『地球(テラ)へ…』:1980、日本

ミュウの占い師であるフィシスが「何かが変わる予感です」と告げると、ソルジャー・ブルーは「僕が知りたいのは、もっと確かな未来だ。いつまでこんな地底の闇の中で、我々は息を潜めていなければならないんだ。いつになったらテラへ行けるのだ」苛立った様子を見せた。人間は汚染された地球を去り、その回復を待つことにした。再び地球を死滅させない人間自身が変革されるべきだと決めた時、ミュウが誕生した。超能力の弱まっているブルーは、フィシスが母から受け継いだ地球の記憶を久しぶりに見せてもらった。彼は「テラまで飛ぶには、僕の命は短すぎる。誰かにミュウの未来を委ねなければ」と口にした。
目覚めの日を翌日に控えた14歳のジョミー・マーキス・シンは、ブルーやフィシスが登場する夢を何度も見ていた。彼はママに、「大昔の子供は、僕たちみたいにセンターのコントロールで作られた試験管ベイビーじゃなかったんだって」と話す。ママが「非合理的な出産制度を禁止したからこそ、私たちは快適な生活をできるようになったのよ」と言うと、ジョミーは「目覚めの時が来たら、すぐに成人検査だよ。そしたら、ママともう会えないんでしょ」と寂しそうに告げた。
彼は学校へ行き、友人のサムに「また長い髪の女が出てくる夢を見た」と語る。サムは「マザーに告げ口されたら、今度こそエスパー検査だぞ」と忠告するが、ジョミーは全く気にする様子が無かった。ミュウは超能力をもった化け物とされていたが、彼は「自分は違う」と自信を持っていた。しかしママはジョミーが他の子供たちとは違うため、心配を隠せなかった。ジョミーは夢の内容を仲間に喋るなど、反体制的な行動が目立つためにユニバーサル・コントロールから要注意人物としてマークされていた。
ユニバーサル・コントロールの職員たちはジョミーの家を訪れ、彼の両親にエスパー検査の実施を通告した。職員たちはジョミーをガスで眠らせて検査を行うが、異常は発見されなかった。翌日、ジョミーは成人検査のため、コンピュータのテラズ No5がある洞窟へ赴いた。テラズ No5が「ここは地球ではない」と言うので、ジョミーは困惑した。テラズ No5が記憶の消去に入ると、ジョミーの脳内には「記憶を手放すな」というブルーの声が響いて来た。
ジョミーは危険分子として処刑されそうになるが、リオという青年が助けに駆け付けた。彼は飛行艇にジョミーを乗せて山を越えるが、砲撃を受けて墜落した。ジョミーが目を覚ますと、ハーレイという男が「ここはアタラクシアの地下の底、宇宙船の中だ」と告げた。彼の他にもゼル機関長やエラ女史、カリナなど大勢の面々がいて、ブルーの意思によりミュウの同志として迎えたのだとジョミーに説明する。しかしジョミーは自分がミュウだと認めず、「お前たちのような化け物じゃない」と怒鳴った。
新入生のサムたちは宇宙船に乗せられ、教育ステーションに到着した。サムはジョミーと間違えて、セキ・レイ・シロエという少年に声を掛けた。コンピュータのガイダンスが「地球へ渡るのにふさわしい人間になるため、4年間の教育を受ける」などと説明していると、途中でシロエは退席する。キース・アニアンという少年に話し掛けられた彼は、「聞き飽きた。操り人形になりたくない」と告げる。キースは無表情のまま、「君の批判で揺らぐようなヤワなシステムじゃない。つまらないことは止めておいた方がいい」と述べた。キースは常にトップの成績を出し、教授たちから「マザー・イライザの申し子」と評された。イライザは教育ステーションのマザーコンピュータであり、キースに助言を与えた。
ジョミーはハーレイから、「人間はミュウを敵視し、実験体の小数を残して皆殺しにした。逃亡したミュウは宇宙を彷徨い、この船を手にいれた」と聞かされる。ハーレイは「我々が超能力を持っているのは、どこかが欠けているからだ」と言い、自分の左手が義手だと明かす。リオは言葉が話せないなど、全員が何かを欠いていた。それだけでなく、ミュウには虚弱体質という問題もあった。しかしジョミーだけは、何の障害も持たない健康体だった。ジョミーはフィシスと遭遇し、夢の女性だと気付いて驚いた。フィシスは「ずっと待っていた」と言い、ジョミーをブルーと会わせた。
ジョミーが「ミュウの事情は分かった。地上へ戻ったら伝える」と言うと、ブルーは「戻ったらミュウとして殺される」と告げる。ミュウであることを頑なに否定するジョミーに対し、ブルーは余命わずかだと明かして「後を継いでソルジャーになれ」と促した。ソルジャーというのは、ミュウの長を意味する称号だ。抵抗するジョミーは爆発的なパワーを覚醒させ、空を飛んで地上へ向かう。彼を救うために後を追ったブルーだが、力尽きて墜落する。慌てて追い掛けたジョミーに「私の心を託す」と言い残し、ブルーは息を引き取った。ジョミーはソルジャーになることを決意し、「テラへ出発する」と仲間たちに宣言した。
3年後、キースたちが宇宙空間で教育を受けている最中、ジョミーがテレパシーで「人間との交信を望む」と呼び掛けて来た。サムは動揺するが、すぐに記憶を消去された。シロエはステーションを探索し、ガラスケースの中で生きている少女を発見する。彼は驚き、キースも少女と同類ではないかと感じる。イライザはキースに、「ミュウは人間の敵。憎しみ以外、感じる必要はありません」と述べる。キースが「では何故、ミュウを産むんですか」と質問すると、イライザは「その質問に対する答えは、私の回路の中には組み込まれていません。答えられるのは地球の母体コンピュータ、グランドマザーだけです」と告げた。
シロエは今になってエスパー検査を受けさせられるが、異常は発見されなかった。彼はキースに、「お前はマザー・イライザに作られた実験体だ。お前が育ったのは、あのガラスケースだ」と言い放った。シロエはシステムを批判し、大好きな母と引き離されたことへの恨みを口にして「俺はマザーと戦う」と告げた。ステーションの生徒たちはジョミーの「記憶を取り戻すんだ」というテレパシーを受け、頭を抑えて苦悶する。一人だけ影響を受けなかったキースは、通信回路を遮断した。イライザから褒められた彼は、「自分だけ動けたのは、初めから母の記憶も故郷も持っていないからだ。僕がアンドロイドだから」と口にした。
イライザはシロエが逃亡したことをキースに告げ、抹殺を命じた。キースは地球へ向かおうとするシロエを追い掛け、「例え地球に辿り着いても、地球に反抗するお前は」と告げる。シロエは「ガラスケースで育ったお前には分からないだろうな」と言い、キースは彼を撃墜して涙を流した。その頃、ミュウはナスカという星に移住し、ジョミーは農作業に精を出していた。宇宙船で産まれた新しいミュウたちは「人類と戦いたくない。ナスカで静かに暮らすべきだ」と主張し、徹底抗戦を主張する長老たちと意見が対立していた。
ジョミーは仲間たちに、「テラヘ言ったら、争いが起きる。テラで戦った後で、僕たちは人類と手を繋ぐことが出来るだろうか」と語る。彼はナスカへ来て様々なことを考えたと言い、「大昔のように、母体で子供を育てたい」と口にした。ミュウは虚弱体質であることから、長老たちは反対する。しかしジョミーの意志を感じ取ったカリナは、「やってみます」と志願した。ジョミーは「これこそ人類への最大のメッセージだ。コンピュータに支配されている彼らを目覚めさせるんだ」と喜んだ。しばらくしてカリナは無事に男児を出産し、ジョミーはトオニイと名付けた。
5年後、キースは地球防衛本部の中尉となり、宇宙海賊を軽く始末するなど活躍を続けていた。彼は地球について、理想的な社会だが何かが欠けていると感じていた。彼はグランドマザーに、ミュウの誕生を黙認している理由を尋ねた。するとグランドマザーは、「ミュウが生まれる要素を取り除くことは、地球によって禁止されている」と答えた。エスパー検査から逃げ出したジョナ・マツカという少年は、キースの部屋に潜り込んだ。キースは彼がミュウだと知るが、自分の部下として使うことにした。
地球のパトロール隊2名がナスカへ接近した時、ミュウの司令部はジョミーと連絡が取れなかった。そこで彼らはジョミーの許可を待たず、テレパシー攻撃でパトロール隊員を攻撃した。捕まえた隊員の1人がサムだったので、ジョミーは驚いた。長老たちは記憶を消去すべきだと主張するが、ジョミーは何もせずに解放した。パトロール船の事故にミュウが関与していると睨んだキースは、自らナスカヘ調査に向かった。幻覚攻撃を受けて着陸艇は墜落し、ジョミーがキースを捕まえた。
キースが訓練を積んで心を読まれないようガードしていたため、ジョミーは苛立った。しかし地球に関してキースと同じ記憶を持っているフィシスだけは、彼の心に入り込むことが出来た。ジョミーはトオニイを含む数名の自然出産児がいることをキースに教え、「これが本当の人間だ」と言う。キースが「私はミュウと戦う」と告げると、ジョミーは彼が地球のシステムに反感を抱いていることを指摘した。だが、キースは「感情に左右される弱い人間を導くためには、私のような存在が必要なのだ」と告げ、考えを変えなかった…。

監督は恩地日出夫、原作は竹宮恵子 連載「月刊マンガ少年」(朝日ソノラマ)、脚本は恩地日出夫&塩田千種、製作は今田智憲、企画は有賀健&田宮武、撮影は吉村次郎&池田重好、編集は鳥羽亮一&片桐公一、録音は二宮健治、音響効果は松田昭彦、美術監督は土田勇、キャラクターデザイン 作画監督は須田正己、アニメーション演出は笠井由勝、音楽は佐藤勝。
主題歌「地球(テラ)へ…」作詞:竜真知子、作曲:小田裕一郎、編曲:川上了、うた:ダ・カーポ。
「愛の惑星(プラネット)」作詞:竜真知子、作曲:ミッキー吉野、編曲:ミッキー吉野&岸本博、うた:ダ・カーポ。
声の出演は井上純一、沖雅也、秋吉久美子、志垣太郎、薬師丸ひろ子、岸田今日子、神谷明、池田昌子、増山江威子、古谷徹、久松保夫、野田圭一、三景啓司、石丸博也、柴田秀勝、八奈見乗児、野口すみえ、藤田淑子、小山茉美、北川国彦、岸野一彦、田中崇、川島千代子、中谷ゆみ、戸谷公次、佐藤正治、駒沢トヨ子、間嶋里美、鈴木富子、砂子弘美、木内一裕ら。


竹宮恵子の同名漫画を基にした東映動画の長編アニメーション映画。
監督は『恋の夏』『しあわせ』の恩地日出夫。
脚本はTVドラマ『大都会 闘いの日々』『太陽にほえろ!』の塩田千種。
ジョミーの声を井上純一、キースを沖雅也、フィシスを秋吉久美子、ブルーを志垣太郎、ジョナを薬師丸ひろ子、グランドマザーを岸田今日子、シロエを神谷明、イライザを池田昌子、テラズ No5を増山江威子、トオニイを古谷徹が担当している。

原作を知っている人なら、ジョミーの息子は「トォニィ」じゃないのかと思うかもしれない。
だがエンドロールでは「トオニイ」と表記されているので、そのまま書いている。
ちなみにサムは「サム・ヒューストン」のはずだが、エンドロールでは「サム・ヒーストン」になっている。
しかも、サムの声優は石丸博也なのに、なぜか塩屋翼の名前が表記されている。実際に塩屋翼が演じたのはアルフレートというキャラクターなのだが、その名前は表記されない。

恩地日出夫は実写畑の監督であり、1970年代はTVドラマやドキュメンタリー作品を多く手掛けるようになっていた。そんな彼にアニメ映画のオファーを出したのは、当時の東映動画の人間だ。
監督だけでなく、主要キャストの声を担当する面々もアニメと縁が無かった俳優たちが起用された。
そんな役者たちの中で主役のジョミーを担当したのが、前年のTVドラマ『俺たちは天使だ!』で主演を務めた沖雅也じゃなくて井上純一ってのは、時代を感じさせるねえ。
当時の井上純一は、ジャニーズ事務所所属のアイドルだったのだ。

恩地日出夫は実写と同じような演出を意識しており、特にアングルにはこだわったらしい。
具体的には、人物を描く時には天井をフレームに入れず、背景を壁にするってことだ。アニメーション独特の遠近感を出す手法を嫌い、実写と同じやり方を指示したわけだ。
そんな彼のこだわりから、この映画は従来のアニメーション映画とは異なる映像のテイストになっていると言える。
ただ、それが全てにおいてプラスに出ているかというと、むしろマイナスの方が圧倒的に多いんじゃないか。
それを顕著に感じるのが導入部で、やたらとカメラが寄っていて、ものすごく窮屈な印象を受ける。

その原因は簡単で、「全体を捉える」というショットやロングショットを入れていないからだ。
天井だけでなく、床も入らないで人物を捉えるショットが連続する。それによって、単に窮屈というだけでなく、他の問題も起きる。
これが現代劇なら、建物や部屋は我々も良く見掛ける光景だから、全体が写らなくても脳内補完できるだろう。でも未来を舞台にしたSFなので、画面に写らない物は分からない。だから、構造が伝わりにくいという問題が生じる。
また、窮屈なので、無闇に閉塞感を覚えるという問題も起きる。
ミュウの宇宙船なら、それでもいいだろう。しかしジョミーの家でも同様の見せ方なので、「ミュウの抱いている閉塞感」を狙った演出じゃないことは明らかだ。しばらく見ていると気にならなくなるけど、それは「慣れた」というだけであって、途中で演出が変化するわけではない。

我々の住む社会とは全く異なる世界が設定されているので、その世界観を説明する必要がある。
冒頭にナレーションで説明してしまうという方法もあるが、ストーリーを進める中で登場人物の言葉を借りるという方法を選んでいる。
ただ、いきなりブルーが「地球の大気が汚れ、地下に分解不能の毒素が溜まった。生命の源である海からは魚が消え、ついに人間こそが地球を窒息させているのだと気付いたあの日から。人間は地球を去り、地球自身の生命力の回復を待つと決めたあの日。そして再び地球を死滅させないために、人間自身が変革されるべきだと決めたあの日。つまり、ミュウが産まれたあの日から」などと語るのは、ものすごく説明的で不自然だ。
そんな恰好の悪いことになってしまうぐらいなら、ナレーションに頼っても良かったんじゃないかな。

ジョミーは反体制的ということで、エスパー検査を実施される。ところが職員たちがガスで眠らせて装置を取り付けた後、カットが切り替わって翌朝のシーンになってしまう。
ママが「検査では何ともなかったけど」と言うが、なんちゅう省略だよ。っていうか、それは省略じゃなくて、必要な手順を飛ばしているようにしか思えんぞ。
同様の印象を受けるシーンは、その後も色々と出てくる。
例えばジョミーがテラズ No5から「ここは地球ではありません」と言われて「そんなバカな」と驚いているが、そもそも彼が「ここは地球」と思い込んでいることさえ知らなかったぞ。冒頭でブルーが「人間は地球を去り」と言っているので、ジョミーがいるのは地球じゃないと思っていたし、それどころか地球に人類は住んでいないと思っていたぞ。

ジョミーがやたらと体制を挑発するような態度を取るのは、どういうつもりなのかサッパリ分からない。
無駄に危険分子扱いされても何の得も無いし、アホじゃないかと。「そういう年頃」ってことなのかもしれんが、他の同級生たちは全く違うからね。
で、そんな行動を繰り返すから「自分は仲間とは違う」という意識があるのかと思ったら、ミュウから仲間として迎えられると「化け物じゃない」と否定する。
なので、なんだかなあと。

やたらと反抗的な態度を取ればミュウの疑いを掛けられるのは分かっているのに、ジョミーは実際にミュウとして扱われると嫌がるのね。
だけど、夢で見たブルーやフィシスは自分たちがミュウだと言っているのに、なんでジョミーが「自分は絶対にミュウじゃない」と自信を持って断言できるのか疑問だわ。
そんな夢を見るぐらいだから、「ひょっとすると自分はミュウなんじゃないか」と不安を抱く方が自然じゃないかと。

長尺の原作を約2時間の映画にしているので、当然のことながら時間が全く足りていない。
原作の一部だけを使っているわけじゃなくて、最初から最後まで描こうとしているのでね。
その結果として、慌ただしさと説明不足が付きまとうことになっている。
段取りを追うことで精一杯になってしまい、キャラを掘り下げるとか、ドラマを厚くするといった作業は全く出来ていない。編集も荒っぽく、シーンとシーンの繋がりが雑になっている。

例えば、最初は「自分はミュウじゃない」と否定していたジョミーが、ミュウとしての自分を受け入れ、ソルジャーとしての自覚を持つに至る経緯ってのは、ホントなら丁寧に描かなきゃいけないはずだ。
しかし実際には、ついさっきまで抵抗して逃げ出そうとしていた彼が、ブルーが死んだ途端にリーダーとしての自覚を持って「テラへ出発する」と宣言する展開になっている。
もはやブルーが心を委ねたことで洗脳状態になったとでも思わなきゃ、腑に落ちないような急変ぶりだ。

なぜシロエが反抗的な態度ばかり取るのかも、なかなか分かりにくい。
「大好きな母親と引き離されたから」ってことを喋るシーンが用意されているので、そこで理由は分かるようになる。ただし、そこで初めて母に触れるし台詞だけなので、取って付けたような印象を受ける。
また、「それってジョミーとキャラが被ってないか」ってことも感じる。そして、「じゃあ愛する母と引き離されたことへの恨みで行動する役割はジョミーに任せて、シロエはカットすりゃよくないか」と思ってしまう。
何しろキャラが無駄に多いので、何人かカットした方がスッキリするのよね。

それと、シロエの反抗的な態度が「母と引き離された恨み」によるモノってのは分かるとしても、なぜステーションを探索したり、キースを調べたりする行動を取るのかはサッパリ分からない。
そこまでに、彼がキースに反感を覚えるとか、出生に関して疑念を抱くとか、そういう手順なんて何も無いのでね。
一方のキースも、彼にアンドロイド呼ばわりされてカッとなるまでは、母や故郷に関する言及が何も無い。
ホントは彼の「母や故郷が無い」ということに対する苛立ちや寂しさって、もっと表現されなきゃダメなはずだ。しかし時間の余裕が無いので、それ以降のシーンを含めても、そこに関する描写は薄くなっている。

5年後に入ると、初めて地球で人類が暮らしている様子が写し出される。
しかしキースの「ここには家庭もあるし、夫婦もいる。しかし送り込まれた市民だけの組み合わせだ。そして子供は一切いない」という短いモノローグだけで片付けられてしまう。
ようやく地球の人類を描く手順が訪れたのに、そこを丁寧で具体的に描く意識が全く無い。
なのでキースに「理想的な社会だが何かが欠けている」と語られたところで、「そもそもの表面的に見えている社会が全く伝わってないからね」と言いたくなる。

説明しなきゃいけない事柄、描かなきゃいけないストーリー、捌かなきゃいけないキャラクターが多すぎて、完全に処理能力を超過している。
特にストーリーの処理方法が無残なことになっていて、約2時間の中で何度も「何年後」という時間の飛躍が用意されている。
これは、ものすごく不恰好だ。
原作をそのまま短く縮めるんじゃなくて、ひとまず解体して思い切って改変するぐらいの大胆な決断が無いと、1本の長編映画として作るのは厳しい素材だったんじゃないかな。

ジョミーとキースを対照的なキャラクターとして配置し、この2人の対立軸を中心に据えて物語を進めて行かなきゃいけないはずだ。何しろ最初はジョミーを主役として進め、3年後に入ると彼がしばらく消えて、キースのパートに入るという構成にしているぐらいだし。
ところが、この両名が互いを意識して行動する展開は、なかなか訪れない。
ようやく後半に入って対立軸が明確になり、2人が初対面するシーンも用意される。
ところが、そこでキースが急に「この戦いは恐らく地球の意思だ。例え君と僕がどれだけ平和を望んでも、歴史は変えられない」と言い出すので、「いつの間に平和主義者になったのか。ミュウへの敵意や攻撃心は、いつの間に消えたのか」と言いたくなってしまう。
そんな経緯は、まるで描かれていなかったはず。

そんなキースは自分を危険な存在として襲ったトオニイに反撃し、彼とフィシスを拉致して逃亡を図る。
でも、なぜ拉致しようとするのか、理由がサッパリ分からない。
トオニイが拉致されると、カリナが狂乱状態に陥って死んじゃうのだが、これも「どういうことだよ」と言いたくなる唐突さ&不自然さ。
奪還されたトオニイが急激に成長し、「ジョミーはカリナよりもフィシスを愛している」と指摘するのも、これまた唐突極まりない。
後半に入ると、そういう唐突と不自然さの連続が前半にも増して多くなる。

「どれだけ平和を望んでも」と言っていたキースだが、本気で平和を望む気なんて全く無いのか、逃亡に成功した途端にナスカ攻撃を要請する。そこで地球から攻撃部隊が出動し、ジョミーは仲間と共に急いで脱出する。
しかし「地下に残れば大丈夫」と甘く見ていた連中が残ったため、ジョミーは助けに舞い戻る。だが、ミュウの半分が死亡して責任を感じたジョミーは心を閉ざし、テラへ戻ることを残った仲間に伝える。
彼の意志を引き継いだトオニイが「例え何年掛かってもテラへ行こう」と宣言するので、そこからの展開はどうなるのかと思っていたら、すぐに「10年後」と文字が出る。
ここでの時間の飛躍処理は、もはや苦笑しか出ないわ。
その後も話は続くけど、かなり強引にまとめたという印象は拭えない。

(観賞日:2017年11月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会