『転校生 -さよなら あなた-』:2007、日本

中学3年生の斉藤一夫は両親の離婚をきっかけに、尾道から長野へ引っ越すことになった。長野は一夫が幼稚園まで過ごした場所だ。彼は 母の直子と共に、電車で長野へ向かっている。手にしている携帯電話には、父から貰った小さなピアノのストラップが付いている。一夫は 長野市立善光寺北中学校の3年D組に編入し、担任教師・大野光子がクラスメイトに紹介した。すると幼馴染の斉藤一美が立ち上がり、 「一夫ちゃん?」と口にした。彼女は嬉しそうに、「私と一緒に寝ててオネショした一夫ちゃんでしょ」と言う。
一夫は光子に「良かったじゃない、友達がいて」と言われ、「違います」と強く否定した。すると一美は、「違うわけないわ。大きく なったらあんたのお嫁さんになるって、キスしてあげたじゃない」と抗議する。一夫は「違うったら違う」と、さらに強く否定した。一美 は休み時間、恋人でクスラス委員の山本弘にキスのことを訊かれ、「子供同士の挨拶みたいなもの。ファーストキスは弘君とよ。あれから してくんないね、キス」と、あっけらかんとした態度で言う。
一美は弘に、一夫がオネショした時のことを詳しく話す。そこへ一夫が現れ、「いいかげんにしろ」と怒鳴った。弘は「一美君は時々、 自分の空想の物語の中に入ってしまう癖がある。だから今日のことは、現実的には、それに惑わされない方がいい」と彼に声を掛けた。 そのキザな振る舞いに、一夫は顔をしかめた。下校時間、一美が一夫に話し掛けた。一夫が反発していると、彼女は「私に逆らえる立場? あの秘密、誰にも喋ってないのよ。アンタが私のお婆ちゃんを殺したこと」と含み笑いを浮かべる。幼い頃、一夫は一美の祖母・フキの口 にハエが入っているのを発見し、殺虫剤を噴射した。そのせいでフキが死んだのだと、一美は言いたいのだ。
一美は強引に、一夫を実家の蕎麦屋「大丸」へ連れて行く。一美は祖母・孝之助、父・孝造、母・千恵、幼い姪・一子と一緒に暮らして いる。一美の兄・孝一が妻を亡くした後、実家で娘を預かっているのだ。孝之助は一美に、一夫を蕎麦に使っている“さびしらの水場”へ 案内してやったらどうかと提案した。水場に到着すると、一美は「覚えてない?昔、お爺ちゃんに連れられて何度も来たのに」と言う。 彼女が柄杓で水を掬い、一夫が飲もうとするが、バランスを崩して同時に水の中に落下してしまった。
一美と一夫は、慌てて水場から這い上がった。その時、2人の中身が入れ替わっていた。つまり一美の姿をした一夫(仮に一夫’とする) 、一夫の姿をした一美(仮に一美’とする)という状態になってしまったのだ。しかし2人は入れ替わりに気付かず、そのまま帰宅した。 引っ越し先である潰れた居酒屋へ戻った一夫’は鏡を見て、自分の姿が一美になっていることに気付いた。慌てて直子の元へ行くが、 もちろん一美だと思われてしまう。「一夫はどこなの」と責めるように言われ、一夫’は自転車で飛び出した。
一方、蕎麦屋に戻った一美’は、家族の前で泣いていた。そこへ一夫’が飛び込み、ぶっきらぼうな言葉遣いをするので、家族は困惑した 。一夫’と一美’は、慌てて蕎麦屋を飛び出した。一夫’は一美’に「とにかく、今日のところはだ、俺がお前をやって、お前が俺をやる しかねえよ。俺たちもう子供じゃねえんだ。ともかく、この夢だか現実だかを、ちゃんと考えてみよう」と述べ、家へ連れて行く。そこへ 直子が出て来たので、一夫’は「俺が一夫で、こいつが一美」と説明するが、全く信じてもらえなかった。
一夫’は直子に「とにかく帰りなさい」と追い返され、仕方なく蕎麦屋へ戻った。一方、一美’は尿意を催してトイレに入るが、そこから 出て来ると動揺した様子で蕎麦屋に電話を掛けた。一夫’が電話に出たので、一美’は「おしっこした後、紙で拭いたら、アソコの形が 変わっちゃって」と説明する。一夫’は「紙なんか使うなよ」と呆れたように言った後、「携帯のストラップをしまっといてくれ。親父 からの贈り物なんだ」と頼んだ。弘から電話が掛かって来た時、一夫’は変な口調になってしまい、不審に思われた。
翌朝、一夫’が着替えていると、一美’が窓から入って来た。一美’が着替えを手伝っていると千恵が現れ、驚いて「何してんの」と非難 した。一夫’が「いいじゃねえか、急に女になった俺のことを心配して来てくれたんだ。そう怒ることはねえよ」と言うと、彼女は「何 なの、その口の利き方」とビンタを浴びせた。「何すんだよ」と一夫’が殴り掛かろうとするので、一美’が慌てて制止した。
一美’は学校へ行く途中、「自殺したくなっちゃった」と漏らす。一夫’は「バカなこと言うなよ。お前の体はオレのもんなんだからな」 と告げる。音楽の時間、光子は「ピアノ演奏を楽しみましょう。斉藤一夫君は尾道の学校でピアノの名手でした」と紹介し、演奏するよう 促した。しかし、もちろん一夫の中身は一美なので、まるで演奏できない。困っていると、一夫’は「何やってんだよ。何でもいいから 弾いちまえよ、バカ」と怒鳴る。一美’は「私にピアノなんか弾けるわけがないじゃないのよ」と言い返し、教室を飛び出した。
一夫’は慌てて「死ぬんじゃねえぞ」と言い、一美’を追い掛けた。2人が屋根の上にいると、光子が追い掛けて来た。「死ぬなって 怒鳴ってみたいだけど、どういうことなの」と問われ、一美’は泣き出した。2人が外で話していると、虫取り網を持った大学生が近付き 、「いいプロポーションしてるねえ」と言って一美’を連れて行こうとする。止めようとした一美’は、股間を蹴られた。一夫’は大学生 の股間を蹴り上げ、一美’を連れて走り去った。
その大学生・今田正平は、教育長・今田正助の息子だった。今田は「息子のアソコが内出血になっとる」と、中学校へ怒鳴り込んでくる。 直子と千恵は、学校に呼び出される。しかし今田は双方の母からも一美’からも責め立てられ、憤慨しながら立ち去った。携帯が復活した 一美に、弘から心配するメールが届いた。一夫’からメールを見せられた一美’は、弘に「私が弘君のことを大切に思っていることだけは 忘れないでいて欲しい」と返信を打った。
千恵は一夫’に、「しばらく一夫君と会わないように」と釘を刺した。一夫’は孝造から、「蕎麦を打ってみるか」と持ち掛けられる。彼 は「うどんと同じだよね」と言い、蕎麦の上に乗って踏み始めた。孝造は頭を抱え、孝之助は寝込んだ。その夜、孝一が帰郷した。一美の 様子がおかしいという千恵からの電話があったからだ。蕎麦の一件を知らされた彼は、一夫’に「お前は女蕎麦職人のパイオニアになれる かもしれないぞ。そのためには足でも何でも蕎麦を打て」と笑って告げた。
一夫’は千恵から生理のことを告げられ、激しく狼狽した。一夫’から電話で相談された一美’は、「移動教室で詳しく教える」と言う。 移動教室とは、クラス単位で一泊旅行する秋の行事であり、今回は温泉へ行くことになっていた。温泉で気分が悪くなった一夫’は、 一美’にもたれかかった。そこへ弘が現れて一夫’を抱き上げ、一美’には先生を呼びに行くよう命じた。一夫’を光子に任せた弘は、 一美’を呼び出して2人きりになった。
弘は一夫の姿をしている一美’を「一美」と呼び、「君は一美だ。現実的に。君と斉藤一夫君は、何かのきっかけで心と体が入れ替わって しまった」と指摘した。「なぜそう考えたの」と質問に、弘は「愛だよ。現実的には有り得なくても、愛の哲学としてなら、この現象は 理解できる。一美が男の子の体をしているのなら、僕はそれを受け入れようと思う。僕は君の魂を愛しているのだから」と言う。
弘に抱き締められた一美’は、「どうして私の心の中が見えるの。弘君が愛しているのは弘君自身の心。私のじゃない。そうだとしても、 それは弘君の理想の私。それはやっぱり、この一美じゃない。私、哲学なんかじゃないもの」と語った。移動教室から戻って以来、一夫’ は学校を欠席するようになった。一美’は見舞いに行くが、千恵に追い返された。一美’は弘に相談し、自分の体を心配する。そこで弘は 彼女のため、一夫’の見舞いに赴いた。
一夫’が近くの病院で診察を受けると、医師の川原敬子は「ウチでは手に負えないので、長野市民病院を紹介します」と言う。市民病院の 医師・水谷吾郎は診察後、千恵と孝造に「珍しい病気で、市民病院でも記録がありません」と話す。そこへ現れた院長は今田だった。彼は 千恵たちに、「現代の医学では治療方法が無く、余命は2ヶ月か3ヶ月です」と宣告した。そのことを知った弘は、一美’に報告した。 そして彼は、「一美の体が死ぬと言うことは、理論としては、中にいる一夫君も死ぬってことだ」と告げる。
一美’は千恵たちから面会が許可されないため、仕方なく病室の外から一夫’の様子を窺った。それに気付いた今田は嫌がる千恵を説得し 、一美’を病室に入れる。一美’は一夫’のために、直子を病室へ連れて来ようと考える。だが、直子は見舞いに行くことを嫌がった。 一美’は直子から、一夫が尾道で交際していた恋人・吉野アケミが遊びに来ることを知らされる。そこで一美’はアケミにメールで全ての 事情を説明し、見舞いに行くよう頼んだ。アケミに付き添う形で、直子も渋々ながら病室を訪れた…。

監督は大林宣彦、原作は山中恒『おれがあいつで あいつがおれで』(角川文庫刊)、脚本ベーシック・プランは大林千茱萸&山内健嗣、 脚本は剣持亘&内藤忠司&石森史郎&南柱根&大林宣彦、潤色・撮影台本は大林宣彦、製作は黒井和男、プロデューサーは鍋島壽夫 (角川映画)&大林恭子(PSC)、撮影監督は加藤雄大、美術は竹内公一、照明は西表灯光、録音は内田誠、編集は大林宣彦、 音楽は山下康介&學草太郎、音楽プロデューサーは加藤明代、劇中〈さよならの歌〉ピアノ演奏は高橋多佳子、 主題歌〈さよならの歌〉コーディネーターは大林千茱萸、主題曲〈転校生〜愛のテーマ〉作・編曲は山下康介、 主題歌〈さよならの歌〉詞・曲・唄・ピアノ演奏は寺尾紗穂。
出演は蓮佛美沙子、森田直幸、清水美砂、長門裕之、厚木拓郎、寺島咲、古手川祐子、犬塚弘、石田ひかり、田口トモロヲ、斉藤健一、 窪塚俊介、宍戸錠、山田辰夫、入江若葉、根岸季衣、中原丈雄、細山田隆人、高橋かおり、勝野雅奈恵、小形雄二、林優枝、吉行由実、 小林かおり、原舞歌、関戸優希、高木古都、金岡翼、内藤忠司、飯泉拓人、飯島美歩、伊東真希、井原大輔、上原拓磨、大久保文登、 太田将平、大野めぐみ、金井理恵、北村美織、高地遥子、小林里希子、小林由花梨、小林茉里奈、小森美里、小柳綾、鈴木健人、高橋純樹 、高橋紗也加、高山みどり、田村みな美、常見正大、土居麻陽、徳竹野原、中沢亮太、長野沙紀、成田香南子、西澤侑季、西山由香里、 羽生田聡美、原田さおり、平林和憲、広田悠、村上慎、村山仁美、室賀玲央、柳澤佑子、山岸舞、山田滝音、山田直樹、山本早希子、 渡邊優里奈、和田聖美ら。


1982年に公開された大林宣彦監督の作品『転校生』をセルフリメイクした作品。
大林宣彦は監督、潤色、撮影台本、さらに山下康介と共同で音楽も手掛けている(「學草太郎」は彼の別名義)。
一美を演じる蓮佛美沙子は、これが映画初主演。一夫を森田直幸、直子を清水美砂 、今田を長門裕之、弘を厚木拓郎、アケミを寺島咲、千恵を古手川祐子、孝之助を犬塚弘、光子を石田ひかり、孝造を田口トモロヲ、孝一 を窪塚俊介、フキを入江若葉が演じている。
正平を演じている「斉藤健一」は、お笑い芸人であるヒロシの本名だ。

一夫はいかにも生意気盛りといった話し方だし、ぶっきらぼうだから、活発でアウトドア派の少年なのかと思ったら、トイレで本を読む癖 があったり、クラシック番組を毎週見ていたり、ピアノを演奏したりするというキャラ設定になっている。
なんかキャラのイメージが良く分からない。
正直、ピアノを演奏できるという設定は、「一夫’がピアノを演奏しながら主題歌『さよならの歌』を歌う」という劇中の シーンを描きたいために、強引に用意したモノとしか思えない。

冒頭から、ずっと斜めの構図ばかりを使っているのが気になる。電車のシーンも、転校して教室のシーンも、ずっと斜めの構図。
通常、斜めの構図というのは、観客の不安を煽るようなケースで使われるものだという印象がある。しかし本作品の場合、そういう狙いで 使っているとは思えない。実際、電車のシーンは母子の穏やかな会話だし、転校のシーンも普通に挨拶するだけだ。そこに不安の要素は 微塵も感じられない。
どういう意図で斜めの構図を多用しているのか、理解に苦しむ。
不安を煽るような構図なのに、劇中では全く不安と無縁な出来事が描かれているし、なんか気持ち悪くなってしまったぞ。ちょっと 酔いそうになってしまった。

大林監督の特色は「ノスタルジー」と「ファンタジー」にあるという風に、私は思っている。
大林作品は全て、この2つの要素を含有している。
過去の時代設定じゃなくても、その時代を生きた人間が観客じゃなくても、なぜかノスタルジーを感じさせるテイストに、大林監督は作品 を仕上げる。
また、超常現象や神秘的な題材を扱っているか否かに関わらず、大林作品はファンタジーに満ち溢れている。

この映画の時代は、現代という設定だ。しかし、どこかノスタルジックな雰囲気がある。
登場人物は携帯電話を所有しているが、その一方、一美や弘の私服は着物だ。
また、弘は一美にキェルケゴールの『死に至る病』を差し出して「一美くんはもっと高度な本を読んだ方がいいからね。世界と神、現実と 理想、信と知との絶対的対立のうちに、人生の深い意味が見られるのだ」などという、とてもキザっぽい言い回しをする。
とてもじゃないが、現代の日本をリアルに生きている少年とは思えない。
漫画チックなキャラとして受け止めるにしても、随分と古臭いキャラのイメージだ。
そういう意味では、ノスタルジーだけでなく、ファンタジーも存在している。

一夫’は千恵からフキの仏壇に挨拶するよう言われた際、両手を擦り合わせて「なんまんだーぶ、なんまんだーぶ、アーメンソーメン、 冷麺タンメン、海砂利水魚のフウライバツくうらいバつ、キェルケゴールのケロケロケロケロ」と唱える。
そういうのもイマドキではない。やはりノスタルジーってことなんだろう。
一夫’をビンタした後で千恵が失神するとか、一夫’に間違えてビンタされた光子が失神するとか、そういう表現も、ある意味では ノスタルジック。
「いつの時代の映画なんだよ」と。
1980年代に作られたアイドル映画やプログラム・ピクチャーのようだ。もしくは月曜ドラマランドの世界だ。

この映画では「ぶつかった弾みで体の中身が入れ替わる」という特異な現象が生じているが、それを抜きにしても、ファンタジー色が強い 。
例えば一夫が転校してくるシーン、黒板にはの真ん中にはデカデカと相合傘が描かれ、一美と弘の名前が記されている。
その隣には「ロートレックのクリームソーダが飲みたいな」という落書きもある。
だが、光子はそれを知っているはずなのに、平然と一夫の紹介を始める。落書きを消そうという気配はゼロ。
それは「普通の世界観ではない」ということなんだろう。

また、一美と弘の相合傘を誰が書いたのかは知らないが、それは「2人の関係をからかう」という意味で書かれているもののはずだ。だと すれば、一美と弘は、それを嫌がって消そうとするのが筋ではないか。
双方がそういうことを全く嫌がらず、クラス全員が認めている関係だとすれば、相合傘を書く意味が無いから、その落書きは不可解だ。
それと、相合傘に一美の名前があったら、一夫は少しぐらい気にするものじゃないのか。
その辺り、「独特の世界観だから」ということなんだろう。

2人が入れ替わった後、クラスメイトの前でも一夫’は女言葉で喋るし、一美’は男言葉で喋るのだから、普通ならもっと奇妙に思われる だろうし(今までと全く態度や口調が違うんだから)、一夫’に関しては間違いなく「オカマ」とか「オネエ」的な扱われ方をするだろう 。
でも、みんな軽く笑ったりするだけで、その手の扱いはしないし、イジメの対象にもならない。
まさにファンタジーである。

一美と一夫が水場から這い上がった後、一夫の「頭がボーッとしたまま、何だか分からないまま家に帰った」というモノローグが入るが、 ものすごく不自然だ。
水に落ちて死にそうになったんだから、普通、お互いに大丈夫なのかと心配するだろ。顔を合わせて様子を確認するだろ。何か喋る だろ。そして、その時に異変に気付くはず。
「その場で気付かず、帰宅してから気付く」という状況を作りたかったのは分かるけど、そのために無理をしすぎている。不自然極まり ない。
それも「ファンタジー」ってことだろうか。

弘から強い愛を打ち明けられた一美’が「弘君が愛しているのは弘君自身の心。私のじゃない。そうだとしても、それは弘君の理想の私。 それはやっぱり、この一美じゃない。私、哲学なんかじゃないもの」と言うのは、まるでワケが分からない。
ついさっきまで、メールでも弘のことを思っているような文面を打っていたのに。中身が入れ替わったことを見抜いてしまうぐらい強く 思っていたことが分かったのに拒絶するって、どういう心情なんだろう。
そりゃあ弘は正直、ちょっと変な奴ではあるけど、そう悪い奴ではないんだし。

後半、一夫’(つまり一美の肉体)が難病だと判明する。この唐突すぎる展開には、唖然とさせられた。
しかも急に発症した病気は「記録の無い難病」と言われるだけで、病名は全く明らかにされない。
まさにファンタジーだ。
家族でもない弘が、なぜか一夫’が不治の病になったことを普通に知っているというのもファンタジー。
病気を告知されていないはずの一夫’が、一美’が見舞いに来た時には、もう自分が死ぬことを分かっている様子なのも、やはり ファンタジー。

メールで事情を告げられたアケミが、あっという間に入れ替わりを事実として受け入れ、実際に一美’を見て「見たら分かった。貴方は 一夫君じゃない」と言うのだが、その一方で、肉親である直子や千恵が全く入れ替わりに気付かない。
ちょっと腑に落ちないトコではあるが、それもファンタジーってことか。
まあ、「大人には分からないけど、子供には分かる」という差別化をしているのは、ある意味では「永遠の少年」である大林監督らしさ だとも感じるけどね。

性別が入れ替わったことによる戸惑い、不安、焦り、そういったドラマを消化できておらず、まだ散らばったままになっているのに、病気 を持ち込むことで、次の段階へと移ってしまう。
生と死を巡る話の中で、前述したドラマも上手く絡めて描写できていれば問題は無かったのかもしれないが、そっちは放置されている。
で、旅芸人一座という、これまた現代っぽさの薄い面々が絡んで来る展開になるのだが、ものすごく唐突で違和感たっぷり。

今回の作品は、やたらと「子供たちへメッセージを伝えよう」という意識が強く出ていて、それが押しつけがましく感じられて 疎ましい。
「25年昔の〈転校生〉の仲間たちと、未来に棲む子供たちへ。」というテロップが最初に出るので、その時点で嫌な予感はしていた。
映画の最後には、「人は誰も、生きてその物語を残す。人の命は限りがあるが、物語の命は永遠だろう。未来の子供たちよ、今も元気で 暮らしていますか?……」という文字も出る。
でも正直、「何が言いたいのか」という感想しか沸かない。

たぶん監督は命の大切さを訴えようとしているんだろうけど、上手く表現できているとは言い難い。孝一の妻が酒酔い運転の車にひかれて 死んでいるという設定も、全く活用されていないし。
あと、弘はともかく、アケミって完全に要らないキャラだよな。わざわざ登場した意味を全く感じない。
それと父から貰った小さなピアノのストラップは何か重要なアイテムとして使われるのかと思ったら、特に何も無い。
そうそう、大林監督と言えば脱がし屋として有名だが、今回の蓮佛美沙子にオッパイをさらすシーンは無い。
ただし、下着姿にはさせているし、森田直幸に乳を触られての手ブラシーンもある。
そこに関しては、さすが、さすが、さすがの猿飛だねえ。

(観賞日:2012年1月4日)

 

*ポンコツ映画愛護協会