『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』:1989、日本

京都の国際会議場で、「死んだらどうなる」という題名の国際心霊研究発表会が開催されることになった。開催を推進したのは、日本の吉野博士とアメリカのエルザ・ギルバード博士だ。物理学者の曽我隆はデューク大学の学友だったエルザを国際会議場へ送って行くため、車を走らせていた。途中、エルザは和傘を見掛けて車を停めてもらい、土産に購入した。一方、停留所で待っていた数名の客が、松之本行きのバスに乗り込んだ。態度の悪い詐欺師の的場常雄、松葉杖の設計士・服部稔、後藤一郎と妻の邦子、盲目の長女・明美、次女の洋子、野村時枝と幼い娘の泉、高校生カップルの大岩宗勝と南川弘子、他にも多くの乗客を乗せて、バスは出発した。
バスが山道を走っていると、いきなり建築会社の社長・戸田武が立ちはだかった。運転手が慌ててブレーキを掛けると、車が故障したという代議士の五十嵐玉緒と戸田が乗り込んで来た。曽我は発表会に間に合わせるため、前のトラックを追い抜こうとした。だが、向こうから来たバスと激突してしまう。車もバスも、谷底へ転落する。バスの乗客の中には生き残った者もいたが、曽我は死んで川を流された。曽我を追い掛けて来た愛犬のゴンも、滝壺に落下した。
曽我とゴンと共に幽体となり、精霊界へ辿り着く。だが、曽我は自分のいる場所が分からず、「夢を見ているんだろうか」と考える。そこへ「貴方が来るのを待っていました」と言う霊人のキヨが現れる。「どうして来るのが分かったんですか」と曽我が訊くと、キヨは「私は貴方の4代前の祖先なんです」と答える。彼女は曽我に、事故で13人が死んだこと、他の人々は先に行っていることを教えた。
死者は長い階段を上がり、大きな建物に辿り着く。エルザを捜していた曽我は、転落事故の死者が集められた部屋に案内される。そこにはエルザの他、後藤一家、高校生カップル、時枝の姿があった。明美は死んで目が見えるようになっていた。時枝は娘の泉がいないので、担当の天使に「どこへ行ったの」と尋ねる。すると天使は「ここへは来ていません」と答えた。曽我がエルザと再会すると、彼女は日本語が話せるようになっていた。天使は「ここではみんな想念で分かり合っているんです」と説明する。
曽我の資料に目を通した天使は、「貴方がマル特霊の」と驚く。曽我が「マル特?」と首をかしげると、天使は「特別扱いの霊という意味です」と説明した。あと2名が到着する予定になっているので、別の天使が地上へ捜索へ出向いた。鞄に入れていた大金に執着のある的場は、まだバスに残っていた。天使は的場に死んだことを教え、精霊界へ連れて行く。担当の天使が「もう一人は間もなく着くでしょう」と言って手を挙げると、部屋には大霊人が出現した。
大霊人は死の事実を受け入れるよう諭し、転落事故の記憶を大岩に説明させる。そこへ、泉をかばって命を落とした服部がやって来た。彼は松葉杖を使わなくても歩けるようになっていた。服部は大霊人に促され、病院に運ばれて手術を受けたが助からなかったことを語る。大霊人は「この精霊界は魂が剥き出しになる世界です。ですから人間だった時の概念は何の役にも立ちません。善は善、悪は悪がさらけ出されます」と述べた。
戸田は苛立ち、「いつ、ここを出られるのか、それを言ってくれ」と大霊人に要求する。的場や時枝も、戸田に同調した。大霊人は、「それでは皆さんに、思いがけないようなプレゼントをしましょう」と告げる。すると各人の死んだ血縁者が若い頃の姿で部屋に現れ、それぞれを取り囲んだ。エルザや服部の身内は再会を喜んだが、的場や戸田の身内は生前の怒りや恨みをぶつけて追い回した。
草原に出たエルザは曽我の前で「かごめかごめ」を歌い、前世が日本人だったことを語る。そこへゴンが走って来たので、曽我は喜んだ。2人は森に入ったところで大勢の男たちに襲われ、エルザが拉致されてしまう。一方、後藤一家は湖畔に赴き、一郎が「この辺にさ、みんなの好きな家を作ろうか」と言う。彼が目を閉じて念じると、そこに望み通りの一軒家が出現した。さらに邦子が念じると2階部分が、娘たちが念じると仕上げの部分が出来上がった。
後藤一家の元へ曽我が来て、エルザが拉致されたことを告げる。すると邦子は「ここでは本性が丸出しになるみたいですよ」と言い、一郎は能天気な態度で「だから我々も独立して暮らそうと思ってるんです。だから、みんなの思いで家を建てたんですが、なんとも酷い家が出来上がってしまった」と笑う。一家が家のことしか考えていないため、曽我はその場を去った。曽我が行く当ても無く佇んでいると、遠くにそびえていた山が暴風と共に迫って来た。その山が真っ二つに割れ、風は止んだ。
曽我は山の狭間に足を踏み入れ、そこから大霊界の中心部へ移動した。するとキヨが現れ、「誰でも、いつ精霊界から霊界へ渡れるか、前もって知ることは出来ないんです」と告げる。曽我が荘厳な景色に感動していると、キヨは「ここはほんの入口です。霊界というのは、とても広い世界なの」と述べた。曽我はキヨに案内され、彼女の村へ辿り着いた。すると、そこで和傘を作る女たちの中にエルザの姿もあった。曽我は彼女との再会を喜んだ。
キヨは曽我に、「今年は100年に一度のお祭りです。村から人間界に出て行く人たちがいるの。祭りはその人たちを元気付けるためのものなんです。一段上の世界に行くためには、人間界での修業が必要なんです」と語る。村の娘たちが「エルザをアメリカへ送って来る」と言うので、曽我は後を追う。エルザと女たちは和傘を差し、崖から飛び立った。彼女たちは空を浮遊し、崖の向こうへと消えた。
曽我はエルザたちを追い掛けようとするが、谷底へ転落してして意識を失ってしまう。彼が目を覚ますと、嫌な匂いが漂ってきた。曽我は荒野を歩き、不気味な樹海に足を踏み入れた。樹海を抜け出した彼は、「泥棒!」という声を耳にした。曽我が警戒しながら近付くと、時枝と地獄の仲間たちが的場に暴行を加えていた。曽我を見つけた時枝は、「新入りだ、可愛がってやんな」と仲間に命じる…。

監督は石田照、総監督は丹波哲郎、企画・原案は丹波哲郎、脚本は丹波哲郎&溝田佳奈、総指揮は古岡秀人、製作は丹波哲郎&古岡滉、チーフ・プロデューサーは寺山威&東島邦子 、プロデューサーは森島恒行&坂美佐子、ビジュアル・スーパーバイザーは大木淳吉、クリエイティブ・スーパーバイザーは原徹郎、撮影監督は岡崎宏三、特殊技術撮影は大岡新一、照明は下村一夫、特殊照明は高野和男、美術監督は三上陸男、録音は浦田和治、編集は白江隆夫、助監督は服部光則、視覚効果は中野稔、音楽監督は宮下富実夫、合唱は東京混声合唱団、主題歌作詞はLinda Miyashita/宮下富実夫。
出演は丹波義隆、岡安由美子、前田吟、五十嵐めぐみ、森次晃嗣、春川ますみ、神山繁、若山富三郎、渡瀬恒彦、野際陽子、千葉真一、丹波哲郎、速水亮、エブリン・ブリンクリー、松井紀美江、ヘネシー号、三鈴榮子、南川真理子、中村百合子、船戸行雄、田中美穂、長屋實、野村明、織本正慶、須呂智美、冬馬由美、吉岡伸祥、吉沢真人、藤岡美枝、杉浦きよみ、田中秀樹、平工秀哉、今井美子、北村菜生美、堀正彦、根守充子、常盤俊春、島小夏、酒主結美、小栗さち子、小峯裕一ら。


死後の世界について研究を続けてきた丹波哲郎が、企画・原案・製作・脚本・総監督・出演を兼任して作り上げた映画。
丹波先生は吉野役で、息子の丹波義隆が曽我を演じ、当時の愛犬だったヘネシー号がゴン役で出演。
キヨを岡安由美子、的場を前田吟、邦子を五十嵐めぐみ、戸田を森次晃嗣、五十嵐を春川ますみ、服部を神山繁、一郎を速水亮、エルザを エブリン・ブリンクリー、時枝を松井紀美江が演じている。
大霊人役で若山富三郎が友情出演、大天使役で渡瀬恒彦と野際陽子と千葉真一が特別出演している。

タンバ先生の作った霊界映画だから、どれだけバカ度数の高いトンデモ映画に仕上がっているんだろうと思って観賞したのだが、その期待は大きく裏切られた。
ハッキリいって、つまらないだけの映画なのだ。
タンバ先生は真面目に「死後の世界のことを大勢の人々に知ってほしい」という思いで作っていいるわけだが、どれだけ真面目な気持ちで取り組んでも、その考えがキテレツであれば、仕上がった作品のトンデモ度数は高いモノになる可能性が充分にある。
でも、そこまでトンデモな内容になってないんだよなあ。

ただし、真面目な映画として受け止めても、出来栄えがいいわけではない。
例えば序盤、車を運転する曽我の「隣りの女性は、アメリカデューク大学助教授、エルザ・ギルバート博士です。国際心霊研究会に出席するため、送って行くところです」というナレーションが入る。
その時点で「わざわざナレーションを入れるほどのこともないだろ」とは思うが、それに続いて、今度はエルザの「隣の男性はデューク大学で私と机を並べていた若き物理学者です」というナレーションが入る。
いやいや、何だよ、その無駄で過剰な説明は。

その後、エルザが和傘の店を見掛けて幾つか選び、それを手にしてポーズを取るというカットが入るんだが、何の意味があるのかと。
あと、曽我とエルザのシーンになると、必ず恋愛劇として盛り上げるためのBGMが流れるんだが、これも邪魔だなあ。
で、そこからカットが切り替わると国際心霊研究発表会の会場の外になる。で、建物の中から出て来た後藤一家がバスの停留所に並ぶ。
お前ら、その会場で何をしていたんだよ。発表会を見に来ていたとしたら、まだ始まってないし。

大岩が転落事故の記憶について説明するとか、服部が病院に運ばれて手術を受けたことを語るとか、そういう「自分が死んだ時の光景」について説明する手順は、要らないでしょ。
それが映画の厚みや深みに繋がっているわけではないし、「死後の世界とは」というところの解説になっているわけでもない。
「自分が死んだ時の記憶は、死後の世界でも覚えている」ってのを説明したかったのかもしれんけど、そんなの、わざわざ説明する必要があるのかと。仮に説明したかったとしても、セリフで軽く触れる程度でいいでしょ。
わざわざ回想シーンまで使って時間を割くのは無駄。
大霊人の説明も同様で、戸田が「もう説教じみた話はうんざりだ」というのは同じ気持ちだ。
タンバ先生って説教や講義が好きな人なんだけど、そんなことよりも、絵や物語を動かそうよ。
ただ一人がダラダラと喋るだけなら、映画である必要性が無い。

部屋で死者たちが身内と再会した後、シーンが切り替わると、曽我とエルザは草原を歩いているが、どうやって建物の外に出たのか、その経緯は全く説明されない。
勝手に外へ出られたわけじゃなくて、大霊人や天使がOKしたから出られたはずでしょ。
で、外に出たとして、どういう経緯で全員が別行動を取ることになったのか。
っていうか、何も情報を与えられず、いきなりポーンと外に放り出されても、これからどうすりゃいいのか分からないでしょ。
曽我たちが「自分は死んだ」ってことを認識したとして、大霊人や天使は「これからどうすればいいのか」ということを教えてくれないのか。

後藤一家が湖畔で念じると家が出現するけど、なぜ急に念じたのか。
あの態度だと、「念じると願いが叶う」ということを事前に知っていたみたいだけど、どこでどうやって知ったのか。そこは天使が教えてくれるシーンを用意しておくべきじゃないのか。
あと、曽我がエルザの拉致について話しても後藤一家が全くの無関心で、能天気に家のことを考えるのは、すげえ冷たいよな。
それも「本性が丸出し」ってことなのか。
だとすれば、その家族は「酷い一家」ってことになる。
そんな連中が、なぜ地獄に落ちないのか。

時枝と的場は同じように地獄へ落ちたのに、なぜ時枝は暴行を加える側で、的場は甚振られる側なのか。
地獄へ落ちたのなら、時枝だって何か悪行を働いたんじゃないのか。なんで彼女は罰を与えられるのではなく、仲間たちを率いる女ボスになっているのか。
あと、一緒に転落事故で死んだ連中の内、大霊人のシーン以降は全く触れられないメンツもいるんだが、五十嵐や戸田はどうなったのか。
人助けをした服部はともかく、大岩と南川はなぜ大天使と一緒にいるのか。

タンバ先生は真剣に死後の世界のことを分かってもらおうとしていて、だから丁寧に言葉で説明する。
吉野博士が発表会で語っている発表の声が挿入され、それが映像で描かれていることの説明になっているんだけど、ぶっちゃけ、疎ましいんだよね。
そりゃあ映像表現はチープだけど、それでも映像だけで処理してもらった方がマシ。
そこに「この厳然たる事実は霊魂と肉体の分離の現象から始まります。言い換えれば生きていた時の感覚の全てが、霊魂を含む目には見えないが肉体とそっくりさんの幽体と呼ばれる組織の中に吸収されることから始まります」などといった、小難しい解説を入れられても、「いや、どうでもいいから、そんな説明」と言いたくなる。
だってさ、たぶんワシに限らず、この映画を見る人の大半は、「死後の世界とは何なのか。どういうものなのか」ってことについて、そんなに深く知りたいと思っているわけじゃないと思うのよ。
だから、そんなことを真面目で丁寧に語られても、退屈なだけなのよ。

あと、ホントに知ってほしいと思うのなら、ナレーションによる説明じゃなくて、映像や台詞、ドラマで分からせるべきじゃないのか。
例えば、キヨが住む村から人々が人間界へ向かう理由や、曽我が迷い込む樹海が何なのか、そこを抜けた荒野は何なのかってのは、全てタンバ先生のナレーションで解説されているんだけど(例えば人々が人間界へ向かう理由については「守護霊様たちがつぶさに見守って来た死者の、人間界での行動の中で、彼の魂に欠陥が目立っていた時、彼のためにも霊界のためにもならないと判断された場合、死者は残念ながら修業のために人間界に戻されます」といった感じだ)、そこにいる曽我は全く分かってないんだよね。
でも、そういうことじゃあダメでしょ。
曽我が「そこは何なのか」「それは何なのか」ってのを理解する経緯があって、それを見ている観客もそれを理解する、という形にしておくべきでしょ。
だってさ、曽我は人間界に戻って大霊界の宣伝マンとして活動する使命を担っているんだから(それが「マル特霊」の意味)、そこで 起きていることについてキッチリと理解しておく必要があるはずでしょうに。

とにかくテンポがノロいなあ。
「人間が死んでから、どういう場所を巡り、どういう体験をするのか」というのは、もっとサクサクと進められるはずだし、進めるべきだと思うのよ。
無駄なことに時間を掛けて、ダラダラしちゃってるんだよな。
おバカな光景が描かれるわけでもなく、笑えるような突飛な展開が待ち受けているわけでもなく、だからって霊界への強い興味が沸くような面白い“事実”を教えてくれるわけでもないので、マッタリしたタンバ先生のナレーションによる解説も相俟って、ちょっと眠たくなってくる。

(観賞日:2012年9月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会