『時をかける少女』:2010、日本

昭徳大学で薬学者を務める芳山和子はさくらんぼの上に蟻を乗せ、そこに薬品を垂らす実験を行っていた。そこに助手が来て、研究データ が揃ったことを告げる。研究データを受け取った和子は、蟻が消えるのを見て驚く。彼女は助手から、「個人研究に熱中するのもいいです けど、今度、遅刻したら私も教授に怒られるので」と言われる。和子は昭和47年の百円硬貨ばかり集めており、売店の女性に呆れられる。 理由を訊かれるが、和子にも分からないのだった。
和子の娘・あかりは昭徳大学の薬学部に合格し、母に電話を掛けて報告する。ボートに乗りながら、ふと、あかりは父のことを尋ねる。 父の長谷川政道は、あかりが幼い頃に家を出て行ったので、ボンヤリとして覚えていないのだ。和子は「日本に帰ってきて、相変わらず 映画を撮ってるみたい。今は山にこもってるみたい」と言う。母が父と連絡を取っていることを知り、あかりは驚いた。
あかりは弓道部で最後の連中を済ませ、古くからの知り合いである浅倉商店の主人・浅倉吾朗に手伝ってもらって荷物を運ぶ。吾朗は大学 へ行き、和子に彼女が写った写真を渡す。近所に住む深町のお婆さんから、屋根裏部屋を片付けていたら出て来たので渡してほしいと 頼まれたのだという。封筒には、深町の温室のラベンダーが添えられている。写真には中学時代の和子と同級生の男子が並んで写っていた 。だが、和子も吾朗も、その少年に見覚えが無かった。
目を閉じた和子は、「土曜日の実験室」のことをボンヤリと思い浮かべる。帰宅する途中、和子は「深町君」と漏らし、写真の少年を 思い出す。だが、その直後、彼女は車にひかれた。病院からの連絡で駆け付けたあかりは、担当医と会った。和子は、外傷は大したことが 無いが、脳に損傷を負って意識不明だという。吾朗が病院にやって来て、一睡もせず疲労しているあかりに優しく声を掛けた。
ロビーのテレビでは、36年前の1974年3月3日に発生した深夜バスの転落事故について取り上げた番組が放送されていた。それを見た吾朗 は、そのバスに乗る予定だったことをあかりに話す。しかしチケットを家に忘れたため、乗らなかったという。彼は「生かされたのは運命 だと思ってる。芳山君は強運の人だから、きっと生かされるよ」とあかりに言う。帰宅したあかりは母のパソコンを操作し、父から届いた メールを見た。そこには「来月から4ヶ月、立山連峰に行く 雪間の撮影」と記されていた。
翌日、あかりは病院を訪れ、「今日、誕生日だよ、18歳」と目を潤ませながら母に語り掛ける。その時、和子が目を開けた。彼女は 「行かなきゃ。あの人に、会いに。深町一夫。あの写真と鍵」と言う。あかりは母に言われ、バッグから写真と鍵を取り出した。写真を 見た和子は、「行かなきゃ」とベッドから起き上がろうとする。慌ててあかりは制止し、「あたしが行くから。どこにいるの?」と訊く。 1972年4月、土曜日、中学校の理科実験室」と和子が言うので、あかりは困惑した。
和子は「研究室の机の鍵。その中に薬がある。それを飲んで念じれば過去に行ける。会って、伝えて」と言い、再び意識不明になった。 あかりは研究室へ出向いて薬を発見し、それを飲んだ。しばらく待つが、何も起きない。しかし「1974年の2月だったっけ?」と彼女が首 をかしげた直後、腕時計の針が高速回転を始めた。慌てたあかりは「1974年の2月、土曜日の実験室」と強く念じる。すると彼女は、謎の 空間を通り抜け、どこかの教室に落下した。
あかりは教室にいた青年・溝呂木涼太に、「深町一夫?ここって世田谷西中学校の理科実験室?」と矢継ぎ早に尋ねる。だが、そこは 昭徳大学の教室だった。気を失った彼女を、涼太はアパートに連れ帰った。翌日、あかりは意識を取り戻し、1974年2月17日の日曜日だと 知る。そこで母の言葉を思い出し、あかりは自分が念じる年を間違えたことに気付いた。部屋を飛び出したあかりが荷物を忘れたので、 涼太は慌てて追い掛けた。
世田谷西中学へ行きたがるあかりを、涼太は案内した。あかりが女子学生たちに写真を見せると、和子のことは卒業生として知っていたが 、深町のことは誰も知らなかった。あかりは涼太に、「2010年の未来から、ある人にあうために来た」と言う。証明するために、あかりは 平成19年の五百円玉や携帯電話を見せる。SFファンで自主映画を撮っている涼太は、初めて見る携帯にに強い関心を示した。
あかりは「ウチに泊めて。掃除も洗濯もするし、迷惑は掛けないから。何としてでも深町一夫にメッセージを届けて戻らなきゃいけないの 。一緒に捜してください」と涼太に事情を説明して頼む。涼太は承諾し、あかりをアパートに上げた。すると住人の市瀬ナツコと門井徹が 現れたので、あかりは「従妹です」と自己紹介する。2人は涼太の映画にも出演していた。あかりは、現代でナツコが有名タレントに なっていることを思い出し、持っていた雑誌を開いて彼女の特集記事を涼太に見せた。涼太から「俺はどうなってる、そういう名前の 映画監督はいる?」と訊かれ、あかりは「映画見ないから分かんない」と答えた。
翌日、あかりと涼太は世田谷中学に侵入して卒業アルバムを調べるが、深町は見つからない。あかりは、和子に直接訊きに行こうと考える 。2人は和子の実家を訪れるが、玄関の柵は封鎖されており、誰もいない様子だった。そこに若き日の吾朗が通り掛かり、あかりは声を 掛ける。あかりは和子の従妹だと嘘をつき、彼女のことを尋ねる。すると、高校入学と同時に横浜へ引っ越したという。あかりは写真を 見せるが、吾朗も深町のことは知らなかった。
あかりが和子の学校と住所を教えてほしいと頼むと、吾朗は「夜には配達が終わるから電話してくれる?」と言う。それまで時間が空いた ので、涼太は自分が通う昭徳大学の映画研究会の部室へあかりを連れて行く。涼太は仲間たちと、2011年の未来を舞台とした8ミリ映画を 撮っていた。翌日、2人は横浜の高校へ行き、当時の和子を見つけて話し掛ける。だが、和子は深町一夫という少年を知らないし、写真を 撮った覚えも無いという。
涼太はあかりを連れて、あさま荘というアパートへ赴いた。そこには映画研究会でカメラマンを務めるゴテツが住んでいた。夜遅くまで 話し込む2人に付き合っていたあかりは、和子の写真を発見する。翌日、再び和子に会いに行ったあかりは、彼女が中学3年で薬学部を 目指そうと考え、理系に強い私立の高校に進んだことを知った。ゴテツの部屋で見つけた写真を見せると、和子は「長谷川さんが撮って くれた奴だわ。友達の家庭教師してる人」と言う。あかりは、ゴテツが自分の父親だと知った。
深町を捜す作戦を考えていたあかりに、涼太は「新聞に訪ね人の広告を出してはどうか」と提案した。「深町が未来人だとしても、新聞 なら未来にも残せる」と言われ、あかりは「なるほどね」と納得する。問題は資金んが無いことだったが、2人は読売新聞社へ行って 「4万円でお願いします」と担当者に必死で頼み込む。何とか広告を載せてもらえることになり、あかりと涼太は喜んだ。
翌日から、あかりは涼太の映画撮影を手伝った。ゴテツはあかりに近付き、「従妹なんて嘘だろ」と笑う。それから彼は、この映画を 撮り終わったら奨学金でアメリカへカメラマン修行に行くことを話した、「あいつの面倒、しばらく見れないから頼むわ」と言う。あかり は「彼女が行かないでって言ったら、どうすんの?」と問い掛け、和子の写真を見せる。ゴテツは「そんなこと言うわけがない。その前に 一人で行って来いって言うんじゃないかな」と答えた。
撮影が終了し、みんなが拍手する中、あかりは和子が来ていることに気付いた。あかりは彼女に、「ゴテツさんが貴方を置いて遠くに行く って言ったら、どうする?」と尋ねる。和子は「頑張って来てほしい。彼のやりたいことを応援してるから」と言う。夜、下宿に戻った あかりは、涼太に「将来、ビッグな監督になって、キレイな女優さんと結婚して、可愛い子供がいるんだろうなあ。でも、その時の涼太に 、私は過去の人になっちゃってるんだ。未来から来たのに、なんか変だよね」と寂しそうに告げた。すると涼太はゴテツの元へ走り、 「カメラを貸してくれないか。ラストシーンだけ変更したい。ラストだけは自分で撮りたい」と頼んだ。
翌日、朝刊に「深町カズオ 3月2日土曜中学実験室にて待つ」という訪ね人の広告が掲載された。それを確認した後、涼太はあかりを 桜並木へ連れて行き、自分でカメラを回してラストシーンを撮影する。それは、あかりが歩いて行く後ろ姿だった。その桜並木は、あかり も良く知っている場所だった。涼太はあかりに、「あかりの時代が来た時に、こうやって並んで桜が見れたらいいな」と言う。
アパートに戻った涼太は、母親からの電話で、父親が脳卒中で倒れたことを知らされた。オイルショックの煽りを受けて印刷工場が傾き、 立て直そうと父親は必死で働いていた。「それを知ってたのに、俺は帰らなかった」と、涼太は自分を責める。「時間を置いてでも、映画 を完成させることは出来るでしょ」とあかりは言うが、涼太は「未来人に分かるかよ」と吐き捨てて部屋を飛び出した。広告に指定した 3月2日、あかりが理科実験室で待っていると、そこに深町が現れた…。

監督は谷口正晃、原作は筒井康隆、脚本は菅野友恵、エグゼクティブプロデューサーは夏目公一朗&一志順夫&安部次郎&甲斐真樹& 武政克彦&阿部巌&大宮敏靖、企画プロデューサーは植田益朗&越智武&村山達哉、アソシエイトプロデューサーは鈴木信隆&石川恵子& 中嶋嘉美、プロデューサーは藤本昌俊&松岡周作、撮影は上野彰吾、編集は宮島竜治、録音は小川武、照明は赤津淳一、美術は舩木愛子、 VFXスーパーバイザーは小坂一順、原作コーディネート協力は新名新、音楽は村山達哉×TOKYO GRAND ORCHESTRA & school food punishment &伊藤ゴロー、音楽監督は村山達哉、 音楽プロデューサーは田井モトヨシ。
主題歌『ノスタルジア』は いきものがかり 作詞・作曲:水野良樹、編曲:島田昌典。
出演は仲里依紗、中尾明慶、安田成美、石丸幹二、勝村政信、青木崇高、石橋杏奈、千代将太、柄本時生、キタキマユ、田島ゆみか、 松下優也、加藤康起、加藤理恵、遠山俊也、肘井美佳、柴田光太郎、 竹内晶子、岡野真也、樋口真央、水谷彩音、鈴木眞、山梨ハナ、石塚徹、安野遥、佐野憲彦、久野雅弘、水野以津美、吉満涼太、 伊藤ふみお、早坂実、菊地一浩、樋口史、重松宗隆、山岡愛姫、村上めぐみ、田井中蘭、園田綾香、坂井一郎ら。


筒井康隆の同名ジュブナイルを基にした作品。
2006年のアニメ映画版でヒロインの声を担当した仲里依紗が、あかりを演じている。
涼太を中尾明慶、2010年の和子を安田成美、深町を石丸幹二、2010年の吾朗を勝村政信、ゴテツを青木崇高、1974年の和子を石橋杏奈、 1974年の吾朗を千代将太、ナツコをキタキマユ、徹を松下優也、1972年の深町を加藤康起が演じている。
監督の谷口正晃も脚本の菅野友恵も、これが劇場映画デビュー作。

これまで原作は何度も映像化されてきたが、今回は原作から大きく離れ、「原作のヒロインだった和子の思いを深町に伝えるため、娘が タイムリープする」という内容になっている。
原作の映像化と言うよりも、続編と捉えた方がいいだろう。
いや、原作の続編と言うよりも、大林宣彦監督が1983年に撮った映画の続編と言った方がいいかもしれない。明らかに、あの映画に オマージュを捧げている。
タイムリープのVFXがチープなのも、そういうことだろう。今の技術なら、もっと上手くやれるはずなのに、わざと大林チックな効果に してあるのだろう。

和子が助手から注意されて愛想笑いで誤魔化す芝居や、さくらんぼを持ち上げた時の表情が、明らかに「大人の女性」とではなく若い年代 の芝居、もっと言えばブリッ子的になっているのも、大林テイストってことなんじゃないだろうか。
そう解釈しないと、明らかに不自然な演技の付け方なのだ。
っていうか、安田成美の芝居を見ていると、ひょっとして製作サイドは、ホントは1983年版のヒロインだった原田知世に和子を演じて ほしかったのではないかという気がする。
それはともかく、和子の年齢設定って、おかしくないか。だって、1974年の時点で高校1年生だったら、2010年には52歳か53歳でしょ。
安田成美は50代に見えないし、そういう年齢設定だとも思えないんだよなあ。

タイトルロールで1983年版の主題歌である『時をかける少女』が流れて来るが、これを使っているのだから、明らかに1983年版を意識して いる。
歌っているのは原田知世じゃなくていきものがかりだけど、この歌が流れてきた瞬間、なんかテンションがグッと上がった。
この時点で、実は私の中で一気にハードルが低くなっており、「大林版にオマージュを捧げているのなら、ちょっと査定基準は甘く しようか」と思った。
だが、それでもダメな映画という評価になってしまうぐらい、出来栄えの悪い作品だった。

和子は交通事故で意識不明の状態に陥ってしまうのだが、にも関わらず、タイムリープしたあかりは明るく快活に行動する。
それは「気丈に振る舞っている」ということではない。母親が死の淵にいることなど完全に忘却しているかのような様子なのだ。
これはキャラクターの動かし方として大きな違和感がある。
あかりを細田守監督のアニメ版のように明るく元気に動かしたいのなら、母親が事故で意識不明という設定は避けるべきだ。

あかりが和子から深町のことを告げられた後、その言葉に何の疑いも持っている様子が無いのが引っ掛かる。
「薬を飲めば過去に行ける」なんて、普通なら「有り得ない」と考えるんじゃないか。
それに、深町という男について全く調べようともせず、いきなり薬を飲むのも行動として不可解。
まずは吾朗に写真を見せて男のことを尋ねるとか、そういう手順があるべきではないのか。

あかりは吾朗を頼りにしており、信頼できる大人の男だと感じているはずだ。
だったら、母が言ったことについて、吾朗に打ち明けるべきではないか。そして彼に同行してもらって研究室へ行き、本当に薬があるので 驚き、ためらいつつも飲んでみるという流れの方がいい。
そこには「研究室に侵入する際に助手に見つかりそうになる」とか、「吾朗は何があるか分からないからと言って薬を飲むのを止めようと する」とか、そういう手順もあった方がいい。

なんか色々と手順をスッ飛ばして、ものすごく安易にタイムリープしている印象を受けるんだよな。
これが「自分が予期せぬ形であかりがタイムリープしてしまう」ということなら、唐突でもいいのよ。だけど、あかりの場合、「それは タイムリープする薬である」と分かった上で薬を飲むわけで、それにしては展開が慌ただしい。
それと、飲んだ後で周囲に変化が無いと分かった時に吹き出して「何やってんだ、あたし」というリアクションもおかしい。
意識不明の母から頼まれたことを試した時の反応じゃないだろ、その軽さは。

話が進行する中で、あかりと涼太の恋愛劇がメインになってくるが、これは完全に失敗。
あかりは母の願いを叶えるためにタイムリープしたのだから、そのために行動すべきであって、自分のための行動がメインになるのは 間違っている。
タイムリープした先で男と出会っても、その男から好意を持たれても構わない。あかりが淡い恋心を抱くのも別にいい。
だけど、それはあくまでもサブの要素に留めておくべきだ。当初の目的とは別の目的が大きくなることで、物語の焦点がボヤけてしまう。

この映画が描くべきなのは、「あかりが好きになった人と会えなくなる」という切なさではない。
「和子と深町の切ない恋に触れて、あかりが何かを感じ取る」という話を描くべきなのだ。
涼太が仲間と映画を撮っていることなんて、極端な話、どうでもいいんだよ。
そんなことより、あかりは一刻も早く深町に母のメッセージを伝えて、母の元に戻るべきだ。あかり本人も、そういう希望を序盤で口に している。
ところが、なぜか彼女は、過去での生活をエンジョイするようになり、本来の目的は「それほど必死になって急ぐ必要も無い」という程度 のモノになってしまう。「早く深町を見つけ出さないと」という切迫感や焦燥感は、全く無い。

あかりを若い頃の父親と遭遇させ、しかも彼女にゴテツが父親であることを教えてしまうのも、話の焦点がボヤける要因の一つになって いる。そうなると、あかりはゴテツのことも気になるわけで、深町の捜索だけに意識を集中できなくなってしまう。
っていうか、見ている観客だって、そっちのことも気になるし。
それに、深町へのメッセージを伝えようとしていた和子が、深町が消えた直後から別の男と交際しているってのも、そりゃあ記憶が抹消 されているから仕方が無いんだけど、なんかスッキリしないしなあ。そうなると、「別に深町にメッセージを伝える必要なんて無いんじゃ ないのか」と思ってしまうんだよな。
今でも深町のことを心の底で思い続けているとか、ゴテツと交際しながらも何となく引っ掛かっていることがあるとか、そういうわけでも ないんだし。
前述の年齢設定もそうなんだけど、これってアニメ版と同様、あかりを和子の姪にしておけば良かったんじゃないかなあ。そんで、和子は 今も独身を貫いているという設定にするとかさ。

2698年から来た深町がラベンダーと写真を見て「消し忘れか」と呟くのは、ものすごく冷徹に感じられる。
深町は、わずかな時間だったとは言え、和子に恋をしたのだ。それなのに、そんな彼女との思い出を「消し忘れか」と表現するのか。
そのことを思い出した和子にとっては「大切な記憶」なのに、深町にとっては「抹消すべきデータ」でしかないんだよな。
そりゃあ、それが彼の使命なんだけどさ、そこに人間味が全く感じられない。
一応、あかりが涼太から預かったフィルムは残してあげたり、現在の和子の前に現れたりするので、深町に優しさが皆無ってわけでは ないんだけどさ。
あと、「全く別人になって現れる」という約束だったはずなのに、同じ人間として和子の前に現れたらダメでしょうに。

ちなみに、涼太の部屋に映画のポスターが何枚も貼ってあったけど、『ルパン三世 念力珍作戦』の初公開は1974年の8月3日だから、 まだ上映されていないはずだぞ。
映画ファンだから、上映前にポスターを入手したってことなのか。
っていうか、涼太はSFファンで、他は『2001年宇宙の旅』とか『ゴジラ』とか『海底大戦争』とか、SFや特撮系の映画のポスター ばかりなのに、なんで『念力珍作戦』のポスターなんだろうか。
そこは徹底してないなあ。

(観賞日:2011年3月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会