『TAJOMARU』:2009、日本

畠山家の嫡男は代々、将軍に継ぐ管領職に就くことが決まっている。そのため、次男・直光の未来は子供の頃から決まっていた。長男で ある信綱の補佐をすることだ。次男は家を継ぐわけでも、偉くなるわけでもないが、だからと言って好きなことが出来るわけでもない。 何をすれば良いのか分からず、直光にとって未来は霞んで見えた。しかし信綱を嫌悪することは無く、幼馴染の阿古姫も含め、3人で 仲良く遊ぶ日々を過ごしていた。
ある日、直光は信綱、阿古姫と遊んだ帰り、少年とぶつかった。彼は芋を盗み、畠山家の家臣に捕まった。直光が「芋一つで、なぜ手荒な ことをするのだ。くれてやればいいではないか」と言うと、家臣は「芋1つが、やがて馬1頭、やがては家屋敷まで盗む悪事の始まりです 。許してはなりません」と語る。しかし、直光は少年を召し抱えると宣言した。彼が名前を言わないので、桜丸と名付けた。
やがて直光は青年へと成長した。ある日、御所様(将軍)の足利義政が畠山邸へやって来た。義政の家臣は、大納言の一族が疫病で逝去 したこと、遺体は地獄谷に投げ捨てられたことを告げる。そして直光と信綱に、どちらかが大納言の娘・阿古と結婚し、財産を受け継ぐ よう命じた。義政の狙いは大富豪であった大納言の金塊だ。阿古が直光の許嫁であったため、信綱は「直光を管領職に召されたくて、その ようなお申し出か」と反発する。だが、もちろん義政の命令は変わらなかった。
直光は信綱から、阿古に自分との結婚を認めるよう説得しろと要求される。直光は「それは無理だ。阿古は俺と結婚する。それだけでいい 。金塊は兄上に渡す。管領職に就くのも、家督を継ぐのも、兄上でいい」と告げるが、信綱は「阿古と結婚せずに金塊を手に入れることは 出来ん」と苛立つ。直光は「金塊は必ず渡す。少しだけ時間をくれ」と約束した。彼は阿古の元へ行き、不安げな彼女に「何があっても、 俺がお前を幸せにする」と力強く告げた。
桜丸は信綱に、「直光様は金塊を一人占めするつもりです。かくなる上は信綱様が阿古姫様を掌中に収めること」と促した。阿古が天願寺 にいることを桜丸から教えられた信綱は、彼女を手籠めにして連れ去った。桜丸から知らせを受けた直光は、阿古姫を奪還した。彼は信綱 の追っ手を振り切り、桜丸と老臣・景時を伴って山道へ逃げ込んだ。4人は、景時が案内した洞窟で夜を明かすことにした。
翌朝早く、桜丸は景時を洞窟から連れ出して抹殺し、「私にも人並みの欲がある。盗人根性は、簡単に直らない」と言い放つ。それを目撃 した家臣3人も、桜丸は斬った。直光は景時の死体を発見し、桜丸も死んだと思い込む。彼は阿古を連れて、洞窟を離れた。桜丸は信綱の 元へ行き、彼を抹殺した。直光と阿古が森を進んでいると、大盗賊の多襄丸が現れた。直光は戦いを挑むが全く歯が立たず、殴り倒されて 失神した。多襄丸は阿古を捻じ伏せ、襲い掛かった。
直光が気付くと、木の傍で縛り上げられていた。多襄丸は泣いている阿古に、「俺の女になれ。今さら、こいつとは元に戻れまい」と言う 。すると阿古は表情を豹変させ、力強く「貴方の者になります。その前に、あの男を殺して」と告げる。狼狽して目を潤ませる直光に、 彼女は「みんな貴方のせいよ」と罵声を浴びせる。多襄丸が直光に歩み寄って「あいつは悪女だぜ。殺すか」と持ち掛けている間に、阿古 は逃走してしまった。
直光は多襄丸が縄を切って解放された直後、彼を小刀で突き刺した。瀕死の多襄丸は、「俺の名をやる。お前が多襄丸を名乗るんだ。 多襄丸は生き続けなくちゃならねえ。平安から何人もの盗賊が先代を殺しちゃあ、その名を名乗って来た。思い向くままに生きればいい」 と言い残して息絶える。山中を彷徨っていた直光は、道兼、鉄、猿、鷹という盗賊4人組と遭遇した。刀を向けられた直光は、「俺の名は 多襄丸だ」と名乗る。持っている剣は確かに多襄丸の物だったため、盗賊たちは彼を頭目として迎え入れた。
直光は道兼たちと一緒に行動し、多襄丸として強盗を繰り返すようになる。ある時、彼らは都から逃げてきた公家の行列を襲撃した。道兼 は公家の娘を「土産だ」と直光の寝床に連れて来る。直光は「大丈夫だ、安心して寝ろ」と言い、手を出さなかった。後日、畑で争って いる百姓たちを見つけた道兼は制止に入り、食料や酒を分け与えてやった。百姓は直光たちに感謝し、歌と踊りを披露した。
夜、直光は道兼から、都が東軍と西軍の争いが続いていることを聞かされる。「帝や将軍は無事なのか」と尋ねると、道兼は「将軍家は、 畠山信綱が急死して空いた管領職には弟の直光が収まるっていう噂だ」と語る。皆が寝静まった後、直光は密かに抜け出して都に戻った。 彼は畠山家の屋敷に戻るが、捕まって牢に入れられてしまう。そこに現れた桜丸は、自分が直光を名乗っていることを不敵な笑みで明かす 。家臣も彼を直光として認めているという。「貴方には押し込み強盗として死んでもらいます」と、彼は冷淡に告げた。
さらに桜丸は、自分の妻として阿古を紹介する。多襄丸が呆然としていると、所司代・栗山秀隆の改めが入ったと知らせが桜丸に届いた。 密かに追跡していた道兼が捕縛され、多襄丸が屋敷に逃げ込んだと証言したからだ。桜丸が直光の名をと名乗ると、阿古が現れて「嘘です 。どうか所司代様、お助けください。この者は直光様ではありません。直光様は牢に囚われております」と告げる。道兼は彼女が大納言の 娘だと気付き、桜丸が直光の家来であることを秀隆に教えた。
秀隆に捕縛された桜丸は、家臣の山田に目配せで合図を送った。直光も捕縛されて連行され、所司代の詮議が始まる。阿古は、桜丸が直光 に成り済まし、畠山家を乗っ取ろうとしていると証言した。直光は「そなたは盗賊なのか、それとも畠山直光殿か」と秀隆に問われ、「俺 は多襄丸だ。毎日、自由気ままに生きる盗賊だ」とうそぶく。阿古が「どうか真実をお話しください」と求めても、「今さら真実だと。 片腹痛いわ」と吐き捨てた。
直光は秀隆に、兄に裏切られたこと、阿古を連れて逃げたこと、森で多襄丸に襲われたこと、阿古に裏切られたことなどを話し、「とんだ 茶番だ」と口にする。彼は阿古を激しく非難し、「俺がお前を愛したことは何の価値も無かったのか」と告げた。秀隆から直光であること を確認されると、彼は素性を認めた。阿古は秀隆に、金塊など最初から無いことを明かす。桜丸は信じなかったが、秀隆は家臣たちが 大納言家を捜索しても金塊が見つからなかったことを告げた。
そこへ義政が現れ、桜丸の縄を解かせた。彼は秀隆に、「桜丸に疑わしきことは無い。この者が畠山家を代理することはワシが認めたこと じゃ」と告げる。直光が「これでは正義が通りません」と反発すると、義政は「正義なんぞ人の都合で変わるもの。単なる思い込みの幻 じゃ」と言い放つ。桜丸は将軍の名代として詮議を指揮し、直光と阿古の処刑を命じた。阿古は地獄谷へ連行され、桜丸は詮議の場を去る 。残された直光に、道兼は森での一部始終を見ていたことを明かす。直光が気絶していた間の出来事も、彼は全て見ていたのだ。道兼が 語った内容に、直光は驚愕した…。

監督は中野裕之、芥川龍之介 著『藪の中』より、脚本は市川森一&水島力也、プロデューサーは山本又一朗、共同プロデューサーは 佐谷秀美、アソシエイトプロデューサーは野村祐人、製作統括は亀山千広&上木則安、撮影は古谷巧、美術は林田裕至、照明は高坂俊秀、 編集は掛須秀一、録音は藤本賢一、サウンドデザインは柴崎憲治、ビジュアルディレクターは柘植伊佐夫、アクションコーディネーターは 諸鍛冶裕太、音楽は大坪直樹、音楽プロデューサーは古川ヒロシ。
主題歌「PRAY」作詞:稲葉浩志、作曲:松本孝弘、唄:B'z。
出演は小栗旬、柴本幸、田中圭、松方弘樹、萩原健一、近藤正臣、本田博太郎、池内博之、やべきょうすけ、山口祥行、綾野剛、須賀貴匡 、北村匠海、宮武美桜、小川真育、私市夢太、市瀬秀和、藤真美穂、金子貴伸、増本庄一郎、沖原一生、青木哲也、恒松勇輝、末松暢茂、 菟田高城(現・ウダタカキ)、竹内寿、高田里穂、桜野裕己、小林成男、中川渉、三村晃弘、吉田和歌子、木村優介、村松卓矢、 田中耕三郎、土平ドンペイ、橋本まつり、安藤岳史、新川將人、縄田雄哉、伊東俊ら。


芥川龍之介の小説『藪の中』をモチーフにした作品。
小説に登場する盗賊“多襄丸”を主人公にして、オリジナルのストーリーを作っている。
直光を小栗旬、阿古を柴本幸、桜丸を田中圭、多襄丸を松方弘樹、義政を萩原健一、景時を近藤正臣、秀隆を本田博太郎、信綱を 池内博之、道兼をやべきょうすけ、鉄を山口祥行、猿を綾野剛、鷹を須賀貴匡が演じている。
監督は『SF サムライ・フィクション』『RED SHADOW 赤影』の中野裕之。

まず冒頭、「俺は畠山家の次男・直光。俺の未来は子供の頃から決まっていた」という直光のモノローグが入る。
そもそもモノローグで始めていること自体に違和感があるし、時代劇のはずなのに現代劇の台詞回しなのも違和感。
モノローグだけでなく、劇中のセリフも現代劇の口調だ。
幼少時代の直光が、いきなり「バーカ。兄上とやるわけない」と軽く言ったのには唖然とさせられた。

とは言え、最近では「時代劇の皮を被った現代劇」ってのも珍しくない。
だから、そういう作りにしてある「軽いノリ」の映画なのかと思ったら、かなり重厚なタッチを狙っているように見受けられる。しかし 成長した直光たちは、中途半端に時代劇っぽく喋ろうとしているようだ。
さらに松方弘樹などは、明らかに「重厚な時代劇」としての大仰な台詞回しで喋っている。
だから、小栗旬の芝居と噛み合っていない。
映画として、どっちに合わせるのが望ましいのかというと、そりゃ間違いなく後者なのだが、たぶん小栗や田中圭といった若い 面々は時代劇の台詞回しが出来ないだろうから、そっちに合わせるという選択肢しか無いんだろうな。

幼少時代のシーンで、一人で残された桜丸に誰かが近付く展開がある。その時点で顔は写らないが、成長した後、義政が彼の尻を撫でて 「愛い奴」と言うシーンがあるので、幼少時代から桜丸が彼の寵愛を受け、その手先となっていることはバレバレだ。
ただ、「自分を助けて雇ってくれた直光を、なぜ平気で裏切れるのか」というところの違和感は拭えない。
桜丸が「私にも人並みの欲がある。盗人根性は、簡単に直らない」と言うシーンはあるが、それだけで納得させられるとで思っていたの だろうか。
バックグラウンドが全く見えないだけに、台詞だけで説得力を持たせるのは難しい作業だけどさ。
あと、田中圭の演技も、役者のイメージとしても、「ドス黒い野心家」というキャラに説得力を持たせることが出来ていない。

あと、序盤から桜丸が裏切っているのをバレバレにしてあるのは、どうなのかね。
そこは後半に入ってから、「実は彼が裏切っていた」と明かす形にして、直光と同じタイミングで観客も衝撃を受ける形にした方がいいん じゃないのかな。
で、最初から明かすのであれば、桜丸が裏切った理由や、その心情を、その時に表現した方がいいでしょ。それを隠さなきゃいけない理由 は無いんだから。
ただ単に裏切り行為だけを描いちゃうから、余計に「なんでだよ」と引っ掛かってしまう。
幼少時代に近付いた男が義政だってのも見せればいいし、そこで何を吹き込まれて桜丸が悪党になったのかも明かせばいい。

少なくとも直光に雇われた時の笑顔からすると、雇われてしばらくは、桜丸の中には盗人根性も欲望も無かったはず。
それが、どういう経緯で考えが変化し、醜悪で卑劣な野心家になったのか。そういうことが描かれていないとダメでしょ。
っていうか、そういうことを考えると、こいつと直光の関係性を軸に、正反対の2人の信頼と裏切り、愛憎のドラマを膨らませるべきなん じゃないかとさえ思えてくる。
直光が多襄丸になるとか、阿古が裏切るとか、そういった要素が邪魔なものにさえ思えてくる。
そして、そっちを描きたいのであれば、桜丸は邪魔な存在になって来る。
欲張り過ぎて、処理能力を完全オーバーしているんじゃないか。

考えてみれば、阿古が信綱にも犯された後、多襄丸にも襲われるという設定も、ちょっと欲張り過ぎかなあ。
なんかねえ、そりゃ2人にレイプされるんだから(多襄丸には犯されていないが、その時点では犯されたような描写になっている)、 すげえ悲劇的な展開のはずなのよ、ホントは。
だけど、多襄丸に襲われて悲鳴を上げて暗転するシーンで、なんか笑っちゃったんだよね。
すげえバカバカしいなあ、陳腐だなあと感じちゃったんだよね。

それとさ、阿古は「俺の女になれ。今さら、こいつとは元に戻れまい」と多襄丸に言われると表情を豹変させ、「貴方の者になります。 その前に、あの男を殺して」と力強く言うんだけど、それが本心で言っているんじゃない、直光を裏切ったわけじゃないってのが、演技の 付け方でバレバレになっているんだよね。
たぶん、「彼女が演技をしている」ってのは、その時点ではバレちゃいけないはずでしょ。
本来はバレちゃいけないことがバレバレになっているってのは、かなりマズいでしょ。

多襄丸が直光に歩み寄って「あいつは悪女だぜ。殺すか」と持ち掛けている間に阿古姫は逃走するが、なんで多襄丸がそんなことを直光に 持ち掛けるのかワケが分からない。
その後、直光の縄を切ってやるのもワケが分からない。そこで急にボンクラな行動を取るのが、「阿古が逃亡し、直光が多襄丸を殺して 二代目を継ぐ」という展開を作るための、御都合主義だというのが透けて見えてしまう。後になって、「実は全て多襄丸が阿古に協力して 演じた芝居だった」ということは明らかにされるが、そのシーンで感じたマイナスの印象を拭い去ることは出来ない。
っていうかさ、阿古が直光を救うために別れねばならないと考えている知った多襄丸が同情し、協力して芝居を打ったことが終盤に 明かされるが、無理がありすぎるし。
なんで大盗賊の多襄丸が、そこまで彼女にしてやる善人になってるんだよ。多襄丸が義賊という設定ならともかく、そういうわけでも ないんだし。
あと、実は阿古が多襄丸に犯されていないと分かっても、「だから何?」という感じだし。
犯されていようがいまいが、筋書きとして、そう大差は無いように思えるんだが。

直光は放心状態で山を放浪していたのに、盗賊と出会って仲良くなった途端、それまでの出来事はすっかり忘れたかのように、盗賊の頭と して生き生きと行動するようになる。
すげえ不自然。
なんで普通に笑えるのかな。ついさっき、愛していた阿古を目の前で犯され(そう思い込み)、その阿古に裏切られ、さらに多襄丸を 殺してしまい、もう頭の中がグチャグチャで心の整理が付かない状態でもおかしくないのに。
生まれ変わるのが早すぎるよ。

道兼たちが百姓に施しを与えるシーンを用意して、悪党ではなく義賊のように扱おうとしているが、すげえ中途半端。
公家の行列を襲撃した時は、娘を直光の慰み者として捧げるようなこともしていたでしょ。結果的に直光は女を犯さなかったけど、道兼 たちの中では「女を犯してもOK」という考え方ってことでしょ。
そうなると、幾ら百姓に施しを与えても、義賊として見ることは出来ない。
それに、相手が公家だからって、百姓に辛い思いをさせて金満生活を送っているとか、そういう描写があればともかく、そうじゃない。
ただ公家というだけで襲っている。
あと、その前に山道で襲った一団も、貴族でも金持ちでもなかったし。

阿古は直光が牢に入れられた後、「阿古姫はあの顔を見知っているのか」と桜丸に問われた時に迷いを示す。「(処刑の前に)何か言う ことは無いか」と桜丸に問われると、「今さら私に何を言えと」と睨む。さらに「(金塊のありかは)死んでも貴方に言うものですか」と 反発する。
その辺りで、阿古が直光を裏切っていないことはバレバレになっている。
でも、そこはまだ、直光が「阿古は俺を裏切った」と思い込んでいなきゃならない時期のはず。それなのに、迷いを示したり、桜丸に迎合 していないことを明示したらダメでしょ。
まあ直光は、そういうことがあっても「阿古は俺を裏切った」という確信が全く揺らいでいないけどさ。

エンターテインメントに仕立て上げているはずだが、「ブンゲイ」の呪縛から抜け出せていないように思える。後半の詮議のシーンになる と、ただダラダラとしているだけ。絵的に何の動きも無いし、だからって文芸作品の価値があるわけでもないし。
ひょっとして、小栗の芝居だけで観客の気持ちを引っ張れると思っていたのだろうか。
その後の展開は、かなりメチャクチャ。
地獄谷に身を投げた阿古も、追い掛けて飛び降りた直光も、なぜか生きている。道兼たちを殺されたと知った直光は、急に強烈なカリスマ 性を会得したのか、言葉だけで桜丸に付いていた家来たちを寝返らせる。
その後は、ちっとも時代劇らしさの無い「ソード・アクション」をやってオシマイ。
あと、劇中で洋楽が挿入されるのだが、まあ見事なぐらい合っていないね。

この作品は、そもそもお蔵入りになってもおかしくない状態だったのに、山本又一朗プロデューサーが無理に製作を続行したという経緯が ある。
その時点で、つまり撮影に入る前の段階で、あらかじめ失敗は定められていたのかもしれない。
日刊サイゾーに掲載された山本Pのインタビューで、その経緯が詳しく説明されている、
まず最初に、市川森一が執筆した脚本を山本Pが東宝へ持ち込んだ時、文芸作品としての内容だったため、大作の予算では回収できないと 言われたらしい(この映画はワーナー・ブラザーズ映画が配給しているので、東宝にダメ出しをされた後、そっちに持ち込んだのかも しれない)。

もっと大衆好みの作品にすべきだと考えた山本Pは、監督に決まっていた豊田利晃に脚本の手直しを頼んだ。
しかしクランクイン1ヶ月前になって、豊田監督がギブアップしてしまう。
だが、山本Pは製作を中止にせず、クランクインを後ろにズラすことに決めた。 それに伴って予算も縮小する必要に迫られたが、最大のセットである御所のシーンを削ると萩原健一の出番が無くなる。
そういう事態を避けたい山本Pは、多額の損失を出す覚悟を決め、御所のシーンを使うことにした。

しかし、まだ監督も脚本も決まっていない。そこで山本Pは、中野裕之に監督を引き受けてもらい、脚本は一色伸幸に依頼した。
しかし一色が考えたプロットでは新しいセットが必要で、そのための時間も予算も無かった。そこで山本Pは自ら脚本を手掛けることに したのだ(「水島力也」は彼のペンネーム)。
そんな山本Pが過去に脚本を手掛けた作品は、『あずみ』と『あずみ2 Death or Love』。
まあ、そういうことだよね。
「そういうことって、どういうことだよ」とは、出来れば突っ込まないでほしい。
「ああ、なるほどね」と理解してくれると、非常に有り難い。

(観賞日:2012年4月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会