『東京島』:2010、日本

清子と夫の隆は結婚20周年の記念に、ヨットでの世界旅行へ出た。しかし途中で嵐に見舞われ、無人島へ漂着した。どうにか脱出しようとしたものの方法が見つからず、ただ救助を待つだけの日々が続いた。不安と絶望に苛まれ、気力も尽き果てる中、新たに16人の若い男たちが漂着した。彼らは与那国島の厳しいバイトから逃げ出して来たフリーターだった。やがて彼らは、その島を東京島と名付けた。
清子は食料を捕獲してタフに生き抜くが、隆は自分の殻に閉じ篭もった。たくさんの荷物をトランクに詰め込んで旅に出た清子だが、その大半は島での生活に役立たなかった。そして最も要らないのは隆だと、彼女は感じた。そんな中、隆が崖から転落死した。すぐに清子は、フリーターのカスカベに乗り換えた。カスカベは若者たちのリーダー格として島を取り仕切り、「ブクロ」「シブヤ」「ジュク」と地域を分けて生活させる。男たちは清子をチヤホヤして様々なプレゼントを渡すが、カスカベは腹を立ててパンチを浴びせる。彼は清子に対する強い独占欲を示し、「欲しい物があったら俺が取って来てやるから」と告げた。
16人の中でワタナベという男だけはグループを離れ、「トーカイムラ」と呼ばれる海沿いの地域で暮らしていた。ワタナベはカスカベの態度をバカにして、拍手を送った。カスカベは仲間のオラガや犬吉たちに、トーカイムラを見張るよう命じた。ワタナベは不法投棄されたドラム缶を磨き、家を作っていた。森に入った清子は、豚を仕留めた中国人6名と遭遇する。新たな漂着者たちだ。清子は豚肉を分けてもらい、若者たちの元へ戻る。カスカベは彼女が中国人グループに体を与えた見返りとして豚肉を貰ったと決め付け、腹を立てて報復に出向く。ワタナベはトーカイムラに現れた中国人グループと親しくなった。
翌朝、崖下でカスカベの死体が発見された。ワタナベは清子を冷笑し、若者グループのシンちゃん、ダクタリ、アタマ、ジェイソンといった面々を見回して「この中に犯人がいるかも」と口にした。オラガは清子に、「みんなで話し合って、くじ引きで夫を決めることにした」と話す。争いを避けるための方法だと説明され、清子は納得した。くじ引きを始めようとすると、ワタナベが中国人のヤンたちを連れて現れた。ヤンたちは清子のお祝いとして、豚肉を差し入れた。
くじ引きの会場には若者たちが集まるが、カスカベの二の舞を恐れて参加しない者も多かった。また、頭が変になっているマンタは、最初から呼ばれていなかった。くじ引きの結果、記憶喪失になっているGMが新たな夫に決定した。GMは清子の前で、島での記憶しか無いことへの怖さを吐露した。森へ出掛けた清子は、ヤンたちがフライパンや塩、オイルなどを手作りしていると知って驚いた。ワタナベは清子が来たことを露骨に嫌がるが、ヤンたちは彼女に食事を御馳走した。
若者たちの元へ戻った清子は、中国人を見習って生活を向上させる努力をすべきだと訴える。しかし誰も前向きな態度を示さないので、清子はGMの前で愚痴をこぼす。そんな清子に、GMはドラム缶の切れ端を磨いて作った鏡をプレゼントした。喜ぶ清子だが、鏡に写る自分の顔を見てショックを受けた。GMは清子に、「名前を付けてくれませんか。生まれ変わって、この島で貴方と生きて行きたい」と告げる。そこで清子は、「ユタカ」という名前を彼に与えた。
清子がヤンに呼ばれて砂浜へ行くと、中国人グループは脱出用の筏を完成させていた。ヤンは清子に、「俺の女になるのなら乗せてやる」と持ち掛ける。清子が筏に乗り込むと、中国人グループは一緒に行こうとするワタナベを殴り倒して置き去りにした。しかし、なかなか陸地は見つからず、飲料水の不足が原因で1人が死亡した。ようやく陸地が見えて来るが、それは東京島だった。長い漂流の末に、一行は元の場所へ戻って来たのだった。
清子が若者たちの元へ戻ると、GMは身勝手な彼女を受け入れた。GMはマンタの言葉がきっかけで記憶を取り戻し、リーダーシップを発揮するようになっていた。GMは仲間たちに仕事を与え、島で生き抜くための意識改革を推し進めていた。以前と全く異なるGMの態度を、清子は素直に受け入れることが出来なかった。清子が「拉致された」と嘘をついたので、GMは中国人グループを捕まえて罰を与えた。彼は清子に、「これからは僕だけじゃなく、みんなに愛を与えて下さい」と告げた。
ワタナベと遭遇した清子は、彼が若者たちに脱出の真相を暴露していたことを知った。ワタナベは激怒する清子を嘲笑し、「お前はもう特別でも何でもないんだよ。この島の男たちは、もう女なんて必要としていない。お前は用無しなんだよ」と言い放った。清子は若者たちの前で、「私は謝らない。生きるために必死になって、何が悪いの?みんなで仲良しごっこして、島で野垂れ死ねばいいのよ。私はどんなことをしてでも、絶対ここから脱出してみせる」と強気に語った。妊娠に気付いた清子は、また若者たちから特別扱いしてもらうため、そのことを利用しようと企んだ。彼女はGMの子供だと嘘をつき、「この子は島の子なのよ」と臆面も無く口にした…。

監督は篠崎誠、原作は桐野夏生『東京島』(新潮社 刊)、脚本は相沢友子、製作は宇野康秀&森恭一&伊藤嘉明&宮崎忠&喜多埜裕明、企画は鈴木律子、プロデューサーは吉村知己&森恭一、プロデューサー補は新妻貴弘、撮影は芦澤明子、照明は市川徳充、美術は金勝浩一、録音は滝澤修、コスチュームデザインは勝俣淳子、編集は普嶋信一、VFXスーパーバイザーは浅野秀二、音楽は大友良英、主題歌はSuperfly『(You Make Me Feel Like)A Natural Woman』。
出演は木村多江、窪塚洋介、福士誠治、鶴見辰吾、柄本佑、木村了、染谷将太、山口龍人、南好洋、結城貴史、清水優、阿部亮平、テイ龍進、趙[王民]和、サヘル・ローズ、大貫杏里、吉田友一、松川貴広、保科光志、藤川俊生、塩見大貴、中村無何有、石田佳央、張天翔、張沫、孫良、古藤ロレナ、Aive、渡辺万美、宮武祭、下山貴大、新里支愛藍、前田菜緒、山田大空、原田優希、武田海里、石原翔和、佐々木佑陽、船橋拓海、江川征斗、菅美星、下山瑠惟、福田敦子、藤井亜紀、佐々木俊彦、佐々木淳、新保真生、永井浩、馬場浩樹、横島旭、篠崎友ら。


1945年から1950年に掛けて発生した「アナタハン島事件」をモデルにした桐野夏生の同名小説を映画化した作品。
脚本は『大停電の夜に』『重力ピエロ』の相沢友子、監督は『忘れられぬ人々』『犬と歩けば チロリとタムラ』の篠崎誠。
清子を木村多江、ワタナベを窪塚洋介、GMを福士誠治、隆を鶴見辰吾、オラガを柄本佑、犬吉を木村了、マンタを染谷将太、カスカベを山口龍人、シンちゃんを南好洋、ダクタリを結城貴史、アタマを清水優、ジェイソンを阿部亮平が演じている。

他に逃げ場所が無い状況で、男ばかりの集団の中に女が1人。しかも、その女は木村多江だ。
そういう状況だったら、男たちは彼女をチヤホヤして気に入られようとするだけに留まらず、出し抜いてモノにしようとするとか、力ずくで奪い合うとか、あるいは強姦しようとするとか、そういうことが起きるんじゃないかと思うのだ。
ヒロインがひたすら女王扱いされる逆ハーレム状態なんてのは、ちょっと考えにくい。
妊娠した清子が丁重に扱われるってのも同様。むしろ性欲の発散には邪魔なので、すぐに堕胎させようとするんじゃないかと思ってしまう。
だが、そういった危うさや緊迫感ってのは全く漂ってこない。なぜだか男たちは妙にノンビリしているし、やたらと行儀が良い。
そこに違和感を感じずにはいられない。

ひょっとすると、それらを全て「これはファンタジーだから」ということで受け入れるべきなのだろうか。
だとしたら、「この物語はファンタジーです」というアピールに失敗している。
もしもファンタジーとして描いていないのなら、男たちの行動は不可解極まりない。
幾ら昨今の日本では草食系男子が多いと言っても、本作品のような状況で全員がヌルい行動しか取らないってのは無理がある。

全員が遭難して無人島に流れ着いているのに、「サバイバル」が全く無いってのも受け入れ難い。食料は充実していて、飢えに苦しんだり食料を奪い合ったりすることも無いし。
島の生活は一定の秩序が保たれているし、極限状況に陥った人間が狂気で暴走することも無い。島には派閥が存在するが、それぞれが衣食住で困っているわけではないので、何かを奪い合うための対立も起きない。
それこそ唯一の女性である清子を奪い合っての戦いが起きても良さそうなものだが、それも起きない。
「サバイバルがテーマではない」ってことかもしれないけど、じゃあサバイバルを除外した物語のどこに面白味があるのかというと、何も無いんだから。

序盤を見ている時、「ひょっとして私はダイジェスト版を見せられているのか」と疑念を抱いてしまった。
何しろ、夫婦が遭難して島に漂着し、新たに若者たちが来て東京島と名付けたことを清子のナレーションで簡単に説明してしまい、隆の死を簡単に描写し、そこまでを5分ほどで終わらせる。
そしてタイトルが明けると、もうカスカベが清子を妻にして島を仕切っている。
「今まで都会で何不自由なく生活していたヒロインが、島でサバイバル能力に開花する」とか、「それまでの夫婦関係が遭難によって完全に逆転する」とか、「清子と16名の関係性が少しずつ構築されていく」とか、「若者たちが少しずつ島に順応し、新しい関係性が出来上がっていく」とか、そういう経緯はバッサリと省略されているのだ。

若者たちが「シブヤ」や「ブクロ」といった地区を分けて暮らしていることは、カスカベのセリフで軽く説明されるだけ。
キャラ紹介の時間なんて全く用意されていないので、カスカベ、ワタナベ、マンタ、GMぐらいしか名前が分からない。
最後まで存在を認識できないままで終わった奴もいる。
くじ引きのシーンで初めてマンタとGMの存在が分かり、マンタがイカれていること、GMが記憶喪失であることも初めて分かる。

「その辺りを詳しく描写していたら時間が足りない」ということでバッサリと省略したのだとすれば、その理由に関しては理解できる。
ただし、「だったら仕方が無いね」ということで受け入れようという気持ちは沸かない。
「そもそも映画向きの素材ではなかったんじゃないか」と感じるだけだ。テレビの連続ドラマでやるべきだったんじゃないか。
原作は未読なのでボリュームがどれぐらいなのか知らないけど、この映画を見た限り、129分の尺では全く足りていない。

ただ、それらの要素も本作品のマイナス評価に繋がるポイントではあるが、この映画の最大にして致命的な欠陥は、木村多江をヒロインに起用したことだ。
もちろん言うまでもないだろうが、彼女の演技力に問題があるという意味ではない。清子という役柄には、明らかにミスキャストなのだ。
と言うのも、原作の清子は白豚と呼ばれるような肥満体の女性で、島で最年長の40代半ばという設定なのだ。
容姿端麗とは程遠く、一般社会においては決してモテるタイプの女性ではない。

もし日常生活の中で「大勢の男たちの中に清子が1人」という状況があったとしても、男たちが彼女を奪い合うようなことは無いだろう。
しかし島には女性が清子しかいないので、全く眼中に無かった男たちも、性欲を発散する対象として彼女を意識するようになる。
そして「大勢の男たちが自分を女王扱いしてくれる」という今までに無かった状況に置かれた清子は、次第に心情や態度が変化していく。
そういう「東京島だからこそ」という状況が生じるところに、面白味があるんじゃないかと思うのだ。

しかし、そこに木村多江を据えてしまうと、もちろん「白豚と呼ばれる肥満体の中年女性」というのは合わなくなる。
だから映画での清子は「地味な女性」という設定に変更されているのだが、そこは「地味か否か」ってのは問題ではない。木村多江だと、地味であろうとも、「容姿が整い過ぎている」というところが大きなネックになってしまう。
っていうか、地味な女性を演じていても、なんかエロいしさ。
「大勢の男の中で木村多江が1人だけ」という状況なら、そりゃあ男たちがチヤホヤするのは当然でしょ。
大勢じゃなくて1対1でも、普通に好意を抱いたり情欲を高ぶらせたりするでしょ。

あと、「悪びれずに自分たちの卑劣な行為を正当化する」という態度を取った夜に悪夢を見て反省し、すぐに改心するって、早すぎるだろ。
そんなに簡単に改心するよう木村多江だったら、「1人の男と1人の女が出会い、やがて恋に落ちる」という普通の恋愛ドラマにおいても、ヒロインを務めることが出来るだろう。
しかし、そういうタイプの女優は、清子のポジションを起用しちゃダメなのだ。
普通の恋愛ドラマなんて全く似合わないし、平穏な感情であれば大半の男たちは好意を抱くことなんて無さそうなタイプに見える女性、むしろ不快感を与えてしまうようなタイプに見える女性を、そこに据えるべきなのだ。

くじ引きが行われる際、清子が気合いの入った服装に着替えて登場するのも、「肥満体で美人とは程遠い中年女性」がおめかしすることに面白味があるわけで、木村多江がそれをやっても、普通に色っぽいだけだ。
だけど本当は、そこに艶っぽさがあっちゃダメなのよ。
鏡を見た清子がショックを受けるのも、「スッピンだし薄汚れていて醜いからショック」ということなんだろうけど、充分に綺麗だから、描写として不自然になってしまう。
「太ったから」ということでジョギングを始めるのも、「いや太ってないから」と言いたくなる。
脱走から戻った清子が若者たちかババア扱いされるのも、「年齢的にはそうかもしれんけど、充分にイケるだろ」と言いたくなる。

木村多江を起用するのであれば、「普通の状況であれば男が奪い合うことは有り得ない中年女」というヒロインのキャラクター設定は変更する必要がある。
そして、それに伴って、ストーリー展開も大幅に改変する必要が生じる。
そこをやらずに原作をなぞるのなら、ヒロインの配役は完全に間違いだ。
っていうか、話の中身を大幅に改変するならオリジナル脚本でやればいいわけだから、『東京島』を映画化するのであれば、やはり木村多江を起用したのが間違いなのだ。

製作サイドに立ってみれば、「男の情欲を全くそそらないような太ったオバサン女優」を主役に起用するのは、かなり勇気の要る判断だ。
訴求力を考えれば、容姿の整っている女優を起用したくなる。
ただ、それをやっちゃうと、作品の根幹が崩れてしまう。
そこに「お世辞にも美人とは言えない太ったオバサン女優」を起用する覚悟が持てないのなら、『東京島』を映画化すべきではなかったのだ。

(観賞日:2014年3月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会