『手紙』:2006、日本

武島直貴は、無期懲役で千葉の刑務所にいる兄・剛志と手紙のやり取りを続けている。高校を卒業した直貴は大学へは進まず、働き始めた。 やがて彼は、川崎のリサイクル工場での仕事を始めた。兄のことが原因で、直貴は仕事と住居を3度も替わっていた。昼食休憩になると、 彼は酒店の息子である中学時代からの親友・寺尾祐輔とお笑いコンビとして練習を積んだ。
なるべく他人との関わりを避けて暮らしている直貴のことを、密かに見つめている女性がいた。リサイクル工場の食堂で配膳係をしている 白石由美子だ。ある時、1人で昼食を取っていた直貴は、由美子からリンゴを食べないかと声を掛けられた。戸惑う直貴に、由美子は朝の バスで一緒になることを告げた。すると翌日から、直貴は乗るバスを変更した。それでも由美子はアプローチを続け、クリスマスには手袋 をプレゼントとして渡した。直貴と寺尾が大衆居酒屋でやっているお笑いライブにも、由美子は姿を見せた。
ある日、直貴は酔っ払った工員の倉田に因縁を付けられ、ポケットに入れていた剛志からの手紙を奪われた。倉田は手紙の住所を見て、 すぐに刑務所から送られてきたことを見抜いた。「人間の屑だ」と兄を罵倒され、直貴は怒って倉田に殴り掛かった。少し経ってから、 倉田は直貴を部屋に呼び寄せた。彼は過去に刑務所に入っていたことを打ち明け、自分の態度を詫びた。
直貴は、剛志が刑務所に入ったのは自分のせいだと口にした。両親が亡くなった後、剛志は働いて直貴の学費を稼いでいた。彼は直貴を 大学に行かせるために頑張っていたが、体を壊してしまった。どうしても弟を大学に行かせたかった剛志は、ある家に侵入して金を盗んだ。 しかし帰宅した老女に見つかり、ハサミを持ち出した彼女と揉み合っている内に刺し殺してしまったのだ。倉田は自分が家族のために 頑張っていることを語り、「お笑いやりたいなら、こんな所で燻ってないでテッペン目指せ」と直貴を励ました。
直貴は工場の仕事を辞め、バーでバイトをしながら、本格的にお笑いのプロを目指し始めた。ライブでの人気が高まり、テレビ局から声が 掛かるようになった。そのバーには、キレイになった由美子が現われた。由美子は配膳係を辞めて、美容学校に通っているという。やがて 直貴と寺尾のコンビ「テラタケ」はリカルドという事務所と契約し、プロとしてテレビでも活躍するようになった。
そんなある日、直貴は先輩に連れて行かれた合コンで、GSコーポレーション専務の娘・中条朝美と出会った。直貴は朝美と交際を始め、 彼女の自宅に招かれた。だが、直貴がトイレへ行っている間に、朝美は父親から「住む世界が違う。交際には反対だ」と告げられていた。 やがてネットの世界で、直貴の兄が殺人犯だという噂が広がり始めた。直貴は社長に事実を語り、芸人を辞めることにした。寺尾に話す 際には、「朝美と結婚して逆タマに乗るから」と、辞める理由に関して嘘をついた。
直貴はバーテンの仕事に戻り、兄への手紙を出さなくなった。朝美との交際は続いていたが、剛志のことは話していなかった。そんな中 、直貴のアパートで2人が食事をしていると、中条が決めた朝美の婚約者が現われた。彼が剛志のことを語ったため、直貴は朝美に釈明 しようとする。だが、ショックを受けた朝美はアパートを飛び出した。探しに出た直貴の前で、朝美はひったくりに襲われて怪我を負う。 直貴は中条から「これで別れてくれ」と金を渡され、朝美との関係を諦めるしかなかった。
直貴はケーズデンキで働き始め、3ヶ月が経過した。直貴が由美子と外食しているところへ、寺尾が現われた。彼は社長に聞いて直貴が 芸人を辞めた本当の理由を知り、詫びの言葉を口にした。直貴は引っ越した住所を、兄に知らせていなかった。直貴のその仕事ぶりは上司 からも高く評価されていたが、店で起きた盗難事件が彼の生活に狂いを生じさせた。事件をきっかけに店員の身辺調査が行われ、直貴の兄 が殺人犯だと判明したのだ。直貴は店長から、埼玉の倉庫へ異動するよう命じられた。
埼玉の倉庫で働き始めた直貴の元へ、会長の平野がやって来た。平野は直貴に、「差別は当然だ」と告げる。そして、「差別の無い場所を 探すんじゃない、君はここで生きていくんだ」と語った。平野は、名前は伏せてほしいという人物から手紙が届き、直貴を助けてやって ほしいと頼まれたことを打ち明けた。直貴は、その匿名の相手が由美子だと察知した。由美子の元を訪れた直貴は、彼女が自分に 成り済まして兄に手紙を送っていたことを知った…。

監督は生野慈朗、原作は東野圭吾、脚本は安倍照雄&清水友佳子、製作は宇野康秀&大澤茂樹&高瀬哲&細野義朗&日下孝明&常田照雄、 プロデューサーは朴木浩実&橋口一成、エグゼクティブプロデューサーは河井信哉&星野有香&大村正一郎&松山彦蔵、企画は永江信昭& 熱田俊治、製作エグゼクティブは依田巽、撮影は藤石修、編集は川島章正、録音は北村峰晴、照明は磯野雅宏、美術は山崎輝、音楽は 佐藤直紀、音楽プロデューサーは志田博英、主題歌「コ・モ・レ・ビ」は高橋瞳、挿入歌「言葉にできない」は小田和正。
出演は山田孝之、玉山鉄二、沢尻エリカ、吹石一恵、風間杜夫、杉浦直樹、尾上寛之、田中要次、山下徹大、高田敏江、吹越満、 石井苗子、原実那、松澤一之、螢雪次朗、小林すすむ、松浦佐知子、山田スミ子、鷲尾真知子ら。


東野圭吾の同名小説を基にした作品。
直貴を山田孝之、剛志を玉山鉄二、由美子を沢尻エリカ、朝美を吹石一恵、朝美の父を風間杜夫、平野を杉浦直樹、祐輔を尾上寛之が 演じている。
監督の生野慈朗は『3年B組金八先生』シリーズなど多くのドラマを演出してきたTBSのディレクターで、映画を手掛けるのは1990年の 『どっちもどっち』以来となる。

深くて重いテーマを描き出そうとしているんだろうし、きっと製作サイドの志は高いところにあるんだろうと思う。
ただ、出来上がった作品を見てみると、とても安いモノになってしまっている。
全く心を揺さぶられないわけではない。直貴と忠夫が会うシーンでは、心にグッと来るものがあった。
しかし、製作サイドが思っているほどには、出来映えは芳しくない。
なぜかと言えば、それは作りが粗いからだ。
ツッコミ所が満載だからだ。繊細さや丁寧さが著しく欠けているからだ。

なぜ直貴は首都圏を転々としているのかが分からない。
面会で刑務所に訪れるから近くにいるというのなら、それは分かる。だが、彼は面会に行くわけではない。手紙のやり取りなら、どこに いても出来る。
絶対に兄のことは知られたくないというのなら、もっと田舎へ、遠方へ移った方がいいんじゃないのか。
自分のことを誰も知らない場所へ行った方がいいんじゃないのか。

お笑いを練習するシーンが最初に出て来た時点で、ものすごく違和感を覚えてしまう。
そもそも兄のことで悩んだり暗い気持ちになったりしている奴がお笑いのネタを考えている時点で引っ掛かるが、それは置いておくと しよう。それ以外でも問題はある。直貴は「他人と関わりを持たないようにしている」と言うのだが、だったらお笑いの道なんて 目指しちゃダメでしょ。
お笑いで有名になったら当然、その家族や過去について調べられるに決まっている。
そんなことも分からずにプロになっちゃってるのかと。

だからネットで噂が広がって芸人を辞めることになっても、それに対して不憫だとは全く思えないのよ。
「そりゃあ、そうなるよな」としか思えないのだ。
直貴が人目を忍んでひっそり暮らしているのに兄のことを知られて非難や差別を受けるというのなら、同情もしよう。だが、お笑い芸人と して有名になっちゃうんだからね。
それを見て「あの男の弟だ」と被害者の遺族が知ったらどう思うだろうとか、そんなことは微塵も考えてないし。
だから直貴が差別されて悲しんだり苛立ったりしても、同情心が沸かないのよね。

あと、「朝美と結婚するから芸人を辞める」と直貴から言われた時に、寺尾が本当の理由に気付かないのもアホすぎる。
こいつは直貴の兄のことを知っているんだから、それぐらい気付けよ。
っていうか、そのことを知っているのに芸人の道に誘うのが、そもそも無神経だと思ってしまうんだよな。
コンビ揃ってアホだったんだな、こいつら。

しかも、そのお笑い芸人としてやっているネタが、恐ろしくつまらないのだ。
あんなネタでテレビ関係者から目を付けられてプロになるなんて、有り得ないよ。
原作ではミュージャンだったものを映画版で芸人に変更しているのだが、これが見事に大失敗。
というかね、そもそも映画やドラマで「お笑い芸人がネタを披露する」というシーンを用意した時に、そこが笑える内容になる可能性って 万に一つも無いと思うよ。

直貴は倉田たちに手紙を見つかるのだが、そもそも皆が集まる部屋で手紙を読んでいたことが間違いだ。
自分の部屋があるのに、なぜ他の人間に気付かれるような場所で読むのかと。
今まで3度も仕事と住居を転々としてきたのに、何も学習していないのかと。
首都圏への固執もそうだし、プロの芸人になるのもそうだし、その手紙を読む場所もそうだし、直貴はアホすぎる。

由美子のアプローチを受け続けた直貴は、「俺の兄は殺人で刑務所に入っているから、もう関わらない方がいい」と冷たく言うのだが、 それもアホにしか思えない。
それまで兄のことを他人に知られるのは避けていたのに、自分から話すバカがいるかよ。
しつこく迫ってくる女を遠ざけたいとしても、もっと他に色々と方法はあるだろうに。
やっぱりアホすぎる。

直貴は由美子にアプローチされた時は問答無用で避けていたのに、朝美と出会った時には自分から積極的に声を掛けている。
それで終わりじゃなくて、何の迷いも無く交際を始めている。
芸人として売れたから、調子に乗っちゃったのか。そして相手が金持ちの娘だから、これはチャンスだとでも思ったのか。
なぜ朝美とは簡単に付き合うのか、その考え方の移り変わりが良く分からん。

その朝美との関係を「直貴が兄のことで差別される、不幸になる」というモノとして描きたいようだが、 そこに引っ掛かりを覚えるのよね。
だってさ、中条は剛志のことを知る前から、身分違いを理由に交際に大反対なのよ。だから剛志のことが無くても、幸せになっていたとは 思えない。
っていうか、その朝美とのシーン、全て要らないと思うんだが。
バッサリと削除していいと思うんだが。

沢尻エリカの変な台詞回しは、聞くに堪えない。
どこの方言だかサッパリ分からないのだが、たぶん関西弁を意図しているのだろうと推測される。だが、まるでイントネーションが出来て いない。
『パッチギ!』の時は全く気にならなかったのだが、今回はヒドい。たぶん、ロクに方言指導も付いていなかったのだろう。
しかし、そもそも彼女を関西弁のキャラにしておく必要性が無いのだ。変な台詞回しにするぐらいなら、標準語で喋らせればいい。何の ための方言なのか、サッパリ意味が分からない。

分からないと言えば、なぜ由美子が直貴に惹かれるのかもサッパリ分からない。
どこにも惚れる要素を感じないのだが。
しかし、まあ恋愛感情なんてのは理解を超えたところにあるものだということで、そこは納得するとしよう。
だが、それにしても由美子の行動は異常で不可解だ。
「実は女神だった、もしくは天使だった、もしくは死んだ直貴の母が転生して地上に降りてきた」などといった超常現象をオチに用意して ファンタジーにでもしない限り、説明が付かないぐらい、直貴に対する奉仕の精神がスゴすぎる。

中条や平野が、「たぶん監督としては観客の心にズシリと響かせたいんだろうなあ」と思われるセリフを語るんだが、それはキッチリと して道筋があってこそ活きるものだ。
この映画では、そこに至る道筋が荒れすぎている。
そこへ続く道が舗装の行き届いていない悪路なので、それに気を取られてしまい、待ち受けている標識への注意力が散漫になってしまうのだ。
原作がどのような構成になっているのかは知らないが、この映画版に関しては、剛志サイドの描写をもっと増やすべきだったと思う。直貴 からの手紙が届かなくなった時の彼の不安や焦燥、最後の手紙が届いた時の反応、遺族を傷付けていたと気付いた時の感情、そういった ものを見せた方が、クライマックスがもっと活きた気がする。
そして、『手紙』というタイトルにもふさわしいモノになっただろう。
兄と弟の手紙のやり取りこそが、この映画の根幹を成す要素であるべきなのだから。

ラスト近く、直貴が久しぶりにテラタケを結成して千葉の刑務所へ慰問に行くシーンがある。
ここで、由美子と娘も刑務所の前まで行き、「終わるまで近くで待っている」と言って公園へ赴く。しかし公園で娘が砂場へ行くと、他の 子供たちは一斉に逃げてしまう。
これが良く分からない。
彼女が殺人犯の弟の娘だということを、そこにいた保護者が知るはずは無いのだ。
だって、直貴が住んでいるアパートの近くの公園じゃないんだから。
なぜ子供たちは直貴の娘から逃げたんだろうか。

「ネタがちっとも面白くない」というハンデを背負ってでもミュージシャンの設定を芸人に変更したのは、慰問シーンから逆算してのこと だったのかもしれない。。
だが、寺田の「お前の兄貴だって、あっ」と思わず口にした言葉から、直貴が兄のことを語るという感動の流れへ持って行くのは無理がある。。
だって、ちゃんと漫才の台本でセリフが決まっているわけだからね(そこはアドリブとは考えにくい)。
それは、あまりにも不自然だよ。

ともかく、その不自然な流れから直貴が兄のことを語り始め、それを聞いて剛志が号泣し、そこに小田和正の『言葉にできない』がBGM として流れてくる。そのシーンには、確かに感動的なモノがある。
ただし身も蓋も無いことを言ってしまうと、それなりの絵を付ければ、『言葉にできない』という歌は、曲の分数だけでも人を感動させる パワーを持っているのだ。
つまり、それまでの流れとか、そんなのは全く関係無しに、「そこに『言葉にできない』が流れる」ということが持っている力が圧倒的に 強いのだ。
しかし製作サイドは、そんなことに全く気付いていないのだろう。
だからこそ、それをエンディング・テーマ曲にせず、その後に別の歌を主題歌として流すという恐るべきコトを平気でやらかしているの だろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会