『超能力者 未知への旅人』:1994、日本

43歳のタカツカヒカルは北京空港に降り立ち、中国人民解放軍北京軍区気功研究所へ赴いた。気功研治所長の万蘇建と研究員の面々は病気の患者に対し、気功を使った治療を試みていた。タカツカも被験者となり、気功の治療を受けた。現在では「超能力サラリーマン」として有名になったタカツカだが、かつては平凡なサラリーマンだった。5年前、タカツカは東京の広告代理店「SOUTSU」の営業3課に勤務する社員だった。彼は後輩社員の山村英子たちと共に、ごく普通のサラリーマンとして働いていた。
タカツカは母が危篤に陥ったという知らせを受け、病院に駆け付けた。彼は主治医の石田から母が心筋梗塞で心臓破裂を起こしたことを知らされた。タカツカが母のベッドに近付くと、自然に手が動き出した。彼が母の体に手をかざすと、たちまち心臓は完治した。タカツカが母の病気を治したという噂を英子から聞かされた同僚の田村は、面白半分でスプーンや鍵を渡した。するとタカツカは、それらを簡単に曲げてみせた。それだけでなく、タカツカは田村が無くした企画書の場所も透視することが出来た。
タカツカはカメラマンの森から、再生不良性貧血で苦しむ高校1年生の姪を診てほしいと依頼される。一度は断ったタカツカだが、森から懇願されて姪と会うことにした。タカツカは少女に手をかざして病気を治療し、その様子を森が撮影した。その写真が掲載された週刊誌を見た後藤専務は、頭痛の治療を依頼した。タカツカが手をかざすと、すぐに頭痛は消えた。週刊誌を見た病人たちが会社のロビーに押し寄せたため、タカツカは順番に治療した。
タカツカはヒーリングを始めてから体質が変化し、酒を受け付けなくなった。食欲は減退するが、水を飲むだけで満足するようになった。喫煙量だけは増えたが、睡眠は3時間程度で充分だった。足の悪い老人は治療を受けて歩けるようになり、妻が治療代を渡そうとする。しかしタカツカは金が目当てではないので、受け取ろうとしなかった。そこへ芝浦署の原口と佐久間が現れ、医師法違反の疑いでタカツカを連行した。しかしタカツカが手をかざすだけであり、治療費も受け取っていなかったため、医務監視係の島田は医師法に違反していないことを原口たちに告げた。
大勢の患者が会社に押し寄せることで業務に支障が出るようになり、タカツカは課長から注意を受けた。そこでタカツカはロビーでの治療を中止し、患者には土曜と日曜だけ自宅に来てもらうことにした。塙社長はタカツカを呼び寄せ、血圧を下げてほしいと頼んだ。血圧が下がったことに浮かれた彼は、タカツカを情報開発部に配置して強力なコネを築くよう命じた。マスコミの取材や悪戯電話が殺到する中、タカツカの妻である明子は疲れ果ててしまう。彼女は酒に逃避し、急性アルコール中毒で倒れた。
タカツカは京急電鉄の村沢社長に依頼され、足の骨にある癌を治療する。明子はマンションの管理組合の面々から、住居以外の目的で使うことを咎められる。タカツカは通産省の山路から、東京電機大学の町好雄教授が興味を持っていることを聞かされる。山路は科学的調査に協力してほしいと要請するが、タカツカは断った。タカツカは後藤から、仕事関係の娘を診てほしいと依頼される。タカツカは少女が入院している国立病院へ赴くが、主治医の田辺に煙たがられた。
田辺が少女の母に「迷信的な治療を受けられたいなら、退院していただきます」と言うので、タカツカは病室を後にした。しかし少女の姉が追い掛けて来て、治療を懇願する。タカツカは「誰にでも出来ることだ」と説明し、彼女の両手に自分のエネルギーを注入した。田辺の言葉が気になったタカツカは、町の実験を受けることにした。科学的調査の結果、タカツカが気を発すると手の温度や血圧が上昇することが判明した。また、脳波を調べたことにより、赤外線の形で気を送っていることが明らかになった。
村沢は症状が回復したことに喜び、広告の一切をSOUTSUに任せると約束した。塙はタカツカの貢献を称賛し、特別ボーナスを出すと告げる。タカツカは「報酬は受け取れないんです」と断り、「特別なご配慮を頂けるんでしたら、週4日の勤務にして頂けませんでしょうか」と告げる。多くの患者を救うために、勤務時間を減らしたいというのだ。塙は承諾し、人助けに尽力するよう勧めた。タカツカは人事部長から、正規の給料を支払うのは給与体系からして無理なので、契約社員になってはどうかと提案された。
契約社員になれば年入は大幅に下がるため、マンションのローンを支払うことも難しくなる。明子は契約社員になることを反対するが、タカツカは人助けの使命感を選択した。明子も仕方なく承諾し、マンションは手放すことになった。タカツカは宗教研究会の理事長だと称する室伏から超能力の宗教法人化を持ち掛けられるが、迷わずに断った。タカツカは塙から、ある人物の癌を治療してほしいと頼まれる。患者の名前は教えてもらえなかったが、日本を動かしている人物であり、命懸けの仕事だと告げられる。ホテルへ出向いたタカツカを待っていた老人は、日本の運命を左右するほどの大物政治家だった。タカツカは怖くなってしまい、その場から逃げ出した。
タカツカは二度と超能力を使わないと決め、面会中止の紙を自宅の玄関に貼り出した。それでも患者は押し寄せるが、タカツカは家に閉じ篭もって治療を拒否した。そんな中、彼は自分を頼った末期癌の患者が飛び降り自殺したことを知った。タカツカの治療が受けられないことで、人生に絶望して命を絶ったのだ。「罰が当たったんだ」とタカツカが落ち込んでいると、明子は「中国にはさ、貴方みたいな人が一杯いるんでしょう?行ってみたら?何か見つかるかもしれない」と勧めた…。

監督は佐藤純彌、脚本は早坂暁、企画は岡田裕介、プロデューサーは河瀬光、撮影は浜田毅、美術は小澤秀高、照明は渡邊孝一、編集は西東清明、録音は佐原聡、音楽は長谷部徹、音楽プロデューサーは石川光、テーマ曲「光りは闇の中に」By タカツカヒカル&TRY…U。
出演は三浦友和、原田美枝子、長谷川初範、安永亜衣、中野英雄、フランキー堺、丹波哲郎、大滝秀治、石橋蓮司、本田博太郎、岩崎加根子、北村総一朗、下条アトム、勝部演之、加藤純平、片桐竜次、内田稔、堀田真三、飯島大介、タカツカヒカル、稲垣愛、瞳麗子、賀川ゆき絵、一柳みる、十勝花子、棟里佳、柏木みどり、山本緑、小栗さちこ、鈴木真帆、麻里万里、堂ノ脇恭子、小林正希、猿田修二、後藤修、大野紋香、須賀良、相馬剛三、八百原寿子、安良岡俊一、山浦栄、小甲登枝恵、澤田誠志、木村修、花原照子、窪園純一、沢田浩二、安田洋子、吉見純磨、泉福之助、松井美樹、山下徳久、山田光一、江口尚希、山瀬秀雄、仲塚廣介、真大翔子、武田吉広、佐川二郎、松尾晶子、武井信夫、名川貞郎ら。


「超能力サラリーマン」として有名になったタカツカヒカル(高塚光)を主人公にした映画。
監督は『敦煌』『おろしや国酔夢譚』の佐藤純彌、脚本は『夢千代日記』『公園通りの猫たち』の早坂暁。
タカツカを三浦友和、明子を原田美枝子、田村を長谷川初範、英子を安永亜衣、森を中野英雄、石田を北村総一朗、島田を下条アトム、室伏を石橋蓮司、田辺を本田博太郎、タカツカの母を岩崎加根子が演じている。
塙役でフランキー堺、村沢役で丹波哲郎、老人役で大滝秀治が出演している。

時代の経過に伴い、もはや高塚光を知らない人も増えただろうが、1990年代は大きな話題を集めた人物だ。
劇中でも描かれるように、無償でヒーリングを行うサラリーマンとして注目を集めるようになった。
ただ、テレビ番組に出演したり週刊誌で連載を持ったりするのはともかく、超能力歌手をプロデュースしたり、この映画に出演したりするような活動に関しては、そもそも「胡散臭い」と批判的に見る人々も少なくない中、自分で自分の首を絞めているとしか思えなかった。

当時のタカツカ先生は東急エージェンシーで働いており、その関係で東映が彼の半生を基にした映画を製作することになったらしい。
ただ、幾ら大ブームになっていたとは言え、タカツカ先生を主人公とする映画を作ろうってのは、どういうセンスなのかと思ってしまう。
一方、なぜタカツカ先生自らが出演したのかってことだが、宣伝目的ではない。ヒーリングは無償でやっていたわけだから、宣伝しても意味が無いし。まあ講演会とかテレビ出演が増えるというメリットはあるかもしれないけどね。
ただ、本人曰く「僕が影響を及ぼした映像や音楽を見たり聞いたりするだけで、免疫の数値が上がることが実験で分かった」ってことで、大勢の人々の役に立てばということで出演したらしい。
あくまでも、「出来る限り多くの人々を健康にするため」という目的のための映画出演なのだ。

作り手側の目的は明白で、「タカツカ先生は偉大な超能力者であり、そのヒーリング能力は疑いの余地が無い本物なので、みんなで信じて崇めましょう」と訴えることにある。
ってことは、東映の上層部にタカツカ先生の熱心な崇拝者がいたんだろう。
そして監督の佐藤純彌や脚本家の早坂暁も、もちろんタカツカ先生の素晴らしい能力に魅了されたんだろう。
彼らのように実績と経験を積んで来た立派な映画人が、その能力を信じてもいないのに、単なる雇われ仕事で超能力者の伝記映画を手掛けるなんてことは考えにくい。

タカツカ役に三浦友和を起用しているのは、上手いキャスティングだ。
そこに「決して嘘をつきそうにない俳優」を据えることで、映画に描かれている内容の信憑性を高める効果が期待できる。
「三浦友和が演じているんだから、タカツカヒカルという人物のヒーリング能力は本物なのだ」と多くの観客に感じさせる力がある。
もちろん製作サイドからすれば、そんなことをしなくてもタカツカ先生のヒーリング能力が本物なのは明白だ。しかし疑いを持つ人々が少なくなかったことは事実なので、そういう作業は大切だ。

「タカツカ先生の素晴らしさをアピールする伝記映画」ってことを考えると、バレバレのフィクションを中途半端に盛り込んでいるのは大きなマイナスだ。
具体的に挙げると、タカツカの勤務先を「SOUTSU」という会社にしていること。
なぜ東急エージェンシーという実際の会社名を使わないのか。東映と関係の深い会社なんだから、そこは許諾が取れそうなモノだが。
そこは小さなことに思えるかもしれないが、意外に大きなマイナスだと感じる。そういう部分も実名にすることで、内容の信憑性を高めることに繋がるはずだ。

この映画を製作した面々が、いかにタカツカ先生の能力を信奉し、「多くの人々に知ってほしい、信じてほしい」と思っていたのかは、作品の構成にも顕著に表れている。
何しろ、最初に登場するのは「タカツカ先生を演じる三浦友和」ではなく、タカツカ先生本人なのだ。先生が内気功研究所を訪問するドキュメンタリーとしての映像から映画はスタートし、そこから三浦友和が主人公を演じるドラマに入っていくのだ。
これは構成として、決して上手い方法だとは言えない。
しかし、本物のタカツカ先生を登場させてドキュメンタリー部分から始めるってのは、それだけ製作サイドが「先生の能力を知ってほしい、信じてほしい」と熱く思っていたことの表れだろう。

劇中、タカツカ先生は次々に患者を診察し、怪我や病気を完治させていく。だが、そういう様子だけを描いていると、懐疑派の人々からは「嘘臭い」と批判されることも懸念される。
もちろんタカツカ先生の能力が紛れも無く本物であることは、心の清らかな人なら知っている。しかし、批判的な人々にも納得してもらうための配慮として、「会社命令で治療する」「大物政治家の治療に臆して逃げ出す」「患者の自殺を知って落ち込む」といった出来事を挿入している。
そういう人間臭い部分や弱い部分も見せることで、タカツカ先生を「非現実的なスーパーマン」ではなく、「我々と同じように弱さや脆さを持つ人間なのだ」と感じさせようとしているのだろう。そうすることによって、親近感を抱かせようという作戦だろう。

劇中、東京電機大学の工学部教授である町好雄氏と日本医科大学・基礎医学情報処理室の河野貴美子研究員が登場し、タカツカ先生の能力を調べる。
そういう立派な立場にある人物が実施した「科学的調査」というお墨付きを与えることによって、タカツカ先生の能力の信憑性を高めようという狙いだ。そして、そのシーンだけは、被験者が「タカツカ役の三浦友和」から「タカツカ先生本人」に変化する。
普通の劇映画として考えた場合、そこだけ唐突に本物の教授が登場し、ドキュメンタリーに変貌するってのは、バランスとして好ましいことではない。しかし本作品の場合、一番の目的は「タカツカ先生の能力を多くの人々に知ってもらい、信じてもらうこと」だ。
だから、バランスを無視してでも、そういうパートを挿入することは、目的に合致しているのだ。

「大物政治家の治療から逃げ出したらタダじゃ済まないだろう、側近や関係者が連れ戻して治療を要求するだろう」という疑問はあるが、それはタカツカ先生の能力の信憑性と直接的に関係する事柄ではないので、華麗にスルーしておこう。
そしてタカツカ先生は妻に勧められ、中国へ向かう。
冒頭ではタカツカ先生本人だったが、映画の後半では「タカツカ役の三浦友和」が自分探しの旅として中国の各地を巡る様子が描かれる。ただし、様々な気功や学術会議について彼が説明するナレーションが入り、内容がドキュメンタリーへと変化する。
それも前述の科学的調査シーンと同じくバランスは悪くなるが、大切なのはバランスよりも目的を果たすことだ。

映像が気功研究所のシーンに切り替わると、またタカツカ先生本人が登場する。
でも、また別の場面になると、三浦友和に戻っている。
「主人公が中国へ渡って気功の実態を見る」という展開が、劇映画の終盤にふさわしいとは思わない。しかし形としてはクライマックスになるわけで、そこが急にドキュメンタリーへと変貌したり、場面によって三浦友和とタカツカ先生本人が入れ替わったりするのは、普通に考えれば大間違いだ。
しかし、それは「いかに製作サイドがタカツカ先生の能力を伝えたかったか」という熱意の表れなのだ。

中国からタカツカ役の三浦友和が戻って「言って良かったよ」と妻に告げていると、フランキー堺が訪ねて来る。
しかし、そこでの彼は「塙社長」の役柄ではなく、フランキー堺としての登場だ。そして彼が訪ねる相手も、タカツカ役の三浦友和ではなくタカツカ先生本人に変化している。
そこは唐突に「本人と本人の会話シーン」になり、フランキー堺がタカツカ先生に治療してもらって具合が良くなったことを感謝する。
通販番組で有名人が「これを飲んで元気になった」などとコメントするケースがあるが、それと同じようなことが、映画の終盤に用意されているわけだ。

フランキー堺は元気になったことを語った後、カメラに向かって「これはお芝居ではありません。私の実体験であります」と話し掛ける。
そのように、フランキー堺に本人として「治療を受けて良くなった」と言わせてしまうことによって、もはやドラマ部分は台無しになってしまう。
それならば、最初から最後までドキュメンタリーとして描き、関係者のコメントやヒーリングに関する科学的な調査などによって構成すればいいのだ。その方が遥かに、まとまりは良くなる。
しかし、それもまた、製作サイドがタカツカ先生の能力を観客に伝えたいという気持ちが熱すぎた結果として生じてしまった歪みなのだ。

その後には2年半前にエイズを発症した男性が登場し、タカツカ先生の治療を受けている感想をインタビューという形で喋る。
すっかりタカツカ先生のプロモーション・フィルムと化しているが、この映画の本質はそこにあるのだから、決して大きく間違っているわけではない。
そして映画のラストでは、タカツカ先生本人が画面に向かって念じ、「最後に 皆様に気を送ります」という文字が出る。
超能力者のプロモーション映画としては、「これしか無いだろう」と強く感じさせるエンディングである。

ともかく、自身をモデルにした映画まで作られたわけだから、ますますタカツカ先生の知名度は高まったと言っていいだろう。
しかし皮肉なことに、この映画が公開された4ヶ月後には、『噂の眞相』で自らをインチキ超能力者と称した懺悔の手記を発表した。
ただし一度は廃業を宣言したものの、その後もヒーリング活動は続けている。今でも彼は、自分を超能力者だと主張している。
じゃあインチキ宣言は何だったのかってことになるが、たぶん多忙だったせいで疲れちゃったんだろう。

(観賞日:2016年7月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会