『起終点駅 ターミナル』:2015、日本

昭和63年秋、旭川。地方裁判所の判事として勤務する鷲田完治は、同僚から東京で過ごした夏休みについて問われる。鷲田は妻と息子を東京に残し、単身赴任で旭川へ来たのだ。彼は2年の任期で来ており、あと半年で転任することが内定している。覚醒剤取締法違反の審理に赴いた鷲田は、被告人の結城冴子を見て驚いた。その夜、彼は冴子が営むスナック「慕情」へ出向いた。5年前に旭川へ来たことを話す冴子に、鷲田は「苗字が変わってたんで、顔を見るまで分からなかったよ」と告げた。
冴子は東京のスナックで働いていた時に出会った男と旭川へ来たこと、彼が半年でいなくなったことを鷲田に語る。彼女は「助かったわ、執行猶予。貴方で良かった」と告げた。後日、また店を訪れた鷲田は、薬について尋ねる。冴子は逃げた男が置いて行った物だと述べた。鷲田は彼女とセックスし、「大学を辞めてたなんて知らなかった。なんでいなくなったんだよ」と訊く。冴子は「探した?」と質問し、さらに「続けるつもりなの?」と問い掛けた。
昭和53年春、鷲田は学生運動に参加している頃に冴子と知り合った。冴子は彼に、「俺は誰とも戦いたくないとか思ってるんでしょう?司法試験がもう戦いだし、受かって現場に出れば仕事自体が勝ち負けじゃん。戦え、逃げるな」と告げた。冴子は彼のことを、フルネームで「鷲田完治」と呼んだ。鷲田は司法試験に合格し、冴子に報告するため同棲中のアパートへ戻った。しかし彼女の姿は無く、万年筆と「闘え、鷲田完治!」というメモが残されていた。
鷲田は東京高裁への転任が決まった日、冴子の店を訪れる。いつものようにセックスした後、冴子は「月に一度の逢瀬も、これで最後か」と呟いた。鷲田は彼女に、「どこか小さな町で法律事務所でも開こうかと思う。一緒に暮らしたい」と告げた。冴子は鷲田と町を出るが、駅で浮かない表情を浮かべた。彼女は鷲田の目の前で、走って来た列車に飛び込んで自殺した。鷲田は激しく狼狽し、駅を去った。彼は別の列車に乗り、釧路へ辿り着いた。
平成26年秋。鷲田は釧路で小さな法律事務所を開き、弁護士として働いている。国選弁護人として地方裁判所へ出向いた彼は、椎名敦子という若い女性の審理に出席した。敦子は覚醒剤取締法違反で逮捕されており、執行猶予の判決が下された。敦子が軽く頭を下げて去った後、鷲田は判事補の森山卓士から声を掛けられた。森山は釧路が最初の異動で、赴任して半年になる。彼は鷲田の息子である恒彦と大学のゼミで一緒だったこと、父親と同じ東北大学に通っていたことを話す。鷲田は息子と長く会っていないため、全てが初耳だった。恒彦が一度で司法試験を諦めたこと、現在は埼玉地検で事務官をやっていることも、鷲田は初めて知った。
鷲田が買い物を済ませて帰宅すると、大下組の二代目である大下一龍が来ていた。大下は15年前に些細な喧嘩で鷲田の世話になっており、彼から貰った言葉を胸に刻んで暮らしていた。鷲田が「いつもの話なら断る」と告げると、大下は「今日は先生が担当した女のことで」と言う。敦子に覚醒剤を売った男は大下組の人間であり、失踪したので居場所を捜しているのだと彼は説明した。大下の父はヤクザだったが、息子は投資家を自称していた。大下が顧問弁護士の話を持ち出すと、鷲田は改めて「どこの顧問も引き受けない」と断った。すると大下は「惚れた女のために裁判官を辞めることは出来てもですか」と言い、その場を去った。
翌朝、鷲田の家を敦子が訪ねて来た。彼女は頼みがあることを口にするが、鷲田は「国選の仕事しか引き受けない」と断った。敦子が「捜してほしい人がいるんです」と告げると、彼は逃げた大下組の男だと察知した。鷲田は敦子に「若くてフットワークの軽い弁護士を紹介します」と言い、ザンギを揚げに台所へ行った。鷲田がザンギを揚げていると、帰ったと思っていた敦子が現れた。敦子が去ろうとすると、鷲田は男の名前を尋ねる。大場誠だと聞いた後、鷲田はザンギを揚げ過ぎたので朝食を食べて行かないかと誘った。
敦子は美味しそうにザンギを食べた後、「あの人、捕まったらどれぐらい出て来られないんですか」と質問する。「前科や罪状で変わってくる」と鷲田が言うと、彼女は2年前に窃盗で捕まって執行猶予中だと話す。鷲田は敦子に、「後は警察に任せた方がいい。下手に関わると、貴方が執行猶予を取り消されます」と助言した。雨が降り出したので、鷲田は立ち去る敦子に傘を貸した。鷲田は隣に住む老人の大村が庭に水やりをしている姿を目撃し、声を掛ける。しかし大村は聞こえなかったのか、雨の中で水やりを続けた。
次の日、鷲田は万引きで捕まった遠山節子の弁護を担当するため、面会に赴いた。節子は万引きで何度も逮捕されており、鷲田は「簡単な裁判にはならないかもしれません」と告げた。鷲田は森山から、「恒彦君、結婚するそうですね。行かれるんですか」と問い掛けられる。鷲田は驚くが、知っていたように装った。その夜、鷲田は先輩弁護士の南達三に呼び出され、大衆居酒屋へ赴いた。鷲田は妻との離婚調停でも、釧路で仕事を始める時にも、南の世話になっていた。南は娘と孫が住む函館へ引っ越すことを語り、「1つや2つ、あの世に持っていかなきゃならないことがある。人はそれを背負って生きていくんだなあ」と口にした。
ある日、鷲田は大村の息子である真一に話し掛けられ、「ウチの親父、迷惑掛けてませんか。最近、ボケ入って来てるみたいですけど。おかしなことは無かったですか」と問われる。鷲田は「いえ、特に」と答え、家に入った。しばらくすると、敦子が傘を返しに来た。彼女は客から貰ったという大量の筋子を持参しており、漬けてほしいと頼んで家に上がり込んだ。鷲田が筋子を醤油漬けにすると、敦子は朝食をリクエストした。鷲田は困惑しながらも、棒棒鶏を作った。
敦子は棒棒鶏を食べた後、買って来たコーヒーメーカーでコーヒーを沸かそうとする。しかし急に「力が入らない」と漏らし、鷲田の体に倒れ込んだ。鷲田は敦子が色仕掛けで大場の捜索を承諾させようと目論んでいるのだと感じ、慌てて「やめなさい」と引き離す。しかし敦子の高熱に気付き、「また薬を?」と質問する。敦子が否定すると、鷲田は病院へ連れて行くことにした。敦子は保険証が無いことを明かすが、鷲田は彼女を車に乗せた。医者は腎臓が炎症を起こしていることを鷲田に告げ、しばらくは安静にするよう指示した。鷲田は診察台と薬代を支払い、敦子を自宅へ連れ帰った。彼は敦子をソファーで休ませると、寝室でベッドに入った。
翌朝、鷲田が熱の下がった敦子に雑炊を食べさせていると、電話が鳴る。鷲田が受話器を取ると、相手は恒彦だった。「お父さんですか」と問われ、緊張した鷲田は「恒彦さんですか」と敬語を使った。「長い間、御無沙汰していましたので驚かれたと思いますが、式にご出席して頂けるかお返事を頂きたいと思いまして」と言われた鷲田は、しばらく黙り込む。「やっぱり来て頂きたいんです」と恒彦は言うが、鷲田は「申し訳ありませんが、出席できる身分ではありません」と断って電話を切った…。

監督は篠原哲雄、原作は桜木紫乃『起終点駅 ターミナル』(小学館刊)、脚本は長谷川康夫、製作は木下直哉&遠藤茂行&久保雅一&間宮登良松&三宅容介、企画は小滝祥平&大村信&米山久&藤本俊介&嘉手苅理沙、エグゼクティブプロデューサーは樋泉実&村田正敏&山中孝市&種村浩人&河越誠剛、プロデューサーは柳迫成彦&男全修二&加藤悦弘&備前島幹人&芳賀正光、撮影は喜久村徳章、照明は長田達也、録音は尾崎聡、美術は金田克美&中山慎、編集は阿部亙英、音楽は小林武史、主題歌『ターミナル』はMy Little Lover。
出演は佐藤浩市、本田翼、尾野真千子、泉谷しげる、中村獅童、和田正人、音尾琢真、君嶋麻耶、山田悠介、橋爪淳、岸博之、池田道枝、松熊信義、豊島裕也、片貝樹、石川由真、畠山直隆、片桐茂貴、千廣哲也、小山佳祐、久保勝史、伊藤慎二郎、山口豊子、小田原さち、佐藤慶太、相澤宏幸、林正敏、清水秀紀、三沢幸育、山本智康、松沢圭祐、長沼幸弘、安住啓太郎、田口善央、加藤竜治、米元信太郎、下妻貴之、富山将、佐藤俊介、黒木丈、松尾明、田川平、原田竜也、中島晃紀、豊田紀雄、千葉寛子、吉垣玲子、三野亜紀子ら。


桜木紫乃の同名短編小説を基にした作品。
監督は『真夏のオリオン』『小川の辺』の篠原哲雄。脚本は『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』『柘榴坂の仇討』の長谷川康夫。
鷲田を佐藤浩市、敦子を本田翼、冴子を尾野真千子、南を泉谷しげる、大下を中村獅童、森山を和田正人、大村を音尾琢真、大場を君嶋麻耶、恒彦を山田悠介が演じている。
タイトルの読み方は「きしゅうてんえき・たーみなる」ではなく、「起終点駅」の部分まで含めて「ターミナル」になる。
つまり「起終点駅」のルビが「ターミナル」という解釈のはずなので、この表記だとホントはおかしいのよね。

序盤、再会した鷲田と冴子が話しているシーンでは、「東京で鷲田が働いている頃に冴子と出会ったんだろうな」と思っていた。ところが昭和53年の回想シーンが挿入され、大学時代に「同窓生」として2人が出会っていたことが明らかにされる。
佐藤浩市と尾野真千子が大学の同期って、それは無理があり過ぎるだろ。どんだけ年齢差があると思っているのか。
さすがに佐藤浩市の大学生役は厳しいと思ったのか、昭和53年のシーンでは登場させず、尾野真千子がカメラに向かって話し掛けたりしているけど、何の助けにもならない。
佐藤浩市に関しては、平成26年のシーンで「ちょうど」になることを考慮しての起用ってことは分かるよ。でも、そんなのが何の言い訳にもならないぐらい、そこの違和感は強烈だわ。

ただし、だからと言って昭和63年の鷲田を別の俳優に演じさせたり、あるいは尾野真千子と同年代の俳優に平成26年の鷲田も演じさせたりしたら、それはそれで違和感が生じただろう。
なので、この映画の構成だと、何をどうやっても違和感が生じることは避けられなかったと思われる。
「だったら仕方が無いんじゃないか」と思うかもしれないが、そうではない。実のところ、それを解消する方法がある。
それは、「そもそもの構成を大幅に改変する」ってことだ。

鷲田と冴子が大学で同期だったという設定は、決して必要不可欠な要素ではない。なので原作がそうであったとしても、改変した方がいい。それどころか、最初に昭和63年から入り、さらに昭和53年の回想に入るという構成自体が要らないのだ。
それぐらい前に知り合っていて、鷲田と冴子は強い絆で結ばれていたってことを強調したかったんだろうが、デメリットの方が遥かに大きい。
なので過去のシーンは昭和63年だけに限定し、「鷲田が旭川で知り合った冴子と不倫している」という設定にでもすればいい。
もっと言ってしまえば、審理で再会するという設定も別に要らないよ。それと、「かつて付き合っていた」という設定を使うにしても、昭和53年の回想シーンを入れずに台詞だけで済ませても事足りるし。

それと、鷲田にとって冴子が大事な女という風に描かれているけど、「じやあ奥さんの存在はどうなのよ」と言いたくなる。
劇中では妻が一度も登場しないのだが、少なくとも結婚した頃は愛があったはずでしょ。旭川で働く頃には、もう冷めていたってことなのか。その辺りがサッパリ分からない。
また、回想シーンの中で、「鷲田にとって冴子は運命の女、かけがえの無い女」という説得力のあるエピソードが描かれるわけでもないのよね。
だから「鷲田は仕事を捨てて一緒に逃げようと決意したけど冴子が目の前で自殺し、それを引きずったまま生き続ける」というドラマに乗り切れないのだ。

なぜ冴子が自殺したのかは、まるで分からない。
後半に入って「実はこういう理由がありまして」という種明かしがあるのかと思いきや、最後まで謎のままだ。
「鷲田が敦子と出会うことで再生する」というドラマを描く上で、自殺の原因に大した意味は無いと捉えたのかもしれない。
だけど「もしも自分が鷲田の立場だったら」と想定した時、冴子の自殺した原因が分からないままでは、何があろうと気持ちの整理が付かないと思うんだよね。

敦子の審理シーンでは、なぜか彼女の顔が写し出されず後ろ姿だけに留めている。
何か意図があるのかとも思ったが、審理が終わった直後には、鷲田に会釈して去る彼女の顔を普通に映している。
そもそも審理のシーンで鷲田が敦子に特別な反応を示すことも無く、事務的に仕事をするだけで終わっているという時点で引っ掛かる。そこを粒立てて描かないのなら、ますます「冴子が覚醒剤所持で捕まった」という設定の意味が無くなるからだ。
「敦子が覚醒剤所持で裁判に掛けられ、鷲田が冴子を連想して特別な感情を抱く」ってことが無いのであれば、いっそのこと敦子が覚醒剤所持で捕まったという設定さえ無意味じゃないかとさえ思えてくる。

鷲田は敦子から「人を捜してほしい」と頼まれても断るが、ザンギを揚げている時に彼女が残っていることを知ると、男の名前を尋ねる。それだけでなく、一緒に朝食を食べて行かないかと誘う。
何がきっかけで鷲田の心境が変化したのか、サッパリ分からない。
依頼を断った後に起きたのって、「帰ったはずの敦子が残っていたので鷲田が驚く」という出来事だけだ。「だから男の名前を訊いたり朝食に誘ったりする」ってのは、理屈として成立していない。
まあ「人間の気持ちなんて理屈じゃ計れない」と言われれば、そうかもしれないけど、そこに違和感を覚えることは確かだ。

敦子が高熱で倒れると、病院から連れ帰った鷲田は彼女をソファーに寝かせ、汗を拭いてやる。
開いた胸元まで捉えるカメラワークにはエロスを感じさせるし、鷲田の様子は敦子に「女」を感じているように見受けられる。
夜中に目を覚ました敦子がパジャマに着替える際は、太腿の辺りからパン・アップする映像にエロスがある。
ベッドで目を開けた鷲田が向きを変える様子のカットバックには、明らかに敦子を意識していることが見受けられる。

そんな描写を入れるぐらいだから、鷲田と敦子の間に恋愛劇でも用意するのかと思ったら、そんなのは無い。それ以降の展開を見る限り、鷲田が敦子を「女」として見ている様子は無い。
ここで恋愛劇を作ると話が完全にブレちゃうので、もちろん避けるのが正解だとは思う。
しかし、その2人で恋愛劇を描く気が無いのなら、なぜ敦子が高熱で倒れた夜のシーンだけ、急に彼女のエロスや鷲田の欲情を匂わせるような描写を盛り込んだのか。
そこだけが明らかに浮いているので、理解に苦しむ。

敦子が鷲田の車で実家に戻ると、両親&兄の子供が同じ日に死んでいたことが判明する。それって、どう考えても不可解だよね。
しかも、その家に大場がいたことは分かっていて、彼は倉庫で衰弱した状態のまま倒れている。
そうなると、「もしかして大場が敦子の両親&兄の子供を殺したのか」という疑念が湧いたりするのだが、そこは綺麗に無視されている。
大場が殺していないにしても、何らかの事件性は感じるのだが、まるでフォローが無いまま終わってしまう。

なので、鷲田が敦子に「君は逃げずに最後まで、あいつの所に行こうとした。だから、あいつは今、生きてる。生きてさえいればいい。生きていてくれさえいれば」と言っても、まるでピンと来ない。
そんなことを言っている場合なのかと思ってしまう。
そもそも、両親と兄の子供が死んでいたことを初めて知ったら、かなりショックは大きいはずでしょ。それなのに、「大場は生きていたので病院へ運んで」みたいなトコへ繋げるので、そっちの方が完全に死んでしまう。
あと、敦子の兄が妻はどこにいるのかも言及しないので、ますますモヤッとするのよね。

鷲田が敦子に言った「生きてさえいればいい。生きていてくれさえいれば」という言葉は、自分が冴子に先立たれたことを連想して口にしたものと推測される。
しかし敦子にとっての大場は、鷲田にとっての冴子と全く異なる存在だ。「恋人」という意味では同じだが、大場は敦子にヤクを教えたクズ野郎なのだ。
そんな大場と別れることを決めた敦子は、それを裁判で宣言する。
そうなると、ますます鷲田の言葉は「ズレている」ということになってしまう。鷲田にとっては「愛する人が生きてさえいればいい」という意味のはずだが、敦子にとっての大場は「もう愛さない相手」なんだからさ。

映画の最後は、「鷲田が息子の結婚式に向かうため、列車に乗る」というトコで終わっている。
「釧路から東京へ行くのに、列車を乗り換えて長時間を掛ける」という方法を選ぶのは違和感もあったが、そこは置いておくとしよう。
それはともかく、鷲田と息子の関係描写が薄すぎるので、そこで締め括ることが綺麗な着地にならないのよね。
親子関係をゴールら据えるのなら、冴子と不倫している導入部の頃から、鷲田と息子の関係を描いておいた方がいいんじゃないかと。

(観賞日:2017年10月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会