『タイガーマスク』:2013、日本

地下格闘技の世界では、「竜の穴」出身の戦士と「虎の穴」出身の戦士が戦いを繰り広げている。その日のメインイベントでは、竜の穴から6戦無敗のスーパーコングが出場した。対する虎の穴の戦士は、これがデビュー戦となるゴールドタイガーマスクだ。時間無制限1本勝負のゴングが鳴り響き、両者はリングの真ん中で組み合った。ゴールドタイガーマスクは怪力のスーパーコングに全く怯まず、むしろ余裕のある戦いぶりを見せた。
その10年前、児童養護施設「ちびっこハウス」で暮らす伊達直人たちは、園長の若月光太郎に連れられて動物園へ出掛けた。しかし直人は不動産屋への支払い期限が明日に迫っていると知っている直人は、浮かない顔だった。家賃の滞納が続いているため、支払えなければ立ち退くよう若月は求められていた。「もうみんなで一緒に住めないね」と直人が言うと、若月の娘であるルリ子は「これ、持ってて。もしバラバラになっても私のこと忘れないように」とペンダントを渡した。
虎の檻を見ていた直人は、「私の元へ来れば君は強くなる。君には特別な力がある」という声を耳にした。直人はミスターXという男に願いを訊かれ、「強くなりたい」と答えた。虎の穴に来るよう誘われた直人は、ジョーやダンなど数名の少年たちと共にトラックで森へ運ばれる。少年たちは女性教官に導かれ、秘密道場「虎の穴」へ辿り着いた。そこにはレイナという女が待ち受けており、Xの元へ子供たちを案内した。
Xは「私は君たちの父であり、師である」と言い、闘士として訓練を積んでいる先輩たちの姿を見せた。そして彼は、長きに渡って実験を重ねて完成に至った3つのマスクを披露する。それは虎を模したマスクで、装着した者の潜在能力を限界以上に引き出すことが出来る。ホワイトはパワー、ゴールドは俊敏性、全てにおいて2つに勝るブラックの3種類が存在する。資格があると認められた者には、そのタイガーマスクが与えられる。
少年たちは最強の力を手に入れるため、レイナの下で訓練を開始した。Xやレイナは、情けを捨てて強くなるよう説いた。10年後、直人はブラック、ジョーはホワイト、ダンはゴールドのマスクをXから与えられた。新たな運命の扉が開かれたブラックタイガーマスクは無敗のサラマンダーとデビュー戦で戦い、圧倒的な強さで軽く勝利した。しかし今の直人の肉体では、フルパワーで戦える時間は短かかった。Xは直人に、「それ以上続ければ肉体は内部から崩壊する。マスクの限界をわきまえておけ」と告げた。
直人は来週にデビュー戦を控えたダンと共に、初戦の報酬で遊びに出掛けた。直人は女をナンパしようと考えたダンに連れられ、クラブに足を踏み入れた。無理してバーボンを飲んだ直人が気持ち良くなって踊っていると、いきなりジョーが現れて殴り倒した。「実力を見せてみろ」と挑発された直人は殴り掛かるが、反撃を食らった。ジョーがビール瓶を手にすると、ダンが腕をねじって制止した。「あいつと戦いたかったら、俺と戦ってからにしな」と彼が言うと、ジョーは「望み通り、お前から倒してやるよ」と告げて去った。
タクシーに乗った直人は、ちびっこハウスを見つけて停車してもらう。成長したルリ子が建物から出て来ると、直人は慌てて身を隠した。ゴールドタイガーマスクがデビュー戦で圧勝した直後、ホワイトタイガーマスクが乱入した。観客の「殺せ」コールが高まる中、消耗した体で戦ったゴールドは倒れ込む。ホワイトはゴールドを一方的に殴り続け、駆け付けた直人が「やめろ」と叫ぶと鼻で笑った。ホワイトは「タイガーマスクは俺だけで充分だ」と言い放ち、ゴールドの膝を捻って粉砕した。
Xはダンに「お前の闘士としての役目は終わった」と言い、直人が医者を呼びに行っている間に始末した。Xが「戦えない闘士に存在価値は無い」と口にするので、直人は「本気で言ってるんですか」と反発した。するとXは、「闘士が戦う闘技場では莫大な金が動く。世界中に点在する虎の穴は、その金を使って裏の世界を支配している。お前たちが戦うのは、そのためだ」と説明した。Xは大金の入った金庫を見せ、「好きなだけ持って行け。たまには気晴らしも必要だ」と述べた。
直人は「おかげで目が覚めました」と告げ、マスクを置いて虎の穴を去ることにした。Xは「たとえどこに逃げようとしても必ず見つけ出し、死をもって償わせる」と警告するが、「もうここに俺の居場所は無い」と直人は口にした。ちびっこハウスの庭で一夜を過ごした彼は、翌朝になってルリ子や彼女の兄・アキラと再会する。死んだ父から施設を引き継いだアキラは10年も行方知れずだった直人に不信感を抱くが、ルリ子はスタッフとして使うよう提案する。ちびっこハウスでボランティアとして働き始めた直人だが、ジョーが彼を見つけ出す。ジョーはXの指示を受けてちびっこハウスに火を放ち、直人を虎の穴に誘い出す…。

監督は落合賢、原作は梶原一騎・辻なおき「タイガーマスク」(講談社漫画文庫所載)、脚本は伊藤秀裕&江良至&落合賢&マイケル・ウェルス・ショック、企画は中沢敏明&伊藤秀裕&山本芳裕、製作は遠谷信幸&吉岡富夫&平城隆司、共同製作は千野毅彦&松下卓也&桑田潔、チーフプロデューサーは厨子健介&谷澤伸幸&山本芳久、プロデューサーは鷲頭政充、キャスティングプロデューサーは山崎美香、撮影はクリス富雷陸、照明は渡部嘉、録音は沼田和夫、美術は山崎輝、編集は目見田健、特殊造形デザインはJIRO、特殊メイクは こまつよしお、VFXスーパーバイザーは小林敬裕、アクション監督は小原剛、音楽は遠藤浩二。
主題歌「MASK」アーティスト:AAA、作詞:Kenn Kato、Rap作詞:Mitsuhiro Hidaka、作曲:Yuji Inoue(girl next door)。、編曲:ats-。
出演はウエンツ瑛士、夏菜、哀川翔、釈由美子、温水洋一、勝信、良知真次、宮地真緒、遠藤久美子、辻よしなり、ビック村上(村上和成)、金山一彦、藤井貴規、平野綾、真樹日佐夫、三池崇史、中島凱斗、大森絢音、吉井一肇、中尾豪佑、井田洋人、渡邉奏人、滝誠太、関口徹太、音峰颯、阿部考将、水之江菜、黒澤宏貴、濱田心音(現・濱田ここね)、辻七音、辻音夢、金谷友太、佐藤修、黒石高大、高橋俊次、宮崎貴久、三元雅芸、新田匡章、杉原勇武、藤井泰造、小野了、藤沼剛、秋谷綾乃、松本沙稀、洪太植、滝川恵理、吉田大蔵、島本麻衣子、南伊、八木菜々花、KoJi、中山裕介、塚原賢仁、日下雄一朗、黒瀬鷹来ら。


梶原一騎原作、辻なおき作画の同名漫画を初めて実写化した映画。
スタッフとしては表記されないが、梶原一騎の弟である真樹日佐夫が企画に携わっている。
アメリカ映画協会付属大学院の映画監督科で学び、全米監督協会のアジア系アメリカ人学生部門審査員特別賞を受賞した経歴を持つ落合賢が、長編初監督を務めている。
直人をウエンツ瑛士、ルリ子を夏菜、ミスターXを哀川翔、レイナを釈由美子、若月を温水洋一、ジョーを勝信、ダンを良知真次が演じている。

真樹日佐夫は兄の梶原一騎が原作を手掛けた漫画の中でも、特に『タイガーマスク』に対する思い入れが強かったようだ。
まあ「思い入れが強かった」というのは綺麗な表現で、実際は「それが最も大きな儲けを生む」ということだったんじゃないかという気もする。
ともかく、1993年には東京スポーツで『タイガーマスク・ザ・スター』を連載した。
しかし本家『タイガーマスク』の作画担当である辻なおきに無断で始めたため、連載差し止めを要求されてしまい、1994年に未完で中止となった。

だが、何しろ真樹日佐夫先生なので、そんなことでタイガーマスクを諦めたりはしない。
まず『タイガーマスク・ザ・スター』の映像化として、『闇のファイター/ビハインド・ザ・マスク』と『闇のファイター/ビハインド・ザ・マスク II』という2本の実写ビデオ作品を発売した。
さらに、2004年には『真説 タイガーマスク』というビデオ映画を製作。
また、ちょっと毛色が違うが、2010年には「5代目タイガーマスクを真樹日佐夫が誕生させようとする」という内容の実写作品『新☆四角いジャングル 虎の紋章』も製作した。

そんな風に真樹日佐夫先生がタイガーマスクを何度も使っている中、本家『タイガーマスク』を映像化する絶好の機会が訪れた。
それは、2011年に全国的なブームとなった「タイガーマスク運動」である。
その始まりは2010年12月25日で、群馬県中央児童相談所に「伊達直人」を名乗る男性からランドセル10個が送られる出来事があった。
同じ人物が別の児童相談所にも寄付を行い、その出来事がマスコミに報道されたことを受けて、この人物の他にも全国で寄付活動が広がって行った。

もちろん真樹日佐夫先生は、このタイガーマスク運動が巻き起こっていた当時にマスコミの取材を受けている。
そんなブームを知った時、先生は「これは使える」と感じたはずだ。
そこで先生は2011年2月、11月の公開予定を目指して『タイガーマスク』の実写映画を製作することを発表した。同年11月には、ウエンツ瑛士や哀川翔ら主要キャストの顔触れが発表された。
しかし、製作が発表された2011年2月の時点で、既にタイガーマスク運動は下火になっていた。
公開予定の11月には、もはや出し遅れの証文でしかなかったのだ(この映画の批評を今さら載せているのも出し遅れの証文だけどね)。

エクスプロイテーション映画というのは、その質よりも「いかにも迅速に作るか」というのが何よりも大切なのだ。ブームが起きている間にさっさと作って公開しないと、それに便乗することは不可能だからだ。
そういう意味で真樹日佐夫先生は、ロジャー・コーマン的センスに欠けていたということなんだろう。
結局、2011年11月の公開も実現しなかったし、ウエンツ瑛士が主演と発表された時点で世間からは「それは無い」という厳しい声が上がった。
そのまま製作中止にした方が、商売としても賢明だったと言えるだろう。

旗振り役だった真樹日佐夫先生が2012年1月2日に死去したので、この映画を製作中止にする口実が出来た。ある意味、それこそ「絶好の機会」だったのである。
ところが、製作したセディックインターナショナルやエクセレントフィルムズの御偉いさんたちがトチ狂ったのか、「真樹先生の弔い合戦だ」というワケの分からない気持ちを燃え上がらせたのか、2013年6月には同年11月の公開を予定していることが発表された。
製作している人たちは気付かなかったのかもしれないが、外から見ている人々は誰もが「これは間違いなく失敗作になる」と分かっていた。
あらかじめ失敗が分かっているのに製作し、撤退するチャンスを無視して公開するという、何とも虚しい行為を、本作品に携わった人々は続けていたのである。

2011年11月にウエンツ瑛士が主演と発表された時点で、最初の「これは失敗するな」という意識が多くの人々の中に生じたはずだ。
そして2013年6月にタイガーマスクのビジュアルが公開された時点で、「やっぱり失敗するな」という確信が多くの人々の中に生じたはずだ。
それぐらい、ウエンツ瑛士がタイガーマスクという配役も、新しいタイガーマスクのデザインも、「コレジャナイ感」が強かった。
全く新しいタイガーマスクのイメージを作ろうとしたのかもしれないが、それは「何かの模倣」でしかなかった。ポスターは『ダークナイト』モドキで、ビジュアルデザインは『牙狼』モドキだった。

ただ、全国39館という小規模ではあるが、公開すると決めたのであれば、映画館に来てくれる珍奇な観客の皆さんに出来る限り楽しんでもらえるよう、真摯な気持ちで最善の努力をすべきだろう。
ところが、全くやる気が無かったようで、それがパンフレットの仕上がりに表れている。
原作者を紹介する部分には「梶原一輝」とあり、アルファベットのルビは「KAZUKI KAJIWARA」と書いてあるのだ。つまり、原作者の漢字表記もルビも間違えているのだ。
そんな失礼なパンフを堂々と売るような連中に、そりゃあマトモな映画が作れるはずもない。
2週間で公開終了という散々な結果に終わったのも、当然と言えるだろう。

直人が虎の穴に入門するきっかけは、ちびっこハウスが立ち退きを迫られたからだ。
ただし、寄付だけで運営しているので火の車なのは仕方が無いが、決して不動産屋が悪徳というわけではない。
「遠足に行く金があった家賃を払う方が先だと思うけどね」という不動産屋の意見は納得できる。
何とか1ヶ月だけ待ってほしいと大家に伝えるよう若月が頼むと、不動産屋は「家賃の滞納を3回も繰り返して今に至ってるんでしょ。無理だよ」と言うが、それも理解できる。むしろ、良心的な方だろう。

「ウチでもどうにも出来ないよ」と言っているように、不動産屋は決して卑劣な方法や横暴な手口で立ち退きを迫っているわけではない。契約があって、大家から頼まれているから、それに従って仕事をしているだけなのだ。
だから、それに対して直人が「俺がもっと強ければ、あんな奴やっつけたのに」と言うのは、お門違いも甚だしい。
そもそも不動産屋を力で追い払ったところで、何も事態は解決しないのだ。
しかも、10年後になっても、ちびっこハウスは存続しているんだぜ。大家も不動産屋も良心的じゃねえか。

直人は虎の檻の前でミスターXの声を聴き、ちびっ子ハウスの誰にも言わないでトラックに乗り込む。虎の穴では地球上で最も強い闘士になるために多くの若者が訓練を積んでいるが、強くなる目的も、虎の穴が戦士を育てている目的も不明だ。
ミスターXは実験を重ねて3つのマスクを作り出しているが、なぜブラックだけじゃ駄目なのかは不明。
そもそも、そのマスクを装着すれば潜在能力を限界以上に引き出すことが出来るのなら、訓練を積ませる必要性も無いんじゃないかと思ってしまう。
最初から運動能力の高い若者を連れて来れば、それでいいんじゃないかと。

虎の穴の掟や目的について説明された子供たちは素直に従い、まるで嫌がることも無く「虎の穴の栄光のために」という意識で訓練を積むが、その感覚は理解不能。
とにかく、序盤からマジな気持ちで見ていたら呆れ果ててしまう事柄のオンパレードである。
だからと言って荒唐無稽な面白さがあるのかというと、それも無いのが困りもの。
単純に「メチャクチャで陳腐で安っぽい」というだけなのだ。

タイガーマスクは直人だけなのかと思ったら、3人もいる設定。
それはホワイト、ゴールド、ブラックという、「エビかよ」とツッコミを入れてもらうことを前提にしたような3種類。
しかも、どう考えたって主人公の直人をゴールドにすべきだろうに、なんと彼はブラック。つまりオープニングで戦っていたゴールドタイガーマスク(その呼び名の時点で違和感たっぷりなのだが)は、直人じゃなくてダンなのだ。
「主人公と思わせておいて」という意外性を狙ったのかもしれないが、その意外性は誰にも歓迎されない裏切り行為だ。

虎の穴の戦士はオリジナル版と違い、プロレスではなく地下格闘技の世界で戦う。だが、それにしては実況が辻よしなりだし、リングも完全にプロレス仕様だし、オープニングではゴングが始まると同時に両者が手四つで組むという始まり方をする。
その「地下格闘技」の描写自体が、もはや1970年代の感覚なのだ。
あと、「虎の穴」の戦士と「竜の穴」の戦士が地下格闘技で戦う目的が良く分からない。
「闘技場では莫大な金が動く」とXが言っているので、どうやらギャンブル絡みのようだが、金が動いていることを示す描写は皆無だし。その金で虎の穴は裏の世界を支配しているらしいけど、それに関しても全く描写は無い。

それと、地下格闘技だから一部の人しか知らない秘密の興行なのかと思いきや、普通に町の若者たちがスマホで見ているのね。
どういうイベントなのはサッパリだ。
公営ギャンブルでもないのに、そんなに堂々と放映しても大丈夫なのかよ。
あと、若者が「見ろよ、タイガーマスク」と興奮しているが、その反応は変だろ。まるでタイガーマスクを知っているかのような反応は、どういうことなのかと。

「虎の穴」と「竜の穴」という2つの組織しか存在しないことや、その関係性も良く分からない。
虎の穴の戦士は「虎の穴の栄光」のために戦うべきだろうに、ダンが直人やジョーに牙を向けており、それをXが黙認しているのも解せない。
ホワイトタイガーの乱入が簡単に認められ、誰も止めようとしないのも良く分からない。そのくせ、直人がダンを助けに飛び込もうとしたら制止されている。
地下格闘技のルールや運営システムがメチャクチャだ。

根本的なことを言ってしまうと、『タイガーマスク』を2011年や2013年に映画化しようという時点で間違いなのだ。
原作の連載は1968年から1971年だが、当時はまだ「プロレスは真剣勝負である」と信じる人が大半だった。だからこそ、「虎の穴で修業を積んだ伊達直人がリング上で刺客と戦う」という構図が、荒唐無稽でありながらも子供たちを燃えさせる話として成立していた。
しかし今の時代、もはや「プロレスはショーである」ということを分かっている人が大半だ。
そんな中で「虎の穴で修業を積んだ伊達直人が、裏切り者を始末するために差し向けられた刺客とプロレスで戦う」という話をやっても、バカバカしいことになってしまう恐れが高い。
それに、一時期より盛り返したとは言え、プロレスの人気は1960年代や1970年代に比べると遥かに落ちている。

諸々の事情を考えると、『タイガーマスク』には強い訴求力が無いのである。
幾らタイガーマスク運動があったからと言っても、便乗を目論むのは無茶だったのだ。
さすがに製作サイドも「原作通りの内容で作ったら、今の時代だと陳腐になってしまう」ってことには気付いたのか、「虎の穴の戦士は地下闘技場で戦う」「マスクによって潜在能力が引き出される」など、大幅な改変を施している。
しかし、そこまで大幅に変えてしまうと、それはそれで「そんなのは『タイガーマスク』じゃねえよ」という拒絶反応が起きてしまう。
ここまで全く別物にしてしまうぐらいなら、リメイクなんてすべきじゃないだろうと思ってしまうのだ。

この映画に関心を抱く人の大半は、かつての『タイガーマスク』を漫画やアニメで見ていたか、あるいは初代タイガーマスクの活躍を見ていたものと思われる。
どう考えたって、最近の若者で『タイガーマスク』という素材に食い付く人が多いとは思えない。
そしてオリジナル版を知っている人にとって『タイガーマスク』ってのは、「プロレスのリングで敵と戦う正義の味方」というイメージなのだ。
そういう人たちがメインの観客層になるはずなんだから、そのイメージを絶対に崩してはいけない。

『タイガーマスク』を実写化するに当たって絶対に変えてはいけないポイントってのがあって、それは「タイガーマスクは正体を隠して孤児院に寄付している」「タイガーマスクはプロレスのリングで戦う」という部分だ。
ここは何があろうと絶対に変えちゃいない要素だ。それを変えるってことは、オリジナル版のファンを捨てることを意味する。
もちろん、オリジナル版のファンを捨てても、新しい観客が見てくれるのであれば、それは1つのやり方だろう。
しかし、『タイガーマスク』の実写映画で、オリジナル版のファンを捨てて勝てる可能性なんて万に一つも無いはずだ。
つまり、前述した要素は、絶対に外してはいけないのだ。

しかし繰り返しになってしまうが、一方で「タイガーマスクがプロレスで戦う」という話を2011年や2013年に実写化してしまうと、それはそれで陳腐になってしまう。
それはたぶん、オリジナル版のファンが見ても「キツいなあ」という印象になってしまうだろう。
だから、これまた繰り返しになるが、そもそも『タイガーマスク』を2011年や2013年に映画化しようという時点で間違いなのである。
この映画は配役や脚本や演出が全てダメだからポンコツなのだが、仮に配役や脚本や演出を全て変更して新たな実写版『タイガーマスク』を製作したとしても、これまた駄作に仕上がるだろう。そこは手を出しちゃいけない素材なのだ。

(観賞日:2015年6月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会