『天国の駅 HEAVEN STATION』:1984、日本

昭和45年6月11日、東京小管拘置所。47歳の死刑囚・林葉かよは、真っ赤な口紅を丁寧に塗った。これから彼女の死刑が執行されるのだ。 かよは面会に訪れた神父から「何か言い残すことは?」と問われ、「私、きれいですか」と尋ねた。神父は、「ええ、きれいですよ」と 返答した。かよは処刑場に赴き、絞首刑になった。天国の駅へと、一人で旅立っていったのだ。
昭和30年春。かよは自宅で結城紬の織女をしていた。夫の栄三は傷痍軍人で、下半身麻痺となっていた。栄三の嫉妬心は凄まじく、巡査の 橋本が家の外にいるのを見ただけで、かよが浮気していると疑った。その時点では、かよと橋本には何の関係も無かった。ただし、橋本が 彼女に惹かれていたのは事実だった。後日、橋本は栄三の留守中に、かよの家を覗き込んだ。かよは作業の手を止め、自慰行為に励んで いた。橋本は家に上がり込んで「誰にも言いませんから」と告げ、かよの体を強引に奪った。
後に五十沢刑事の取り調べを受けた時、橋本は栄三の殺害を否定した。五十沢は、かよと橋本が結託して栄三を殺したと確信していた。 五十沢が、「かよは2人の男を殺している」と語った時、橋本は驚いた様子を示した。橋本は否定したが、かよと彼が栄三を殺したのは 事実だった。2人の不倫を知った橋本は、かよを折檻した。水を要求されたかよが台所へ行った時、外にいた橋本が無言で農薬を入れる よう促した。かよはコップの水に農薬を溶かし、栄三に飲ませて毒殺したのだ。
警察は栄三の死を脳内出血によるものとして処理し、かよと橋本が捕まることは無かった。しかし、警察を辞めた橋本がかよと親密に なったことで、近所では悪い噂が立つようになった。橋本はかよの金で、東京の大学へ通わせてもらった。やがて彼は戻ってくるが、幸子 という若い女が一緒だった。橋本はかよに、「噂を打ち消すために幸子と偽装結婚する」と釈明する。だが、かよは納得しなかった。橋本 は、幸子に対しては「かよは金づるだ」と説明する。しかし幸子は、橋本が自分の金を奪って騙したのだと気付いた。
かよが錦谷温泉郷へ向かう時、幸子は付いて行った。自殺するのではないかと心配したのだ。2人は意気投合し、共に錦谷で暮らすことを 決めた。それから1年後、かよは温泉街で土産物屋を営み、幸子は芸者として働いていた。そんなある日、かよの店に五十沢がやって来た。 彼は栄三の死に不審を抱いており、「パラチオンという農薬は、人も殺せる」と語った。
かよと幸子が岩場の温泉に入っていると、田川一雄が勝手に見張りを請け負った。彼は知恵遅れで、皆からはターボと呼ばれている。以前 は結城紬の染め屋で働いており、その頃から、優しくしてくれたかよに好意を寄せていた。そして、かよの結城紬を運ぶ内に温泉街に 住み着き、今はポンプ小屋で働いていた。そこへ大和閣の主人・福見康治が現れ、幸子に頼みがあると言い出した。旅館のポスターで、 モデルを務めてほしいというのだ。幸子は承諾し、彼女をモデルにした写真が撮影された。
福見はかよに惚れており、大和閣の中に土産物屋の支店を出して、結城紬の実演をするよう持ち掛けた。福見には精神病院に入院中の妻・ 辰江がいたが、彼女が錦谷に戻って来た。結城紬の実演をするかよを見つけた辰江は、いきなり襲い掛かった。駆け付けたターボが助けに 入るが、かよは怪我を負った。福見はかよに謝り、「妻は病院から二度と出さないから、大和閣に戻って欲しい」と頼んだ。幸子は反対 するが、かよは涙する福見に同情し、大和閣に戻ることを承知した。
橋本が幸子の前に現れた。幸子は口を滑らせ、かよも錦谷にいることを明かしてしまった。かよが大和閣にいると知り、橋本は乗り込んだ。 福見は橋本に手切れ金を渡し、二度と関わらないよう念書を書かせて追い払う。福見はかよに気持ちを打ち明け、「妻のことは何とかする」 と告げた。福見はターボに「かよは大和閣の女将になれば幸せだ」と説き、辰江の殺害を命じた。ターボは登山電車から辰江を突き落とし、 殺害した。かよは福見と結婚した。彼女は過去を告白しようとするが、福見は「何も聞かない」と拒絶した。
取調室で、五十沢は橋本に「幸子を殺しただろう」と詰め寄った。橋本は否定したが、再び錦谷温泉に戻ったことは認めた。登山電車で 橋本と会った幸子は、「約束が違う」と非難する。だが、橋本は何食わぬ顔で、「かよと会わなければいいんだろ」と言い放った。幸子は 、かよと自分の幸せを壊そうとする橋本を突き落とそうとして、誤って自分が転落死したのだった。
かよは幸子が橋本に殺されたと確信し、東京へ行こうと考える。だが、駅に着くと、天候不良で列車は運行していなかった。福見はかよを 駅から連れ戻し、「昔の事は忘れろ。無理ならオシになれ。ワシはお前の体があれば、それでいい」と告げた。かよが「まるで私は人形 なんですね」と言うと、福見は平然とした表情で「不服か?」と言葉を返した。
かよは前夫の殺害を打ち明け、自分を捨てるよう頼んだ。しかし福見は「ここにいれば俺は喋らない。お前は綺麗なオモチャだ」と告げ、 嫌がるかよを陵辱した。福見は部屋の外にいるターボに声を掛け、「一度だけかよを抱かせてやる」とそそのかした。だが、ターボがかよ に近付いた途端、福見は邪魔になったターボを絞め殺そうとする。ターボが抵抗したため、福見はかよに殺害を手伝うよう指示した。だが 、かよはターボを助けるため、福見を火箸で刺した…。

監督は出目昌伸、脚本は早坂暁、企画は岡田裕介&矢部恒&和田徹、撮影は飯村雅彦、編集は西東清明、録音は林鉱一、照明は小林芳雄、 美術は中村州志、擬斗は清水照夫、音楽プロデューサーは多賀英典、音楽監督は加藤和彦、音楽は矢野誠。
主題歌「夢さぐり−天国の駅−」作詞は来生えつ子、作曲は井上陽水、編曲は星勝、唄は吉永小百合。
出演は吉永小百合、西田敏行、三浦友和、丹波哲郎、津川雅彦、中村嘉葎雄、真行寺君枝、白石加代子、荒木経惟、中田博久、木田三千雄、 増田順司、武内亨、久遠利三、高月忠、掛田誠、河合絃司、相馬剛三、山本緑、津奈美里ん、白川絹子、加藤ひさ子、神谷智美、 谷本小代子、高野寛、福原圭一、大久保正信、五野上力、清水照夫、須賀良、村添豊徳、佐川二郎、山田光一、泉福之助、亀山達也、 岡幸次郎、城春樹、大島博樹、木村修、山浦栄ら。


1970年6月11日、東京の小菅刑務所で、小林カウという囚人の死刑が執行された。
戦後の日本における、女性の死刑執行第一号だった。
その小林カウをモデルにして作られたのが、この映画である。
かよを吉永小百合、ターボを西田敏行、橋本を三浦友和、五十沢を丹波哲郎、福見を津川雅彦、栄三を中村嘉葎雄、幸子を真行寺君枝、 辰江を白石加代子が演じている。

小林カウが起こした実際の事件について、簡単に記しておこう。
男好きのカウは若い巡査と深い仲になり、病気持ちだった夫を青酸カリで殺害した。
カウは巡査と同棲を始めるが、やがて巡査は年増のカウに嫌気が差して若い娘と結婚した。悔しさで荒れ狂ったカウだが、商売は上手く 行っていた。
カウは行商で訪れた温泉郷に移り住み、物産店を始めた。カウの店は繁盛し、食堂も開いた。
彼女の商売に対する野心は高まる一方で、旅館を所有したいと考え始めた。経営不振の旅館の主人は、妻への手切れ金を用意すれば後釜に 迎えるとカウに持ち掛けた。
カウは旅館の使用人に金と自分の体を約束し、妻を殺させた。
旅館が競売に掛けられると知ったカウは、使用人と協力して主人を殺害した。

そのように、小林カウは、男好きで野心に満ちた殺人犯だとされている。
また、彼女の顔写真を見たことがあるが、御世辞にも美しいとは言えない。
つまり「不細工で男好きのオバサンが、男を垂らし込んでは身勝手な理由で次々にブチ殺していた」ってのが実話なのだが、ヘドが出る ようなクソババアを吉永小百合に演じさせるはずもなく、大幅な脚色が加えられている。
カウとは異なり、かよは男に翻弄される可哀想な女というキャラクターに変更されている。男をくわえ込むのではなく、その魅力に男が 引き寄せられるという形になっている。栄三殺しは橋本に促され、ためらいながら薬を盛る形。
温泉街に舞台が移ってからも、かよが野心を抱いて行動するようなことは無く、彼女に惚れた福見が支店を出す話を持ち掛ける形になって いる。

ヒロインは、常に受け身になっている。
御丁寧なことに、全てにおいて「ヒロインは悪くない」という言い訳を用意している。
一人の夫は「虐げられたから毒を持った」、二人目の夫は「虐げられた上、ターボを殺そうとしたから刺殺した」という風に、いずれも ヒロインの殺人は情状酌量の余地がある形にしてある。
邪魔になったから殺しているわけではない。
辰江の殺害に至っては、かよは全く関与していないという設定だ。
だから犯罪者の役ではあるが、「吉永小百合が悪役を演じた」とは言い難い。
っていうか違う。
ただ、そこまで大幅に改変すると、死刑判決が下されるという展開にも無理が出てくるような気がしないでもないぞ。

かなり駆け足で、物語は進んでいく。
橋本とネンゴロになったかと思ったら、すぐに栄三の殺害シーンへと進む。
橋本が東京から幸子を連れ帰ったと思ったら、すぐに錦谷で女2人が働いている1年後へと移っていく。
とにかく慌ただしい。
ストーリー進行に手一杯で、かよの心情の細かい機微を丹念に描いているような余裕は全く無い。

で、そんなに時間的な余裕が無いのに、なぜ五十沢による橋本の取り調べシーンを、中途半端に挿入しているんだろうか。
序盤、橋本のナレーションで話が進行するので、まるで彼の回想のように思ってしまうが、しかし錦谷に舞台が移ると彼がいない時間帯も 多いので、そうではない。実際、錦谷に移ると、橋本のナレーションは無くなっている。
ようするに、そのナレーションは、取り調べで五十沢に答えているというモノだ。
その取り調べシーンさえ削除すれば丸く収まるのに、そんなに演説俳優タンバの演説を聞かせたかったのか。
錦谷に五十沢が来る展開があるが、そこを彼の初登場にすればいいでしょうに。
取り調べシーンは、事件の経緯や内容を説明するために使われているという部分もあるが、ザックリとだが、 今後の展開を先に明かしている形にもなっているし、何一つとしてメリットが見えない。
大体さ、最初に死刑執行の日が描かれ、そこから今までの経緯を説明する回想に入っていくのに、その中で 橋本の取り調べシーンが挿入され、橋本や五十沢の言葉から回想に入っていくという箇所を作ってしまうと、構成として、おかしくなって しまうでしょ。

橋本は栄三の殺害に関して、自分もヒロインも関与していないと言い張っており、取り調べの中で五十沢が 巧みな誘導尋問を行い、自白を引き出すという展開がある。
だったら、そこで取り調べシーンの意味があるんじゃないかと思われるかもしれない。
しかし序盤において、橋本が促して、かよが薬を盛るシーンが描写されている。
だから、自白があろうとなかろうと、観客は真実を知っている。
なので、そんな謎解きは要らないのだ。

ヒロインからは野心というギラギラしたモノが完全に取り払われているだけでなく、「愛のためなら殺人も厭わない」というキャラクター にさえなっていない。
情念の炎ってモノが、ちっとも燃え盛っていない。
そりゃあ、ヒロインが情念も野心も無く、ただ成り行きだけで人殺しになっただけの哀れな女という造形だからと言って、イコール 「つまらない」と限ったわけではない。
ただ、この映画に関しては、そのキャラ造形が原因でつまらなくなっていると言わざるを得ない。
ただし、じゃあ吉永小百合が情念に満ちた悪女を演じられたかというと、たぶん無理だっただろう。
とどのつまり、主演女優と企画がミスマッチだったってことよ。

吉永小百合の初めての汚れ役ということで、自慰シーンや複数の濡れ場が用意されている。
ただし、そこでの露出は全く無い。
両肩を出している入浴シーンが、最も露出度が高いという状態(終盤、ターボを抱き寄せる時には両肩が出ているけど)。
っていうか露出度云々の以前に、清純派からの脱却を目指すなら、10年遅かったんじゃないかな。
40歳間近になって「初の汚れ役」とか言われても、出し遅れの証文でしょ。
そりゃ「吉永小百合」という大きな看板が、それまで汚れ役を許さなかったという事情も分かるけどさ。

福見を殺してからのヒロインとターボの逃避行は、無駄に長い。
そんなところを引き伸ばしても、何も無いよ。
そこに来て引き伸ばしをするぐらいなら、前半の慌ただしい展開を何とかした方が良かったでしょうに。
あと、エンドロールで流れてくる主題歌は、吉永小百合に歌わせない方が賢明だったね。
吉永小百合って、御世辞にも歌は上手くないのでね。

(観賞日:2009年2月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会