『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』:2019、日本

パパスとマーサという夫婦の間に、リュカという男児が誕生した。マーサが魔物たちに連れ去られ、リュカはパパスと共に奪還するための旅に出た。ルドマンの娘のフローラは、リュカに一目惚れした。ビアンカと出会ったリュカは、レヌール城のお化けを退治した。リュカはドラゴンオーブを手に入れ、ビアンカは子供のキラーパンサーを譲り受けてゲレゲレと名付けた。母を捜すパパスとリュカの旅は続き、ラインハット王国を訪れた。パパスはリュカを伴い、魔物に連れ去られたヘンリー王子の救出に向かった。ジャミとゴンズを倒したパパスの前にゲマが現れ、リュカたちを人質に取った。パパスは無抵抗で攻撃を受け、リュカの眼前で息絶えた。
リュカとヘンリーは奴隷として扱き使われ、10年が経過した。彼らは死体に化けて樽に隠れ、セントベレス山の大神殿から脱出した。すぐに見つかった2人だが、プサンという男の荷馬車に隠れて逃亡した。プサンは彼らに、ゲマが魔界の門を開いて大魔王ミルドラースを復活させるつもりだと話す。プサンは天空の勇者を見つけ出し、ゲマを止めようと考えていた。リュカとヘンリーはプサンの手引きで帆船に乗り、ラインハットに帰還した。
リュカはヘンリーと別れ、父と暮らしたサンタローズの小屋へ向かった。地下の隠し部屋に足を踏み入れた彼は、パパスの日記を発見した。日記には、ゲマが魔界の門を開く呪文を知るために天空人のマーサを幽閉していること、天空の剣と勇者を見つけて魔界の門を封じればマーサを救えること、リュカこそ天空の勇者だと信じていることが記されていた。召し使いのサンチョと再会したリュカは、ルドマンから天空の剣を手に入れたという便りがあったことを知らされた。
サンチョはルドマンが住むサラボナへ行くよう促し、パパスの形見の剣を差し出す。リュカは「僕には重すぎる。辿り着けるわけがない」と弱腰になるが、結局は行くことに決めた。数々の魔物を倒す中で、スライムのスラりんが仲間になった。さらにリュカはゲレゲレと再会し、サラボナに到着した。街はすっかり荒れ果てており、ルドマンは「魔物のブオーンを退治できた者を一族の跡継ぎとして迎える」という貼り紙を出していた。これまで名のある者たちが何十人もブオーンに挑んだが、誰も帰って来なかった。
フローラはブオーン退治で結婚相手が決まることを嫌がっていたが、リュカが来たので再会を喜んだ。ルドマンから「お主もブオーンを倒しに来たのか」と言われたリュカは、慌てて「倒せるわけがないでしょう」と否定した。ルドマンは天空の剣を抜くようリュカに促すが、気付かない内にブオーンが奪い去っていた。フローラが自分その結婚を望んでいると知ったリュカは、すっかり浮かれた気持ちになった。彼はブオーンが住む洞窟へ突っ込むが、まるで歯が立たずに退散した。
リュカは酒場でビアンカと再会し、再び洞窟へ赴いた。リュカは自分だけで行くつもりだったが、ビアンカは勝手に付いて来た。リュカは天空の剣を見つけるが、鞘から抜くことが出来なかった。リュカが自分が天空の勇者ではないと知って落胆し、ビアンカと共に逃げ出した。ブオーンに追われた彼は弱点に気付き、降伏に追い込んだ。リュカがブオーンを退治してフローラと結婚することを明かすと、ビアンカはニヤニヤする彼に「凄いじゃない」と告げて手助けを申し出た。リュカがフローラの前で恥ずかしがっていると、ビアンカがを押した。リュカが求婚すると、フローラは喜んでOKした。
リュカが浮かれて夜の酒場に立ち寄ると、ビアンカが悪酔いしていた。彼女を残して宿に戻ったリュカの前に、占い老婆が現れた。「結婚について悩んでおるな」と言われたリュカが「悩んではいません」と否定すると、老婆は「何かを必死に押さえ込んでいる目じゃ」と言う。「本当の自分の心に会ってみたくはないか」と訊かれたリュカは断るが、老婆は本当の心に出会えるという聖水を部屋へ置いていった。リュカは呆れて老婆を追い払うが、気になって聖水を飲んだ。心の世界でビアンカの姿を見たリュカは、激しく動揺した。
翌日、彼は結婚の中止をルドマンに申し入れ、「フローラより大切な人の存在に気付いてしまった」と釈明した。リュカはルドマンに謝罪し、天空の剣を渡して立ち去ろうとする。ルドマンは剣を受け取らず、天空の勇者を見つけたらセントベレス山の町を訪ねるよう告げる。マスタードラゴンが人間に姿を変えて住んでいるので、力になってもらえと彼は語った。ルドマンはリュカが逆鱗に触れたように言い回り、彼を守った。リュカは酒場でビアンカに求婚し、OKを貰った。彼は老婆を見掛けて後を追い、礼を言った。リュカは知らなかったが、老婆の正体は魔法で変身したフローラだった。
その頃、ゲマはマーサを目覚めさせようとするが、まだ魔力が足りていなかった。リュカはビアンカを連れてサンチョのいる小屋へ戻り、結婚生活を始めた。しばらくは幸せで平穏な日々が続き、やがて息子のアルスが誕生した。そんな中、ゲマが手下たちを率いて小屋を襲撃した。リュカは剣を取って戦いを挑み、ビアンカもアルスをサンチョに預けて加勢する。しかしリュカはゲマはの魔力で石化し、ビアンカは天空人だと知られて捕まった。ゲマはビアンカに魔界の門を開くよう要求するが、マーサの忠告に従って拒否した。ビアンカはゲマを攻撃するが、まるで歯が立たず石にされた。
8年後、アルスはストルスの杖を手に入れ、リュカの石化を解いた。アルスが天空の剣を抜いたため、リュカは息子が天空の勇者だと知る。2人はビアンカを救うため、マスタードラゴンの助けを得ようと考える。プサンの家を訪れたリュカとアルスは、彼がマスタードラゴンだと知る。しかしプサンはドラゴンオーブを無くし、ドラゴンの姿に戻れなくなっていた。リュカは自分が持っているオーブのカケラを見せるが、プサンは「これは偽物だ」と言う。
プサンは「洞窟に済む妖精に頼めば、何でも願いを叶えてくれる」と言うが、ロボットたちが守っていると告げる。リュカが「ロボット?似合わなくないですか?」と違和感を口にすると、彼は「今回の決まりではそういうことになっとるんだわけと話す。しかも厄介なことに、妖精は己の力で試練を乗り越えてきた者しか評価しないらしい。リュカは勝手に付いて来たスラりんと共に、ロボットたちが警護する洞窟へ向かった…。

監督は八木竜一&花房真、総監督は山崎貴、原作は「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」、原作/監修は堀井雄二、脚本は山崎貴、製作は市川南&沢桂一、共同製作は畠中達郎&松田洋祐&谷和男&島村達雄&石川豊&加太孝明&阿部秀司&森田圭&中西一雄&安部順一&舛田淳&田中祐介&坪内弘樹&昆野俊行&赤座弘一&大鹿紳&小櫻顕&毛利元夫、エグゼクティブプロデューサーは阿部秀司&臼井央&伊藤響、プロデューサーは藤村直人&依田謙一&守屋圭一郎&渋谷紀世子&川島啓太、全体監修は市村龍太郎、画コンテ/編集は八木竜一、アートディレクターは花房真、CGスーパーバイザーは鈴木健之、音響監督/サウンドデザインは百瀬慶一、リレコーディングミキサーは佐藤忠治、挿入曲「Virus」作曲は佐藤直紀、音楽は すぎやまこういち。
声の出演は佐藤健、有村架純、波瑠、坂口健太郎、吉田鋼太郎、賀来千香子、松尾スズキ、古田新太、安田顕、ケンドーコバヤシ、山寺宏一、井浦新、山田孝之、内川蓮生、大西利空、高月雪乃介、田中美央、永宝千晶、佐々木一平、関口晴雄、栩原楽人、中台あきお、鰐渕将市、吹上タツヒロ、石井テルユキ、桝太一、内田敦子、斉藤淳、仙名翔一、川口啓史、小野瀬侑子、鹿野真央、山本順子ら。


大人気ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの第5作『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を基にした3DCGアニメーション映画。
総監督&脚本は『DESTINY 鎌倉ものがたり』『アルキメデスの大戦』の山崎貴。
監督は『friends もののけ島のナキ』『STAND BY ME ドラえもん』の八木竜一と、『STAND BY ME ドラえもん』のアートディレクターを務めた花房真の共同。
リュカの声を佐藤健、ビアンカを有村架純、フローラを波瑠、ヘンリーを坂口健太郎、ゲマを吉田鋼太郎、マーサを賀来千香子、ルドマンを松尾スズキ、ブオーンを古田新太、プサンを安田顕、サンチョをケンドーコバヤシ、スラりんを山寺宏一、ミルドラースを井浦新、パパスを山田孝之が担当している。

冒頭、「かつて天空人は力を合わせ、大勢の犠牲と引き換えに大魔王ミルドラースを魔界の門の彼方へ封印した。そして再び門を開こうとする者が現れた時、それを閉じるための力を一振りの剣に封じ込めた。その剣は天空人の血を引く勇者のみが使うことが出来るであろう」という文章が、全て平仮名で画面に出る。そしてファミコンのドット絵で、主人公の誕生シーンを描く。
この時点で、既にコレジャナイ感を抱いてしまう。
なぜなら、そういう表現で始めることによって、「これはゲームの世界のお話」という印象が強くなるからだ。
本来なら、「アニメ映画の物語」としての没入感が必要ではないかと思ったからだ。

そこからアニメーションのパートに入った時も、「やっぱりファミコン動画の部分は邪魔じゃねえか」と感じる。最初からアニメーションで始めた方が、物語に引き込む力は絶対に勝っている。
だが、実はそんな「ファミコンのゲーム画面から始める」という趣向は伏線だったことが、終盤になって明らかになる。
とは言え、「理由が分かれば納得できる」というわけではない。むしろ理由が分かった上で、それでも「やっぱり違う」と感じさせられる。
それどころか、理由が判明すると、余計に「ダメじゃん」という意識が強くなる(その辺りについては最後に触れる)。

恐ろしいことに、序盤のファミコン動画は、リュカの誕生を描くだけでは終わらない。
「マーサが連れ去られてリュカがパパスと共に旅に出る」「フローラがリュカと出会う」「ビアンカが登場する」「子猫を手に入れるため依頼を受ける」「ゴーストを倒し、ドラゴンオーブを手に入れる」「子猫を譲り受けてゲレゲレと名付ける」という手順が慌ただしく処理される。その間、わずか2分半程度だ。
もちろん、その程度で充分に「そこまでの経緯」を表現できているはずもない。それはあくまでも、ゲームで遊んだことがある人のためだけの「粗筋紹介」だ。
でもゲームを遊んだことがある人からしても、「要らないダイジェスト」でしかない。そんな雑な粗筋紹介を入れるぐらいなら、大胆に内容を削ぎ落としてしまった方が遥かにマシだ。

アニメーション・パートに入っても、ダイジェスト状態は続いている。
小屋のシーンではサンチョが登場するが、こいつの紹介もマトモに用意されないまま次へ移る。リュカに「凄いオーブを持ってるね」と声を掛ける謎の男が出て来るが、ここも華麗にスルーされる。その男についてリュカが気にする様子も無い。
リュカが父と戦いの鍛錬を積む様子がチラッと描かれ、ラインハット王国に入る。すぐにヘンリーが連れ去られ、パパスがゲマに殺される。まあ慌ただしいこと。
急にゲマが現れても悪党なのは分かるが何者かはサッパリだし、ヘンリーを拉致した目的も不明。人質に取って王様に何か要求するのかと思いきや、奴隷として扱き使うだけだし。だったらヘンリーじゃなくて誰だっていいはずで。
ゲームをプレイした人間が頑張って脳内補完しても、追い付かないぐらいのダイジェストっぷりだ。

そんな慌ただしいダイジェストの大半は、そこで出しておいたキャラが後で再登場した時に「もう紹介したでしょ」と言い訳するための手順と言っても差し支えが無い。
ビアンカやフローラ、ゲマやサンチョが後で登場した時に、「既にリュカは会っている」ってことで紹介や説明を省くための手順だ。
でも、ダイジェストの中で充分に紹介しているわけではなくて「ほぼ登場させただけ」で終わっているので、そんな言い訳は屁の突っ張りにもならないのである。

『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を長編映画化する上で難しいのは、「どう考えても全ての内容を盛り込むのは不可能」ってことだ。
上映時間は103分だが、例え10分や20分延長したところで、ゲームの内容を全て描くのは無理だ。ゲームの方は1日に何時間もプレイして、それでも何日も掛かるわけで。
もちろん、その中には「レベル上げの戦闘」とか「手掛かりを集めるための行動」も含まれるので、そこを除外すれば1日で物語の最後まで到達する時間は大幅に減らせるだろう。ただ、それでも2時間以内に収めるのは無理だと思われる。
なので前述した「大胆に内容を削ぎ落とす」という考え方は、そんなに間違っちゃいないようにも感じるのだ。

もう少し具体的に言うなら、「最初から最後まで描くのではなく、美味しいトコだけ抽出する」ってことだ。
ゲームだと最初に「主人公とパパスの旅」があり、「主人公の旅」があり、最後に「主人公と息子の旅」がある。この内、例えば「主人公の旅」だけに絞れば、もう少し余裕は出来ただろう(それでも時間的には厳しいが)。
しかし山崎監督は、「ザックリなぞって全てフォローする」という方法を採用した。
そのせいで、「大半がダイジェスト」「ゲームの上っ面を適当になぞっているだけ」という状態になっているのだ。

リュカがずっと弱腰で臆病風に吹かれているのも、「なんか違う」と言いたくなるわ。もっとストレートに、「母を見つけ出すために全力で頑張る勇敢な若者」で良かったんじゃないか。
もしかすると、最初にヘタレなキャラから入って、精神的な成長を描こうとする狙いがあったのかもしれない。ただ、仮にそうだとしても、まるで実現できていないからね。精神的な成長だけでなく、戦士としての能力の上昇も、まるで感じられないしね。
そんでヘタレなリュカにギャグまでやらせているけど、「そういうの要らないから」と冷静に言いたくなる。ギャグが欲しかったら、コメディー・リリーフでも用意して、そいつに任せておけばいい(要らないけどね)。
主人公は徹底して「熱い勇者」にしておいた方がいいよ。そこを外しても、何の得も生じていないぞ。

『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』では、主人公の花嫁選びが重要なエピソードになっていた。ここで悩んだ人も、きっと多いはずだ。ぶっちゃけ、ここが作品における一番のハイライトと言ってもいいぐらいだ。
そんなエピソードも、まあ見事なぐらい雑に処理されている。
そもそも時間が足りないので、主人公とビアンカ&フローラとの関係性を充分に描写できていない。
ここが重要なエピソードなのは絶対に分かっているはずなので、「分かった上で演出を間違えている」ってことになる。

ファミコン画面で出会いのシーンにチラッと触れた後、再会した途端にリュカとフローラは両思いになる。
ビアンカと再会してブオーンを倒したリュカは「子供の頃から僕の背中を任せられるのはお前だけだ」と言うが、こっちがマトモに見せられたビアンカとの関係は直前のブオーン戦だけだ。そして、その直後にリュカが「フローラと結婚する」と言い出すので、「彼が実はビアンカに惚れている」という設定にも無理が生じてしまう。
フローラに惚れて、浮かれてブオーンを退治し、有頂天になっている軽薄なボンクラにしか見えない。
こっちはゲームをやった時に「どちらを選べばいいのか」と苦悩したのに、そんな思い出を台無しにされた気分になる。

リュカはフローラのことしか目に入っておらず、ビアンカとの間で揺れ動く感情なんて皆無だ。
その流れで「本心はビアンカが好きだったと気付く」という展開を用意されても唐突なだけだし、ビアンカに求婚するのは無理がある。
酒場での求婚シーンも、まるで感動しないぞ。せめて誰もいない場所で求婚しろと言いたくなるわ。
リュカがルドマンの逆鱗に触れた噂が広まっている中で、ビアンカに求婚してOKを貰うのを全員が祝福するのも違和感があるし。

フローラとの結婚に浮かれるリュカを見ているビアンカの、「本心は惚れているけど、それを隠して応援している」という心情は全く表現できていない。
求婚を見届けた後、夜の酒場で悪酔いしている様子を見せて「ビアンカはリュカに惚れている」ってのを描いているつもりだろうけど、下手すぎるのよ。
。リュカからフローラとの結婚を打ち明けられた時、そして求婚に成功した時のビアンカの微妙な表情の変化や仕草によって、その細やかな心情を表現すべきなのよ。
そこに限らないけど、全てにおいて本作品って表現が大雑把なのよ。

8年後にアルスが登場すると、地下でストルスの杖を手に入れるシーンが描かれる。
ここも過程を思い切り端折っているわけだ。その後の「リュカの石化を解く」「魔物に襲われるアルスがリュカに渡された天空の剣を抜く」といった展開も、かなりの慌ただしさだ。
なので、「アルスが剣を抜いたことで天空の勇者だと判明する」という大きな見せ場も、まるで力を持っていない。
ゲームのオープニングテーマ曲を流して盛り上げても、こっちの気持ちは平坦そのものだ。

リュカが復活してアルスと再会したら、後は「ゲマを倒してビアンカを救出する」というミッションをクライマックスに据えて、そこに向かって進めばいいはずだ。
しかしルドマンから「マスタードラゴンの助けを借りろ」と言われているので、そこは消化しなきゃいけない。
なのでプサンと会う手順までは分かるが、そこから「オーブが無いので妖精の力が必要」→「洞窟へ行ってロボットと戦う」という展開に入るのは、ただの寄り道にしか思えない。
ゲームだったら寄り道が多くても何の問題も無いけど、映画で同じことをやっても面白さには繋がらないからね。

最後のゲマとの戦いでは、リュカたちのピンチにヘンリーが兵隊を率いて駆け付ける。
彼は「恩を返しに来たぞ」と言うけど、まるで興奮しないわ。ハッキリ言って、こいつの存在なんて完全に忘れていたし。
リュカとヘンリーの絆を描くドラマなんて皆無に等しいので、それが嬉しい再登場になっていないのよ。しかも雑魚キャラどもと戦う様子を少し描くだけで、そんなに役に立っていないし。
ヘンリーだけじゃなくてマスタードラゴンも駆け付けるけど、こいつでさえ存在意義は乏しいからね。

残り15分ぐらいでミルドラースが召喚されるが、ここからの展開が最低になっている。なんと「ミルドラースはコンピューターウイルスで、リュカがいるのはゲームの世界だと暴露する」という展開が用意されているのだ。
序盤の描写は、「ゲームの世界という設定なので」という意味だったわけだ。
でもバーチャルシステムでのリメイクなので、ファミコン画像で始めるのは変でしょ。
いや、それだけじゃなくて、「ゲームの世界でした」という設定自体がクソなんだけどさ。

ようするに山崎監督は観客に対して、「テメエは最先端のバーチャル・システムでリメイクされたドラクエの世界が懐かしくなって入って来た」と言っているのだ。
そしてウイルスを作った人間はバーチャル世界の人間が嫌いで、「大人になれ」「現実に戻れ」と訴える。
いや心底からウザいわ。
そんな人間を山崎監督は馬鹿にしたり否定したりしているわけじゃなくて、むしろウイルスを作り出した人間の主張に反発する形で話は終わらせているのよ。でも、そういう対立構造を今さら使っていること自体がウザいのよ。

「ゲームにハマるのは害悪で、そこから脱却して大人になるべきという批判的な意見が多い」という感覚って、もはや古臭い偏見になっているのよ。
今やビデオゲームって、eスポーツがオリンピックで採用されるかもしれないという噂が出るぐらいの存在になっているわけで。そんな中で一昔前の対立構造を持ち込んで話を作られても、「それで素晴らしいアイデアを思い付いたと得意げに言われてもなあ」と言いたくなる。
リュカがウイルスや作り手に反発し、勝利を収める結末を描かれても、そこには感動も興奮も無いのよ。

あとさ、そもそもメタ構造そのものに対して否定的な考えしか浮かばないんだけど(全ての映画に対する意見じゃなくて、この映画ではダメってことね)、そこを百歩譲って受け入れるとすれば、せめて序盤から「これはメタ構造の作品ですよ」ってことを提示しておくべきだよ。
でも、この映画だと「実は」というトコへ向けた伏線が皆無に等しいので(せいぜいロボットに対するプサンのツッコミぐらいだ)、「唐突なちゃぶ台返し」と化している。
でもまあ、根本的なことを言っちゃうと、実は『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を映画化しようとする企画そのものが無謀ではあるんだよね。
『ドラゴンクエスト』の世界観だけを拝借して、鳥山明のキャラクターデザインは踏襲して、オリジナルストーリーで映画化した方が、まだ可能性はあったんじゃないか。

(観賞日:2021年4月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会