『天の茶助』:2015、日本
早乙女茶助は茶番頭として、天界の脚本家たちに茶を入れて運ぶ仕事をしている。「あの方」に選ばれた脚本家たちは、下界に住む人々の人生のシナリオを描き続けている。人間は皆、彼らが作った筋書きに従って生きている。ある脚本家は居酒屋で康夫という男が居酒屋で女とデートするシナリオを書くが、つまらないと感じて茶助に感想を尋ねた。茶助も面白くないと感じたが、本音を隠して褒めた。あの方は時々、風になって脚本家たちの元を訪れ、大雑把なメッセージを残して去る。その日は「斬新」と告げ、すぐに去った。
康夫の脚本家は斬新なシナリオが思い付かず、茶助に意見を求めた。困った茶助は、居酒屋をカラオケボックスに変更してはどうかと助言した。すると脚本家は、康夫が女に冷たく拒絶され、ブチ切れてタクシーを奪うシナリオを書いた。勘助という脚本家が書いているのは、花屋でバイトしている新城ユリのシナリオだった。ユリは3歳で両親が離婚して以来、全く喋らなくなった。茶助はユリに興味を抱いていたが、康夫が暴走させたタクシーにひかれて死んでしまった。
茶助はショックを受け、勘助に「何とかならないのですか」と訊く。勘助は「もう無理だ」と漏らし、下界へ行くよう茶助に持ち掛けた。下界に存在しない茶助なら、シナリオの影響を受けずにユリを救うことが出来るはずだと彼は説明した。茶助は困惑するが、勘助は仲間の化助や雨助とシナリオで援護する、サインを送り続けると告げる。茶助が下界に着地すると、エイサーナイトが行われている沖縄の商店街だった。服がボロボロになっている茶助は、祭りの波に押し出された。
種田潤一という男が茶助に声をかけ、服を着替えるため家へ来るよう申し出た。すぐに茶助は、自分を援護するために彼が現れたことを悟った。種田は雨助が担当しているシナリオの主人公だからだ。種田は長年の夢だった俳優を50歳を過ぎて諦め、様々な職を転々とするが続かなかった。彼は路上生活者となったが、記録的な大雨に見舞われてレスキュー隊に救助され、両親に引き渡された。実家でゴロゴロする息子にたまりかねた両親は資金と骨董品を提供し、古びたアーケード街で種田に骨董品店を経営させた。
ユリは種田の骨董品店の常連客で、茶助は彼女が取り置きしてあるティーカップを見つけた。種田からラーメン店に誘われた茶助は、ユリが死ぬまで時間があるので付き合うことにした。種田が茶助を案内したラーメン屋の店主は、化助がシナリオを担当する彦村ジョーだった。彼の母はホームレスのアイドル的な存在で、複数の仲間と肉体関係を持った。出産した直後に母が脳内出血で死亡したため、彦村は10人の父親に育てられた。
少年になった彦村は市場でサッカーボールをドリブルし、人波をすり抜けるのが日課になった。それを目撃した地元名門サッカーチームのコーチにスカウトされ、彦村は才能を発揮した。しかしマスコミにホームレス少年として騒がれたため、チームを辞めた。彦村はボクサーとしての才能を発揮するが、またマスコミに出自を騒がれた。取材に来た雑誌編集者を殴ってボクサーを辞めた彦村は荒れた生活を送るようになり、少年院へ送られた。
元経営者だった10人の父親たちは彦村を更生させるため、熱心に勉強を教えた。大学に入った彦村は人気女優の朝倉美雨と恋に落ち、映画撮影に同行して豪華客船に乗った。しかし船が難破して美雨が命を落とし、彦村は彼女と一緒に作った丼鉢を使うラーメン店を開いた。店を訪れたユリは丼鉢が気に入り、譲ってほしいと彦村に頼んだ。彦村に断られたユリは、店に通い詰めるようになった。彦村は気分が悪いと言い、その日は早く店を閉めた。その様子を見た茶助は、彼も自分の援護役だと確信した。
茶助はユリを救いたいと思っていたが、具体的な方法は思い付かなかった。しかし彦村がカラオケボックスのタダ券3枚を持っていると言い出したので、茶助は彼が康夫を殴り倒してくれるのだろうと推理した。カラオケボックスは満員だったが、茶助は目的のためにロビーで待つ。すると彦村を幼少期から敵視している茂田光男が現れ、彼を馬鹿にして挑発した。彦村が激怒して殴り掛かると、茂田はナイフを構えた。茶助が茂田を取り押さえていると、ユリが店を出て行った。
茶助が焦っていると、野次馬の向こうから白塗りの警官が現れた。茶助は他の脚本家たちに、自分の存在がバレていると確信する。警官が茂田に銃弾を浴びせる中、康夫は店を出てタクシーを奪った。茶助はユリの家を知っているため、近道で事故現場へ先回りした。茶助はユリと激突し、起き上がって見つめ合った。そこへ車が激突し、茶助とユリは病院へ搬送された。すぐに意識を取り戻した茶助は、病院を出て商店街へ向かった。
翌朝、茶助がラーメン店へ行くと激しく荒らされており、彦村はヤクザたちに暴行されていた。激昂した茶助はヤクザたちを叩きのめし、特殊能力で攻撃した。茶助は逃亡した1人を追い掛け、黒竜会の黒木が仕切るジムへ乗り込んだ。茶助は黒木を特殊能力で操り、ドスで舎弟の腹を抉らせた。さらに茶助は、黒木に右手の指4本を切断させた。ジムを後にした彼は、路肩に置いてあった天使の翼を背負った。両足が不自由な少年と出会った茶助は「くだらないシナリオを書きやがって」と憤慨し、特殊能力で歩けるようにした。少年の祖母は、「天子様」と彼を崇めた。
種田は茶助の行動を撮影し、You Tubeに動画をアップしてツイッターで呟いた。大勢の人々が助けを求め、骨董品店へ押し掛けた。茶助は全ての脚本を壊してやろうと考え、診察と称して人々の障害や怪我を治していく。その日の診察を終えた彼は、力を使った副作用で嘔吐した。そこへ彦村が来て「意識が無い人がいる。助けてほしい」と言い、茶助を病院へ連れて行く。昏睡状態のユリを見た彼は驚き、力を使って回復させた。
翌朝、ユリは骨董品店を訪れ、診察の手伝いを申し出た。茶助は歓迎し、その日も大勢の人々を診察した。種田と彦村が勝手にテレビの仕事を受けたため、茶助は仕方なくテレビ局へ赴いた。総合司会のチャーリー・ポンは、平助が書く脚本の主人公だった。ポンはスリの母が仕事に失敗して殺された後、施設で育った。伝説のスリ師と出会ったポンは、彼の手品に興奮した。テレビのオーディションで手品を披露したポンは、その掛け声が受けて大人気スターになっていた。
番組が始まると、観覧席にいた白塗りの康夫が立ち上がって「全部バラしちゃうぞ」と高笑いを浮かべた。スタジオに乱入した白塗りの警官はユリたちの方へ威嚇発砲した後、ポンの腹に銃弾を浴びせた。茶助は能力で弾丸を摘出するが、白塗り警官との関係を疑われて刑事の取り調べを受ける。刑事は「経歴を調べた」と言い、茶助は存在しないはずの経歴を説明されて驚いた。茶助は土佐で生まれ育ち、中学時代は暴走族の特攻隊長を務めた。高校卒業後に上京した彼はウエイター選手権で優勝するが、アパートが不審火で全焼して放火犯だと誤解された。沖縄へ逃走した茶助は沢村一家の舎弟になり、組長の盾となって撃たれてから行方知れずになっていた。
茶助は自分の知らない経歴に呆れるが、「ワイは知らんぜよ」という言葉が口から出たので驚いた。茶助は自分の経歴が事実であり、命を落としてから天界の茶番頭になったのではないかと考える。取り調べを終えた茶助がユリとホテル街を歩いていると、黒木が現れて殺そうとする。そこへ茶助の舎弟たちが現れ、殴り込みへの参加を志願した。茶助が彼らと話していると、背後から黒木が斬り付けた。茶助の上着が切断されると、その背中には刺青が入っていた…。監督はSABU、原作はSABU『天の茶助』(幻冬舎文庫)、脚本はSABU、エグゼクティブ・プロデューサーは森昌行、製作は川城和実&大角正、コー・エグゼクティブ・プロデューサーはDavid Atlan-Jackson、プロデューサーは市山尚三、企画開発は大成祐爾、撮影は相馬大輔、照明は三善章誉、美術は黒川通利、録音は横澤匡広、衣裳は西留由起子、編集は相良直一郎、音楽は松本淳一、音楽プロデューサーは安井輝。
主題歌『翼』作詞:Ms.OOJA、作曲:COZZi&Ms.OOJA、編曲:COZZi。
出演は松山ケンイチ、大野いと、寺島進、大杉漣、伊勢谷友介、田口浩正、玉城ティナ、オラキヲ(オラキオ)、今野浩喜、RYO(ORANGE RANGE)、DJ KEIN、山田親太朗、菅田俊、高橋洋、手塚とおる、上村昭徳、長嶺善憲、武田凌、古賀真、青木崇、五十嵐剛、田端孝史、安里賢次、安里良枝、安里星乃、野国昌春、當山宏、平安山英雄、マイコ、ステファニー、麻亜里、元木陽春、福田加奈子、木村海良、照屋まさお、Shuntarock(2side1BRAIN)、MIYABI(2side1BRAIN)、MEG(2side1BRAIN)、I-VAN、指宿豪、千葉美裸(SCARLET DIVA)、知念ありか、山根和馬、橘美緒、野村修一、竹嶋康成ら。
『蟹工船』『うさぎドロップ』のSABUが初めて執筆した小説を、本人の脚本&監督で映画化した作品。
オフィス北野が製作している。
茶助を松山ケンイチ、ユリを大野いと、黒木を寺島進、種田を大杉漣、彦村を伊勢谷友介、ポンを田口浩正、茶助の妹の茶子を玉城ティナ、白塗りの警官をオラキヲ(オラキオ)、康夫を今野浩喜が演じている。
他に、刑事役で菅田俊、勘助役で高橋洋、康夫の脚本家役で手塚とおる、殺し屋役でをRYO(ORANGE RANGE)&DJ KEIN&山田親太朗が出演している。茶助は居酒屋をカラオケボックスに変更してはどうかと助言するが、康夫がタクシーを奪ってユリを殺すのは脚本家が書いたシナリオだ。それは康夫が振られる場所が居酒屋であろうと、用意できるようなシナリオだ。
なので、茶助がユリの人生に影響を与えたとは言えない。
もちろんユリが死んでしまうことになれば、自分の責任が云々という問題を抜きにして茶助は彼女を救いたいと思うだろう。ただし、下界へ行く段階では、まだ茶助はユリへの恋心を明確に認識していない。
なので、そこは「茶助の不用意な助言のせいで、ユリが死んでしまうシナリオになってしまった」という形にしておいた方がいいはずだ。映画が始まると、茶助が天界の脚本家たちに茶を運ぶ様子が描かれる。茶助と脚本家たちは白い頭巾を着用し、白装束に身を包んでいる。
白い霧が立ち込める広い場所に長い巻紙が用意されており、列に並んだ脚本家たちが筆で梵字のような文字を書いている。
そんな光景が、まるで魅力的ではない。
インドっぽい雰囲気か、仏教的な雰囲気を狙ったのかもしれないが、やたらゴチャッとしている印象が強い。
ただ、それよりも問題なのは、天界の設定が適当ってことだ。ルールが曖昧で、デタラメにしか思えない。茶助がユリのシナリオについて語る時、「勘助が何度も脚本で喋らせようとトライしたが、喋ろうとはしなかった」と説明している。
だが、最初に茶助は「人間は脚本家の作った筋書きに従って生きている」と語っている。そうであるならば、勘助が脚本を書けばユリは絶対に言葉を喋るはず。
シナリオで喋らせようとしたのに喋らないってことは、脚本家の筋書きに人間が従わないケースもあるわけだ。つまり最初に茶助が説明した設定が、早々と崩壊しているのだ。
終盤になってから、「こうなりたい、こうしたいと願う人はシナリオを変えることが出来ます」と茶助が話しているけど、それで問題が解決するわけではない。遅すぎて下手な言い訳でしかない。ユリのシナリオは勘助が書いているのだから、その人生は彼にしか操れないはずだ。ところが康夫の脚本家がシナリオを書き換えて、ユリを車でひき殺している。
つまり、他の脚本家が他のシナリオに介入することも出来ているのだ。
これもまた、設定が破綻しているとしか思えない。
「何とかならないのですか」という問い掛けに「もう無理だ」と言うのも、やはり不可解。
いや何とかなるだろ。自分が担当している人間のシナリオを他者が書き換えたら修正できなくなるって、どういうことなのか。勘助が茶助に「ユリを救うため下界へ行け」と指示するのは理解不能だ。
1人の脚本家が1人の人間だけを担当しているわけではなく、大勢のシナリオを手掛けているはずだ。つまり勘助にとってユリは、大勢の中の1人に過ぎない。
だったら、「彼女だけは助けたい」ということで特別扱いするのは不可解だ。勘助にとって、ユリは特に思い入れの強い人間というわけでもないのだし。
また、茶助もユリについてはモノローグで「興味を持った」と軽く触れただけなので、彼を突き動かす強い気持ちは伝わらない。
なので、「あの方が怖くても下界へ向かう」という筋書きにも乗れない。茶助は簡単に下界へ行っているが、そんなことが普通に許されるのか。そこから抜け出さないように見張っている人物は、誰もいないのか。あの方が気付いて連れ戻すようなことは無いのか。
後から白塗りの警官が現れると「他の脚本家たちが気付いた」と茶助は確信するが、なぜなのか。警官が茶助を撃ち殺そうとするならともかく、最初から茂田を狙って発砲しているし。
っていうか、脚本家たちが茶助を妨害しようとする理由は何なのか。
そして妨害するにしても、なぜ下界に馴染むような人物ではなく、明らかに浮いている白塗りの警官というキャラを登場させるのか。
それは天界の連中の脚本が下手すぎるでしょ。エイサーナイトで踊っている人々も見物客も、その中に突如として茶助が出現したのに、まるで気にしている様子が無い。
なので、茶助は「誰にも見えない、触れようとすると突き抜ける」という幽霊のような存在なのかと思ったら、その後は普通に生きている人間としての扱いをされている。
だったらエイサーの人々が、まるで茶助が存在しないかのように彼を押し出すのは不自然でしょ。
支援する人だけは茶助が見えるってことかと思ったら、そうでもないんだし。映画が始まると、すぐに茶助のモノローグが開始される。彼がユリの過去について喋り始めた時点で既にヤバそうな予感は漂っていたが、下界に移動すると、さらに状況は悪化する。
茶助が種田と出会うと、今度は彼の過去に関してモノローグで説明し、補足映像が挿入される。彦村の時も、同じ処理が行われる。
しかし、彼らの風変わりな人生が説明されても、それがキャラの厚みやドラマも深みには全く貢献しないのだ。
それどころか、その場限りのネタとしての面白味すら無いのだ。彦村の過去を描く時は、『あしたのジョー』や『ゴースト ニューヨークの幻』、『タイタニック』の1シーンが再現されている。しかし映画の真似をしているだけであり、パロディーとして機能しているわけではない。
そもそも、映画の1シーンを盛り込む仕掛け自体が機能不全に陥っている。
後から茶助が「彦村だってそうだ。レベルの低い下手な脚本家が有名な映画をパクり、くだらないブームに乗っかったせいで辛い思いをさせられてきたんだ」と語っており、そういうことを訴えたかったんだろうとは思う。
ようするに、レベルの低い表現をさせてもらうならば、SABU監督の愚痴ってことだ。
でも、そこだけが明らかに浮いているのよね。ポンや茶助についても、それぞれの経歴が説明される。しかし、その全ては後の展開に全くと言っていいほど影響を与えない。
彦村の過去が説明された時には、「そんなのクドクドとモノローグで説明するぐらいなら、彼を使って1本の長編映画を作ればいいだろ」と言いたくなってしまう。
種田や彦村たちの人生について説明する手間と時間を掛けているせいで、「茶助がユリを救うために奔走する」という本筋であるはずのストーリーが遅々として前に進まない。
もっと恐ろしいのは、「茶助がユリを救う」という目的が前半で達成されてしまうことだ。こっちは完全に目的を見失っているので、何の話を見せられているのかサッパリ分からなくなってしまう。ラーメン店が破壊されて彦村が暴行されている様子を目撃した茶助は、激昂してヤクザに襲い掛かる。それは急に正義感や義侠心が強くなったような違和感を覚える。
少年の足を治療するのも、なぜ急にシナリオへの反発心か強くなっているのかと言いたくなってしまう。「全てのシナリオをグチャグチャにしてやる」ってことで診察を始めるのも、やはり展開として強引さを感じる。
しかし意識不明のユリを見た茶助が驚くシーンで、ようやく答えが判明した。
茶助はユリが死んだと思い込み、そんなシナリオを書く天界の制度にキレていたということなんだろう。
ただし、それで一応の説明は付くが、賛同はしかねる。それに、「どうして急に茶助が特殊能力を使えるようになったのか」という部分に関する答えは何も用意されていない。また、そもそも「意識不明のユリを見た茶助が驚く」というシーン自体に納得しかねる部分がある。
茶助は事故に遭った自分が意識不明から回復した時、なぜユリは無事かどうかを確かめなかったのか。ユリを助けるために下界へ来たのだから、そこは絶対に確認するべきじゃないのか。
ユリの生死を確認せず、病院を出るってのは、まるで理解できない。
だから「ユリが死んだと思い込んでいる」という前提で、茶助が黒木の舎弟たちを退治したり診察を始めたりする手順を描かれても、すんなりと受け入れられないのだ。茶助は舎弟たちが来て「兄貴」と呼ばれても、まるで困惑しない。当たり前のように、「ケンジ、セイジ」などと舎弟たちの名前を呼ぶ。
「水臭いぜ、一人で殴り込みを掛けるなんて」という舎弟たちの言葉は誤解なのに、それも普通に受け入れて「こいはワイの喧嘩じゃき、おんしら引っ込んじょけ」と告げる。
ひょっとすると、そういうのは「シュール」を意図して描いているのかもしれない。
だけど、こっちからすると、ただデタラメなだけにしか思えない。それと、そのシーンは「茶助がユリをラブホテルへ連れ込もうとしたけど、黒木や舎弟たちの登場に邪魔されたのでガッカリする」というベタな喜劇としてのオチがあるので、そこを活かすことを本来なら最優先で考えるべきだろう。
ところがシュールな内容にしているせいで、完全に機能不全となっている。
ベタとシュールの両方をを同じシーンに持ち込むのは、そこに限ったことではない。
だが、どのシーンでも水と油の如くで全く混じり合わず、互いに打ち消し合っている。映画のラストで、射殺されたはずの茶助がユリと共に蘇り、「人の祈りの力は絶大で、斬新なだけのシナリオなんかよりも何倍も尊くて、だから諦めずに祈り続けていれば、きっと新しい人生のシナリオが始まる。人生は変えられる。運命なんてクソ食らえだ」とモノローグを語る。
そういう前向きなメッセージを、どうやら訴えようとしたようだ。
だが、そこに至る話が混沌の中なので、全く届かず、響かない。皮肉なことに、奇をてらったようなシナリオがメッセージを邪魔しているのだ。
斬新なだけのシナリオなんて無くてもいいから、もっとシンプルにメッセージが伝わる物語にすれば良かったのに。(観賞日:2017年12月14日)