『トイレの花子さん』:1995、日本

本町小学校の周辺では小学生の連続殺人事件が起きていた。4年1組の女生徒達は、コックリさんで犯人を占うことにした。いじめられっ子の坂本なつみも参加させられる。コックリさんによって導き出された犯人の名前は「は・な・こ」。生徒達はトイレの花子さんだと考える。
トイレの花子さんは、6年生のトイレの一番奥に潜むと噂されている幽霊。さらに占いを続けると、花子さんが次に狙うのは「な・つ・み」で、しかもやって来るのは明日だという。なつみは怖くなって兄の拓也がいる6年2組に向かったが、全く相手にしてもらえない。
6年2組には水野冴子という転校生がやって来た。彼女は同じクラスの加奈子達に妬まれ、一番奥のトイレを使ったことで花子さんだという噂を立てられる。さらに飼育小屋の山羊が惨殺された事件現場でも冴子が目撃され、その事件の犯人としてクラス全員から疑われることになる。
それでも拓也だけは冴子に優しく接していたが、冴子の近くで起きた怪奇現象を目撃したことで冷たい態度を取るようになってしまう。クラスメイト達は冴子を追い詰め、一番奥のトイレに閉じ込める。同じ頃、学校には連続殺人犯が忍び寄っていた…。

監督は松岡錠司、脚本は松岡錠司&福田卓郎、企画は榎望&梅川治男、製作は中川滋弘 中沢敏明、プロデューサーは榎望&梅川治男、撮影は笠松則通、編集は奥原好幸、録音は辻井一郎、照明は市川元一、美術は斉藤岩男、装飾は大光寺康&沢下和好、音楽は天倉邦晃(モダンチョキチョキズ)、音楽プロデューサーは佐々木麻美子。
出演は河野由佳、井上孝幸、前田愛、豊川悦司、大塚寧々、竹中直人、梅津栄、緋田康人、深浦加奈子、土屋久美子、小沢象、鈴木夕佳、三東康太郎、伊牟田麻矢(浜丘麻矢)、栗山千明、前田亜季ら。


最初に書くが、『トイレの花子さん』というタイトルと中身が合っていない。タイトルを見れば、誰だってトイレの花子さんが怪奇現象を引き起こして子供達を恐怖に陥れる映画だと思うだろう。
でも、そういうのを期待したら大きく外されることになる。

どうやら目に見えない幽霊の恐怖よりも、子供達の中にある嫉妬心、イジメ、集団ヒステリーが引き起こす怖さを打ち出したかったようだ。
これって子供向けのホラー映画だと思うのだが、果たしてそんなシリアスで難しいテーマを扱ったのが正解だったのかどうか。

で、集団ヒステリーの持つ恐怖を描くと決めたのなら、最後までそれ1本で引っ張るべきだった。しかし途中で殺人犯が登場して、後半は殺人犯が恐怖の対象になってしまう。
前半でエスカレートさせていった集団ヒステリーの怖さが、中途半端な状態で終わってしまう。

黒板にチョークで文字を書いて言葉のやり取りをするなど、拓也と冴子の淡い恋愛模様が描かれる。ラストなんてキスシーンですぜ。ヌルいったらありゃしない。この映画で描くべきテーマじゃないでしょ。青春ムービーじゃないんだから。
なつみと冴子の女同士の友情も描かれるけど、そういうのも、別にこの映画で必要な要素だったとも思えない。しかも、その扱いは非常に薄く、あの程度の付き合いではとても友情が芽生えるとは思えない。
なつみの『私、心に刻んだから』という臭い台詞も空々しく響くだけ。

殺人犯の声にエフェクトを掛けて怖さを増強しようという演出があるけど、犯人は普通の人間なんだから、エフェクトを使う必要は無い。で、恐ろしいはずの犯人が子供一人に飛び掛かられてぶっ倒れてしまう場面があったりする。弱いじゃねえか。
そんでもって、最後は集まった子供達にライトを当てられ、ビビってしまう殺人犯。1人ずつ手に持ってる鎌で殺していけばいいんじゃないのか。最後は子供の団結力が勝利するってことですかね。そんな予定調和は要らないですぜ。

で、肝心の花子さんは申し訳程度に怪奇現象を起こすだけ。本筋に絡むことは無い。途中に挿入されている「勝手にトイレのドアが閉まる」ようなシーンも、あまりにも意味が無い。
ホントは花子さんが恐怖の対象にならないとダメな映画じゃなかったのかねえ。

結局、イジメや集団ヒステリー、殺人犯、花子さん、この3つの要素が全く絡み合わない。そりゃそうだろう。どう考えても絡むはずが無いのだ。
であるからして、やっぱり単純に花子さんが怪奇現象を起こすホラー映画として作った方が良かったのではないだろうか。

 

*ポンコツ映画愛護協会