『TAP THE LAST SHOW』:2017、日本

毛利喜一郎は旧知の仲である渡真二郎の元を訪ね、泥酔している彼にラストショーの演出を依頼する。既に毛利は『TAP THE LAST SHOW』というショーのポスターを作成しており、そこには「あの伝説のダンサーにして炎のショウ請負人 渡真二郎 ついに復活」と書かれていた。バブル時代には合計7軒の小屋を構えていた毛利だが、今では『ザ・トップス』だけになっていた。彼は最後に大きな花火を上げて幕引きにしたいと考え、渡を担ぎ上げることにしたのだ。また連絡すると告げ、毛利は渡の元を去った。
渡は1988年のクリスマスイヴに開かれたショーで事故に遭って脚に大怪我を負い、杖を使う生活を余儀なくされていた。『ザ・トップス』では女形のダンサーがプッチーニを踊るタップショーが開かれていたが、まるで客は入っていなかった。翌日、毛利をボスと呼ぶ吉野完治は3年ぶりに渡の元へ赴き、復帰を歓迎する。渡は「まだやるなんて一言も言ってないぞ」と告げるが、吉野は「3本の矢が揃った」と口にする。しかし彼は自分を矢に含めておらず、3本目は『ザ・トップス』だと告げた。
吉野は渡を車に乗せ、『ザ・トップス』まで送り届けた。小屋ではオーディションが開かれ、大勢のダンサーが集まっていた。事務員の夏木萌が進行係を務め、参加者が順番に自己紹介していく。カンフーのような動きを見せる大川一郎や、八王子のジンジャーを自称するアメリカかぶれの女性に、毛利は呆れ果てた。その後も腰痛で苦しむタップ歴50年のアステア太郎など、全く合格レベルに達しない参加者が続く。渡は立ち去ろうとするが、MAKOTOという男がタップを披露すると、その場に留まった。
渡は吉野から物置の奥にあった私物を渡され、元恋人である松原貞代の写真を手に取った。私物の中には、渡が怪我を負ったショーを撮影したビデオテープも含まれていた。翌日、渡は毛利と会い、引き受ける条件として「今売れてる連中とやるつもりはない。これからトップを取ろうというエネルギーのある連中とやりたい。ただし美術や照明だけは一流を用意してほしい」と告げた。大勢のダンサーが集まる中、渡は杖で椅子を叩いてリズムを取り始めた。ダンサーたちは困惑していたが、やがてタップを踏み始める。ずっとリズムが続き、疲れたダンサーたちが次々に座り込んだ。
しばらくして音を止めた渡は、「これ以上続けられない者は帰っていいぞ。やる気のある者だけ立て」と告げた。その時点で座っている面々に対し、彼は立ち去るよう命じた。MAKOTOが遅刻して現れると、渡は「時間を守れない奴にチャンスは無い」と帰るよう指示した。渡は一次の通過者を選び、毛利に伝えた。毛利は渡に、最後のショーなので貞代に来てほしいと思っていることを明かした。貞代が小屋を辞めて22年が経過しており、「もうええやろ。まだ嫌なんか」と毛利は言う。「俺に決める権利は無いよ。アンタの好きにすりゃいい」と渡が告げて酒を飲もうとすると、毛利はショーが終わるまで禁酒するよう頼んだ。
MAKOTOは建設作業員として働き、日当を得ていた。彼がオーディションに遅刻したのは、同棲している恋人の森華を病院へ連れて行ったためだった。「病院、どうだった?」とMAKOTOが尋ねると、華は「大したことじゃないって」と言う。MAKOTOは渡について「初めて本物を見た」と感激しており、アパートへ戻って早々に外へ出て練習した。次の日、MAKOTOはオーディションに参加し、「もう一度チャンスを下さい」と渡に訴える。渡はステージから降りるよう命じ、オーディションを始める。するとMAKOTOは小屋に留まり、他の参加者と同じようにリズムに合わせてタップを踏む。他の参加者が次々に脱落する中、彼は最後まで必死で踊り続けた。
渡は最終合格者を選び、稽古を開始した。オーディションが終わっても渡はダンサーを名前で呼ばず、番号で呼ぶ。彼はしばらく踊らせた後、5人を指名して帰るよう命じた。さらに稽古を続けた渡は、MAKOTO、RYUICHI、MIKAの4人を翌日からの練習メンバーに選んだ。彼はMAKOTOに、明日から助手を務めるよう命じた。RYUICHIはホストクラブで働いており、MIKAには間宮という婚約者がいた。翌日、ダンサーたちに練習させた渡は、毛利に「軸になる男が1人足りない。あの2人じゃMAKOTOが圧倒的に上だ。ライバルがいないと伸びないし、このままじゃRYUICHIもダメになっちまう」と話した。
有望なダンサーはいないのかと渡が訊くと、毛利は「いないわけではない」と言う。それがJUNだと悟った萌は、「彼は無理でしょう」と告げる。オーディションには来ていたが、渡が怒鳴るのを聞くて怖がって帰ってしまったと彼女は話す。毛利から電話を受けたJUNは喜ぶが、いざ練習スタジオへ行くと怯えて挨拶の声さえ発しない。渡はタップで自己紹介するよう促し、杖を叩いてリズムを取った。JUNがタップを踏み始めると、渡は他の面々にも加わるよう命じた。
渡は舞台のスタッフを集め、「ローマのコロシウムでダンスによって戦う」という構想を説明した。台本も完成し、出演者とスタッフに配られた。MAKOTOとJUNにはデュエットもソロがあったが、RYUICHIはアンサンブルしか無かったので腹を立てた。渡はRYUICHIから「なぜ自分にはソロが無いのか」と問われると、理由を説明せずに「文句があるなら出て行け」と鋭く言うだけだった。MIKAがタップショーに出演することを母は了解していたが、父は反対だった。MIKAは「今回が最後だから」と頼むが、父は賛成しなかった。JUNの祖母は痴呆で、姉は世話をすることにストレスを感じていた。
心臓の持病を持つ毛利は、トイレで意識を失って入院した。自主練習の日にRYUICHIは現れず、MIKAは吐き気を感じて楽屋に駆け込んだ。YOKOが妊娠に気付くと、MIKAは「これが最後なの。誰にも言わないで」と泣いて懇願した。徘徊した祖母を捜していたせいで遅刻したJUNは練習を始めようとするが、シューズが切り裂かれていた。JUNは靴店で商品を勝手に履いてタップを踏むが、店主に取り押さえられた。港中央信用金庫の荒川と山村は毛利の入院を受け、融資の契約を一旦解除したいと渡に通告した。舞台スタッフも現金での支払いが無いと上が納得しないと言い、萌はメンバーにショーの中止を告げた。
RYUICHIが渡への悪態をつくと、YOKOが批判してMAKOTOと比較する。「テメエの女をキャバクラで働かせるような奴と比べられたくねえ」とRYUICHIは言い、怒って掴み掛かるMAKOTOに「知らねえのか」と告げる。華が働く美容室を訪れたMAKOTOは、彼女がシフトの変更を急に頼んだこと、体の調子が悪そうだったことを店長から聞かされた。MAKOTOはキャバクラの客を見送る華を見つけ、「違うの」と釈明しようとする彼女を「こんなことまでやって金が欲しいのか」と非難する。華が「私だって、嬉しい思いしたいもん」と漏らすと、MAKOTOは「勝手にしろ」と吐き捨てて去った。
華がアパートに戻って泣きながら「ホントは産みたいの。大丈夫、お金貯めて、自分で産むから」と漏らすと、MAKOTOは無言で抱き締めた。MAKOTOが劇場で個人練習を積んでいると、渡は彼が悩みを抱えていることに気付いた。それを指摘されたMAKOTOは、「プロのタップダンサーで妻子を養っていくことなんて出来るんでしょうか」と尋ねる。渡は「俺は出来なかった」と言い、子供が出来たと聞いて動揺したこと、その夜のショーで大怪我を負ったことを語った。「それじゃあ俺は無理だなあ」とMAKOTOが呟くと、彼は「大切なのは金だけじゃない。金の前に、大切な物がある。ステージが終わったら考えればいい」と話す。MAKOTOが「中止じゃないんですか」と訊くと、渡は「やらないわけに、いかないだろう」と述べた。
そこへJUNが姉、祖母の3人で現れた。JUNの姉は、祖母の治療で田舎へ戻ることになったことを渡に伝えた。JUNは姉に促され、「最後にもう一度、タップダンスやりたいです」と告げた。渡は彼のために、新しいタップシューズを購入した。MIKAは母と間宮の協力で家を抜け出し、YOKOと合流した。MIKAとYOKOはホストクラブへ行き、RYUICHIに戻って来るよう説いた。毛利は意識を取り戻し、劇場に復帰した。渡はショーの目玉になる危険な演出を思い付き、MAKOTOに担当させようと決める…。

監督は水谷豊、脚本は両沢和幸、製作総指揮は早河洋、製作は亀山慶二&水谷晴夫&村松秀信&木下直哉&間宮登良松&浅井賢二&樋泉実、エグゼクティブプロデューサーは西新&長井晴夫&須藤泰司、Co.エグゼクティブプロデューサーは佐々木基、プロデューサーは遠藤英明&菊池淳夫、アソシエイトプロデューサーは青柳貴之、タップダンススーパーバイザーは中川裕季子、タップダンス監修振付はHIDEBOH、撮影監督は会田正裕、美術は近藤成之、照明は松村泰裕、録音は舛森強、編集は只野信也、音楽は佐藤準。
主演は水谷豊、共演は岸部一徳、北乃きい、清水夏生、西川大貴、HAMACHI、太田彩乃、佐藤瑞季、さな、前田美波里、六平直政、島田歌穂、HIDEBOH、鶴田忍、六角精児、小野了、山中崇史、伊嵜充則、片桐竜次、大沼百合子、小林麻子、吉田幸矢、二家本辰己、井上肇、河野うさぎ、北島美香、澄人、Romi、BOB、鍋田裕城、原田文明、あづみ昌宏、大矢晃弘、加藤藍子、堀田茜、鴨志田陽一、山田知明、磯野ユウキ、河村龍介、原田利夫、加藤将人ら。


俳優の水谷豊が初めて監督を務めた映画で、主人公の渡も演じている。彼は23歳の頃から、ずっと本作品のアイデアを温めていたそうだ。
脚本は『Dear Friends ディア フレンズ』『御手洗薫の愛と死』の両沢和幸。
毛利を岸部一徳、華を北乃きい、貞代を前田美波里、完治を六平直政、ジンジャーを島田歌穂、アステアをHIDEBOH、MIKAの父を鶴田忍、間宮を伊嵜充則が演じている。
MAKOTO役の清水夏生、JUN役の西川大貴、RYUICHI役のHAMACHI、MIKA役の太田彩乃、YOKO役の佐藤瑞季、夏木萌役のさな(赤坂さなえ)は、オーディションで選ばれた面々だ。
清水夏生、西川大貴、HAMACHIはプロのタップダンサーで、他の面々も踊れる人間を揃えている。

この映画の製作には、テレビ朝日が関わっている。
テレビ朝日と言えば、水谷豊が主演を務めるドラマ『相棒』シリーズが放送されているテレビ局である。
そんな『相棒』シリーズの出演者である面々も、この作品には何人か出演している。岸部一徳もそうだし、他に六角精児が大道具スタッフ、小野了が照明スタッフ、山中崇史がホスト、片桐竜次が建設会社の社長役で出演している。
水谷豊とテレビ朝日にとって、いかに『相棒』シリーズが大きな存在なのかってことだね。

『相棒』は確実に視聴率の取れる番組なので、その主演俳優である水谷豊の御機嫌を取るため、これまでもテレビ朝日は彼が希望する映画を次々に製作してきた。
2012年の『HOME 愛しの座敷わらし』、2013年の『少年H』、2015年の『王妃の館』である。
いずれの評価も興行成績も、それほど良かったわけではない。
しかし、水谷の機嫌を取ることが一番の目的なので、そこは二の次なのだ。
そんな接待映画シリーズが、ついに本人の監督作品という所まで行き着いたわけだ。

序盤から問題点は山積みで、まず渡が事故を負った1988年のショーを「観客が手持ちカメラで撮影したブレまくりの古いビデオテープの映像」として見せる意味が全く分からない。
そのせいで、どういう事故なのかも良く分からない。普通に回想シーンとして描けばいいんじゃないかと思ってしまう。
その後、毛利がコーヒーを注文したり渡の家へ行ったりするシーンに、タップシューズを型紙から製作している様子が挿入されるのだが、これも何の狙いなのか全く分からない。
何か狙いがあったとしても、ただ意味不明なシーンの挿入で散漫にしているだけにしか感じない。

事故のシーンを「踊り手が遠くに何となく見える素人の撮影した動画」だけで処理することは、それ以降の展開にも大きな弊害となっている。
渡は「伝説的な天才タップダンサー」という設定のはずなのに、それが全く感じられないまま話が進んでしまうのだ。
大怪我をしたことで踊れなくなっているので、現在の彼がキレキレのタップを踏むシーンを用意することは出来ない。だったら、「若い頃の渡」の映像で、キレキレだった頃のタップを観客に見せて「いかに彼が天才だったか」をアピールしておく必要があるはずだ。
しかし、そんな描写は無いのである。
それはオープニングだけでなく、後から挿入されることも無い。

とは言え、実は「それも仕方がない」と諦めざるを得ない事情がある。
その理由は簡単で、「渡を演じているのが水谷豊だから」ってことである。
水谷は俳優であってタップダンサーではないし、「プロじゃないけどプロ級の腕前」というわけでもない。なので、本人が天才的なタップダンサーとしての説得力を感じさせるタップを披露することなど不可能なのだ。
当初は「水谷演じるタップダンサー」を主役とする企画だったらしいが、それは無謀だろう。
だから企画を変更したのは大正解と言えるのだが、「渡は元天才タップダンサー」という要素を残したことが、ものすごく厄介な問題に繋がっている。

吉野は渡の復帰を歓迎して「これで3本の矢が揃った」と言うが、3本目は自分じゃなくて『ザ・トップス』だと告げる。
だけど、それは無理があるでしょ。なぜ3本目だけ、人間じゃなくて小屋なのかと。
毛利の名前に引っ掛けて「3本の矢」を持ち込みたいのなら、もっと綺麗に使おうよ。無理に「3本目は小屋」という全く腑に落ちない形を取るぐらいなら、そんな物は要らない。
吉野が3本目は自分じゃないと言うのなら、他の誰かが該当する形にしておくべきでしょ。

小屋で女形が踊っている時、萌が電話を受けて「オーディションに関して私が承っております」と言っている。なのでオーディションが開かれることは一応、そこで触れている形になる。
ただ、渡が吉野の車で小屋へ到着した時に、それがオーディションのためだってのは全く分からなかった。そもそも、ラストショーのダンサーをオーディションて選んでいることさえ、明確には示していなかったし。
あと、閑古鳥が鳴いている小屋がタップダンサーのオーディションを開いて、そんなに大勢の参加者が集まるものだろうか。しかも渡が伝説のダンサーとは言え、「すっかり忘れ去られた過去の人」だから、彼の名前で大勢が集まるとも思えないし。
オーディションを開くよりも、「毛利なり渡なりがダンサー集めに奔走する」という形の方がいいんじゃないかと。

「オーディションにはロクにメンバーが集まらずに主人公は呆れるが、もう中止しようとか思っていたら見込みのある奴が現れる」という展開は、今まで多くの映画で使われてきたパターンだ。
この映画のMAKOTOがタップを披露するシーンは、そのパターンが使われている。
使い古されたパターンだし、その見せ方も工夫が無くて安っぽい。
ただ、それよりも問題なのは、「渡がMAKOTOのタップに魅力を感じた印象が皆無」ってことだ。
店を去ろうとした渡は留まるものの、MAKOTOの方を振り向こうともしない。音は聴こえているが、その様子からは全く感情が伝わって来ないのだ。

オーディションの翌日、渡は毛利に会って「今売れてる連中とやるつもりはない。これからトップを取ろうというエネルギーのある連中とやりたい」と語る。
だけど、そういうのはオーディションの前に言うべきことでしょ。
既にオーディションが開かれているのに、今さら何を言い出しているのかと。先に「こういう奴が欲しい」ってのを言って、その条件でオーディションを開くべきじゃないのか。
毛利は「明日から本格的にオーディションや」と話すけど、だったら前日のオーディションは何だったのかと。

毛利は渡がショーの演出を承諾してくれると、「ザ・トップスのゴールデン・コンビの復活や」と喜んでいる。
しかし、2人がコンビを組んで活動していた頃、渡が華々しく活躍していた頃の様子が、全く描かれていない。なので、いかに2人が凄かったのか、いかに以前は輝いていたのかが、これっぽっちも伝わって来ない。
それって、ものすごく大事なことだと思うのよ。この2人の「夢よもう一度」という気持ちが伝わらないと、ラストショーの意味も見えなくなっちゃうわけで。
渡に関しては、ダンサーとしてだけじゃなく演出家としても一流だったという設定のようだが、それを示すための説明が皆無なので、当然のことながら全く伝わって来ないし。

渡はオーディションについて、「トッププロの下でくすぶってる若手。各スタジオで売り出し中の新人。俺の名前を上手く使えば、魔法のように人は集まる」と自信満々に言う。
それはネタ振りで、「本人は今も一流扱いされていると思っていたが、過去の悪評もあって全く人が集まらない」という展開に繋げるのかと思っていた。
ところが、実際に大勢の若いダンサーたちが集まるのだ。
ただ、その前日にも毛利はオーディションを開いていたわけで、そいつらはどういうルートで集めたのか。渡が演出する前提でオーディションを開いたはずなのに、なんで初日はロクな奴が来ておらず、2日目は真っ当な奴ばかりが来るのかと。

っていうかさ、2日目のオーディションがあるのなら、初日にMAKOTOを登場させる意味が全く無いよね。2日目のオーディションで登場させればいいよね。
もっと言っちゃうと、初日のオーディションなんて要らないよね。
渡が演出を承諾して、初めてオーディションが開催される流れにしておけばいい。
ただ、どっちにしろ「渡が演出を承諾して、次の日にはオーディションが開かれて大勢が集まった」という流れなので(日数が経過している設定かもしれないが、それは全く伝わらない)、そこは無理があると感じるけど。

2日目のオーディションにMAKOTOは遅刻して現れ、渡は帰るよう命じる。
「時間を守らない奴にチャンスは無い」という発言は間違いじゃないので、それを理由に外すのは理解できる。
だけど、そもそも初日のオーディションに参加していたのに、それは全く無視しているのか。その時点で合格させとかなきゃいけない奴じゃないのかと。
あと、毛利は初日も2日目も「あいつのタップはお前の若い頃を思わせる」と渡に言って考え直すよう求めるけど、合格させた後の感想ならともかく、それ以前の特別扱いは邪魔だわ。

MAKOTOが最初のオーディションに来ていたのに、渡は全く相手にしていない。次のオーディションに来た時は、遅刻を理由に参加させない。
そんな態度でメンバーを選んでいたのに、JUNの時は「毛利が推薦する」というだけでOKにしてしまう。
JUNは挨拶もせずに黙っていただけなのに、それを気にせず「喋らなくていいからタップで自己紹介してくれ」と歓迎モードに入っている。
渡のキャラ設定が、明確に定まっていないように思える。

それはJUNにも感じることで、どういうキャラとして描こうとしているのかボンヤリしている。
精神的に問題のあるキャラ設定なのは理解できるけど、それを上手く表現できているとは到底言えない。
ただ、ここに関しては演出や脚本の問題ではなく、演技力よりもダンス力を優先したことがモロに影響している。他の面々も、やはり演技力の問題は付いて回る。
しかし、それよりも「それなりに設定は用意されているが、薄っぺらくて全く物語の盛り上がりに貢献しない」という印象が強い。

ショーに参加するメンバーのキャラが薄っぺらいのは、色んな要素を盛り込み過ぎていることが原因だ。
まず、「かつて活躍していた渡の復活劇」という要素がある。「渡と毛利の絆」という要素もある。「渡とダンサーたちの師弟関係」という要素もある。「ショーが無事に開催されて成功するかどうか」というドラマもある。そんな諸々の要素に加えて、「それぞれのダンサーが抱える事情」を描く要素もある。
それら全てを上手く絡ませて、ちゃんと消化できれば、もちろん言うことは無い。だが、それは熟練の監督でも至難の業だろう。
水谷豊は長年に渡って温めて来た企画なので、「あれもやりたい、これもやりたい」と熱意が凄かったんだろうとは思う。そして、それが完全に空回りしてしまったということだろう。

融資の契約がダメになり、舞台スタッフも報酬のことで折り合わずに仕事を降り、ショーは中止になる。
もちろん「開催に漕ぎ付ける」という手順があることは誰にでも分かるだろうが、そこには「危機的状況だったが、誰かが何かしらの行動を起こすことで状況が変化して」という流れが必要だ。
ところが、この映画だと渡が「やらないわけには、いかない」と言うだけで、いつの間にか開催できる状態へと変化しているのだ。
舞台スタッフは会社には内緒で協力するが、そこに胸を熱くさせるような人情劇は無い。「渡があちこち頭を下げた」と萌が言うだけだ。
一度は離れたメンバーが戻ってくる手順も、ものすごく淡白だ。そこもやはり、感動的なドラマは皆無だ。

結局のところ、「欲張り過ぎ」ってのが一番の問題なのだ。
水谷豊が引いた立場を取ることを望まなかったのなら、あるいは製作サイドが「水谷豊が主役じゃなきゃ困る」という考えだったのなら、「渡が主役」という部分を徹底し、「渡の復活劇」に絞り込むべきだったのだ。
それと「タップの話」という要素を両立させたいのなら、有望な若手タップダンサーを1人だけ用意すればいい。そして、そいつに才能を感じた渡が、ショーの主演に抜擢して特訓するという話でも作ればいいのだ。
「大勢のタップダンサーによるショー」をクライマックスにする構成は、「そいつが主演を張るショーで、大勢のダンサーが出演する」という形にすれば、渡の特訓するダンサーが1人であっても成立するしね。その中で本職の有名タップダンサーをゲスト出演させるという趣向でもいいだろうし。

(観賞日:2018年10月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会