『時空(とき)の旅人』:1986、日本
新歴392年のNEO・TOKYO。アギノ・ジロは時間同調装置を奪い、逃亡を図った。追っ手の攻撃でマシンが損傷を受けるが、ジロは過去へとタイムスリップした。現代の東京。高校生のノブッチョはシンイチに未確認飛行物体を見たことを話すが、まるで信じてもらえなかった。シンイチはノブッチョが片思いしている同級生のデコに気付き、彼に教える。デコはカメラマンをしている兄の取材車に乗り込むところだった。兄がタバコを買いに出掛けている間に、シンイチとノブッチョは車へ行ってデコに話し掛けた。
デコたちの様子を物陰から覗いていたジロは、車に向かって走った。通り掛かった教師のホクベンにぶつかりながらも、彼は車に乗り込む。後を追って来たホクベンが注意しても、ジロは無視して時間同調装置を車に取り付けた。デコの兄が車に戻ろうとした時、ジロは装置を作動させてタイムスリップした。ノブッチョが車を停めるよう要求すると、ジロは銃を構えて「後ろ行って、じっとしてろ」と脅した。ノブッチョがタックルを食らわせるとジロは装置に激突し、車は停止した。ジロは「時点がズレた」と呟いた。
ジロたちが到着したのは1945年3月9日の東京近郊都市で、B-29による大空襲が行われていた。ジロが車を猛スピードで走らせ、町外れへ向かう。ホクベンは大砲を部下に撃たせている隊長を見つけ、声を掛けた。ジロが「日本は負ける」と発言すると、隊長は激怒して軍刀で斬り付ける。ジロたちは慌てて逃げ出し、神社に駆け込んだ。デコは水を求める男に腕を掴まれて悲鳴を上げるが、山本という少年に助けられた。神社の境内には、避難したものの火傷や空腹で力尽きている大勢の人々がいた。
山本は追って来た隊長の腹を殴って気絶させ、ジロたちに逃げるよう促した。彼はデコの腕を取り、一緒に走った。ジロたちが車に乗り込むと、山本は敬礼で見送った。ジロはデコに「どこから来たの?」と問われ、新歴392年から来たこと、自分のいる時代が嫌になって脱出を試みたこと、マシンが壊れたので車を借りて時間同調装置を仕掛けたことを説明した。「元の世界に戻りましょう」とデコが言うと、ジロは「脱出の決心が変わらないよう、過去にしか戻れない装置を盗み出した」と告げた。
装置のエネルギーが足りなくなり、ジロたちは幕末に出た。デコ、シンイチ、ノブッチョは食料を見つけるため、近くの民家を調べる。そこへ住人のお婆が現れ、3人を縛り上げた。お婆は官軍と賊軍の戦いに巻き込まれた娘を失い、夫は行方不明になっていた。彼女は3人を官軍か賊軍だと誤解し、始末しようとする。しかしデコたちの様子を見にホクベンが来ると、その表情が一気に変わった。ホクベンが夫に瓜二つだったので、お婆は帰って来たのだと勘違いしたのだ。お婆はホクベンを招き入れ、デコたちを解放した。
ジロは装置のエネルギーが無くなったことに困り果てるが、シンイチは単なるガソリン切れだと気付いて補給した。空にまばゆい光の塊が出現し、ジロは追っ手だと察知する。ジロとシンイチは車で民家へ行き、デコたちに急いで乗るよう指示した。現れたタイムマシンから逃げようとする一行だが、ホクベンは追って来るお婆を見捨てることが出来ずに飛び降りた。するとタイムマシンはホクベンを回収した。ジロたちの車はタイムマシンの攻撃を受けるが、スクランブル・ジャンプで逃走に成功した。
タイムマシンを操縦していたクタジマ・トシトという男は、ホクベンに「心配するな、お前も、お前のガキも、記憶を消して元の世界に戻してやる」と告げた。しかしホクベンが「だったら早く戻してくれ」と言うと、彼は「わざわざガキを追い立てたんだ。もうちょっと付き合ってもらうぜ」と不敵な笑みを浮かべた。トシトは、ジロが行き先を記録したマシンを盗んだことを告げ、後を追った。
ジロたちの車は、1600年9月15日、関ヶ原の戦いの場所に出た。彼らは死んだ侍の甲冑を奪い、それに着替えた。徳川家康は東軍の圧倒的な優勢に満足し、忍者のセドウド・ジンに「駕籠の用意じゃ。陣を前に押し出すぞ」と命じた。島左近は西軍の大将である石田三成に、落ち延びるよう促した。彼は家康を討ちに行くと決め、志願者を募った。近江浪人の平野兵蔵と、赤武者の面々が彼に同行した。
峠で家康の駕籠を待ち伏せていた左近は、木陰に隠れていたジロたちを発見した。赤武者たちは口封じに始末しようと考えるが、左近は「この期に及んで無用な殺生には及ぶまい」と口にした。家康の駕籠が峠に現れたため、左近たちは一気に突入する。しかし左近は無数の矢を浴びて絶命し、赤武者たちはセドウドに始末される。兵蔵は馬から落ちて昏倒した。セドウドの戦いぶりを見たジロは、「この時代の人間ではない。この時代に、あんな武器は無い」とデコたちに話した。
セドウドはジロの前に現れ、「どうやら、お仲間らしいな。あやつらも妙な悪あがきをしたもんだ。巧妙に紛れ込んでも歴史は変えられん。見よ、徳川三百年の幕開けだ」と述べる。彼は赤武者たちを回収し、タイムマシンで消えた。雨宿りのために洞窟へ移動したジロは、「殺された侍は、たぶん家康を殺し、歴史を変えようとして未来から来たんだ」と話す。デコが「じゃあ、あの忍者は?」と尋ねると、彼は「たぶん、それを止める時間管理局員」と言う。時間管理局員の中には、その時代に住み着いている者もいるという。
そこにホクベンを連れたクタジマが現れ、銃を構えて「遊びは終わりだ。帰るぞ」とジロに告げた。クタジマは自分が逃亡者ハンターの時間管理局員であることを告げ、全員を連行しようとする。そこへ兵蔵が現れ、当て身を食らわせてクタジマを気絶させた。クタジマのタイムマシンはハンターでなければ使えないため、ジロたちは兵蔵を連れて車に戻る。タイムスリップの途中で故障が発生し、彼らの車は教会に落ちた。ジロたちが飛び出した直後、壊れた車は暴走して壁に激突し、爆発炎上した。
大きな音を聞き付けた織田信長が、小姓の森蘭丸を伴って駆け付けた。蘭丸が山本に瓜二つだったので、デコは驚いた。信長は腕時計やライターなど見たことも無い道具を持ち、「ミライ国から来た」と称する一行に興味を示した。彼は蘭丸に、シロたちを安土城へ案内するよう指示した。ホクベンは兵蔵に自分たちの素性を説明し、理解してもらった。ジロたちは、そこが天正十年5月28日だと知った。それは本能寺の変が勃発する5日前だった。
信長はジロたちを宴でもてなした後、見張りを付けて実質的な軟禁状態に置いた。明智光秀は信長に、征夷大将軍となって朝廷との関係を良好に保つよう進言した。すると信長は激怒し、彼を打ち据えた。デコたちはジロに、どんな時代から来たのか尋ねた。ジロは彼女たちに、究極の理想社会と呼ばれていたことを話す。ジロは教師から、旧世紀は飢えと戦争の絶え間ない時代が続いたと教えられた。そして教師は彼らに、「ここで暮らす人々の一番の義務は、幸せであること」と説いた。
ジロは「飢えと戦争の時代」に強い関心を示し、詳細を知りたがった。そこで彼は治療センターへ通い、コンピュータに質問を投げ掛けた。しかしジロはセンターの職員たちから、「歴史に興味を持っちゃいけない」と注意を受けた。職員はクタジマに、ジロが旧暦の血脈の生き残りである可能性が高いことを知らせた。クタジマはジロを機密センターに連れて行き、意識改造によって危険思想が取り除かれて新しい記憶が植え付けられる場合があると警告した。
クタジマから「意識改造が嫌なら、歴史に興味を持つな」と警告されたジロは、町外れの立ち入り禁止区域に足を踏み入れた。そこで彼は、ホログラムによって隠されていた旧暦以前の遺跡を発見する。立ち入り禁止区域について調べたジロは、なぜ政府が歴史に興味を持つことを止めようとしたのか、なぜ遺跡が隠されていたのかを知った。旧暦の終わりである2080年に起きた大規模な核戦争を、政府は秘密にしようとしていたのだ。ジロは旧暦の世界を自分の目で見たくなり、脱出したのだった…。監督は真崎守、原作は眉村卓(角川文庫版)、脚本は大和屋竺&真崎守&竹内啓雄、製作は角川春樹、キャラクターデザインは萩尾望都、作画監督は野田卓雄、原画は川尻善昭&松原京子&新川信正&梅津泰臣、美術監督は男鹿和雄、撮影監督は石川欽一、テクニカルスーパーバイザーは八巻磐、音響監督は明田川進、編集は尾形治敏、効果は倉橋静男、録音は辻井一郎、プロデューサーは りんたろう&丸山正雄&岩瀬安輝、設定は竹内啓雄、絵コンテは真崎守&平田敏夫&福富博、俳句は角川春樹、メカニックデザインは森本晃司、未来都市設定は渡部隆、美術は松岡聡、音楽プロデューサーは石川光、音楽監督は国吉良一。
主題歌「時空(とき)の旅人」挿入歌「タイム・ストレンジャー」作詞・作曲:竹内まりや、編曲:山下達郎、唄:竹内まりや。
声の出演は戸田恵子、村田博美、横内正、岩田光央、熊谷誠二、青野武、津嘉山正種、井上真樹夫、金内吉男、堀川亮、阪脩、鳥海勝美、野本礼三、池水通洋、北村弘一、堀秀行、大森章督、平野正人、田中亮一、阿部道子。
眉村卓の小説『とらえられたスクールバス』(この映画化に合わせ、角川文庫から『時空(とき)の旅人』と改題されて発行された)を基にした作品。
監督は『浮浪雲』『はだしのゲン』の真崎守。
ジロの声を戸田恵子、テコを村田博美、信長を横内正、シンイチを岩田光央、ノブッチョを熊谷誠二、ホクベンを青野武、セドウドを津嘉山正種、クタジマを井上真樹夫、光秀を金内吉男、蘭丸&山本を堀川亮、兵蔵を阪脩、お婆を野本礼三、左近を池水通洋が担当している。冒頭、悪夢にうなされたジロが目を覚ましてテーブルの上の砂時計に目をやると、画面に「ひとつぼの闇よりふぶく桜かな」という俳句が表示される。
まるで雰囲気に合っていないし、なぜ唐突に俳句が出るのかと思っていたのだが、その答えが物語が進む中で解明されることは無く、最後まで分からないままだ。
しかしクロージング・クレジットが流れると「俳句:角川春樹」という表示があり、全て合点が行った。
ようするに、俳句をやっていた角川春樹が、自分の作品をゴリ押しで盛り込んだのだ。
さすがは角川春樹、映画の質とかバランスとか、そんなのことは自己満足の前では完全無視なのだね。
ちなみに、終盤にも別の俳句が表示される箇所があるが、これまた唐突で物語の流れには全く合っていない。ジロが追っ手から逃げて時間同調装置を作動させると、画面に大きく「HELP!」という文字が出る。
その表記体も含めて、まるで雰囲気に合っていないし、妙にコミカルなイメージだ。
そこからノブッチョがやっているコンピュータ・ゲームに表示される「HELP!」の文字へ繋げるという演出はしているが、完全に場違いな表現と化している。
そのコンピュータ・ゲームは、文字を出すためだけに用意されたものであり、後には全く繋がらない。アヴァン・タイトルでは台詞が全く無いのだが、その演出もプラスに作用しているとは言い難い。普通にセリフを喋らせた方がいい。
ジロが車を乗っ取った時に初めて喋ると、「そちら、たち、みんな、後ろ、行って、じっと、して、ろ」とカタコトで拙いので、もしかすると「未来では日本語じゃない言葉を喋っているから無言で表現した」ということかもしれない。しかし、次にジロが喋る「時点がズレた」という言葉はスムーズだし、時点という難しい言葉も知っている。
それに、セドウドやクタジマは普通に日本語を喋っているし、ジロもいつの間にか普通に喋っている。
だったら、最初からセリフを喋らせておいてもいいでしょ。
「最初は過去のことが理解できずに驚いたり戸惑ったりしていたが、次第に馴染んでいく」というドラマも無いんだから、言葉をカタコトにしている意味も全く無いし。かなり荒唐無稽な話だから、そこまで綿密な時代考証を求めるのは違うのかもしれないが、しかし看過できない箇所もある。
それは、隊長がジロに軍刀で襲い掛かるシーン。
「日本は負ける」と言ったジロに「なんだ、そのチンドン屋みたいな恰好は」と激怒して殺そうとするような軍人が、「敵のスパイか」という言葉を使うのは変だと思うのよね。
「スパイ」ってのは、完全に敵国の言葉でしょうに。原作は未読なので、どれぐらいと内容が違うのかは分からないが(少なくともジロが奪うのが原作では取材用車両じゃなくてスクールバスってことは分かるが)、デコが山本に一目惚れし、その先祖だと思い込んで蘭丸を助けようとする恋愛要素を大きく扱っているのは、ちと厳しいモノを感じる。
どう考えたって、ジロとデコ&シンイチ&ノブッチョの関係を軸に据えて物語を進めていくべきでしょ。
ジロの関わる物語がメインのはずなんだから、デコたちが彼と協力して陰謀を阻止する話に集中すべきじゃないのか。
デコがそんなことより恋愛に夢中になると、焦点がボヤけてしまう。ただし、「デコたちとジロと協力して云々」という物語に集中させるには、1つの大きな問題がある。
それは、ジロが身勝手で不愉快な男にしか見えず、まるで好感が持てないってことだ。
彼は「自分のいる時代が嫌になって脱出を試みた」と言っているが、そこは自己責任だから別に構わない。しかし、無関係な他人を巻き込んだ時点で完全にアウト。
乗り物を奪うにしても、無人の乗り物にすればいい。
彼はデコたちが乗っていると分かった上で車を奪っている。それは単なる身勝手なカージャックであり、情状酌量の余地は無い。ジロはデコたちを巻き添えにしても、まるで悪びれる様子が無い。
しかし、なぜかデコたちは、そんな身勝手なジロの行動に巻き込まれて大変な目に遭っているのに、彼を激しく責めるようなことも無く、あっさりと仲良くなる。
デコはクタジマに「人に迷惑を掛けておいて随分と勝手な言いぐさだわ」と告げているが、迷惑を掛けたのはジロだ。むしろクタジマは、そんなジロを連れ戻しに来たのだ。
その時点ではクタジマの陰謀を知らないのに、なぜデコたちがジロの肩を持つのか、まるで理解できない。デコたちはジロから「過去にしか行けない」と説明されても、怒ったり悲しんだりすることは無く、それは「もう元の時代には戻れない」という通告なのに、そこに絶望感も悲壮感も全く無いってのは、どういう感覚なのか、理解に苦しむ。
こいつら、恐ろしいぐらいに鈍感なのか。
デコたちはホクベンがクタジマに捕まった後も、そんなに心配する様子を見せず、それどころか呑気に笑っている。緊張感も全く無い。
目の前の現実が理解できていないのか。その一方で、デコたちは非現実的な出来事に巻き込まれているのに、たちまち目の前の状況に順応する。
タイムスリップで過去に飛んでも、激しく取り乱したり、パニックに陥ったりすることは無い。
関ヶ原の合戦の場所に到着しても、すぐに状況を理解し、死んだ侍の甲冑を剥ぎ取って着替える。
目の前で人が殺されても、まるで動じない。そして死人の衣装を平気で着用する。
すげえな、こいつら。それにしても、デコたちが何をしたいのかがサッパリ分からない。
甲冑を奪って当時の人間の服装になっているので、とりあえず戦場から抜け出そうとしているのかと思ったら、左近たちを木陰から覗き見ている。
そもそも、関ヶ原の時代に留まろうとしている理由も分からん。すぐに別の時代へタイムスリップして、平穏に過ごせる場所を探した方がいいんじゃないのか。
っていうか、なぜデコたちが「元の世界に戻りたい」という願望や欲求を全く示さないのか、サッパリ分からない。もう別に戻れなくても構わないのかよ。終盤、ジロは自分がタイムマシンを使って新暦の世界から脱出した理由をデコたちに語る。それは「政府が旧暦の終わりに起きた核戦争を隠したがっていたことを知り、旧暦の世界を知りたくなったから」というものだ。
だけど、それって腑に落ちる説明じゃないんだよな。なぜ政府が、そこまでして核戦争の事実を隠蔽しようとするのか、それが良く分からない。
旧暦の終わりに核戦争があったことを人々が知ったとして、何か大きな問題になるだろうか。
教師は「旧暦は飢えと戦争の絶え間ない時代だった」と教えているわけで、その通りだったと認識できるだけのことでしょ。
何をそんなに神経質になっているのか、ちょっと良く分からん。後半は本能寺の変を巡る物語になり、クタジマが信長を救うことで歴史を改変しようと目論んでいることが明らかになる。
ここで大きな問題が生じている。
普通に考えれば、そこは「クタジマの野望を阻止し、歴史を守ろうとする」という展開になるべきだ。しかし、それはイコール「信長や蘭丸を見殺しにする」ってことになる。
それは主人公の行動として、果たしてどうなのかという問題があるのだ。そこで本作品が何をやったのかというと、「クライマックスに来て急に善玉と悪玉のポジションをチェンジする」という作業をやっている。
歴史を守ろうとするセドウドが悪玉になり、歴史を変えようとするクタジマが善玉になるのだ。
そしてジロはクタジマに賛同し、信長を救って歴史を変えようとする。
しかし、それは何の問題解決にもなっていない。むしろ、急に善悪のポジションを逆転させることに対する違和感を強く感じてしまう。しかも、信長は自らの意思で自害を選んでいるので、セドウドもジロも、全く無意味な存在と化してしまうんだよな。
無意味と言えば、シンイチとノブッチョも、ただ傍観しているだけで、まるで存在意義が無い。
デコは前述したように恋愛で夢中になっており、蘭丸を助けたいという一心で勝手に行動しているので、これまたジロと協力して行動しているわけではない。
つまりクライマックスにおいて、主人公グループは完全にバラバラになっているのだ。信長が自害しても、それで「歴史の改変は阻止されました、めでたし、めでたし」という大団円になっているわけではない。
「未来政府が過去の歴史を隠蔽して偽りの幸せを国民に与えようとしている」という問題は残されたままだし、ジロはあれだけのことをやらかしているんだからタダじゃ済まないだろう。
時空の穴に落ちて失踪した蘭丸の行方も分からないままだ。
モヤッとしたモノを残したまま、映画は幕を閉じている。(観賞日:2013年12月5日)