『トキワ荘の青春』:1996、日本

1950年代、漫画家デビューした寺田ヒロオは、トキワ荘というアパートに住んでいた。向かいの部屋には、売れっ子漫画家の手塚治虫が暮らしている。ある日、藤子不二雄というペンネームで漫画を描いている安孫子素雄と藤本弘の2人が、手塚に会うためトキワ荘を訪れた。手塚が留守だったため、寺田は2人を部屋に泊め、東京で生活するために必要なことを教えてやった。
やがて手塚がトキワ荘から別の仕事場に移り、その部屋には安孫子と藤本が入居した。それに続くように、学童社の雑誌『漫画少年』の投稿仲間が次々に入居してきた。鈴木伸一、森安直哉、石森章太郎、赤塚不二夫の4名だ。住人ではないが、近くに住む投稿仲間の角田次郎も良く遊びに来るようになった。
寺田は安孫子や藤本らと共に新漫画党なるグループを結成し、合作漫画を精力的に手掛けるようになる。やがて安孫子と藤本は連載が決まり、忙しくなっていく。一方で漫画が掲載されずに家賃を滞納する者もおり、寺田が金を貸してやることもある。石森&赤塚との合作漫画を執筆することが決まった水野英子は、短期間だけトキワ荘の住人となった。
学童社が倒産し、『漫画少年』に頼っていた面々はショックを受ける。石森や安孫子&藤本は売れっ子漫画家になるが、森安は編集者から酷評され、牛乳配達の仕事に明け暮れる。赤塚も全く芽が出ず、石森の手伝いをする日々が続く。寺田は『漫画少年』以外での初めての連載『背番号0』が決まる。
赤塚は編集者の丸山から、「君の漫画には個性が無い、田舎に帰った方がいいかもしれない」と告げられる。寺田は赤塚を励まし、「みんなみたいにとは考えず、自分を探してみろ」と励ます。石森の口添えもあり、赤塚はギャグ漫画家としての才能を丸山に見出される。赤塚は連載が決まるが、森安は逃げるようにトキワ荘から姿を消した。寺田は編集者から、発行部数を伸ばすために路線変更を迫られる。しかし寺田は、どうしても時代に合わせて信念を曲げることが出来ない…。

監督は市川準、脚本は市川準&鈴木秀幸&森川孝治、製作は増田宗昭&寺尾和明、プロデューサーは塚本俊雄&里中哲夫、撮影は小林達比古&田沢美夫、編集は渡辺行夫、録音は橋本泰夫、照明は中村裕樹、美術は間野重雄、音楽は清水一登&れいち。
原案協力は『トキワ荘の時代』梶井純、『まんが道』藤子不二雄A、『トキワ荘青春日記』藤子不二雄A、『まんがのカンヅメ』丸山昭、『トキワ荘の青春物語』手塚治虫 他、『トキワ荘の青春』石ノ森章太郎。
協力は赤塚不二夫&安孫子素雄(藤子不二雄A)&石ノ森章太郎&鈴木伸一&つのだじろう&手塚プロダクション&寺田紀子&藤本弘(藤子・F・不二雄)&水野英子&森安直哉&棚下照生&つげ義春。
出演は本木雅弘、大森嘉之、古田新太、鈴木卓爾、阿部サダヲ、さとうこうじ、翁華栄、松梨智子、生瀬勝久、桃井かおり、時任三郎、きたろう、北村想、土屋良太、柳ユーレイ、安部聡子、原一男、向井潤一、広岡由里子、内田春菊、七尾伶子、橋本妙、石井育代、塩野谷正幸、磯部弘、大場靖子、菅原大吉、何忠信、松崎洋二、泉佑介、篠原秀豊、武藤寿美、高土新太郎、高山良、津村純生、松本克実ら。


後に大物となる多くの漫画家が若き時代を過ごしたアパート「トキワ荘」での日々を、事実を基にして描いた作品。
寺田を本木雅弘、赤塚を大森嘉之、森安を古田新太、安孫子を鈴木卓爾、藤本を阿部サダヲ、石森をさとうこうじ、角田次郎(つのだじろう)を翁華栄、水野を松梨智子、鈴木を生瀬勝久、藤本の母を桃井かおり、寺田の兄を時任三郎、丸山をきたろう、手塚治虫を北村想、つげ義春を土屋良太、棚下照生を柳ユーレイ、石森の姉を安部聡子が演じている。

劇中で使用する漫画はどうするのか、まさか本物に頼むことも出来まいと思ったら、どうやら他の漫画家が協力しているようだ。「漫画協力」として何名かの漫画家やイラストレーターなどが列記されており、その中には手塚プロの甲斐謙二や藤子・F・不二雄プロの萩原伸一、石ノ森章太郎のアシスタントだったシュガー佐藤らの名前がある。
ただ、実は劇中で「藤子不二雄の漫画」「石森章太郎の漫画」ってのが画面に出てくることって、ほとんど無いんだけどね。

最初に「史実を基にしたフィクション」というテロップが入るので、幾つかのウソはOKとしよう。
『漫画少年』廃刊は赤塚らが入居するより前だと思うのだが(赤塚や石森の入居は1956年、廃刊は1955年)、それはOKとしよう。水野が合作漫画のためにトキワ荘に短期入居していたのは寺田が転出した後の1958年のはずだが、それもOKとしよう。
新漫画党の結成は安孫子らが入居するより前の1954年だし、仮に第2次新漫画党の結成だとしても1955年の5月だから石森らの入居前だが、それもOKとしよう。

寺田が筆を折るのはトキワ荘を出て随分と経った後だが(1957年に転出し、1959年から代表作『スポーツマン金太郎』を連載している。漫画の世界から去ったのは1970年代に入ってから)、それもOKとしよう。
第1次新漫画党メンバーだった坂本三郎と永田竹丸が出てこないのも、第2次新漫画党のメンバーだった園山俊二が出てこないのも、まあOKとしよう。
だけどさ、トキワ荘を巡る物語を描くなら、住人だった横田徳男(よこたとくお)の存在が抹消されているのはイカンのじゃないか。つげ義春や棚下照生は登場させておいて、なんで横田徳男は無視なのよ。

監督が市川準という時点で半ば諦めていたが、予想した通りだった。
何が予想した通りかというと、「ドラマを作る気がさらさら無い」ってことだ。
もともと市川準監督は商業映画の世界で活動しているにも関わらず、エンターテイメント精神のカケラも感じさせない映画ばかり作っている人だが、やはり今回も同じように無愛想な映画となっている。
せっかく有名な漫画家が多く出てくるのに、それを活かそうという気が全く無い。
なぜなら、市川監督は登場する漫画家にも、彼らのトキワ荘を巡る物語にも、全く関心が無いからだ。

まず、冒頭で寺田と角田が挨拶するシーン、それぞれに「寺田です」「つのだです」と苗字しか言わせない辺りからして、関心の無さを感じさせる。
ちょっとしたことだが、監督が有名漫画家たちの若き日を描くのだという気持ちがあるなら、「寺田ヒロオです」「つのだじろうです」とフルネームで挨拶させていただろう。

何しろ、手塚治虫が出てくるシーンでさえ、彼の名前も観客には明かされない。「ジャングル大帝が云々」というセリフがあるだけだ。
そりゃあ漫画好きな人なら、トキワ荘で「つのだ」といえば「つのだじろう」ということも分かるし、手塚が出て来た段階で誰なのかは分かるだろう。
しかし、つのだや手塚が出てくる前に、寺田のモノローグが入っているのである。だったら、そこも彼のモノローグを使って、相手が誰なのかを説明するぐらいのことは簡単に出来たはずだし、した方がいいはずだ。

とにかく市川監督は、説明するという作業を異常なぐらい拒もうとしている。
それが言葉で説明しなくても分かるようなこと、例えば人物の感情表現のようなモノなら、それでもいいだろう。
しかし、そいつが何者なのか、どういう人物なのかということは、たぶん言葉を使わずに伝えるのは困難だ。
というか、全く伝えようとしていないんだな、これが。
最初に寺田の顔はアップになるが、それ以外の人物に関しては、ほとんど引いた絵ばかりである。手塚が登場した時も、彼の顔のアップは無い。水野なんかも、初登場のシーンではバックショットのみだ。誰が誰なのかを見分けるのは非常に難しい。キャラクターを立たせよう、個性を出そうという意識は皆無に等しい。

「安孫子と藤本が入居したのに続くように、『漫画少年』の投稿仲間が次々に入居してきた」と寺田のモノローグが入っても、観客に対して鈴木、森安、石森、赤塚の各人が紹介されることは無い。
何年に、どの部屋に入ったのかという説明も無い。
登場した段階で彼らを全く紹介しないことに、何のメリットがあるのかと考えてしまう。

それぞれの漫画家には有名な作品もあるし、ファンには良く知られたエピソードもある。つまり、使えるネタは幾らだってある。
例えば、有名な漫画が誕生するきっかけになったエピソードを描くとかね。
でも、そういう具体的な所には、全く突っ込んでいかない。
とにかく日常風景としてのスタンスをキープし、「架空の出来事」のスケッチを曖昧な状態で続ける。

ようするに市川監督は、それが実在した有名人であろうとなかろうと、どうでもいいのだ。
その人物が赤塚不二夫である意味、その2人が藤子不二雄である意味など、全く無いのだ。
全ての人物が、実在しない映画オリジナルのキャラクターであったとしても、この映画には何の支障も無い。
所詮、彼らは昭和30年代の風景を描くために配置された記号に過ぎないからだ。

 

*ポンコツ映画愛護協会