『TOKYO JOE マフィアを売った男』:2008、日本

元FBI主任捜査官のエレイン・コービット・スミスは取材を受け、カメラの前で当時について詳しく説明する。当時、組織犯罪を担当する女性捜査官は1人だけだった。エレインは組織犯罪班の主任に、自分も加わりたいと直訴した。ケン・エトーは日系人だったので幹部やボスになることは出来ず、そのために軽視されていた。彼はマフィアの中で、不気味な殺し屋として知られていた。1970年代、シカゴに君臨していたマフィアはトニー・アッカードで、配下にはジャッキー・セローンやジョーイ・アイウッパ、ヴィンセント・ソラノたちがいた。ソラノが仕切る北地区の組織に、エトーがいた。
エトーにはシカゴ市警による逮捕歴こそあるものの、FBIの手は逃れていた。1982年、エトーは違法賭博容疑で郡大陪審に起訴された。ベテラン弁護士のバンクスは、無罪を主張した。エトーの担当になったエレインはファイルを全て提出させ、調査を開始した。エレインはエトーに対して、人間のクズという印象を持った。情報提供者が連絡して来たので、FBIはエトーの集金アジトを借りさせて両隣の部屋を押さえた。エレインはDEAと共同で捜査を行っていたため、盗聴することも出来た。エトーの資金源は麻薬取引で、稼いだ金を洗浄するためにニューヨークのジェノベーゼ・ファミリーと組んで安値株の発行を始めた。1982年8月20日。FBIはモーテルに突入し、金を数えていたエトーを捕まえた。ついにFBIに逮捕されたエトーは、有罪を覚悟した。
エレインの夫であるトムは、高校時代の恋人だった。FBIの教官を務めていたトムは訓練中に誤って撃たれたが、奇跡的に助かった。その2年前、エレインは夫の勧めで教職を辞め、FBIアカデミーに入った。34歳の主婦だったエレインは海兵隊基地で生活することになり、環境の変化に戸惑った。厳しい訓練を積んだ彼女は、1979年にFBI捜査官となった。1983年2月10日、保釈中のエトーは駐車場で頭部を撃たれるが、奇跡的に助かった。彼は近くの薬局に助けを求め、ノースウエスト病院で警察の保護観察下に置かれた。
当時のハンハート刑事部長がマフィアに買収されていたため、エトーは警察を警戒していた。彼は救急車で病院へ搬送される際、エレインを呼ぶよう要求した。マフィアはエトーが刑務所行きを逃れるために口を割ると考えており、彼は消すべき存在となっていた。FBIは連邦検事局のジェレミー・マーゴリス検事補に、黙秘を続けるエトーの説得を要請した。エレインは当時の上司だったウォルシュから連絡を受け、エトーが協力を承諾したことを知らされた。
エトーはマーゴリスの説得によって、自分を撃った犯人が殺し屋のジェレミー・キャンピシと保安官代理のジョン・ガトゥソであること、黒幕がソラノであることを証言した。証言を終えたエトーは、連邦証人保護プログラムを受け入れた。特例として手続きは省略され、彼は五大湖の海軍基地にある政府の病院に移送された。FBIは物的証拠を集め、キャンピシとガトゥソの毛髪を調べた。エレインはエトーの末っ子であるスティーヴンと対面し、当時の事件について語った。キャンピシとガトゥソは保釈された4日後に行方不明となり、惨殺死体となって発見された。マフィアは彼らを始末するため、保釈金を支払ったのだ。
エトーは1919年、ストックトンの日系人入植地で生まれた。父のマモルは、日本で体育と宗教の教師を務めていた。視察でストックトンを訪れたマモルは移住を決意し、1年後に妻を呼び寄せ、エトーは長男として誕生した。大規模な捜査の中で弟は報道機関にエトーと取り違えられ、個人情報が新人に掲載されて仕事に大きな影響が出た。彼は大陪審に召喚されて協力を求められ、兄を売ることを拒否した。彼はインタビューに対し、あれは謀略だったのだろうと告げた。
エトーの弟は父について、「カリフォルニアへの移住を決意してからは宗教のことしか頭に無かった」と話す。父は農場で働いていたが、冬になると伝道の旅に出た。エトーの母は高い教育を受けた女性で、料理が上手だった。仏教を信じていた母は父の強制的な生活に耐え切れず、精神を病んだ。日本に戻された彼女は、晩年を精神病院で過ごした。1929年、エトーは抑圧的な父から逃げ出し、北へ向かった。彼は季節労働者に混じったり缶詰工場で働いたりしながら、カード賭博を覚えて腕を磨いた。
第二次世界大戦に突入すると、日系人は収容所に入れられた。エトーはアイダホ州のミニドカ収容所へ送られたが、ここでもカード賭博の技術を上達させた。1953年になると、エトーはシカゴに姿を現した。彼は地方から出て来てストリップクラブで働いていた女性と出会い、スティーヴンが誕生した。スティーヴンは母について、夢を何も叶えられなかった女性だと評した。アルコール依存症だった彼の母は、エトーと別れた後に自殺した…。

監督&編集は小栗謙一、原作はエレイン・コービット・スミス、原案は古森義久、エグゼクティブ・プロデューサーは亀山千広&奥山和由、デベロップメント・プロデューサーは奥山和由&小栗謙一、プロデューサーは松崎薫&小栗謙一&池原麻里子、アソシエイト・プロデューサーは清水賢治、撮影はアヴィ・カストリアーノ&K・P・マロン(小栗謙一)、音楽はウェイド・シューマン&ハズマット・モディーン。
出演はエレイン・コービット・スミス、スティーヴン・エトー、ジェレミー・マーゴリス、ジョン・ドラモンド、ジョージ・ジョセフ、トニー・モンタナ、ウィリアム・ハナー他。


シカゴを拠点とするマフィアの大幹部で「トーキョー・ジョー」と呼ばれた日系アメリカ人、モンタナ・ジョー(衛藤健)を取り上げたドキュメンタリー映画。
プロデューサーの奥山和由はトーキョー・ジョーを主人公とする劇映画をハリウッドで製作してもらいたいと考え、そのプロモーションとして本作品を企画したそうだ。
監督&編集は『阿吽抄』『able/エイブル』の小栗謙一。撮影カメラマンの「K・P・マロン」は、小栗謙一の変名らしい。
原作のノンフィクションを執筆したエレイン・コービット・スミス、モンタナ・ジョーの末っ子のスティーヴン・エトー、元連邦検事補のジェレミー・マーゴリス、元CBS凶悪事件記者のジョン・ドラモンド、元カジノ警備主任のジョージ・ジョセフらが、インタビュー対象として登場する。

映画のオープニングでは録音スタジオが映し出され、ミュージシャンの面々が「この曲は、もう少しだけメロウな感じを持たせたいんだ」などと話している様子が描かれる。
トーキョー・ジョーに関するドキュメンタリーのはずなのに、なぜスタジオのミュージシャンの様子で始めているのか、どういう関係があるのかと思っていたら、ギターの音が鳴ったまま画面が暗転する。そして今度はシカゴの景色が映し出され、バンドの演奏になる。
つまり冒頭シーンは、「そのオープニング曲を演奏する直前のミュージシャンたち」を見せていたわけだ。
でも、そこから映画を始める意味が分からん。やっぱりトーキョー・ジョーとは何の関係も無いんだし。

そんな風に冒頭から完全に外しているのだが、それ以降も構成がマズくて全く引き付ける力が無い。
余計な情報が持ち込まれ、トーキョー・ジョーを取り上げたドキュメンタリー映画としてのまとまりに欠けている。
例えば、エレインがどんな経緯でジョーな担当捜査官に就任したかを語るインタビュー映像があるけど、そんなの全く要らないでしょ。
エレインのパーソナリティーなんて、ジョーという人物を深く掘り下げる上で全く必要性の無い情報でしょ。

エレインが自身について語った後、今度は「1930年代はギャングが横行し、大金と流血の絡む犯罪が全米各地で起きた。殺人と銀行強盗が多発した、マシンガン・ケリーの時代だ。第二次世界大戦から冷戦に掛けては、進んだ軍事力や技術が外国のスパイに狙われた。FBIのエドガー・フーバーは権力を巨大化させた。アル・カポネの時代が終わっても、マフィアはシンジケートを拡大しつつあった」ってなことがナレーションで説明される。
でも、そんなの全く要らない情報でしょ。
1930年代からのアメリカにおける犯罪事情とか、犯罪組織の歴史とか、そんなのを詳しく講釈されても、トーキョー・ジョーという人物を描く上で重要だとは到底思えないぞ。

その後に1982年のニュース映像が挿入され、ジョーが起訴されたことが説明される。ここでジョーの弟がインタビューに答える様子が挿入されるが、これも要らない。
「ジョーの弟の証言なんだから、そこは貴重だし必要でしょ」と思うかもしれない。だけど、インタビューの内容ってザックリ言うと「兄を悪人とは思えない。智も徳もある人だった」という程度の内容なのよ。
そんな中身の薄いコメントを、そのタイミングで入れても全く意味は無いでしょ。
充分に「ジョーはどうしようもない悪人ですよ」とアピールした上で「弟からすると悪人とは決め付けられない」と否定させ、具体的に悪人とは決め付けられないエピソードを出してくれるなら効果はあるけどさ。

ジョーの逮捕が語られた後、エレインが夫について説明したり、FBIアカデミーでの訓練風景が写し出されたりするが、これまた無意味でしかない。
どんな経緯でエレインがFBIアカデミーに入ったのか、どんな訓練を積んで捜査官になったのか、そんな情報を詳しく説明されても、それが「トーキョー・ジョーのドキュメンタリー映画」に厚みを持たせる作業になっていないでしょうに。
なんでトーキョー・ジョーだけじゃなくて、エレイン・スミスについても中途半端に掘り下げようとしているんだよ。

この映画って、こっちがジョーについて知りたいと思えるようなことに対して、なかなか目を向けようとしないんだよね。
前述したような「トーキョー・ジョーのドキュメンタリー映画」から外れたパートだけじゃなくて、ジョーについて描いているパートに関しても、そこの意識のズレを強く感じる。
前半ではジョーが撃たれた事件について描き、「その時にジョーが何を思っていたか」とか「その後でどんな対応を取ったか」ってのを説明するけど、「そこじゃないのよ」と言いたくなる。
まず何よりも知りたいのは、っていうか描くべきなのは、どういう経緯で日系人のジョーがマフィアの一員になったのか、どうやって成り上がったのか、なぜ幹部でもないのに恐れられるような存在になったのか、そういうことじゃないかと。

そういう肝心な部分を何も説明しないまま「マフィアに撃たれてFBIの証人になって」という出来事を掘り下げられても、まるで興味をそそられないのよ。こっちはケン・エトーという人物についてほとんど分かっていないし、何の魅力も感じていない状態なんだからさ。
弟が報道機関に取り違えられたとか、それが謀略だったとか、そういうのも「トーキョー・ジョーについて知りたいこと、描くべきこと」からは外れている。
弟は両親についても語るが、ますます外れているようにしか思えない。
「狂信的な父の抑圧や、母の愛情が無かったことが、エトーの人格形成に影響した」ってことを示したかったのかもしれない。ただ、仮にそうだとしても「だから何なのか」としか思えない上に、そこまでキッチリと掘り下げているわけでもないし。

エトーが収容所に送られたことが説明されると、エレインが「ドイツ人やイタリア人は隔離されなかった。我々の歴史の中でも痛ましい時代だった」などと話す。
でも、そんな「アメリカ人が日系人を理不尽に差別したことへの反省」を申し訳程度に語られても、「そういうことが聞きたいわけじゃないのよ」と言いたくなる。
ようやくエトーがシカゴでギャンブラーとして活動を開始した辺りの説明に入っても、「どういう経緯でマフィアの一員になったのか」「どんな風に成り上がったのか」ってのは相変わらず教えてくれない。
彼が証言した裁判について描きたいのか、トーキョー・ジョーという人物を描きたいのか、作品の主眼は最後までボヤけたままだ。

(観賞日:2021年3月3日)


第3回(2009年度)HIHOはくさい映画賞

・特別功労賞:亀山千広
<*『アマルフィ 女神の報酬』『サイドウェイズ』『曲がれ!スプーン』『TOKYO JOE マフィアを売った男』の4作での受賞>

 

*ポンコツ映画愛護協会