『天空の蜂』:2015、日本

1995年8月8日、午前7時21分。愛知県小牧市にある錦重工業株式会社、名古屋航空システム製作所の小牧工場。日本最大となる新型ヘリ“ビッグB”の納入式典に参加するため、開発責任者の湯原一彰が妻の篤子と息子の高彦を連れて到着した。ビッグBは自衛隊のヘリであり、防衛庁の管轄となるため、湯原も顔パスではなく入り口でIDの提示を求められた。湯原が仕事優先で家庭を顧みなかったことから夫婦関係は悪化し、篤子は嫌味っぽい態度を取った。
湯原の同僚である山下は、息子の恵太を連れて来ていた。高彦と恵太は、一緒に行動する。湯原は山下の前で「俺は良い父親になれる可能性はゼロだ」と言い、高彦を篤子に任せる考えを明かす。そんな父の冷たい言葉を、高彦は耳にしてしまった。高彦は恵太を連れて格納庫へ侵入し、ビッグBを発見した。2人が乗り込んだ直後、遠隔操作によって格納庫が開き、ビッグBが動き出した。異変に気付いた湯原は格納庫へ走り、ビッグBに高彦と恵太が乗っていることを知った。
格納庫を出たビッグBが離陸しようとする中、高彦は恵太を湯原に向かって放り投げた。湯原は息子を助けようとするが、ビッグBは飛び去ってしまう。福井県敦賀市の高速増殖原型炉“新陽”で所長を務める中塚一実は、ホバリングするビッグBを目撃する。“天空の蜂”を名乗る犯人は関係機関に対し、ファックスを送り付けた。その中で犯人は、燃料が切れればビッグBが原子炉建物に墜落すること、大量の爆発物を積んでいることに触れた。
犯人はビッグBの燃料切れが8時間後だと明かし、危機を回避したければ日本の原子力発電所を全て破棄せよと要求した。ただし新陽だけは例外であり、もしも停止させたらビッグBを墜落させると通告した。中塚は避難の必要性があると考えるが、炉燃理事長の筒井は「原発の安全性を自ら否定することになる」と反対した。警察庁長官の芦田は記者会見を開き、ビッグBに少年が乗っていることを説明した。遠隔操作の犯人である雑賀勲も、その情報を知った。
湯原は愛知県警特捜班長の高坂や部下の野村たちと共に、新陽へ向かった。新陽の近くでは、原発反対派の面々が抗議デモを開始していた。福井県警の室伏と部下の関根は反対派のリストを入手し、そこから当たることにした。緊急対策室に到着した湯原は、消防課長の佐久間や警備課長の今枝たちと顔を合わせた。そこへ新陽の総合設計を担当した錦重工業プラットフォーム事業部の三島幸一が現れ、高速増殖炉の必要性を訴えた。湯原から息子がビッグBにいることを聞かされた彼は、冷静な判断が出来ないから帰れと要求した。
科学技術庁原子力局長の島岡は警察庁で会見し、「仮に爆発が起きても深刻な事態は起きない」と説明した。今枝は中央制御室の運転員を避難させるべきだと主張するが、中塚は拒否した。今枝が憤慨すると、三島は「原子炉が暴走したら半径250キロに避難勧告を出さなきゃいけなくなる」と語る。ビッグBが墜落したらどうするつもりなのかと問われた彼は、運転員を原子炉格納容器へ避難させればいいと言う。しかし中央制御室から格納容器まで行くには1分ほど掛かるが、湯原はビッグBが10秒で墜落することを告げた。
犯人はマスコミを通じて新たな声明を出し、条件付きで人質の救助を許可した。そして「全ての原子炉の破棄」という要求を、「停止」に譲歩した。救助の条件は、その方法をテレビで発表すること、救出者がビッグBに入らないこと、人質が内部の物を持ち出さないこと、救出にはヘリ一機だけを使うことだった。また、原発停止の際は、その手順をテレビで生中継するよう要求した。救助ヘリの根上機長は救援隊の上条や植草と共に、新陽へ向かった。
三島はビッグBの開発者である湯原を、事件の加害者として厳しく糾弾する。湯原は三島に「同じ子を持つ父親として頼む」と頭を下げ、力を合わせて解決したい考えを示す。しかし三島は「家族を守れない男に父親としての資格なんてあるか」と言い放ち、湯原を突き放した。高坂や野村たちは、格納庫の裏にあった木箱が3日前から無くなっていることを突き止めた。伝票を持ち出せるのは錦重工業の人間だけであり、高坂は事情を知らないまま犯人に利用された人物がいると睨んだ。警察の捜査が進む中、錦重工業航空機事業第一開発部エンジン開発一課社員の赤嶺淳子は動揺を隠せなかった。
湯原は新陽に駆け付けた篤子から、「ヘリにしがみ付いてでも息子を救おうとしなかった」と激しく非難された。篤子は彼に、高彦が内緒でモールス信号を勉強していた事実を明かした。かつて湯原は震災のニュースを見ながら、高彦に「ココニイル」というモールス信号を教えたことがあった。湯原は高彦が車内や工場で音を鳴らしていたことを思い出し、それが「ココニイル」というモールス信号だったと気付いてハッとした。
建物の屋上へ出た湯原は大きなライトを使い、ビッグBに向かってモールス信号を送った。それに気付いた高彦は、モールス信号で返事をした。湯原の質問を受けた彼は、ビッグBに木箱が置いてあることを伝えた。聞き込み捜査を続けていた室伏と関根は、近畿電力の孫請け仕事に携わっていた田辺佳之という若者が白血病で亡くなったことを知る。田辺佳之は27歳の若さで死去しており、労災を認めるよう要求する支援者の会が活動していた。
室伏と関根は田辺の母親である泰子と会い、犯人に繋がる情報を得ようとする。泰子は2人に、田辺には現場で出会ったラジコンの師匠がいること、「サイカワ」か「サイガワ」という名前だったことを話す。原発の停止を確認した犯人の許可が出たため、救助ヘリはビッグBへ向かった。厳しい条件の中、根上たちは高彦の救出作戦を展開する。ビッグBが揺れて高彦は落下するが、上条が助けてパラシュートで無事に降下した。
天空の蜂は新たなファックスを送り付け、停止状態にある全ての原発のタービン棟を破壊するよう要求した。筒井はビッグBが燃料切れで墜落すると確信し、新陽の停止を中塚に命じた。中塚は停止に気付かれないよう、待機ポンプを再起動して排水することにした。労災を認めさせる会の名簿を調べた室伏は、ラジコンの師匠が「雑賀勲」だと確信した。出入者管理票を確認した高坂たちは、名前の書き換えに気付いた。管理票の原本に触れることが出来るのは、総務課の人間だけだった。
天空の蜂から新陽に、メールに添付した画像が届いた。それは発電所全体の温度をモニターしていることを示す画像であり、湯原は犯人がビッグBを使って監視していると悟った。排水量が増えれば温度差が生じ、犯人にビッグBの停止が知られてしまうことを三島は指摘する。中塚は慌てて中央制御室に連絡を入れ、作戦を中止させた。湯原は犯人が原子炉の停止を知るまで1分掛かることに目を付け、その間に運転員を格納容器に避難させようと考えた。
室伏と関根は雑賀について調査し、かつて自衛隊にいたことを知った。今枝から顔を見ていない開発関係者について問われた湯原と山下は、半年ほど前に佐竹恭平がプロジェクトから抜けたことを話す。室伏と関根が雑賀のアパートへ行くと航空自衛官たちが現れ、フォローに回るよう指示した。雑賀はアパートを爆破し、立ちはだかる関根を包丁で刺した。しかし逃げ切れないと判断した彼は道路へ飛び出し、トラックにはねられて死んだ。彼の持っていたコントローラーが新陽に届くが、バラバラに壊れていた。湯原は息子の顔を思い浮かべ、修理に取り掛かる。赤嶺は恋人の三島に電話を掛け、留守電に「フランクフルトに着きました」と嘘のメッセージを残す…。

監督は堤幸彦、原作は東野圭吾『天空の蜂』(講談社文庫)、脚本は楠野一郎、製作総指揮は迫本淳一、製作は大角正&木下直哉&古川公平&坂本健&宮本直人、エグゼクティブ・プロデューサーは武田功、企画・プロデュースは吉田繁暁、プロデューサーは福島大輔&市山竜次、VFXスーパーバイザーは野崎宏二、監督補は多胡由章、撮影は唐沢悟、照明は木村匡博、録音は田中靖志、美術は相馬直樹、編集は伊藤伸行、音楽プロデューサーは茂木英興、音楽はRichard Pryn。
主題歌は秦基博「Q&A」作詞:秦基博、作曲:秦基博。
出演は江口洋介、本木雅弘、仲間由紀恵、綾野剛、柄本明、國村隼、竹中直人、石橋蓮司、向井理、光石研、佐藤二朗、カゴシマジロー、やべきょうすけ、永瀬匡、松田悟志、石橋けい、手塚とおる、落合モトキ、松島花、田口翔大、池澤巧貢、木村聖哉、前川泰之、森岡豊、山口いづみ、半海一晃、藤井尚之、林田麻里、岡田浩暉、野添義弘、小倉淳、吉永秀平、小山田将、下園愛弓、六本木康弘、菅原健志、多田木亮佑、伊藤みづめ、大須賀隼人、橋本まつり、大和田健介、稲垣雅之、竹森千人、山田百貴、竹中友紀子、広山詞葉、佐藤真子、藤田秀世、内村遥、小野孝弘、森谷ふみ、福井晋、安田裕、渡辺慎一郎、外川燎、竹野谷岳ら。


東野圭吾の同名小説を基にした作品。
監督は『トリック劇場版 ラストステージ』『エイトレンジャー2』の堤幸彦。
脚本は『ケンとメリー 雨あがりの夜空に』を手掛けた放送作家の楠野一郎。
湯原を江口洋介、三島を本木雅弘、淳子を仲間由紀恵、雑賀を綾野剛、室伏を柄本明、中塚を國村隼、芦田を竹中直人、筒井を石橋蓮司、成人した高彦を向井理、佐久間を光石研、今枝を佐藤二朗、山下をカゴシマジロー、根上をやべきょうすけ、上条を永瀬匡、植草を松田悟志、篤子を石橋けいが演じている。

どう考えたってリアリティーを重視すべき作品のはずなのに、荒唐無稽のオンパレードとなっているため、本来は生じるべき緊迫感が著しく減退している。
何から何まで全て、実際に有り得るモノとして描けというわけではない。科学考証として不正確な部分があったとしても、「だからダメ」とは断言できない。
重要なのは、「この映画におけるリアリティーの枠内に入っているかどうか」である。
そして本作品は、そこで失敗していると感じるのだ。

その日の小牧工場は大事な納入式典があり、防衛庁の管轄なのでビッグBの開発者である湯原でもIDが無いと入れないようになっている。
ところが、ただのガキンチョである高彦と恵太は簡単に格納庫へ入ることが出来て、簡単にビッグBヘ乗り込んでいる。
自衛隊が使う新型ヘリなのに、どんだけ杜撰な管理なのかと。警備担当者もいなければ、警備システムも無いのだ。
ド素人のガキでも簡単に乗り込むことが出来るんだから、そりゃあ犯人は遠隔操作できるだろうよ。

犯人がビッグBを遠隔操作できるってことは、こっち側から遠隔操作することも出来るはずだ。
ところが、そのことを今枝が指摘すると、「犯人がどこを改造したか分からないから無理」「コクピット内部の様子が分からないと無理」という説明が入る。
そもそも「外部の人間が簡単に遠隔操作できるヘリ」という時点でビッグBはポンコツ決定なのだが、おまけに「外部から遠隔操作されたら、お手上げ状態になってしまう」というシロモノなのだ。
湯原も防衛庁も、ボンクラ揃いなのかよ。

高彦は「突如としてビッグBが離陸しようとする」という大ピンチに見舞われた時、恵太を湯原に放り投げて助けるという冷静で理知的な判断&行動を見せる。
まるで想定していなかったトラブルなのに、焦ったり泣き喚いたりすることも無い。
ところが無線で「操縦席の赤いランプ下のボタンを押して返事をして下さい」と呼び掛けられた時は、ものすごく怯えた様子を見せる。そしてボタンを押して警告音が鳴り響くと、パニック状態に陥る。
その場に応じて、中の人がコロコロと変わっているようにしか思えない。

高彦は父親のモールス信号に気付き、すぐに返事を送る。質問を受けると、必要な情報を最低限の文字数で伝える。救助ヘリのワイヤーがクレーンに引っ掛かると、命懸けで取り外す。受け取ったメモに従い、適切にクレーンを操作する。
小便を漏らすほど怯えている様子は描かれているが、ものすごく冷静に行動している。
ちなみに高彦の救助作戦が展開されるシーンは、その全てを生中継のTVキャスターが実況する。
そうやって言葉でベラベラと説明してしまうことによって、せっかくのスリリングなドラマを邪魔している。

篤子は湯原との夫婦関係が破綻している設定だが、それにしても過剰にヒステリックな態度が目立つ。
わざわざ新陽まで出向いて、「息子を助けなかった」と湯原を非難するんだから、すんげえ疎ましい。
全てが解決したら「良かったね」と思えなきゃマズいのに、彼女への不快感は残ってしまう。
新陽まで出向くシーンでは「高彦がモールス信号を学んでいた」ってことを湯原に教える役割を果たしているが、それはそれで「駒として動かされています、段取りに操られています」っての不恰好な形で露呈しちゃってるし。

犯人の声明を知った中塚が避難させるべきだと考えた時、筒井は「原発の安全性を自ら否定することになる」と反対する。
だけど、大量の爆発物を積んだヘリが墜落するかもしれない状況なんだから、原発じゃなくても避難させるべきじゃないのかと。そんなヘリが墜落したら、運転員が残っていても何もすることは無いでしょ。っていうか、たぶん死ぬでしょ。
あと、そんなことは炉燃理事長や所長だけの判断で決定できる問題じゃないでしょ。政府が関与すべき問題でしょ。重大なテロ事件なのに、首相や大臣が1人も出て来ないのは不自然でしょ。
政府による会議が行われている様子も描かれないし。そういうのを全て排除したことで、安っぽく見えちゃうよ。

1995年という時代設定にしていることの意味が、果たしてあるのだろうか。
「村山内閣の時代」ってことに意味があるはずだけど、映画を見ていても1995年である必要性が良く分からない。
むしろ、そういう時代設定にしたせいで、三島の息子に関する設定に不自然さが生じてないか。
三島の息子は「父親が原発設計者だから」という理由でイジメを受けて自殺した設定だけど、まだ1995年という時代には、原発に反対する声は少なかったんじゃないかと。
だから、それがイジメの理由になるってのは、ちょっと無理を感じるんだよなあ。

室伏と関根は雑賀のアパートを突き止めると、応援要請もしないまま2人で乗り込もうとする。
しかも相手は原子炉を破壊しようとするテロリストだと分かっているのに、防弾チョッキを着用することも無く普段着のままだ。
航空自衛官の連中にしても、そういうのが専門じゃないから仕方がないかもしれんが、かなり不用意な形でドアに近付いて爆発に巻き込まれる。関根は出て来た雑賀にビビったせいで、腹を刺される。
それでも必死で追い掛けるのだが、なぜか撃たずに手錠を掛ける。どういう神経なんだよ。

なぜ「ビッグBを撃墜しよう」という意見が誰の口からも出て来ないのか、それは大いに疑問が残る。
「大量の爆発物を積んでいる」という設定によって(終盤に入り、それは犯人の嘘だったことが判明するが)、その選択肢を排除しているつもりなのかもしれない。
だけど原子炉建物の強度やビッグBの高度を考えた時、爆発物を積んでいるからといって撃墜の選択肢を外すのは変じゃないかと。
戦闘機が空中で爆破すれば、原子炉は大丈夫じゃないかと。

三島がテロに関与していることが明かされた後、彼が雑賀と知り合って計画を進める様子が回想シーンとして挿入される。
そういう回想を挟むことによって、「三島と雑賀の関係」や「どういう形で今までの計画が進められていたか」を説明しようとしているわけだ。
それは一見すると、とても観客に対して親切な配慮のように思えるかもしれない。
だが、安っぽい印象が強くなるだけであり、プラスの効果は全く発揮されていない。そんなのはバッサリと排除しても、あまり支障は無かったんじゃないかと。
ぶっちゃけ、この映画で「どこで三島と雑賀が知り合ったか」「どういう形で三島が作戦に関わっていたか」ってのは、そんなに重要じゃないのよね。

状況を考えない会話でテーマやメッセージを伝えようとしたり、物語を進めるための説明を入れようとしたりするのは、邦画に良くあるダメなパターンだ。
そして本作品の登場人物の大半は、TPOを無視してベラベラと喋りたがる連中だ。
原発の是非を巡る主張について喋るシーンもあるが、一刻を争う状況なんだから、今はイデオロギーについて論争したり弁舌したりしている場合じゃないでしょ。
目の前にある危機に対して、全力で取り組めよ。

原発が危険か否か、必要か否かとか、そんなことは「犯人が巨大ヘリを原子炉へ墜落させようとしている」という状況では、何の意味も無い問題だ。そんな不毛な会話劇をグダグダとやっちゃうもんだから、せっかくタイムリミットが設定されているのに、それによる緊迫感が高まらない。
あと「新陽の停止を待っているだけ」という状況ではあっても、湯原と三島が屋上で会話を交わしているのは「置かれている状況を考えようぜ」と言いたくなる。
「篤子の出産を三島が助けてくれた」とか、「湯原が立ち会わずに出張していたのは父親になることから逃げていたのだ」とか、そんなことを喋っている場合なのかと。
まだ事件は何も解決されていないのに、すっかり緊張感に欠けた奴らにしか思えない。

終盤、高彦は「ビッグBの操縦席にケーブルが繋がっていた」と湯原に教え、コントローラーを使って操縦できることに気付かせる。救助されてから消えている時間が長かった高彦だが、そこに来て再び「出来すぎる少年」としての存在感を発揮する。
で、息子の言葉を受けた湯原は「コントローラーで操縦するにはビッグBに近付く必要がある」ってことで、自衛隊のヘリで出動する。
いやいや、そんな仕事を、なんで湯原が担当すんのよ。
ヘリから手を伸ばしてコントローラーを近付けるだけなんだから、専門的な知識が要るわけでもないでしょ。そういうのは自衛隊の人間に任せればいいんじゃないのか。

原発の開発や稼働に関わっている関係者、原発反対を訴える団体、高速増殖炉の近隣に住む住民、白血病で死んだ男の母親など、様々な立場の人物を登場させて、「原子力発電所に関する意見」を語らせている。
当然のことながら、そこには原発に対する問題提起をしようという意識が感じられる。
ただし、原発の是非に関して映画として「こうすべきだ」という明確な主張は用意せず、「みんなで考えよう」という形にしてある。
原発に対して賛成か反対かを明確にアピールしてしまうと、色々と難しい問題も出て来るだろう。なので、全てを観客に委ねるのは、別に構わない。

ただ、そもそも「原発論」という社会派な色を出そうとしたこと自体、失敗しているんじゃないか。
何しろ主人公の湯原が原発に関して何の考えも持っちゃいないので、幾ら三島が熱く訴えて論争を仕掛けても、論点がボケちゃうのよね。
しかも、湯原が何の意見も持っていないことに対して無自覚なまま、「家族の大切さを教えてもらった」というポイントのズレまくった答えに辿り着いてしまうのだ。
それだと、論争が成立しないのよ。

(観賞日:2017年1月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会