遠馬は千種に10日も会ってもらえず、電話を掛けた。「首絞めたこと許してくれんでええけ、するだけしてくれんか」と彼は懇願するが、まるで相手にされなかった。遠馬が魚屋へ赴くと、仁子は琴子の母が来たことを語る。「殴ったんやあるまいね」と問われた遠馬は、図星なので黙り込む。すると仁子は鋭い口調で、「殴った時は何の覚悟も無かったやろうけど、いっぺんでも殴ったんやったら覚悟しちょき。どんな目に遭うか分からんよ」と警告した。
帰宅した遠馬は琴子から、町を出て行くことを告白される。彼女は円に話しておらず、「ウチが完全におらんことになるまで、言わんでくれる?何するか分からんやろ」と遠馬に頼んだ。若い男と一緒に出て行くのかと遠馬が尋ねると、琴子は笑って否定した。遠馬は「千種とセックスしたい」ということばかり考えて日々を過ごし、風呂場でのオナニーを繰り返した。彼はアパートの女の元へ行き、コンドーム無しでセックスした。遠馬が「金は親父から貰うたらええ」と言うと、アパートの女は「安う言うちょってあげるからね。お父さんほどメチャクチャやなかったけ」と告げた。
祭りの初日、近所の子供たちが千種を連れて遠馬の元へ現れ、「彼女ほっといたらいけんやん」と言って走り去った。遠馬が面倒そうにしていると、千種は「ウチは会いたかったんやけ」と口にする。遠馬が「お前、俺に何されたか覚えちょろうが」と睨むと、彼女は「今度やったら殺す。それでエエやろ」と告げる。遠馬は「エエことあるかね。俺、絶対またするぞ。俺はあの親父の息子ぞ」と声を荒らげ、家に入った。千種は「明後日、あの社で待っとうけ」と言い、その場を後にした。
2日後、琴子は円の留守中に、荷物をまとめて出て行った。何も知らずに帰宅した円は、遠馬とアパートの女のセックスに言及した。彼は全く怒っていないと言い、「ええぞ、どんどんやったらええ。いっぺんしてもうたらの、やめようと思っても無理ぞ」と笑った。遠馬は琴子を羨ましく思い、もう彼女が戻らないことを父に告げ口した。憤慨した遠馬を怒鳴り付けた円は、家を飛び出した。神社で遠馬を待つ千種を見つけた円は、抵抗する彼女を襲って強姦した…。

監督は青山真治、原作は田中慎弥『共喰い』(集英社刊)、脚本は荒井晴彦、プロデューサーは甲斐真樹、アソシエイトプロデューサーは佐藤公美、撮影は今井孝博、照明は松本憲人、美術は清水剛、編集は田巻源太、音楽は山田勲生&青山真治。
出演は菅田将暉、木下美咲、篠原友希子、岸部一徳、光石研、田中裕子、穴倉暁子、淵上泰史、福山莉子、原田健汰、古賀光輝、三枝優希、小川丈瑠、小森悠矢、鈴木将一朗、横川知宏ら。


芥川賞を受賞した田中慎弥の同名小説を基にした作品。
監督は『サッド ヴァケイション』『東京公園』の青山真治。
脚本は『大鹿村騒動記』『戦争と一人の女』の荒井晴彦。
遠馬を菅田将暉、千種を木下美咲、琴子を篠原友希子、刑事を岸部一徳、円を光石研、仁子を田中裕子、アパートの女を穴倉暁子、若い刑事を淵上泰史が演じている。
冒頭シーンとラストシーンのモノローグは「大人になった遠馬が語っている」という設定だが、実際に喋っているのは光石研だ。

冒頭からナレーションが使われており、それが光石研の声であることはすぐに分かる。なので「父親役のはずなのに、なぜ遠馬としての語りを担当しているのか」と疑問を抱くし、違和感を覚える。
また、光石研に遠馬として語りを担当させることによって、「いずれ大人になった遠馬は、円と同じように女を殴る奴になってしまう」ということを感じさせてしまう。
そもそも、「大人になった遠馬」の語りという形を取る必要があったのか。
どうせ大人になった遠馬は登場しないのだし、ナレーションを入れるのであれば、いっそのこと第三者の立場からでも良かったんじゃないか。

っていうか、そもそも「大人になった遠馬が過去を振り返る」という形を取り、昭和63年の物語にしている意味も良く分からないのだ。
わざわざ時代を明確に「昭和63年」と限定しているからには、その年に大きな意味を持たせているのは明らかだ。
そこに込めている意味は何なのかと思っていたら、なんと天皇崩御だった。
ラスト近く、逮捕された仁子が昭和天皇について「あの人、血い吐いたんちね」と言い、恩赦に触れて「あの人が始めた戦争でこうなったんじゃき(右腕切断のこと)、それぐらいはしてもらわんと。あの人より先に死にとうないと思うてきた」と語るのだ。
もうね、ワケが分からんよ。そんなの、この物語と何の関係も無いでしょ。

かなり長めのナレーションから始まり、遠馬の置かれている状況や両親の人物設定が紹介される。粗筋で書いた「仁子は魚屋で一人暮らしを始めた」という部分までの内容は、全てナレーションで説明されたことだ。
その大半は過去の出来事なので、ナレーションによる説明に頼るのも分からなくはない。
ただ、該当するシーンが描かれていないため、「円が女とセックスすることしか考えておらず、セックス中に女を殴り付けるクズ野郎」ってことがイマイチ伝わらない。
また、「遠馬が父親と同じように、女を殴る人間になるのではないかと不安を抱いている」ってのも、ピンと来ない。

円がクズなのは言うまでも無いが、仁子も相当なモノだ。
彼女は何食わぬ顔で、「アンタはあの男の種やけんね」「あの男の子供はアンタ一人で充分やけ」と遠馬を傷付ける言葉を吐く。遠馬に煙草を勧め、「アンタはあいつに似ちょるけ、吸わんのね」と言う。
円のように荒っぽいわけではなく、冷淡で疎ましそうに振る舞うわけでもない。ちゃんと母親として穏やかに優しく接しており、受け入れる態度を取る。
しかし、その言葉は残酷で、遠馬の心を鋭く抉る。
遠馬が「自分も父親のようになってしまうのでは」と恐れるようになるのは、明らかに仁子の影響が大きい。

しかし仁子を「酷い母親」とは言い切れない。なぜなら、映画を見ていると「彼女は理不尽に息子を傷付けているわけではない」という形になっているからだ。
この作品を見ていると、「血は争えない」という風に描いているとしか思えない。
遠馬は常にセックスすることしか考えていないし、暴力も振るうし、女の首も絞める。それは全て、円と全く同じなのだ。
円が琴子に暴力を振るい、首を締めてセックスする様子を見ても全く嫌悪感は抱かず、むしろ性的興奮を覚えるのだ。

「17歳だったら性的なことばかり考えているのは当たり前で、珍しくもない」と思うかもしれない。
しかし遠馬の場合、カラッとした若者としての明るさや爽やかさが無い。
粘着質で陰湿なので、「エロいことしか考えていない」という様子に不快感や嫌悪感しか誘われない。微笑ましく受け入れられるような類の性欲ではない。
彼が円と同じ歪んだ性癖&暴力志向の持ち主だという風に描かれるので、仁子は的確に真実を見抜いているだけってことになる。

遠馬は千種と付き合っているが、本気で愛しているわけではない。「いずれ千種と町を出たい」というナレーションは入るが、そんなことよりセックスしたいのだ。
彼は千種を、単に性欲のハケ口として利用しているだけだ。
だから自分の行為を本気で顧みたり詫びたりしようとはせず、「とりあえずセックスだけさせてもらおう」という腐った性根で行動する。千種に拒絶されると、他の女で性欲を満たそうとする。
どうしようもないクズ野郎であり、愛すべき若者とは到底思えない。

遠馬がアパートの女とセックスした出来事は、ナレーションだけで短く処理される。
この映画は「遠馬が女とセックスすることしか考えていない」ってのを軸にして構築されているわけで、だったら「父の愛人であるアパートの女と初めてセックスする」「初めてコンドームを使わずにセックスする」というのは、ものすごく重要な出来事のはず。
それなのに、そのセックスが千種の時とどんな風に異なるのか、遠馬がどのように感じたのかを全く描こうとせず、語りだけで雑に片付けちゃダメでしょ。

遠馬は琴子から家を出て行くことを聞かされた時も、「そんなことより千種とセックスしたい」という思いでオナニーを繰り返していることがナレーションで説明される。
それなのに千種が訪ねて来ると拒絶するのは、筋が通らない。
「俺はあの親父の息子ぞ」と再び暴力を振るうことを口にするけど、そんな風に思うようになった心の移り変わりが全く描かれていない。
もしも首を絞めた直後から「また必ず暴力を振るう」という気持ちになっているのなら、千種に電話を掛けてセックスを懇願するのは行動として矛盾するわけで。首を絞めたことを、ずっと思い悩む描写が必要なはずで。

終盤、遠馬は円が千種を強姦したと知り、「殺す」と言う。しかし仁子に「アンタには無理や」と見透かされ、殺しに行く母を見送る。
後から追い掛けているが、母が乳を刺し殺す様子を見ているだけ。
っていうか、もはや円を殺そうが殺すまいが、どうでもいい状態になっているのよね。
どっちにしたって、何の救いも無いわけだから。もしも自分に映画作家としての才能があったとして、こんな作品を撮る人間はなりたくないなあと感じてしまう状態に陥っているわけだから。

千種が強姦され、母が父を殺すという出来事が起きた後、遠馬は琴子の元を訪れる。そして向こうから誘われたとは言え、彼女とセックスしようとする。
その際、彼は琴子の首を絞める。妊娠している琴子の腹が動いたのでセックスできずに立ち去ると、今度は寝ている千種の首を絞めようとする。
もはや何の言い訳も出来ないようなクズ野郎なのだ。
「父親だけじゃなくて、テメエも死ねば良かったんだよ」と本気で言いたくなるぐらいのクズ野郎なので、そんな奴の物語を「共感してね」と言わんばかりに見せられても無理だよ。

(観賞日:2017年10月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会