『天外者(てんがらもん)』:2020、日本

1857年、長崎。五代才助は侍の集団に追われ、町を逃げ回っていた。才助は途中で伊藤利助とぶつかるが、そのまま逃走を続ける。利助が持っていた万華鏡は、ぶつかった弾みで落ちて壊れた。岩崎弥太郎は少しだけ才助と一緒に逃走し、刀を抜いて集団に挑もうとするが無視された。坂本龍馬は才助と合流し、一緒に逃げ始めた。才助と龍馬は、自分が先に逃げようと先を争った。
才助は自作した小さな蒸気船を川で走らせ、子供たちに見せた。橋の上にいた遊女のはるに気付いた彼は、身投げするつもりだと感じた。彼は慌てて止めるが、それは勘違いだった。はるは呆れた様子で怒鳴り付け、体に触りたければ店へ来いと告げた。龍馬は海軍伝習所へ足を運び、勝海舟と会った。龍馬は列強に立ち向かうため、海軍を持つ必要性があると訴えた。海舟は「そのために若い人材の育成が必要」と述べ、薩摩藩の島津斉彬から預かった才助に目を付けていることを明かす。才助は教官に「実際に航海させろ」と詰め寄り、他の藩士に制止されていた。海舟は龍馬に、才助に上申書には具体的な数字があったこと、貿易で金を稼いで船や貨幣製造機を購入する計画について記されていたことを教えた。
鹿児島城。斉彬は3年前に注文した鉄砲の引き渡しについて幕府から何の返事も無いため、蒸気船が手に入る日は遠いだろうと感じていた。斉彬が才助に任せる考えを口にすると、西郷吉之介は何の役職にも就いていない若者の抜擢に懸念を示す。斉彬は自分が大久保正助や吉之介を起用した時と同じだと告げ、焦らずに才助を大きく育てたいと語った。才助は追い掛けて来た利助から万華鏡の弁償を求められ、簡単に修理しただけでなく前よりも綺麗な模様が見られるように仕上げた。
才助は利助がイギリス留学を目指す長州藩の人間だと指摘し、具体的な根拠を挙げた。五代家では父の秀堯と兄の徳夫が囲碁を打ちながら、才助のことを語っていた。秀堯が「あいつの言うことは奇想天外。そんなそう思うとる」と渋い顔をすると、徳夫は「あんな弟を持って恥ずかしい限り」と告げた。十六年前、儒学者の秀堯が藩主の島津斉興から、地球儀を作るよう命じられた。しかし彼は地球儀が何なのかも分かっておらず、頭を抱えた。すると話を聞いていた才助は、翌朝までに地球儀を完成させた。母親のやすは、そんな息子を「天外者(てんがらもん)」と評した。
はるは店先の地面に文字を書き、仲間のきくたちに名前の書き方を教えていた。その様子を見た2人の男たちは、遊女に字など必要ないと言って馬鹿にする。はるは反発し、「遊女が字を覚えて何が悪い。夢ぐらい見たっていいだろ」と主張する。近くを通り掛かった才助は、そんな彼女の様子を眺めていた。男たちがはるに殴り掛かろうとすると、才助が駆け付けて制止した。男たちは腹を立てて刀を抜き、才助に襲い掛かった。才助は2人を撃退するが、巻き込まれたはるが左腕に切り傷を負った。才助は心配するが、追っ手が迫るとはるは逃げるよう促した。才助が逃げていると、龍馬が途中で合流した。2人は路地に追い詰められ、追っ手と戦う。龍馬は鉄砲を威嚇発砲し、一味を追い払った。
長崎の丸山遊郭。弥太郎が料亭の女将と金勘定について話していると、才助が店先から顔を覗かせた。怪しい奴だと感じた弥太郎は、龍馬が武器商人のトーマス・グラバーと会っている座敷へ連れて行く。龍馬に歓迎された才助は、グラバーに「この前の資料、役に立った」と礼を言う。オランダとの戦いに自信満々な態度を才助が見せると、グラバーは「井の中の蛙」と評し、龍馬と弥太郎は嘲笑した。才助ははるの元へ行き、傷を心配した。彼は出島で手に入れた本をはるに贈り、「お前の言う通りだ」と口にする。彼ははるに、皆が幸せになる世界を作りたいという希望を語った。
一年後。才助は斉彬の後任となった弟の久光に呼び出され、上海で蒸気船を買い付ける任務を命じられた。才助は彼に反感を抱く藩士たちに絡まれるが、吉之介が現れて仲裁した。才助は龍馬、弥太郎、利助と会食し、任務について話した。利助はイギリス留学の許しが出たことを明かすが、5人で合計5千両が必要だった。長州が戦に備えて武器を大量に購入する噂を龍馬が教えると、才助は「金は江戸藩邸にある」と告げた。
才助は料亭ではると会っている時、利助からの手紙を読んで喜んだ。才助が去った後、はるは女将から貧乏侍を泊めないよう注意された。後日、才助は料亭を訪ねて上海へ行くことをはるに話し、簪を贈った。彼ははるに、自由に生きられる国を作るので信じて待っているよう告げた。上海から戻った才助は、生麦事件の発生を知らされた。久光はイギリス艦隊が交渉のために横浜を出港したと聞き、家来に戦の準備を命じた。グラバーは本国から、日本を混乱に陥れるために武器を売れという指令を受けた。
天祐丸に乗っていた才助は捕まり、イギリスの戦艦に連行された。大砲を観察した彼は、圧倒的な戦力の差を痛感する。才助は指揮官との面会を要求し、武器庫の場所を教えると持ち掛けた。彼は隙を見て軍人の刀を奪い、指揮官の首筋に突き付けて威圧した。久光は家臣から、イギリス艦隊が引き下がったことを知らされた。はるは自分を身請けしようと考えているエルダーに会い、才助の助命を嘆願した。才助解放され、はるはエルダーに身請けされることを承諾した。
才助は自分を付け狙う森元や徳山たちの目を逃れ、丸山遊郭へ走った。料亭に着いた彼は、きくからはるが自分を助けてイギリスへ発ったことを知らされた。才助から「金のために夢も持てず犠牲になって、本当に幸せだと思うのか」と非難された女将は、冷たい口調で「何も持たずに生まれてきた者は、売れる物を売って生きるのが当たり前でございます」と述べた。「貴方は何を売れますか」と問われた才助は、何も反論できずに黙り込んだ。
才助はグラバー邸へ赴いて土下座し、イギリスへの渡航費を出してもらう約束を交わした。彼は英語で新たな上申書を執筆し、その内容にグラバーは感心した。はるを救えなかった無力感を吐露する才助は龍馬に励まされ、2人で日本を変えようと誓い合った。才助が帰郷すると、兄は恥知らずだと罵り、父が死んだことを伝えた。才助は母のやすに、「すべきことを、やっと見つけました」と語る。そこへ命を狙う5人の藩士が来て刀を抜くと、才助は髷を切り落として「これ以上、俺の邪魔をするな」と威圧した。
1865年、才助はイギリスへ渡り、龍馬は仲間たちと海援隊を結成して活動する。才助は産業革命についてイギリスで学び、その感動を龍馬への手紙に綴った。才助は日本へ戻る船内で手紙を読み、龍馬が殺されたことを知った。帰国した才助はグラバーの元を訪れ、はるが日本に戻っていることを知らされた。はるは重病を患って衰弱し、目も見えなくなっていた。才助ははるを背負い、海が見える場所へ出掛けた。はるは海の音を聴きながら感謝の言葉を述べ、息を引き取った。
1868年、大阪。明治政府が発足し、両替商は庶民から金を返すよう詰め寄られた。両替商は藩が潰れて貸した金を返してもらえなくなったと釈明するが、武家の娘である豊子は厳しく糾弾した。彼女が怒った両替商に突き飛ばされると、才助が助けに入った。彼は五代友厚と名を変え、明治政府の参与職外国事務掛になっていた。豊子から政府は武家を潰す気なのかと問われた友厚は、「いずれは」と答えた。彼の冷たい態度に腹を立てた豊子は、平手打ちを浴びせた。すると友厚は、「今後も路頭に迷う者が多く出る。しかし、その先には必ずみんなが夢を持てる国が待っていなければならない。私はそのため命を懸ける」と語った。
利助は伊藤博文、正助は大久保利通、吉之介は西郷隆盛と名前を変えて、明治政府の要職に就いていた。友厚が政府を辞めて民に下ることを知った彼らは、それぞれの道を進むことにした。友厚は3人の若者を雇い、「金の海外流出を止める」と宣言した。彼は日本中から小判と銀貨を集めるよう指示し、手段は選ぶなと告げた。彼は小判と銀貨を政府に売却し、財を成そうと考えていた。さらに友厚は利通に陳情し、日本で進められていたアメリカの鉄道事業とフランスの通信事業を却下してもらう…。

監督は田中光敏、脚本は小松江里子、製作総指揮は廣田稔、プロデューサーは近藤哲、共同プロデューサーは鈴木トシ子、アソシエイトプロデューサーは岡村隆史&中本敦士、撮影は山本浩太郎、美術は原田哲男、照明は香川一郎、録音は松本昇和、編集は川島章正、音楽は大谷幸。
出演は三浦春馬、三浦翔平、西川貴教、森永悠希、森川葵、生瀬勝久、蓮佛美沙子、榎木孝明、かたせ梨乃、筒井真理子、内田朝陽、迫田孝也、宅間孝行、丸山智己、徳重聡、ロバート・アンダーソン、ドン・ジョンソン、ク・チネリー、河原健二、六角慎司、田上晃吉、八木優希、仲野毅、池田勝志、美藤吉彦、増田広司、小澤明弘、西村諭士、北村友希、北川裕介、山田永二、野々村仁、堀田貴裕、奥深山新、大石昭弘、恒松勇輝、玉田玉秀斎、旭堂南鷹、佐渡山順久、吉井基師、梅林亮太、中村大輝、加藤千果、片山美南、沢暉蓮、橋知代、松島茶子、芝田璃子ら。


監督の田中光敏と脚本の小松江里子が、『利休にたずねよ』『サクラサク』『海難1890』に続いて4度目のタッグを組んだ作品。
友厚を三浦春馬、龍馬を三浦翔平、弥太郎を西川貴教、利助を森永悠希、はるを森川葵、秀堯を生瀬勝久、豊子を蓮佛美沙子、斉彬を榎木孝明、料亭の女将をかたせ梨乃、やすを筒井真理子、徳夫を内田朝陽、利通を迫田孝也、隆盛を宅間孝行、海舟を丸山智己、久光を徳重聡、グラバーをロバート・アンダーソン、イギリス艦隊の指揮官をドン・ジョンソンが演じている。

粗筋に書いたように、映画は才助(五代友厚)が逃げている様子から始まる。時系列を入れ替えて、そのシーンから始めているのだ。
でも、そこから始める意味なんて全く無い。
才助と龍馬が先を争う止め絵でタイトルが入るのだが、これだと「才助と龍馬の関係を描く作品」みたいに見えるし。
あと、才助が追われている理由は不明だし、逃走劇の途中で弥太郎が少しだけ絡んで来る理由は不明だし、龍馬は途中で合流したのに才助と同じ敵から逃げている理由は不明だし、色々と無駄な疑問が多すぎる。

才助が小さな船を浮かべる様子が描かれた直後、はるが登場して彼と関わる。
これだと、「才助の紹介シーン」が充分とは到底言えない。
その後には龍馬が海軍伝習所を訪れ、海舟が才助について語るシーンがある。だったら、ここで才助を初登場させた方がいいんじゃないかと思ってしまう。
でも、しばらく進むと、「初登場のタイミングは、そこでもないな」と感じさせられることになる。っていうか、根本的に全体の構成を間違えていると感じることになる。
それについては後述する。

斉彬のパートを少し挟んでから、冒頭シーンの直後の様子に切り替わる。
ここで利助が才助に万華鏡の弁償を要求するのだが、だったら分割せずに一連の流れで描いた方がいい。龍馬や弥太郎との絡みは、それとは逆で、分けてしまった方がいい。
あと、利助が万華鏡を修理した後にははると再会する様子が描かれるのだが、つまり冒頭シーンには嘘があるのだ。龍馬が合流する前に、利助ははると会っていたってことなのだ。
そういうことが明らかになると、ますます冒頭シーンについて「そこから始めるのは失敗だろ」と言いたくなる。

才助は利助から万華鏡の弁償を求められるシーンで、簡単に修理する才能や相手がどんな人物か見抜く優れた洞察力を披露する。とにかく彼の色んな才能をアピールしたかったのかもしれないが、これだけでも散漫だと感じる。
その後、急に父と兄の様子が挿入されるのだが、そのタイミングにしてある意図は不明。
また、そこから回想シーンに入るのだが、父と兄の会話の流れから、なぜ才助が幼少期から優れた才能を発揮していた出来事が回想されるのか理解不能だ。まるで繋がっていないでしょうに。
そもそも、そこで回想を入れるのは邪魔の上塗りだし。

才助がはるに本をプレゼントするシーンから一年後に飛ぶのは、構成として不格好。そして一年後に飛ぶと才助は久光に呼び出されているが、いつの間にか斉彬は死んでいるのだ。
だったら、斉彬なんて出さなくてもいいよ。
1時間ぐらい経過して久々に帰郷すると、既に父は死んでいる。つまり序盤の無意味な1シーンだけの登場で終わるわけだが、だったら全く出さない方がいいよ。
大久保利通や西郷隆盛にしても、まるで使いこなせていない。

龍馬にしても、その死は10秒に満たない回想シーンと泣いている才助たちの姿だけで簡単に片付けられている。マトモに死に様を描く主要キャラは、はるぐらいだ。
そのはるにしても、才助が久々に再会したら、その直後には死んでしまう。悲劇としての厚みはゼロだし、余韻も何もありゃしない。
時間に追われて、あらゆる出来事は簡単に処理されている。いや処理ではなく、未処理のままで放り出されていると言った方が正確かもしれない。
あとさ、才助の「誰でも自由に生きられる国を作る」というモチベーションの源が、全てはるにあるかのような描き方になっているけど、それはダメだろ。

才助が利助から留学の話を聞いて助言した後、シーンが切り替わると利助からの手紙を才助が読んでいる。才助が上海に行くことをはるに話した後、シーンが切り替わると上海から戻っている。
経緯の省略が過ぎるという問題もあるし、時間経過がサッパリ伝わらないという問題もある。
何度も書いているような気がするのだが、伝記映画で最も陥りやすい失敗のパターンってのが存在する。この映画も、そのパターンにハマっている。
それは全てを盛り込もうとして、生涯の表面を薄くなぞるだけになっているってことだ。

才助はイギリスの戦艦に連行された時、圧倒的な戦力差を痛感する。彼は勝ち目が無いと感じ、武器庫の場所を教える。
そこから巧みな交渉術を披露するのかと思いきや、さにあらず、なぜかイギリスの指揮官が簡単に手錠を外すと(この時点でデタラメだと感じるのだが)、才助は「今日の戦いはイギリスの勝ちに違いないが、明日は分からんぞ」と言い、強力な大砲があると嘘をつく。もちろん向こうは全く信じないが、「これで信じるか」と刀を奪って指揮官の首筋に突き付け、英語で脅しを掛ける。
それは上手い交渉でも何でもなくて、ただバカなだけだけ。はるが尽力しなけりゃ、殺されていてもおかしくないような愚行だぞ。
あと、なぜ才助が威圧したらイギリス艦隊が引き下がるのか、それはサッパリ分からんぞ。
まさか何の根拠も無いのに、才助の嘘を信じたわけでもあるまいに。

才助の物語に絞り込めばいいものを、龍馬や弥太郎、利助といった面々も大きく扱おうとする。手を広げ過ぎてピントがボヤけているように思える。
才助だけに目を向けても、どういう人物として描きたいのか、どういう部分を掘り下げようとしているのか、そういう方向性が全く定まっていない。
才助が龍馬や弥太郎や利助と知り合って仲良くなる過程も、ものすごく強引で無理がある。
あと才助が「異国狂い」と薩摩藩士から反感を浴びている状況も、その説明が全く出来ていない。

1時間ぐらい15分ぐらい経った辺りで豊子が登場し、友厚との出会いが描かれる。ぶっちゃけ、ここから話を始めてもいいぐらいだわ。
それぐらい、この映画は手を広げ過ぎてピントがボケボケになっているのよ。
「文明開化の波の中で、実業家として活躍した人物」としての五代友厚にフォーカスすれば良かったのよ。龍馬との関係なんて、どうでもいいわ。
どうせ五代友厚って倒幕までの出来事では重要な役回りを担っていないし、この映画でもその辺りはバッサリと省略されているんだし。

豊子は初登場シーンの後、次に出て来ると友厚の妻になっている。
いつの間に結婚したんだよ。いつの間にか2人の娘も生まれているけど、成長した状態で初登場するし。
才助とはるの関係描写に時間を割いている暇があったら、豊子との関係を厚くした方がいいでしょ。そこを適当に片付けてどうすんのよ。
その後には友厚の体調が悪化している様子も描かれるが、ここも雑だわ。そこまでも充分に雑ではあるが、時代が明治に移ってからの慌ただしさが半端ないわ。
明治から物語を始めれば、もう少し時間を掛けて丁寧に描けただろうに。

大坂商工会議所を発足させる出来事なんて、ものすごく重要なはずだ。でも、そこに向けた流れなんて皆無で、いきなり初代会頭就任式典のシーンだけを描いている。
だから、なぜ友厚が参加者全員から激しく糾弾されるのかも分かりにくい。
その前に「小判と銀貨を政府に売却して財を成す」と言っていたけど、その結果がどうなったのかも描かれていないし。
どうやら、それで財を成したことで恨みを買っている部分も大きいみたいだけど、そういうのが全く伝わらないのよね。

(観賞日:2022年6月3日)

 

*ポンコツ映画愛護協会