『天と地と』:1990、日本
応仁の大乱は足利幕府を著しく衰退させ、各地の大名は天下統一の夢を描いて互いに覇権を争った。戦国時代の訪れである。そんな中で、越後の長尾景虎は兄の晴景を討とうと決意し、信奉する刀八毘沙門天に許しを請う。そして、民のため、越後のために、己を信じて一切の煩悩を断つことを誓った。守護代である晴景が弟の偉業を憎んで軍勢を催したため、止む無く挙兵して打ち破った景虎こそ、後に「越後の虎」と呼ばれる上杉謙信である。
景虎は春日山城で後奈良天皇の勅使と謁見し、越後守護代となった。景虎には琵琶島城主の宇佐美駿河守定行、与坂城主の直江大和守実綱、柿崎城主の柿崎和泉守景家、平林城主の色部修理亮勝長、北条城主の北条丹後守高広、箕冠城主の大熊備前守朝秀、昭田城主の昭田常睦助秀忠といった家臣たちがいた。一方、甲斐の守護職である武田大膳大夫晴信(後の武田信玄)は、武器商人の橘屋又三郎から鉄砲の凄まじい威力を見せ付けられていた。橘屋は晴信や家臣の飯富虎昌たちに、景虎が10丁しか購入しなかったこと、あまり銃が好きではない様子だったことを話す。
晴信は軍師の山本勘介晴幸に、景虎をどう思うか尋ねた。いずれ脅威となる日が来るに違いないと語る勘介に、晴信は景虎を詳しく調べるよう命じた。宇佐美は景虎に、「戦いだけが御館様の務めではございません」と言い、領地支配の巧みさを晴信から学ぶよう説いた。そこへ娘の乃美が来たので、宇佐美は景虎に紹介した。景虎と乃美は幼馴染の間柄で、10年ぶりの再会だった。乃美は景虎に、妬ましくなるほど父が彼のことばかり話していることを告げた。
天文十七年(1548)、武田軍は信濃に侵攻した。軍勢の中には、女武者大将で側室の八重もいた。飯富は晴信に、山を越えた奥信濃の先に越後があることを説明した。宇佐美は景虎に、武田軍は越後へ攻めて来る日も近いだろうと述べた。既に奥信濃の諸将の中には武田側に付いた者もおり、越後の諸将からも裏切り者が出る可能性が懸念された。景虎は、いずれ晴信とは一戦交えねばならないと考える。
父の使いで久々に景虎を訪ねた乃美は、なぜ妻を貰わないのかと問い掛けた。「御館様がいつまでも一人では、おかしゅうございます」と乃美が言うと、景虎は「ワシは、仏に煩悩を断つことを誓うたのじゃ」と答えた。乃美は景虎に、自分が嫁に行くことを話した。武田の調略は越後にも及び、昭田常睦介は景虎に対して謀反の旗を翻した。しかし景虎の軍勢が予想より早く昭田城へ攻めて来たので、常睦介は動揺した。常睦介は武田の援軍を待つが、景虎の軍勢の水を断って兵糧攻めにした。
城外に出ていた常睦介の妻子を捕慮として捕まえた景虎は、馬廻りの秋山源蔵を使者に差し向けた。降伏を要求された常睦介は、それを拒絶して秋山を斬り捨てて篭城する。景虎は宇佐美から、常睦介の妻子を斬る命令を出すよう求められる。景虎が迷いを見せて何も言わずにいるので、宇佐美が命令を下した。景虎は置き手紙を残し、春日山城を出た。手紙を読んだ宇佐美は「なんたる愚か。心がひ弱い」と苛立って吐き捨てた。家臣たちが景虎の捜索について会合を開く中、大熊朝秀が挙兵したとの知らせが届いた。
修行僧姿で信濃峠を歩いていた景虎を、4人の家臣たちが追って来た。「ワシには守護代など務まらぬ」と戻ることを拒否する景虎だが、朝秀の謀反を聞いて足を止める。「御館様なくして越後は治まりません」と家臣たちは頭を下げる。そこへ晴信一行が来たので、景虎たちは静かにやり過ごそうとする。だが、木の枝から落ちた雪の音に驚いた八重の馬が暴れたため、景虎は杖で制する。その行為に激怒した太郎義信が斬り掛かり、景虎を庇った馬廻りの戸倉弥八郎が命を落とした。晴信一行が金を投げて去った後、景虎は弥八郎の亡骸を抱いて「許せよ」と漏らした。
琵琶島城で朝秀と会った宇佐美は、身勝手な行動を取る景虎が主君としての器ではないと愛想を尽かし、武田軍に走ったのだと聞かされる。朝秀は宇佐美と会わせるため、勘介を呼んでいた。勘介は宇佐美に、晴信が越後と事を構えるつもりなど無いことを話す。奥信濃を攻める理由を問われた勘介は、貧しく広い甲斐を治めるためだと説明し、目をつぶるよう求めた。宇佐美が拒否すると、勘介は彼が琵琶島に戻り、謀反人である朝秀と会ったことを「なにゆえに」と問い質した。
晴信は八重に、いずれ駿河を攻めるつもりがあること、水軍を作る計画があることを語り、「その前に信濃を取る」と力強く宣言した。天文二十二年(1553)、武田軍は村上義清を倒し、川中島へ進出した。義清は景虎と会い、晴信の戦い方を教えた。千曲川で敵を食い止めるため、景虎は実綱に「信濃に出来るだけ多くの者を忍ばせ、噂を振り撒くのだ」と指示した。その噂とは、武田に滅ぼされた諏訪の男女が黒川の金山で悲惨な目に遭っているという内容だ。
義清の求めに応じ、景虎は武田軍の進行を食い止めるべく、自ら一万の大軍を率いて川中島に陣を構えた。天文二十二年(1553)、第一回川中島の合戦である。越後の一番槍を受け持った柿崎景家の強さを感じた晴信は、太郎にあまり無理をさせないよう虎昌に命じた。武田軍は橋に火を放ち、長尾軍の進路を断った。翌日、八重が女武者軍団を率いて越後の陣営へ向かう。八重が一騎打ちを要求すると、景虎は「こざかしき真似を」と呟いて銃を構えた。銃弾を浴びた八重は、あえなく命を落とした。
武田の間者が捕縛され、宇佐美の謀叛を示す書状の存在が明らかとなった。琵琶島を攻めるべきだと家臣たちは主張するが、景虎は宇佐美の裏切りが信じられなかった。そんな中、晴信は初狩野源五郎は使者として差し向け、引き上げることを告げた。宇佐美は乃美から戦に参加しなかったことを問い詰められ、「今さら武田の調略に乗るワシではないが、心のどこかで景虎様に背を向けたことはあった」と語る。乃美は「戦で皆、死んでしまえばよいのです」と言った後、高熱に倒れた。
景虎は宇佐美の謀反の疑惑を晴らすため、止む無く琵琶島に兵を進めた。景虎が陣を敷いて待ち受けていると、宇佐美が軍勢を率いて姿を見せた。しかし景虎は家臣たちに、「討って出ることならん」と命じる。困惑する家臣たちに、彼は「自らの刃にて駿河を討つ」と宣言した。景虎は馬に乗り、槍を持って宇佐美と一騎打ちを行う。馬を降りた2人は刀に持ち替えて戦い、景虎が宇佐美を討ち取った。景虎は乃美の館を訪れ、宇佐美を成敗したことを告げた。侍女から出て行くことを止められた乃美は、言葉に代えて笛を吹いた…。監督は角川春樹、原作は海音寺潮五郎 角川文庫版、脚本は鎌田敏夫&吉原勲&角川春樹、製作は角川春樹&大槁渡、プロデューサーは岡田裕、アソシエイトプロデューサーは丸久生、撮影監督は前田米造、美術監督は徳田博、照明は矢部一男、録音は瀬川敏夫、編集は鈴木晄、助監督は薬師寺光幸、題字は金田石城、殺陣師は久世浩、音楽監督は小室哲哉、音楽プロデューサーは石川光。
出演は榎木孝明、津川雅彦、渡瀬恒彦、浅野温子、財前直見、野村宏伸、伊藤敏八、室田日出男、沖田浩之、夏八木勲、風間杜夫、伊武雅刀、岸田今日子、大滝秀治、浜田晃、成瀬正孝、南雲勇助、矢山治、大林丈史、須藤正裕、野崎海太郎、友居達彦、五島拓弥、貞永敏、石田太郎、山田明郷、戸塚孝、長沢遼、中井啓輔、風祭ゆき他。
ナレーションは西村知道。
海音寺潮五郎の同名小説を基にした作品。
1970年代後半から1980年代前半に掛けて『人間の証明』や『野性の証明』、『戦国自衛隊』や『復活の日』といった大作を送り出した角川春樹事務所が、久々に手掛けた大作映画。ボスの角川春樹が自ら監督を務めている。
製作費は50億円超で、カナダのカルガリーで大規模なロケーションが行われた。
配給収入は50億円を突破したが、それは大量の前売り券が関係企業にバラ撒かれた結果である。上杉謙信には渡辺謙が抜擢されて撮影に入ったが、急性骨髄性白血病に倒れて降板を余儀なくされた。
角川春樹は代役に松田優作を希望したがスケジュールの都合で断られ、オーディションで榎木孝明が選ばれた。
他に、晴信を津川雅彦、定行を渡瀬恒彦、乃美を浅野温子、八重を財前直見、太郎を野村宏伸、景家を伊藤敏八、虎昌を室田日出男、高坂弾正を沖田浩之、勘介を夏八木勲、勅使を風間杜夫、常睦介を伊武雅刀、乃美の侍女を岸田今日子、橘屋を大滝秀治が演じている。原作は上杉謙信の生誕以前から物語が始まり、幼少期の内容が多いのに対し、この映画は既に戦国武将の長尾景虎となってからの物語だ。
また、原作には山本勘助が登場しないが(執筆当時は山本勘助の存在を否定する学説があり、それを海音寺潮五郎が支持していたため)、この映画では山本勘介という名前の軍師が登場する。
どう考えても山本勘助のことなので、なぜ微妙に名前を変えたのかは謎だ。
そもそも、当時は「軍師」などという呼称は無かったのだが、それはひとまず置いておくとして。角川春樹という人は、興行師(と言うより山師と表現すべきかもしれないが)としての才能はともかく、映画監督としての才能は全く持ち合わせていない。
だから、おとなしく製作だけに励んでいればいいものを、本人は監督としての才覚が備わっていると思い込んでいるもんだから、たまにメガホンへと手を伸ばしてしまう。何しろ会社のボスなので、誰も反対したり意見を言ったりすることが出来ない。
お山の大将は裸の王様となり、大作映画は空虚な駄作になった。
渡辺謙は本作品の降板を残念に思っていたらしいが、結果的には降板して大正解だった。登場人物が会話を交わしたり何かしらの行動を取ったりする時、そこにあるはずの感情が見えて来ない。登場人物の仕草や表情からも、 心理の移り変わりは伝わって来ない。何かを決意したり、思案したり、苦悩したり、逡巡したり、そういうことが見えて来ない。
ただ用意された段取りを事務的に消化しているだけにしか見えない。
とにかく、1つ1つの出来事が恐ろしいぐらいに淡白な描写に留まっており、充分な序奏も無ければ余韻も無い。
もちろん、その出来事の根幹部分に厚みを持たせることも出来ていない。それは冒頭シーンから徹底していて、景虎が刀八毘沙門天に許しを請う様子が描かれ、当時の情勢や「晴景が弟の偉業を憎んで軍勢を催したので景虎は止む無く挙兵して打ち破った」ということをナレーションで説明している間に、いつの間にか戦いは終わっている。
一応、そのナレーションの間に晴景の陣が写し出されているのだが、誰が晴景で誰が景虎なのかはサッパリ分からないような映像が引いた絵で短く写し出されるだけで、合戦は全く繰り広げられていない。
そもそも、「晴景が弟の偉業を憎んで軍勢を催したので景虎は止む無く挙兵した」ということが短いナレーションで説明されるだけであり、晴景は姿さえ見せないので、どのような兄弟の愛憎劇があったのか、挙兵するに至る景虎の心中はどのようなものだったのかってことは、まるで伝わって来ない。
本人は「民のため、越後のため」と言っているが、ただの兄弟喧嘩にしか思えない。何がどのように民や越後のためなのか、少なくとも景虎が何をしてそのように捉えているのかも分からない。せめて合戦の後で、景虎が兄殺しをどのように思っているのか、そこに苦悩や後悔の念があるのか、あるいは冷徹に切り捨てているのか、そういうことを描写する時間が設けられているのかと思ったら、それも無い。
景虎は勅使と城で会い、続いて鹿狩りに出掛け、野外で笛を演奏している乃美の様子を見る。
そこから景虎が乃美と会話でも交わすのかというと、さっさと次のシーンへ移る。
だから、その段階では景虎が見た女が何者なのかは分からない。甲斐の様子が写り、晴信が勘介に「景虎をどう思うか」と尋ねると、「わずか数か月の内に越後を鎮め、今や越後の虎とまで噂されております」と語る。
おいおい、ナレーションで「後に越後の虎と呼ばれる」と言っていたのに、その「後」が、すぐに訪れちゃうのかよ。すげえ早いな、展開が。
しかも、既に名のある武将たちが「猫のように春日山に伏している」ということらしいが、そいつらを降伏させた経緯は描かれないのね。
どうやら晴景を倒した後、いつの間にか時が経過しているってことなんだろうけど、それは分からんわ。定行は景虎に「戦いだけが御館様の務めではございません」と言い、領地支配の巧みさを晴信から学ぶよう説くのだが、どうやら景虎は政治に関心を持たず、戦ばかりに目を向けているってことなんだろう。
それも、そのためのドラマ描写が無いので、その台詞による説明から読み取るしか方法が無い。
で、そこに乃美が来て、宇佐美が「お忘れでございますか」と言い、娘だと紹介する。そこで初めて、演奏を見た時点では景虎が乃美の素性に気付いていなかったことが分かる。
そして景虎と乃美の会話シーンがあるのだが、「娘の自分が妬ましくなるほど、父が景虎のことばかり話している」と乃美が喋るだけで終了する。
それに対する景虎の反応も描かれないし、双方が相手にどのような感情を抱いているのかも見えて来ない。春日山城が最初に写る時、「柿崎城主 柿崎和泉守景家」「平林城主 色部修理亮勝長」といったスーパーインポーズが表示される。それでキャラクター紹介は終了だ。それぞれの人物を掘り下げるようなことは無い。
だから、その段階で、顔と名前を一致させ、記憶しておくことを強いられる。
これは甲斐の時にも同様だが、困ったことに、こちらは最初に晴信と勘介の名前は出るが、同席している他の面々の名前は出ないので、記憶して一致させることも不可能だ。
室田日出男が飯富虎昌、沖田浩之が高坂弾正を演じていることを、映画を見ているだけで把握できる人は数少ないだろう。それと、鉄砲の売り込みがあった時に晴信と勘介の名前が表示されるのに、武田軍が信濃に侵攻したシーンで、また2人の名前が出る。
いや、それはさっき出したでしょ。
そりゃあ、上杉側に関しては、最初のスーパーインポーズだけでは誰が誰なのか全く覚えられないけど、さすがに晴信と勘介だけは把握できるわ。
それより、地理的な説明をしている室田日出男が誰を演じているのか、名前を出してやれよ。
あと、八重のスーパーインポーズは出るけど、「武田軍が信濃に侵攻」というのがテロップで説明するだけで戦のシーンは無いし、それどころか八重には台詞さえ用意されておらず、ただ単に同行している女を紹介しただけで終わっている。上杉軍は武田軍の信仰に対して会合を開いて相談するが、そこでは名前の表示が無い。
こっちに関しては、それが無いと誰が誰なのか全く分からない。
ただし、どうせ名前を何度出されたところで、誰が誰なのか覚えられないんじゃないかという気がする。中身がペラッペラなのでね。
で、そこの会合では武田軍への懸念や、いずれ晴信とは一戦交えねばならないということが語られるのだが、家臣がどのように思っているのか、景虎がどういう感情なのかは見えて来ないし、主君と家臣の関係性、絆の強さ、そういったモノも見えない。景虎は乃美から妻を貰わない理由を問われた時、「ワシは、仏に煩悩を断つことを誓うたのじゃ」と答える。
ってことは、「乃美に好意を抱くが、煩悩を断つことを誓ったので素直に彼女への恋心で突っ走ることは出来ない」というところでの苦悩や葛藤が生じるはず。
ところが、そういう心情ドラマは全く用意されていない。
乃美から嫁に行くことを聞かされても無表情で、何を考えているのかサッパリ読み取れない。景虎は最初から最後まで、何の感情も無い機械か、もしくはデクノボーのような状態を保ち続ける。
一方の乃美も景虎への恋心が見えないので、「愛し合っているのに、運命に引き裂かれる2人」という悲劇性はゼロだ。続いて、昭田城の前に陣取る景虎の軍勢が写し出され、「武田の調略は越後にも及び、昭田常睦介は景虎に対し、謀反の旗を翻した」というナレーションが入る。
だけど、そもそも昭田常睦介って春日山城のシーンでチラッと写っただけで、その時には台詞さえ無かった。
当然のことながら、景虎への忠誠心を見せることも無ければ、裏切りの予兆を示すことも無かった。
そもそも「誰だよ」という程度の印象だったキャラだし、謀反を起こすまでの経緯が全く描かれていないので、合戦だけを点として配置されても、感情を喚起するための要素が何も無い。常睦介の妻子を斬る命令を出すよう求められた景虎が迷いを見せたことは、定行の「何を迷うておられる」という台詞で伝わるだけ。
芝居として、彼の迷いが充分に表現されているわけではない。
手紙を残して春日山城を出た景虎の心情も、乃美の「幼い子の首まで取らねばならなかったことに耐えられなかったのです」という台詞で説明してしまう。
景虎の苦悩がドラマとして描かれるわけではない。自分を庇って太郎義信に斬られた戸倉弥八郎が命を落とした時に、景虎は怒りの感情を示す。
マトモに感情を表現するのは、ここが初めてと言っても過言ではない。
ここは「それまで自分勝手な行動を取り、主君としては弱すぎる心を持っていた景虎が、家来を目の前で惨殺されたことで変わる」という重要な転換期だ。
ところが、他のエピソードを2つ挟んで再登場するという構成のマズさも手伝って、「それをきっかけにして景虎が別人のように変貌する」ということが今一つ弱い印象になってしまう。琵琶島城で勘介の要求を拒否した宇佐美は、「いやしくも春日山に宇佐美ありと言われた男。主に背く心など持たん」と鋭く言い放つが、それに対して勘介は「ならばお聞き申す。春日山に宇佐美ありと言われた男が何故あって主の元を去り、琵琶島に戻ったのか。何故あって、謀反人大熊朝秀と知って、城内に迎え申したか」と問い掛ける。
それに対して、どうやら宇佐美は動揺したらしい。それを感じさせる表情がチラッと写る。
ところが、すぐにカットが切り替わり、次のシーンへ移ってしまう。
いやいや、そこは宇佐美の激しい狼狽、その一枚も二枚も上を行く勘介の狡猾さ、そういうモノを充分にアピールすべきでしょうに。
なぜサクサクと先へ進むのか。ちなみに、ここまで批評したシーンは、まだ始まってから40分ほどの地点にしか到達していない。
これ以降も、ボンクラな箇所は数え上げたらキリが無いが、正直に言って面倒になってきた。
どうせ、開始42分頃には「第一回 川中島の合戦」が始まり(ご丁寧にも、そういうスーパーインポーズが出るのだ)、それ以降も退屈な戦いと事務的な説明が続くだけだ。
川中島の合戦で一騎打ちを所望した八重を景虎が銃撃で簡単に殺すのも、それを晴信が「天晴」と褒めて撤退するのも、「なんじゃ、そりゃ」って感じだし。
だから、もう放り出してしまうことにした。ようするに「登場人物に中身が無い」「ドラマが無い」「メリハリに乏しい」「ずっと淡々としていてダラダラと進み、緩急の使い分けも出来ていない」ということだ。
たぶん角川春樹は。「エキストラを大量動員してスケールのデカい合戦を描きたい」という目的だけで本作品を撮ったんじゃないかと思う。
だけど肝心の合戦シーンも「大勢の人が動いている」ってのは分かるけど戦況がサッパリ分からないし、引きの絵が多すぎて迫力に欠けるし、退屈になってしまう。
ってなわけで、簡単に言っちゃえば「何も見所の無い映画」ってことだ。(観賞日:2014年4月14日)