『たどんとちくわ』:1998、日本

「たどん」編と「ちくわ」編の2本の作品によって構成された映画。1話目の「たどん」は、タクシー運転手の木田が主人公。様々な客を乗せてタクシーを走らせる内に、次第にイライラを募らせていく。そんな中で乗せた客が、不倫相手の泊まっているホテルに向かう安西という男。
木田は何気なく自分の身の上話などしつつ、安西に職業を尋ねる。「たどん屋だよ」と面倒そうに答える安西。その言葉にキレてしまった木田は、タクシーを海辺へ走らせ、「たどん屋だという証拠に、ここでたどんを作ってみろ!」と叫ぶ。彼の手にはトカレフが握られていた。
2話目の「ちくわ」は、売れない作家の浅見が主人公。屋台でちくわを注文した浅見は、「ちくわは無いが、ちくわぶでどうだ」と言われる。浅見は屋台の上に立ってスボンのチャックを下ろし、「ここにちくわがあるじゃないか」と言って屋台のオヤジをからかう。
馴染みの料亭に入った浅見は、周囲の人々が自分の噂話をしているような不快感に襲われる。トイレに入った浅見は、自分の男性器が無くなっていることに驚く。店にいる人々が自分を陥れようとしていると考えた浅見は、包丁を持って暴れ始める…。

監督は市川準、原作は椎名誠、脚本は市川準&佐藤信介&NAKA雅MURA、製作は山地浩、企画は中沢敏明、プロデューサーは板谷健一&川崎隆、撮影は小林達比古、編集は三條知生、録音は橋本泰夫、照明は中須岳士、美術は間野重雄、音楽は板倉文、音楽制作は小暮隆生。
出演は役所広司、真田広之、根津甚八、安部聡子、田口トモロヲ、小鹿番、桃井かおり、滝本ゆに、直瀬遥歩、山本徹、上楽敦子、太田光、田中裕二、土橋未弥、正木優太、山本高史、高野浩司、渡辺宰、福井亜希子、弘中麻紀、山内健司、塚本耕司、小野田由紀子、小野里久夫、春温子ら。


庶民の日常を淡々と描く作品を作り続けてきた市川準監督が、「今回は自分の殻を破ってみたい」という意図を持って作り上げた作品。
「たどん」編の木田を役所広司、安西を根津甚八、「ちくわ」編の浅見を真田広之が演じる。桃井かおりと爆笑問題が「たどん」編にチョイ役で顔を出している。

いきなり木田が安西にキレている場面から入ったのは失敗だろう。
この作品では、ささいなことで木田が苛立ちを覚え、それが異常な形でエスカレートしていくという「予想外の展開」に面白さがあるはずだ。
最初に木田のキレている様子を描いたら、物語の進む方向が予測できてしまう。

音楽に乗せて街の情景を映し出す演出も、全く作品の雰囲気と合っていない。
そういう演出が最初に出てくるので、観客はいつもの市川準テイストの作品だと思い込むかもしれないが、実際は違っているわけだし。
そういった、悪い意味での裏切りは要らない。

「たどん」編で、安西が木田に「たどん屋だよ」と答えた次の瞬間、彼の顔にたどんが「デン!」と被さる。まあ、いわゆるギャグをやっているのである。
ところが、その手の演出はその場面だけしか見られない。
だから、そこだけが完全に浮いている。
だが、この映画の内容に合っているのは、むしろそういう演出ではないだろうか。

それ以外の場面で見られるスローモーション等の演出は、全く内容に合っていない。
特に市川準監督の得意とする「街の情景や人々の様子を何気なく映し出す」という場面が多く見られるが、全く物語のテイストとマッチしていない。
そのアンバランスがシュールな笑いを生み出すことも無い。

安西の不倫相手の様子が何度も挿入されるのも、演出の意図が良く分からない。
それは流れを止めてしまう効果しか生んでいない。
監督本人としては、かなり思い切って冒険したつもりなのだろう。
しかし、彼の殻は予想以上に固かったようだ。

で、結局のところ、基本部分は破壊できていないわけだ。普通の人々の生活を静かで淡々としたタッチで描き出すというスタイルは変わっていないのだ。
つまり、土台と建物が合っていない。
市川準監督には、爆発力を必要とするコメディーを作るのは無理だったということだ。

木田がタクシーの中にトカレフを隠し持っていることが、非常に不自然に感じられる。
そこまでの彼は「平凡な中年男」として存在していたはず。
だが、トカレフの所持が分かった時点で、「普通の男が次第に怒りを募らせていった」のではなく、登場した時から普通ではなかったということになってしまう。

2つの作品の持ち味が全く違うのもツライ。
本質的な部分での共通項が見つからないのだ。
「たどん」編は、普通の男がフラストレーションを溜め込んでキレてしまうという形。
しかし、「ちくわ」編の主人公は最初からエキセントリックである。

「たどん」編は“キレる”ことが描かれるが、「ちくわ」編は“イカれる”ことが描かれる。
「たどん」編は現実だが、「ちくわ」編は幻覚だ。
最後に2つの話は1つの線になるが、共通項が無いせいか、ただ同じフレームに存在するというだけで、本質的に繋がった感じはしない。

浅見が妙なダンスを無言で踊るシーンと、狂気の世界から抜け出して自分の男性器があることを確認したシーンだけは面白かったが、それ以外はイマイチ。
基本的に、市川準監督は娯楽性を追及することが苦手な人なんだろうと思う。

 

*ポンコツ映画愛護協会