『帝都物語』:1988、日本

明治45年、東京。実業家の渋沢栄一は陰陽師の平井保昌に呼ばれ、彼の元へと向かった。平井は渋沢に対し、何者かが平将門の怨霊を目覚めさせ、帝都である東京を巨大な墓場にしようと企んでいることを語る。平井は東京を守るため、渋沢の進めている東京改造計画に自らの一族を加えて、霊的な改造をさせてほしいと告げる。
帝都の壊滅を企む魔人・加藤保憲は、将門の血を継ぐ辰宮由佳理を連れ去った。加藤は由佳理の体を利用して将門を復活させようとするが、平井の邪魔もあって失敗に終わる。加藤は由佳理を置き去りにして、姿を消してしまった。
明治天皇が崩御した直後、平井は自らの命を賭けて、帝都破壊が戌の年だという答えを得た。そこへ加藤が現れ、これから大連に渡ることを瀕死の平井に告げる。そして彼は平井の血を使い、帝都破壊が大正12年の9月1日だということを書き残す。
大正12年、由佳理の兄・辰宮洋一郎は、帝都の鬼門に聖獣の守護像を配置する。彼の親友・鳴滝純一は、理化学研究所の所長・大河内正敏と帝大の物理学教授・寺田寅彦から、東京で12日ごとに起きている小さな地震が人為的なものだと知らされる。
邪気を感じ取っていた風水師・黒田茂丸は、不思議な少女を目撃する。その少女・雪子は、加藤が由佳理に産ませた娘であった。雪子の異変を見た由佳理が予感した通り、加藤は東京に現れる。洋一郎と友人・幸田露伴が立ち向かうが、加藤に軽くあしらわれる。加藤は関東大震災を引き起こすが、将門は甦らなかった。
昭和2年、寺田は東京地下鉄道の早川徳次に声を掛けられる。2人は考現学の創始者・今和次郎の協力を得て、東京に地下鉄を開通させようとする。しかしトンネル工事が終盤に近付く中、鬼が出現して作業員を襲うという予想外の事態を迎える。
再び東京に現れた加藤は、洋一郎と将門神社の巫女である妻・恵子の目の前で雪子を誘拐する。加藤は追い掛けてきた恵子に対し、次の満月の夜に将門を甦らせると告げて立ち去った。一方、寺田と早川は理学博士・西村真琴に協力を要請し、彼が作り出した人造人間“学天則”を使ってトンネルを開通させようとする。
加藤と戦うことを決意した恵子は、洋一郎に別れを告げる。彼女は途中で黒田と合流し、加藤の元へと急ぐ。一方、寺田と早川、西村達は、鬼の待ち構えるトンネルへ学天則を突入させる。そして洋一郎と由佳理、幸田の3名は、将門が眠る首塚に向かう…。

監督は実相寺昭雄、原作は荒俣宏、脚本は林海象、製作は堤康二、企画は村井美登&宇田川和雄&花田良知、プロデューサーは飯泉征吉、エクゼクティブ・プロデューサーは一瀬隆重、ビジュアル・プロデューサーは久里耕介、ビジュアル・スーパーバイザーは大木淳吉、撮影は中堀正夫、編集は浦岡敬一、録音は瀬川徹夫、照明は午場賢二、音響アドバイザーは斯波重治、美術監督は木村威夫、特殊美術は池谷仙克、衣裳デザイナーは合田瀧秀、コンセプチュアル・デザイナーはH.R.ギーガー、特殊美術デザイナーは大澤哲三、スペシャル・メーキャップは原口智生、視覚効果は中野稔、特殊効果は菅野幸光、殺陣は宇仁貫三、コンテ作画は樋口真嗣、音楽監督は石井眞木、音楽プロデューサーは神保敏文。
出演は勝新太郎、嶋田久作、原田美枝子、石田純一、姿晴香、寺泉憲、平幹二朗、高橋幸治、西村晃、桂三枝、坂東玉三郎、中村嘉葎雄、宍戸錠、井川比佐志、佐野史郎、安永亜衣、山本清美、島田正吾、大滝秀治、寺田農、峰岸徹、いとうせいこう、中川比佐子、修健、日野利彦、長江英和、杉下なおみ、志水季里子、伊藤健一郎、大貫幸雄ら。


荒俣宏の原作を映画化した作品。
渋沢を勝新太郎、加藤を嶋田久作、恵子を原田美枝子、洋一郎を石田純一、平井を平幹二朗、黒田を桂三枝、泉鏡花を坂東玉三郎、森鴎外を中村嘉葎雄が演じている。また、西村真琴を彼の孫である西村晃が演じている。

レイ・ハリーハウゼンの全盛時のようなレトロ感覚のギクシャクしたSFXは、古臭さよりも、むしろ味わい深い雰囲気を醸し出している。
新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏による音楽も、なかなかイイ感じだ。
環境整備に関しては、それほど問題は無い。
しかし、この映画はシナリオが致命的なダメージとなっている。

とにかく最初から、ストーリーがあまりにも先を急ぎすぎている。
だから恐るべき悪役の加藤が登場するまでに、彼のスケール感や脅威を示すための「溜め」が無い。
登場キャラクター達も加藤について知らないのなら別に構わないが、彼らは加藤を知っていて恐れているので、観客だけが置いてけぼりを食らってしまう。

次々に人物が登場するが、それが誰で、どういった人物なのかということが非常に分かりづらい。
せっかく実在の著名人が多く登場しているのに、それが分かりづらいのは大きなマイナスだろう
いっそのこと、登場時に役名をテロップで表示すれば分かりやすかったのではないだろうか。
そうすれば、人物説明も省略できるし。

で、先を急いでいるくせに、余計なモノは詰め込んでしまう。
例えば、東京改造計画について各分野の権威が意見を述べ合う会議のシーンに、長々と時間を割いてしまう。その前のシーンで加藤が登場して最初の脅威を見せているのに、直後に会議のシーンを持ってきて、あっという間にテンションをガクンと落としてしまうのだ。
会議の後も、しばらくはテンションが下がったままで進んでいく。
ハッタリとコケ脅しで勝負するタイプの作品なのだから、勢いで最後まで引っ張らないとキツイのに、とにかく休んでいる場面が多い。
そんなに体力が無いのか、あるいは休むのが好きなのか。

やたらと停止してテンションを下げるものだから、「なぜ帝都破壊が大正12年の9月1日でなければならないのか」とか、「なぜ大河内は地震の発信源が大連だと断言できたのか」など、そういった点が気になってしまう。
そういうモノは、ハイテンションとハイスピードがある作品ならば、観賞中は大して気にならないはずなのだ。
最初から加藤と著名人達との戦いだけに的を絞って、徹底してオカルト・アクションを描けばよかったのだ。
それなのに、ちょっとSFXやアクションを見せたかと思ったら、すぐに休んでしまう。
しかも、休んでいる時間の方が遥かに長いのだ

登場キャラクターが多すぎるせいで、全てを充分にフォローすることができておらず、逆に全てのキャラが薄くなっている。
そして出たかと思えば消え、別の奴が入ってくる。
中心にいるかと思えば脇に寄り、脇かと思えば中心に来る。
とにかく一貫して中心に位置している人物が存在せず、キャラクターの配置や出し入れがメチャクチャなのだ。

渋沢栄一は中心人物のように登場するが、序盤で消えて終盤まで再登場は無い。
同じく中心人物かと思われた平井保昌は、前半で死んでしまう。
では洋一郎や由佳理がメインキャラなのかとも思えたが、それほど頻繁には出てこない。
寺田や早川は、後半になって急に中心に入ってくる。
鳴滝や大河内は中心キャラかと思ったら、途中で消えてしまう。
恵子は前半から何度か顔を見せるが、何がしたいのか良く分からない。
で、終盤には主役のようになっている。
森鴎外や泉鏡花は、何のために登場したのか良く分からない。
加藤でさえも、思ったほど出番は多くない。

登場キャラクターが加藤から帝都を守るために行動するというシーンは、それほど多くない。
それよりも、東京改造計画を進めようとする行動の方が目立つ。
で、その改造計画と、「加藤から帝都を守る」ということが、上手く結び付いていない。

いよいよクライマックスとなった時、登場キャラクターは1つの場所に集結せず、3つのグループに分かれている。別の場所で別の行動を取っているので、まとまりがなくバラバラになっている。
というか、それ以前から既に物語はバラバラなんだけど。

ヘロヘロのストーリーの中で、当時は新人だった嶋田久作の存在感が際立っている。
あの顔、あの目、あの迫力。
お世辞にも芝居が上手いとは言えないのだが、そこにいるだけで圧倒的なオーラを漂わせているのだ。
とにかく、嶋田久作だけは素晴らしい。

 

*ポンコツ映画愛護協会